第57話 最終話「心臓いっぱいの愛を」⒁


 白煙に紛れてなだれ込んできた男たちが狙ったのは、博士ではなく俺だった。


 「……くっ、しまった」


 防刃、防弾ベストに身を固めた男たちは、俺を取り囲むと「ミスト」を噴霧した。


 俺は息を止めると身体を沈め、行く手を塞いでいる男の脚に体当たりを試みた。男が後ろざまに倒れ、俺は一瞬「行ける」と思った。が、次の瞬間、背中に何者かが覆いかぶさる気配を感じ、同時に俺の首に何かが巻き付けられた。


「抵抗するな。おとなしくしていれば何もしない」


 上から目線の台詞に、俺は自分が後手に回ったことを悟った。


 首に回された糸鋸の刃は、俺をけん制するように適度な力が込められていた。


「博士をどうする気だ」


「しばらく我々の監視下でおとなしくしていただく。その後のことは上層部が決める」


 俺は迷った。果たしてここでひと暴れしたとして、対ゾンビ部隊を相手に勝ち目はあるだろうか?もしゾンビ課が単に「ダイ・ドリーム・カンパニー」の手から博士を守ろうとしているのなら、もしろその方が安全なのではないか?


「泉下君!」


 俺の耳にふいに、博士の物と思わせる声が飛び込んできた。糸鋸の刃がわずかに緩み、俺は声のしたほうに首をねじ曲げた。


「私のことなら心配いらん。君は君の「友人」を救出することに専念したまえ」


 博士は両腕を男たちに掴まれ、ドアの外へ連れ出されようとしていた。情けないことに、俺には何一つ、打つ手がなかった。


「よし、もういいだろう。……ご協力、感謝します。手荒な対応に関してはお詫びいたします」


 リーダー格の男が仰々しく頭を下げた。態度の極端な変わりように俺は嫌悪を覚えた。


 ゾンビ課の男たちが去った後、俺は敗北感を抱いたまま、地上の教会へと移動した。


 ――「ウズタマ」とはいったい、何なのだろう。それだけでも聞きたかった。


 俺はがらんとした礼拝堂で、説教台にもたれかかって博士との会話を反芻した。

 誰か博士以外に「ウズタマ」について知っている人間はいないだろうか。

 知っている限りの名前を思い返そうとした、その時だった。


 いきなり礼拝堂のドアが開け放たれ、逆光の中に男性のシルエットが浮かび上がった。


「ようやく決着がつけられるな、青山」


 人影は藤堂だった。


「まだ戦う気ですか、藤堂さん」


「そうだ。お前を捕獲して首を持ち帰るか、お前が俺を殺すか、どちらかだ」


「なぜです。そんなことに何の意味があるんですか」


「お前を狩れと命じられた日から、俺の時計は止まったままだからだ。お前を狩るという使命を果たさない限り、俺の時は動き出さない」


「それはもしかすると、航空機事故の……」


「これ以上の会話は時間の無駄だ。――行くぞ、青山」


 藤堂は叫ぶや否や、椅子の間を俺に向かって突進してきた。俺は左に跳ぶと、体の向きを変えた。礼拝堂の最前列で、俺と藤堂は再び正面から向き合った。

 俺が身を沈めると、びゅん、という音が頭上の空気を鳴らした。俺は礼拝堂の壁に沿って駆けた。


「無駄だ、青山。この前のように隠れる場所はない。潔く観念するんだな」


 藤堂との間合いを一定に保ちつつ、俺は藤堂と「会話」をかわすチャンスを探った。


「――ほら、次はお前の首が狙えるぞ。チェックメイトだ、青山」


 藤堂の勝ち誇った声が響き渡った。俺は動きを止めて右手で自分の首を抑えた。


次の瞬間、俺の首に藤堂の糸鋸が巻き付いた。藤堂が糸鋸を強く引く気配があり、首の皮の一部が裂けた。だが、裂けたのは首の後ろの部分だけだった。首との間に義手があるため、思い通りに力が伝わらなかったのだ。


「無駄な抵抗はやめろ、青山。お前は負けたんだ」


 藤堂の苛立ったような声を、俺は無視した。


「藤堂さん。あなたはご自分にとってとても大事なことを知らずにいる」


「なんだと?この期に及んで、時間稼ぎか」


「……あなたの娘、安那は生きている」


「なんだと?」


 糸鋸に加わっていた力がほんの一瞬、緩んだ。俺は藤堂に向かって伸びている糸鋸の刃を左手でつかむと、手前に強く引いた。


「うわっ」


 藤堂がバランスを崩し、首が自由になった。俺は左手の甲を藤堂に向けると、糸鋸の刃で裂けた手の平を強く握った。

 白い光が藤堂の顔の前で爆発し、呻き声と共に手を離れた糸鋸が床に落ちる音が聞こえた。俺は藤堂の背に馬乗りになると、鞭を首に巻き付けた。


「藤堂さん。……チェックメイトです。もう戦いは終わりにしてください」


「どういうことだ……娘が生きているというのは」


「話せば長くなりますが、娘さんは飛行機事故で亡くなってはいなかったんです。色々あって今は牧原幸三という人物の元にいます」


「牧原幸三……」


「娘さんが生き残ったのには理由があります。心当たりはありませんか、藤堂さん」


「理由だと……」


 藤堂が俺の下で苦し気な声を上げた。親ならば彼女の「能力」を知っていてもおかしくない。どうにか生存を信じてくれれば、戦意も消えるはずだ。


「娘さんの特殊な「能力」のことです」


「……なぜお前がそれを?」


 藤堂は絶句した。やはり、と俺は思った。


「ある人物から聞きました。 やはり娘さん同様、飛行機事故から生き延びた人間です」


「まさか、そんなことが……じゃあなぜ今まで、生きていることを俺に教えてくれなかったんだ」


「それにも事情があります。とにかく娘さんは無事です」


「だが、事故からもう五年近くが過ぎている。あのころすでに娘の心臓は弱っていた。これほどの長い時間、手術などの処置を受けずに無事でいるとは考えにくい」


「それは……ある特殊な方法で、症状が劇的に改善したからです」


「特殊な方法……?」


 藤堂が訝った、その時だった。


「――パパをいじめないでっ!」


 礼拝堂の空気を、甲高い声が切り裂いた。声の下方を見ると、入り口のところに小さな人影が立っていた。


「杏那……まさか!」


 俺の下で、藤堂が驚きの声を上げた。


「パパをいじめる人は、ゆるさないっ」


 杏那が叫んだ瞬間、俺の身体の自由が奪われた。体重が消え、バランスが取れなくなったかと思うと、藤堂を押さえつけていた俺の身体は、床からふわりと浮き上がった。


「あ、あ」


 俺はそのままの格好で空中を滑るように真横に移動すると、背後の壁に強い力で押し付けられた。


「しばらくおとなしくしてて」


 杏那はそう言うと、ゆっくりと藤堂の元に歩み寄った。杏那の瞳は緑色に輝き、やはり緑色に染まった髪が風もないのになびいていた。


「パパ……」


 杏那が語りかけると、藤堂の目から涙があふれた。


「よかった。……生きていた」


 藤堂は上体を起こすと、膝をついている杏那の身体を抱きしめた。


「パパ、帰ろう。杏那が運んであげるから、じっとしてて」


 安那はそう言うと藤堂の腕から離れ、立ちあがった。そして両手をまるで何かを抱きかかえるかのように胸の高さにあげた。同時に藤堂の身体がふわりと浮き上がり、杏那の顔の高さで止まった。


「行こう、パパ」


 杏那が歩き出すと、宙に浮いたままの藤堂もそれにつれて空中を滑りだした。

 俺は壁に押し付けられたまま、到底現実とは思えない風景をぽかんと眺めていた。


 やがて二人は礼拝堂のドアから外へと姿を消した。それとほぼ同時に、急に俺を押さえつけていた力が消え失せ、俺はどすんという衝撃と共に床に尻餅をついた。


 ――娘を救えなかった父親を救ったのが、娘だなんて。こんなこともあるのか。


外から差し込む淡い光の中で、俺は自分が目の当たりにした「奇跡」を噛みしめていた。


              〈第十五回に続く〉

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