第55話 最終話「心臓いっぱいの愛を」⑿
「なぜ、わかった?」
木下――鬼志神は粗末な椅子に腰を据えると、俺に鋭い視線を向けてきた。昼間までの野卑なふるまいが嘘に思えるほど理性的な目だった。
「追っ手の一人が窓の外で「マテ、キシガミ」と言ったんです。あなたが気志神博士だと考えれば、連中に連れ去られそうになったことにも説明が付く」
俺が答えると、鬼志神は観念したように項垂れた。
「なるほどな。……せっかくの演技も無駄だったというわけだ。……ところでここは?」
「俺の親父が根城にしている教会の地下です。匿ってもらおうと思って来たんですが、どうやら主が不在だったみたいで勝手に入りました」
俺は薄暗い室内を見回して言った。元防犯課勤務の息子が、元警視の父親の隠れ家に不法侵入してるなんて、人が来たら呆れるに違いない。
「親父には「最近、不審な行動が多いからガサ入れに入った」とでも言っておきますよ」
「ふむ。……で、何を私に聞こうというのだね、泉下君」
鬼志神は改まった口調で言った。俺はこのひと月ほどの出来事を反芻した。もし本当に鬼志神が「プラント」計画の中心人物ならば、聞きたいことはそれこそ山のようにある。
「まず、俺が巻き込まれた「事件」のことからお話します」
俺は「道化師」から宅配便が届いた日から今日までの顛末を、簡潔に語った。途中、鬼志神が目を見開き、苦し気に呻くさまが何度か見られた。
「そういうことだったのか……まさかこんなに早く「世界樹計画」に着手するとは。どうやらあの連中を甘く見過ぎていたようだ」
「そもそも、あの研究所は何の目的で作られた建物なんですか?」
鬼志神は太い息を吐くと、目線を遠くに向けた。
「あの研究所は、ある人からの依頼によって作られたものだ。私は研究所ができた後に技術者として招かれたのだ」
「その人物とは?」
「
設楽保――意外な名前が出たことに俺は虚を突かれ、言葉を失った。
「設楽保というと、「ブラックゾンビ」の元締めですね」
俺が言うと鬼志神は一瞬、驚いたように目を瞠った。
「知っているのかね」
「ええ。ちょっとしたしがらみで。……それより、設楽存からの要請とはいったい、何だったんです?」
「それを話すより、我々の研究がどのようなものであったか、順を追って話す方がわかりやすいだろう」
鬼志神はそう前置くと、記憶をたどるように目を細めた。
「研究の始まりは「ゾンビ化に失敗した人間」のサンプルを集めることだった」
「ゾンビ化に失敗した人間?」
「死んでゾンビになる人間の条件は、脳の中に「死粒子」の元になる物質があることと、死んだときにその物質が活性化すること、この二点だ。
たとえ「死粒子」の元になる物質を持っていても、活性化しなければゾンビとして蘇ることはできない。つまり通常の死だ。
ところがこの二つの間に、活性化が不十分であったがために、人間としての意識を失くした状態で蘇ってしまう存在が確認されている。これが「ゾンビ化に失敗した人間」だ」
「その場合、人間として生きていると言えるのですか」
「我々の答えはノーだ。単に身体が蘇っただけで、人間らしい意志も思考も何もない。「人格」の部分は死亡時に消滅しているのだから、ただの「動き回る肉塊」にすぎない」
「どうなるんです、そう言う個体は。誰かが世話をするんですか」
「その心配はない。失敗した個体は何日か経つと腐敗が始まり、やがて通常の「死体」と同じ運命をたどる。我々はその「生きた肉塊」を保存する研究をしていたのだ」
「いったい、何のために?」
「「ブラックゾンビ」が生き延びるためだよ」
俺はあっと思った。ブラックゾンビは生きた人間の肉を栄養源として生きるゾンビだ。
そのこと自体に関しては良いも悪いもない。俺だってたまたまその必要が生じなかっただけで、ブラックゾンビになっていてもおかしくはないのだ。彼らが彼ら自身の存続のためにあらゆる方策を講じることは、ごく当然の成り行きと言えた。
「ブラックゾンビも生物である以上、他の何かを捕食する必要がある。だが、生きて動き回っている人間を襲うことにも当然ながら抵抗がある。
そこで「死にたての人間」を加工し、ブラックゾンビ社会全体に安定した食料供給を行おうというのが、我々の研究だ」
「その食料は、死んでしまった後の肉でも構わないんですか」
「多少、味の面では落ちるかもしれないが、生きている人間を殺して食べるのと、栄養価的にはさほど変わらない。腐敗する前に加工し、極力原型から遠い形にして配給する、そういう事業を設楽は進めようとしていたらしい」
「で、それは成功したんですか」
「基礎研究の段階ではほぼ実現可能なレベルにまで達していた。問題はサンプルの安定した供給だった。我々は、限られた数の食料をどの層に優先的に配分するか、そういう討論に入ろうとしていた。だが、全く違うことを考えた人間が、プロジェクト内にいたのだ」
「全く違う事……どういうことです?」
「何もゾンビ化に失敗した例を待つことはない、ようするにゾンビ化の過程にある人間を「改造」してしまえばいい。そう考えた人間がいたのだ」
「でもそれは、放っておけば普通にゾンビとして生き返る人間を……」
「そうだ。生き返る前に殺して食料にしてしまおう、そう言う計画だ」
俺は絶句した。死んでから加工されるのも嫌だが、殺して加工するとなるとさらに罪の深さが一段、違うような気がする。
「その禁忌へのうしろめたさを軽減するために、我々は新たな研究に着手した。それが「プラント」の開発だ。……泉下君、君が戦った「プラント」を、君は何だと思う?」
「何って……植物か、植物と動物の中間のような生物……違いますか」
俺の答えに鬼志神は目を閉じ、強くかぶりを振った。
「違うのだ。「プラント」の正式名称は「フラクタル・ゾンビ」というのだ」
――ゾンビ?ゾンビということは……
俺の脳裏に「道化師」に見せられた「プラント」の映像がよみがえった。まるで植物のように枝を伸ばし、心臓を覆い尽くそうとしていた、あれがつまり……
「あれが「人間」だと言うのですか」
「そうだ。「フラクタルゾンビ」とは、ゾンビ化の途上にある死体に特殊な薬品を投入し、あえて植物のような見た目になるよう、遺伝子を変容させたゾンビなのだ」
「何のためにそんなことを……」
「さっきも言っただろう。死者を食する際に必要なこと、それは心理的な抵抗を薄めることだ。つまり、人間から遠い姿、人間を連想させないような形にすることだ」
「それで植物の姿に……」
「豚の丸焼きとサラダのどちらが食べる際に抵抗を覚えないか、そう考えればよくわかるだろう。植物であれば、切り刻もうと焼こうと残酷だとは思わない。それが答えだ」
「しかし見たところ、あの緑色の生物には「意志」があるように見えました。ゾンビの心臓に取り付いて、生き延びようとするのは思考が存在する証拠じゃないんですか」
「だから「禁断の研究」なのだ。当初は人としての意識を消滅させた上で、植物のように見えれば成功、その程度の研究だった。
ところが研究を進めていくうちに人としての意識を保ったまま「プラント」化する個体が続出したのだ。
我々は自身の罪悪感を薄めるため、完成した「プラント」を「
「何らかの形で「意志」を伝えてきたんですね」
俺が聞くと、鬼志神は苦し気に頷いた。
「これは研究所を脱走した職員が残していった、観察経過を記録したメモだ」
そう言うと鬼志神はポケットから古びたメモ帳を取りだし、俺に手渡した。俺は最後の方の数ページを開き、目で追った。そこには研究の実態が、生々しく描写されていた。
〈第十三回に続く〉
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