第48話 最終話「心臓いっぱいの愛を」⑷


「ちょっと野暮用があってな。人と会うんだよ」


「ほお、人とね。……しかしその、めかしようから言って警察関係者ではないな」


「当たり前だ、馬鹿。和久井さんだよ。おかしな連中から助けてくれたお礼をしたいんだとさ」


 俺は柳原ヤギの顔を思わず見返した。仏頂面はそのままだったが、目線が落ち着きなく揺れていた。


「結構な話じゃないか。せいぜい、失礼のないようにしろよ」


「お前に言われたくないな。これでも礼儀はわきまえてるほうだ」


「そうじゃない。おかしな遠慮をしたり「公務員だから」とか、わけのわからない御託を並べて恥をさらすなってことだ。仕事中でもなければ、相手は少年でもないんだからな」


「ふん。くだらないことばかり言いやがる。お前さんだって女子高生に振り回されて……」


「んっ、何か今、面白いことを言いかけなかったか」


「別に。お前さんの耳が腐ってんだろうよ」


「腐ってた方が、よく聞き取れるってこともあるんだぜ」


 俺は自分の耳を引っ張りながら言った。生き返って得をしたことの一つが、誰かに「腐った野郎だ」と言われても全く腹が立たないという事だった。


「……お花、こんな感じでどうでしょうか。スイートピーとガーベラ、それにかすみ草をアレンジしてみました」


「ああ、それで充分だ。助かったよ」


「贈られるお相手の方、喜んでくださるといいですね」


 柳原は花束を受け取ると「どうだろうな。俺にはそういうのはさっぱりだからな」と、妙に真面目腐った口調で返した。


「じゃあな、そのうちまた、ガラクタ倉庫にお邪魔させてもらうぜ」


 柳原は憎まれ口を残すと、出口に向かって歩き出した。大丈夫かな、あいつ。そう思いながら通路いっぱいの背中を眺めていると、店を出たとたんにその足が止まった。

 

 ――なんだ?


 そのまま様子を眺めていると、柳原は虚を突かれたように店の前に立ち尽くし、なにやら口ををもごもごと動かしていた。どうやら柳原のすぐ近くに誰かが現れたらしい。おれは「おハナさん」に改めて礼を述べると、店外に移動した。


「あ……どうも」


 柳原は花束を持つ手を隠すように降ろすと、ぎこちない笑みをこしらえた。挙動不審な大男の前に立っていたのは、やはりいつもより少しだけめかしこんだ、千草だった。


「……あら、泉下さんもご一緒だったんですね」


 大男の背後に俺の姿を認めた千草は、表情を崩した。


「ええ。でも、たまたまですよ。こいつと花屋なんかで一緒にいた日には、客が寄り付かなくなって営業妨害になってしまいます」


 千草がくすくすと笑い、柳原が首をねじ曲げ、肩越しに俺を睨み付けた。


「ところで、お二人は待ち合わせじゃなかったんですか?」


「ええ、そうです。まだ早いんですけど、時間までちょっと買い物でもと思って。……柳原さんも時間つぶしですか?」


「あ、ああ……まあな。家を早く出過ぎたもんで、ぶらぶらしてたんだ」


 柳原はそう言うと、花束を背中に隠すしぐさをした。


「そうですよね。まだ一時間、ありますもんね。……ところでその、お花は?」


 柳原の必死の隠ぺいもむなしく、千草はあっさりと花束に目を止めた。


「うん?……だからその、土産だよ土産。世話になった人と会うのに、手ぶらってわけにもいかないだろう」


 花束を土産と呼ぶセンスに、俺は噴き出しそうになった。千草も小さく笑うと、「無理しないでください、お世話になったのは私の方なんですから」と照れることなく言った。


「それじゃあお互いに時間をつぶしてから、お店でまた会いましょう」


 千草はそう言うと、軽やかに身を翻そうとした。その背を、ふいに柳原が呼び止めた。


「ちょっと」


「はい?」


「その……・なんだ、あの時は、俺も危ないところをあんたに助けられたよな。今日は昼飯をおごってくれるって話だが、こっちとしてもそれじゃあ、なんだか落ち着かない。もしよかったら飯の後、俺の知ってる居酒屋で一杯、おごらせてくれないか」


 柳原は、用意した原稿でも読むような堅苦しい口調で言った。


「……せっかくですが、それはだめです」


「えっ」


 千草は柳原の誘いを、あっさりとはねつけた。


「今日は、これから夜勤なんです。ですからお約束したとおり、三時までという事でお願いします」


 柳原はぽかんと口を開けた後、「はあ」と言った。無理もない。食事に誘うくらいだから、丸一日休暇だと思うのが普通だろう。


「そうか……だったら仕方ないな。……それにしても随分と窮屈なスケジュールで生活してるんだな」


 柳原は気のせいか、少しばかり拗ねたような口調だった。


「すみません。しばらく休暇が取れなくて……でも、お礼をするならできるだけ早い方がいいですよね?」


 千草の常識的な答えに、さすがの柳原もうなずかざるを得なかった。


「じゃあ、後で」


 千草は再び俺たちに背を向けると、すたすたと歩き出した。その背を見るともなく眺めていると、ふいに千草が足を止め、振り返った。


「もし飲みに誘ってくださるなら、明日以降に改めてお願いします。時間を開けなくちゃいけないので」


 それだけを告げると、千草は俺たちの前から早足で去っていった。

  

                 ※


 柳原と別れた後、俺はいったん「トゥームス」に戻ることにした。おやっさん以外に何か詳しい情報を持っていそうな人物というと星谷守しかいないが、情報収集のためだけに会ってくれる相手とも思えない。かといってミカに情報収集を頼むというのは、いくら何でも甘えすぎだと思った。


 仕方ない、あとは親父か隼人……か。ふとそんな思いが胸をよぎり、俺は苦笑した。最近の親父の連絡先を、俺は知らないのだった。まして隼人がそんな化け物相手の事件について詳しく知ってるとは思えない……


 そこまで考えた時だった。


 俺は自分の後方に、明らかに自分の足取りをつけている人間がいることに気づいた。


 根拠は、臭いと足音だった。俺のわずかな記憶に残る、警察関係者の臭いと、それを発している物たちの足音を感じ取ったのだった。


 どうやら早速、ゾンビ課の連中が俺を監視し始めたらしい。ご苦労なこった。……ただしもう少しうまくやってくれないと、気になって仕方がない。


 さて、どうやって撒こうか。


 考えながら歩いてると、いきなり横合いから、俺の脇腹にぶつかるようにして前に飛びだした人影があった。


「んっ?なんだっ」


 俺は逃げてゆく人影を見た。その背中には、見覚えがあった。


 ハンチングにジャンパーといういでたちの小柄な年配男性は、俺が現役時代、何度となく逃がしたベテランの掏摸スリばんちゃんこと通称「ビーグル」だった。


 ――あいつ、まだ現役でやっていたのか。……ん?俺の財布は?


 俺は駆けだすと、焦げ茶色のジャンパーを追った。奴はもう六十近いはずだが、侮るとたちまち見失ってしまう技量の持ち主だった。


 俺がいきなり駆け出したことに驚いたのか、後をつけている連中も走り出していた。一定の距離を置いて追っているが、俺がいつ立ち止まらないとも限らないので、戸惑っているようでもあった。


「ビーグル」は昔と変わらず、駐車場を横切ったり、私道をうまく使ったりしながら逃亡を続けた。俺はそろそろだな、と思った。この辺でうまく俺を撒かないとスタミナが持たないはずだ。しつこく追い続けていると案の定、奴の姿が細い路地に消えた。


 俺は路地の前で立ち止まると、向こう側までを透かし見た。奴の姿はどこにもなかった。


――近くにいる。どこだ?


 俺は路地というよりビルとビルの隙間といった方がふさわしい空間を見回した。一方のビルの壁に、大型のごみ収集ボックスが据え付けられていた。これだ。間違いない。


 俺はゴミ箱のふたに手をかけると、ゆっくりと開いた。薄暗い箱の中に、ごみの袋と一緒になって身体を丸めている奴の姿があった。


「見いつけた」


 俺が声をかけると、ハンチングを目深に被った顔が半分ほどこちらを向いた。


「久しぶりだな、ビーグル」


 俺が顔を近づけると、ハンチングの下から不敵な光を放つ丸い目が、こちらを見た。


「へっへっへ、誰かと思ったら、青山の旦那じゃないですか」


            〈第五回に続く〉

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