第49話 最終話「心臓いっぱいの愛を」⑹


「十年前と全く同じ手だぜ、伴ちゃん」


 俺がからかうと「ビーグル」は黄色い歯を見せた。


「なに、ちょいとばかし旦那の記憶力を試してみたんでさ」


「なんだって?」


 俺は予想外の答えに面食らった。それだけのために財布を盗んだのか?


尾行つけられてますぜ、旦那」


「ビーグル」の目が細められた。どうやら俺に何かを告げるのが目的で、掏摸スリを働いたらしい。


「……尾行つけられてることは知ってる。……それをわざわざ教えるために?」


 俺は「ビーグル」の丸い目を覗きこんだ。こいつはそんなに人情家だったか?


「いやいや、そればかりじゃあない。一番の目的は、ある人からの伝言を伝えるためです」


「伝言?いったい誰だ」


「その辺についちゃあ、場をあらためた方がいいと思いますがね。続きは別のとこでしましょうや」


 そう言うと、「ビーグル」は電車で一駅の所にあるカフェチェーン「ゲットバック」の名を口にした。


「きっかり三十分後。うまく捲いてくださいよ」


「大丈夫だ。勘は鈍ってない」


「だといいんですがね」


「ビーグル」は言い終えると再び俺に背を向け、自分でゴミ箱の蓋を閉めようとした。


「おい、ちょっと待て」


「…………」


「俺の財布を返せ」


                ※


 カフェ「ゲットバック」は電車で五分、歩いて二十分の距離だった。


 俺は最寄り駅に赴くと、電車を待った。やってきた車両に乗り込んだ俺は、入ってすぐの戸口近くに立った。


 ちょうど同じ車両の対角線上に、広げたスポーツ新聞をこちらに向けている人影があった。間違いない。二人組の追手のうちの一人だ。


 俺は身体の向きを変え、入ったばかりの乗車口から外へと飛び出した。窓越しに、ドアに向けて全力で駆けてくる姿が見えた。


 人影は紙一重のところで進路をドアに阻まれ、俺とガラス越しに対面する形になった。


 実直なサラリーマン風のその人物は、徐々に後方に去ってゆく俺を見ながら、悔しそうに歯ぎしりして見せた。どうやら探偵術の方はまだまだ、修行中らしい。


 二十分後、俺は「ゲット・バック」のカウンター席にいた。もう一人の追手は、同じフロアの二人掛けの席に陣取っていた。


 電車に取り残された片割れから、すぐ連絡がいったのだろう。電車を使わず歩いて店まで行こうと決めた直後から、もう一人と思われる気配が後をつけて来ていた。まあまあ、二人で一人前だなと俺は思った。


 俺は携帯をテーブルの上に置くと、、ハンズフリーの受話器をつけ、「ビーグル」からの連絡を待った。季節限定の黒豆カプチーノは、当たりとは言い難い味だったが、その失望を埋めるように、すぐに着信音が鳴った。


「間に合いましたかい、旦那」


「一人、撒いたよ。……残りは今、この同じ店内にいる」


「五十点ですな。そうなると会話の音声もちょっとばかし下げないといけません」


「わかってる。……で、俺に何かを伝えたい相手とは?」


「仮に「フェニックス」とでもしときましょうか」


「フェニックス?」


「ビルの名称ですよ。旦那も知ってるでしょう?」


 俺は一瞬、言葉を失った。警察の連中だけでなく、一部のごろつきたちの間にもこの十年の間にゾンビ社会の情報が漏れつつあったのだ。


「フェニックス・ビルがどうかしたのか」


「どうも最近、ちょっとしたトラブルに見舞われたらしいんで。……で、ある「つて」からあたしんとこへ「青山という男性をビルまで連れて来てくれる人間を探してる」っていう話が舞い込んできたんです」


「ビーグル」の話からは、還人協会が、俺との接触をできるだけ秘密裏のうちに終えたいという意向が伝わってきた。おそらく想像以上に警察の干渉を嫌っているのだろう。


「あたしもさすがに驚きましたね。青山の旦那といやあ、確か十年も前に銃で撃たれて殉職したんじゃねえですかってね。あたしもこの世界じゃ長いですが、幽霊と取引きなんて話は聞いたことがない」


幽霊じゃない、ゾンビだと訂正したいところだったが、我慢して話の続きをうながすことにした。


「で、生きてる旦那を。なんとか見つけてフェニックスビルに連れていかなきゃいけない。あれこれ考えた結果、ごく一部の人間しか存在を知らない「秘密の通路」に誘導するしかないという答えになりました」


「秘密の通路?」


「入り口と行き方は、これから説明いたしやす。……ただしあたしの言う通り、正確に動かないと、追っ手を撒くどころかまともに「通路」にたどり着けないかもしれませんぜ」


「……わかった、やってみよう。……どうすればいい?」


 俺は背後からの視線に、気づかないふりをしながら言った。


「そのまま席を立って、店を出てください。後は電話で逐一、右とか左とか走れとか指示を出します。首尾よく「秘密の通路」までたどり着けたら、そこから先はあたしの子分が案内します」


「子分というと……「ヌケサク鳥」か?」


 俺は「ビーグル」の片腕の名を口にした。


「よく覚えておいでで。ああ見えても結構、使える奴ですぜ」


「……それで、追っ手の方はどうするんだ」


「そいつは旦那がご自分で考えてくださいよ。……いいですか、なんとしてでも無事にフェニックス・ビルまでたどり着いてくださいよ。でないとあたしも今後、「協会」さんからのお目こぼしをしてもらえなくなっちまうんでね」


「協会?……という事は伴ちゃん、お前まさか」


「へい。……三年ほど前に「不慮の事故」って奴で地獄を見学してきました」


 俺は絶句した。「ビーグル」もまた、ゾンビだったのだ。……しかも、堅気の社会にもゾンビの社会にも半分しか属さず、自力で立派に生き抜いている。


 ゾンビだからここまで、生きているからここまで、そう言った単純な決め事を超えて、自分の「意志」で生き抜こうとしている者もいるのだ。


 俺は自分の知らない、新たな世界を垣間見たように思った。


           〈第七話に続く〉

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