第47話 最終話「心臓いっぱいの愛を」⑶


「さあ、どこにでも好きなとこへ、置きな」


 盤面の九割以上を黒の駒が支配しているオセロを前に、「おやっさん」こと藤村昭三は言った。俺は一応、腕組みをして長考するポーズをしてみせた。


「パスだ」


 俺が言うとおやっさんは「じゃあ遠慮なく」と、残された最後の隅に駒を置いた。一割に満たない白が一枚裏返り、勝敗が決した。


「相変わらず弱いな、巡」


「何か仕掛けがあるんじゃないですか、オツムの中に」


「あってもお前にゃ教えんよ」


 おやっさんは笑いながら駒を片付け始めた。


「さて……お前さんが勝ったら何でも質問していいという約束だったが」


「もうあきらめたよ。次からはしりとりにでもするさ」


「まあ、そう自棄になるな。気持ちよく勝たせてもらったお礼に、一つくらいなら質問してもいいぞ」


 おやっさんは勝者の笑みをたたえたまま、言い放った。どうせ俺の質問などたか知れていると思っているのだろう。


「実は「プラント」という名の緑色の怪物を追っています。人間やゾンビの心臓に取り付く正体不明の生物です。何かそんな化け物の話題を、ゾンビ社会で耳にしたことはないですか。……ここ一、二か月の間で」


 俺は一気にたたみかけた。どうせ一つしか聞けないのなら、全部つなげてしまえばいい。知らないというのなら、それまでだ。


「――さあ、とんと聞かないな」


 おやっさんは天井を見上げると、短く返した。いつもの「おとぼけ」だ。


「かりに俺の耳に入ったとしても、そんな面倒な話にいちいち関わっちゃあいられないな。……そもそもお前さんみたいな風来坊が首を突っ込む類の話でもないと思うがね。いったい、どういう風の吹き回しだ?」


「友達が、その「プラント」に取り付かれたまま、行方がわからなくなってるんです」


 俺は正直に事実を告げた。小細工を弄したところで、得られる情報が増えるわけでもない。


「なるほど、友達か。お前らしいな。……とはいえ、いつもいつもそんな面倒にかかわっていたら、人生なんてあっと言う間に終わっちまうぞ、巡」


「わかってます。……でも、その「友達」だけは何としても救い出したいんです」


「あいにくと力にはなれそうにないが……確かに気の毒な話ではあるな。お前の望んでいるような話は知らないが、緑色の何とかっていう話には一つ、聞き覚えがあるぜ」


「本当ですか。どんな話です?」


「おっと。……ただしもう、十年位前の話だ。新井部あらいべ商店街の店にある夜突然、息も絶え絶えの男が駆け込んできたんだそうだ。男は店主にこう漏らしたらしい

「あんな物を作るんじゃなかった。俺たちが間違っていた、あの緑色の悪魔は、すぐにでも廃棄すべきだった」とね」


「緑色の悪魔……」


「何人かの人間が犠牲になったようなことも言っていたらしい」


「その男性は、その後どうなったんですか」


「店主がちょっと目を離している間に、どこかへ消えてしまったらしい。その話はそれきりで、どこからも続きは聞こえてこなかった。まあ、ようするに一夜限りの怪談ってことだろうな」


「なるほど……興味深い話ですね。オセロで負けた俺には十分な収穫でした」


「なに、暇つぶしに付き合ってくれた礼だ」


「で、その店は今でもあるんですか」


「あるよ。「サラ=セニアン」っていう花屋だ」


 ああ、と俺は合点した。「サラ=セニアン」は新井部商店街で最も古い店舗の一つで「おハナさん」という七十過ぎの女性店主がやっている店だった。「トゥームス」が開店した際に「店のディスプレイに」と、人の形をしたサボテンをくれたこともある。


「おハナさんなら俺も知っています。……それじゃ、今日はこのへんで」


「巡」


「はい」


「勝てそうな相手でも、決して油断はするなよ。そいつはもしかしたらオセロの天才的な使い手かもしれないからな」


                 ※


「サラ=セニアン」は宝石店と刃物店の間に挟まれた間口の狭い店だった。


 緑の匂いの中を奥へ進むと、小さな作業机で何かの茎を切りそろえている老婦人の姿が見えた。


「おハナさん」


 俺が呼びかけると、老婦人はこちらを向いて眼鏡のブリッジを押し上げた。


「おや、イズミ君じゃないの。久しぶりね。まさかと思うけど、ひょっとして女の子にあげる花でも買いに来た?」


「ええ、と言いたいところですが、今日はちょっとばかりお話を伺いに来ました」


「へえー、珍しい。ただのお花屋に、いったい何を聞きに来たの?」


「実はこの前、「おやっさん」のところで興味深い話を耳にしたんです。……なんでも十年位前に、ここに瀕死の男性が駆け込んできたとか」


 俺が来意を告げると、おハナさんは一瞬、宙を見つめた。


「……ああ、そういえば、そんなことがあったわねえ。……でも、たかだか一、二時間くらいの話だよ。会話だってほとんど交わしてないし。それでもいいのかい」


「ええ、せめてどんな感じだったかだけでも、聞かせてください」


「あれは夜の八時ころだったかねえ。髪を乱した男が、それこそ必死の形相で飛び込んできたの。そして「俺たちはもう終わりだ、あの「緑の悪魔」はやっぱり作るべきじゃなかったんだ」とか、初対面の私を相手にぶちまけだしたの。


 いきなり入ってきて花も見ずになんだろうって思ったけど、よく見たら随分と弱ってるみたいだったし、店の奥で休ませてあげたの」


「緑色の悪魔、ですか」


 俺は唸った。おやっさんに聞いた話とまさに重なる、不気味な話だった。


「そしたらさ、ちょっと目を離したすきに、礼も言わずにどこかへ消えちまったんだよ。商店街のほかの店の人たちにも聞いてみたけど、それっきり音沙汰なしさ。……どうだい、面妖な話だろ?」


 たしかに、と俺は唸りながら返した。十年近く前に「プラント」の原型が完成していたのなら、なぜもっと早くに事件が起きなかったのだろう。その男の正体も含め正直、大樹の消息とはつながらない話だな、と思った。


「ありがとうございます。すっきりしました。……さてと、何か店のディスプレイになるような植物でも買っていくかな。……ええと、サボテンかな、それともソテツがいいかな」


 俺が鉢植えを物色していると、いきなり背後から声が飛んできた。


「ごめんください。ちょっと急いでるんだけど、二、三本、適当な花を見繕ってもらえないかな」


 聞き覚えのある声に、俺は思わず振り返った。狭い入り口を塞ぐように立っていたのは、予想通り俺のよく知っている人物だった。……ただし、いつものジャンパー姿ではなく、しゃれっ気のあるジャケット姿ではあったが。


「なんだ?イズミじゃねえか。なんでまた、花屋なんかで油を売ってるんだ?」


「そりゃあこっちの台詞だぜ、柳原ヤギ。どうしたんだ、結婚式にでも出席するのか?」


 俺が冷やかし半分に尋ねると、いつもの軽口の代わりになぜか、仏塔面と沈黙が返ってきた。


              〈第四話に続く〉

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