第41話 第三話「イッツ・ノット・トゥー・レイト」⒁


「短い間でしたが、お世話になりました」


 俺は貸与された作業服をテーブルに置くと、深々と頭を下げた。


「うん、よくやってくれたね。泉下君。短い間だったけれど、随分と戦力になったよ。特にその……右手でね」


「ええ、自分でもびっくりしてます」


 俺は義手を握ったり開いたりした。


「それで、この先はどうするんだね。以前の仕事に戻るのかい?」


「さすがに廃棄物処理の仕事はハードすぎるので、しばらくはリサイクル店の親父をして過ごします。……収入はほぼないようなもんなですが」


「そうか。……そのうち私も何か、買いに行かせてもらうかな」


 人のよさそうな工場長はにこやかに言った。俺は何度も礼を述べ、工場を辞した。


 本当なら「アイアン・ロックス」にでも顔を出すところだったが、なかなかメンバーと顔を合わせる機会もないので、自然に足が遠のいているというのが現状だった。


 そんな俺の半端な気落ちを見透かすかのように、唐突に着信音が鳴った。

 誰だろう。


 表示を見ると、涼歌だった。


「お仕事、お疲れさま。今日は確か早めに終わるんだよね?実は今「グレイトフル・サッド」で、彩音やユキヤ君と一緒なんだ。よかったら来て。楽器持ち込みオーケー、飛び入り歓迎だよっ」


 俺は首をかしげた。「グレイトフル・サッド」はまだ時間的に、準備中のはずだ。


 ――あの馬鹿。強引に開けさせたのかな。


 俺は少し考えてとりあえず、行ってみることにした。いったん「トゥームス」に戻って楽器を取りに行くことも頭に浮かんだが、持って行っても演奏する気にはなれないだろう。


 最寄りの駅へと向かう途中、俺はふと、ある建物の前で足を止めた。それは、数週間前に秋帆から相談を受けた店だった。俺はキエフと秋帆の顔を思い出し、胸を締め付けられるような気分になった。


 それにしても、と俺は思った。あの時「プラント」はすでに秋帆の身体を抜け出ていたはずなのに、なぜ「ゾンビ課」の連中は彼女の身体を連れ去ったのか。


 消化し切れない思いを抱いたまま立ち尽くしていると、建物から出てきた人物と唐突に目が合った。


「青山……」


 足を止め、こちらを見ている人物は隼人だった。


「よう、この間はどうも」


 俺は隼人に歩み寄った。……が、長々と立ち話をする気はなかった。時間的に考えて隼人の方は勤務中に違いないからだ。


「……お前、その手はどうしたんだ」


 隼人に指摘され、俺は改めて自分の右手を見た。さて、何人目になるだろうか、この手の「説明」をする相手は。


「驚かせちまってすまない。ちょっとしたトラブルがあってね。せっかくなんで高性能の義手と替えてもらったのさ」


俺はいつものようにグーチョキパーをしてみせた。隼人はさほど驚いてはいないように見えた。


「刑事を辞めても相変わらず、面倒なことに首を突っ込んでいるんだな」


 隼人はどこか同情めいた口調で言った。


「まあな。お前さんは?……また何かの捜査中か?」


 俺が尋ねると、にわかに隼人の表情が険しいものになった。


「ああ。……ここだけの話だがな。とっつかまえた悪餓鬼が、署に連行する途中で逃げ出しやがった」


「へえ、やるもんだな……じゃない、そいつは厄介な話だな」


「俺としたことが、油断したよ。まあ、昔の仲間には大体、当たってみたが、どうやら匿っていそうな奴はいないようだ。つまり単独で潜伏しているってわけだ」


「なるほど、それで隠れていそうな場所をしらみつぶしに当たってるってわけか。……だが気をつけろよ。踏み込むときは単独だと相手も牙を向いてくる可能性がある」


「わかってる。まずは居場所の見当をつけることだ」


 隼人は「じゃあ、またな」と俺に告げると、駅とは反対の方向に姿を消した。

 俺は隼人とつい、まだ同僚であるかのような気分で喋ってしまったことに苦笑した。


                  ※


「グレイトフル・サッド」のある駅で電車を降りた俺は、見慣れた通りを歩き始めた。歩き出してほどなく、俺は前方から見知った顔がやってくることに気づいた。


「あれっ?泉下さん」


 交差点の方からやってきたのは、なんとユキヤと彩音だった。


「どうしたんだ、君ら。もうセッションは終わったのかい?」


「セッション?そんな物、してないですよ。それより、涼歌ちゃんとは会えたんですか」


「だから、呼ばれてこれから行くところさ。君たちと一緒にいるからってね」


 俺が言うと、二人は怪訝そうな顔を見合わせた。俺はおかしい、と思った。


「どうした?何か変なことを言ったかな」


「いえ、実は一時間ほど前まで、俺らと涼歌は一緒だったんです。それが、少し前に涼歌の携帯に泉下さんからメールが入って、別行動になったんです。なんでも「グレイトフル・サッド」にいるから来てくれっていう内容みたいでした」


「なんだって?」


 俺は混乱した。俺は彼女を呼び出したりはしていない。にもかかわらず、彼女からのメールはまるで自分が先に来ていて、俺を誘っているかのような文面だった。ということは。


 ――こりゃあ、罠だ。


もし誰かが涼歌の名を語って俺を誘いだそうとしているのなら、そいつは俺に何らかの恨みがあるはずだった。


その時、俺の脳裏に少し前に隼人が漏らした言葉の断片がよみがえった。


 ――とっつかまえた悪餓鬼が、署に連行する途中で逃げ出しやがった。


 俺の知ってる悪餓鬼といえば、あいつしかいない。くそっ、奴め。こともあろうに今度は人質を取りやがった。


「……すまん、ちょっと急いで「グレイトフル・サッド」に行ってくる。どうも話がおかしいみたいだ」


「はあ、わかりました。……気をつけてくださいね」


 どこか不安げな二人の視線を背中に感じつつ、俺は駆けだした。


 ――こうすれば俺を黙らせられると思ったのなら、とんでもない馬鹿だ。一心同体の相方を人質に取られて、冷静な取引ができるとでも思っているのか。小僧。


 俺の両脚は、あたかも怒りという油を注がれたかのように、全力で駆けた。


            〈第十五回に続く〉

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