第37話 第三話「イッツ・ノット・トゥー・レイト」⑽


 短い言葉が耳をよぎるのとほぼ同時に、空気が鳴った。


 ぶいんという低い唸りとともに、藤堂の袖口あたりから伸びる残像が見えた。

 音の低さ、残像の長さから言って、鞭並みの長さを持つ特製糸鋸に違いない。


「どうだ青山。この武器は初見だろう。形状記憶型の特殊ステンレスだ。お前がどこに身を隠そうと、俺の目の届く距離なら確実にお前さんの首を捉えられるのだ」


 俺は藤堂が喋り終える前に駆け出すと、手近なミニバンの陰に身を潜めた。技術の差から言っても普通に戦ったら九割九分、勝ち目はない。


「さあ、どうする。なすすべもなくかつての同僚に「狩られる」か?」


 藤堂の口調からは、あらゆる感情が抜け落ちていた。おそらく、俺を首尾よく「狩った」としても、何の高揚感も得られないに違いない。


「覚悟はいいか?いくぞ、青山」


 ミニバンの下から覗く床面に、火花が散った。俺はもっとも近いコンクリートの柱を目指し、跳んだ。ぶいんと空気を薙ぐ音が聞こえ、光の筋が視界の隅をよぎった。


 ――今のはラッキーだったな、青山。


 糸鋸を手繰るしゅるしゅるという音と、藤堂の勝ち誇った声が聞こえた。

俺は身を低くすると、間髪を入れず傍に停車しているワゴン車の下に潜り込んだ。


 ――目の届く範囲なら、か。じゃあ、届かない場所だったら、どうする?


 俺は息を詰めると、藤堂の身体の位置が把握できる方向に体を回転させた。

 やがて黒いコート姿がじりじりとこちらに向かって距離を詰めてくるのが見えた。


 俺は藤堂のつま先と自分との距離を目測で割り出すと、鞭を取りだし、握りしめた。


 ――今だ。


 俺は腹ばいになったまま腕をしならせると、車体の下から鞭を放った。


「うっ?」


 鞭は藤堂のくるぶしを確実にとらえていた。鞭を引くと藤堂は自由を奪われ、糸鋸を放り出して仰向けにひっくり返った。


 俺は鞭を手にしたままワゴン車の下から這い出すと、そのまま渾身の力で藤堂の身体を引っ張った。

 藤堂の下半身がワゴン車の下に潜り込んだのを確かめると、俺はコンクリートの柱に鞭を結わえ付けた。


 ワゴン車の反対側に移動すると、藤堂は車体の下から首だけを出した状態でもがいていた。俺は糸鋸を拾いあげると、藤堂の顔を見下ろした。


「藤堂さん。ここに「無煙弾」を置いていきます。ご存じですよね?対ゾンビ装備のひっつで、煙を発すると同時にある種の幻覚を見せるものです。これから一時間ほど、このあたりは「平日の公園」になります」


 藤堂は相変わらず、何の感情もこもらない瞳で俺を見つめ返していた。


「昔……あなたと一日中、聞きこみをしていたころがありましたよね。あの頃、何度か公園で休憩した記憶が、俺の中に残っています。あの頃のことを思い出してください」


 俺は「無煙弾」に着火した。白い煙があたりに充満したかと思うと、やがて駐車場が公園へと姿を変えた。俺は手前に見える噴水に向かって歩き出した。


 本当はそこには噴水などなく、地上へ続くスロープがあるだけだった。俺は日差しにきらめく水しぶきの幻を眺めながら、薄暗い絶望の待つ「出口」へと歩いていった。


              〈第十一回に続く〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る