第34話 第三話「イッツ・ノット・トゥー・レイト」(7)
俺は間違って掃除機に吸い込まれた紙屑みたいに宙ぶらりんのまま、手足をばたつかせていた。
首をねじ曲げて下を見ると、キエフが緊張した面持ちで俺の方を見上げていた。 やがてキエフは何かを決意したように俺から目線を外し、移動を始めた。
「キエフ、本体を探すんだ。俺のいるところから離れた場所を探せ」
俺は無駄かもしれないと思いつつ、指示を飛ばした。キエフは手にバールを携えたまま、うろうろと所在なく動き回っていた。
俺は拘束されたままの体を捩った。どうにか左手が動くのを確かめると、俺は「悪霊の爪」を伸ばし、胴体を締め付けている触手につき刺した。
「ぐええぇっ」
どこからか呻き声に似た音が響いた。遥か下でキエフらしき足音が聞こえ、やがて止まった。息を詰めて様子をうかがっているとやがて、ガンガンと金属の板を叩くような音が伝わってきた。
「ああっ!」
突然、キエフの叫ぶ声が俺の耳に届いた。俺は身体を拘束している触手を爪で片っ端からつき刺した。すると突然、両腕を捉えていた締め付けが消えた。今だ。
俺はダクトの縁に両手をかけると、逆上がりの要領で体を持ち上げた。半回転したつま先がダクトの天井側に届くと、そのまま腹ばいにダクトの上にもぐりこんだ。
――待ってろよ、キエフ。
俺はダクト伝いに床に降り立つと、キエフの姿を探した。耳に神経を集中すると、再びキエフの物と思しき呻き声が聞こえた。
――向こうか。
壁の一角に別棟へと続く通路があり、キエフの声はその通路を通して聞こえて来ていた。
俺は短い通路を一気に駆け抜け、隣接する建物に飛び込んだ。次の瞬間、俺が見たものは、廃液槽の傍らで呆然と立ち尽くしているキエフの姿だった。
キエフの目は、廃液槽の縁から這いだそうとしている一つの影に注がれていた。
全身から緑の触手を生やし、緑色の瞳でキエフを見据えているのは、秋帆だった。
「がっ」
いきなり「秋帆」は唸り声を発すると、キエフに飛びかかった。キエフは逃げることなく、正面から「秋帆」を抱きとめた。やがて「秋帆」の背中からするすると無数の触手が伸び、キエフの身体に巻き付き始めた。
「秋帆、こんな奴に負けちゃいけない。自分を見失うなっ」
キエフが諭すように言った。おそらく秋帆は、犬を探しているうちに、すでに犬の身体を抜け出していた「プラント」に寄生されたのだろう。
「秋帆……女優になるんじゃなかったのか?俺の音楽で、踊ってくれるんじゃなかったのか?秋帆っ」
ひたすら説得を続けるキエフに対し、秋帆はただうつろな緑の瞳を向けているだけだった。やがて、枝葉を伸ばすように触手がキエフの身体をじわじわと這い上り、胴体のあたりまで覆い尽くそうとしていた。
「もう……もう駄目なのか、秋帆おっ」
俺はその場から動くことができなかった。秋帆の体格を考えると、より心臓の大きいキエフを次の宿主にすることはほぼ間違いなかった。
「俺を食べたいなら、食べてもいい。……ただし秋帆には手を出すなっ」
キエフは胸のあたりに到達した触手に向かって、威嚇するように叫んだ。そして、何かを決意したように両腕を「秋帆」に伸ばすと、いきなり「秋帆」の身体を抱きかかえた。
「もう、俺の声は届かないんだな。……わかった、行こう」
キエフは秋帆の身体を抱きかかえたまま、建物の奥へ向かって歩き出した。その視線の先にあるものを見て、俺は絶句した。
――キエフ、駄目だ、やめろっ!
キエフの行く手にあったのは、巨大なコンベアーと破砕機だった。天井に向かって斜めに伸びるコンベアの先から落下すると、下で待ち構える破砕槽のブレードが落下物を粉々に粉砕するという代物だ。
キエフはコンベアの下にたどり着くと、迷うことなく電源を入れた。ごおん、という音と共に、耳を塞ぎたくなるようなブレードの回転音が響き渡った。
俺は駆けだした。もはや一刻の猶予もなかった。キエフは秋帆を抱きかかえたまま、ゆっくりとコンベアに足をかけた。
――馬鹿野郎っ!
二人の身体が斜め上に向かって動き始めるのと同時に、俺はコンベアの下に駆け込んだ。
二人の身体はすでに、コンベアの真ん中あたりまで上昇していた。俺は「死人鞭」を取りだすと、二人に向けて放った。鞭は運良く二人の脚に巻き付き、俺は手元の一端をコンベアの鉄骨に縛り付けた。
「い……泉下さん」
「行かせないぞ、キエフ」
俺はコンベアを駆けあがると、「秋帆」の首筋に義手を押し当てた。断線した箇所がスパークし、「秋帆」の首の付け根から人の頭部を思わせる球状の突起が姿を見せた。
――こいつだ、「本体」は。
「泉下さん、もう駄目なんです、もう……」
「キエフ、最後まであきらめるな。彼女を絶対に離すんじゃないぞ、いいな」
俺はこれ以上はないと言うほどどすを利かせた声で言った。
「は……はい」
俺は「秋帆」の首から生えている突起をつかむと、一気に引き剥がした。
俺がさらに突起を引く手に力を込めると、やがてめりめりという音とともに二人の身体から触手の塊が抜け出てくるのが見えた。
「よしっ、抜けたっ」
俺はコンベアを駆けあがると、ポケットから二本目の「死人鞭」を取りだした。
やがて身体がぐいと前方に引っ張られ、気が付くと俺は空中に放りだされていた。
――今だ。
俺は「死人鞭」を頭上から下がっているクレーンの鉤に向けて放った。鞭が鉤に巻き付き、俺と緑色の怪物は抱き合ったまま宙吊りになった。
足元では破砕機のブレードが悪魔の咆哮を上げて回転し、そこから逃れようとするかのように、触手が俺の胸に向かって伸びた。
俺は手袋をはめた左手を、心臓を求めて胸全体を覆い始めた触手の下に突っ込んだ。
手袋の中には「閃光盾」が仕込んであった。俺は触手が胸を覆い尽くしたタイミングで、左手を強く握った。次の瞬間、爆発的な光があたり一帯を覆った。
「ぎゃあああっ」
絶叫とともに、俺の身体に絡みついていた触手が一気に剥がれ落ち、落下した。
足元で耳を覆いたくなるような音が聞こえ、それと同時に断末魔の悲鳴が響き渡った。
俺は下を見ず、鞭を手繰るようにして上ると、振り子のように空中で体を揺らせ始めた。
俺は空中ブランコのように反動を付け、勢いが頂点に達したところで手を離した。
俺の身体はまだ動いているコンベアーの上に落ち、そのまま転倒した。
――まずい。
逆走するコンベアの上で俺は体勢を立て直し、下に向かって全力で駆け出した。
――こん……な短距離……走があ……るかっ!
俺は一気に跳躍すると、かろうじてコンベアの手前に転がり落ちた。
俺は荒い息を吐きながら、立ち上がった。すぐそばで、キエフが横たわった秋帆の身体を抱きかかえ、泣きじゃくっていた。
「聞こえるか、秋帆。もう化け物はいなくなった。だから死ぬんじゃない」
「キエフ……」
秋穂がうっすらと目を開いた。その光は弱弱しく、徐々に小さくなっていった。
「私って馬鹿だよね、余計なことしちゃって……みんなに迷惑かけちゃった」
「もう喋るな、秋帆。早く身体を元に戻して、また舞台に立つんだ」
「そうだね。……でも時間が……ないかな」
「馬鹿野郎、時間なんていくらでもあるだろう」
「キエフ。あんたドラムだったよね。聞きたかったな。みんながえっと思うくらい、格好良くて長いソロのドラム」
「そんなもの、いつでも聞かせてやる。だからもう喋るな」
「ふふっ。もう少し……あとひと月早く会ってたら、聞けた……」
秋穂の目から急に、光が失われた。キエフの腕の中で秋帆の身体が力を失い、ぐったりとなった。俺は素早く脈を取った。秋帆の脈は、止まっていた。
「秋帆――っ」
キエフは「嘘だ、救急車を呼ぶんだ」と叫び続けた。俺はどうしてよいかわからず、その場に立ち尽くした。そんな状況が数分ほど続いた後、俺たちの目の前に突然、黒とグレーの制服に身を固めた一団が姿を現した。
「……その女性を、こちらに渡してもらおう」
先頭の男が、押し殺した声音で言った。男と対峙した瞬間、俺の中で何かがはじけた。
――こいつら、見たことがある!
それは遠い、消し去ったはずの記憶の断片だった。俺はこの連中の名前を知っている。
「お前たちは、特殊遺体管理班。……ゾンビ課だな?」
「……驚いたな。思いだしたのかね、青山警部補」
「なんなんだ、あんたらは……うっ」
男に向かって身を乗り出そうとしたキエフに、集団の一員が特殊警棒のような物を繰りだした。目にも留まらぬ早業だった。
「何をするんだ!一般人だぞ」
床に頽れたキエフをかばうように、俺は集団の前に立った。
「心配するな。こちらの青年は、我々が責任を持って自宅に送り返す。ただ、この女性の身体だけは我々が身柄もろとも預からせてもらう」
「国家権力だからって、そんな事をしていいと思っているのか」
「馬鹿なことを言うな。我々は国家権力ではない。……やれやれ、記憶喪失とは厄介なものだな。時間をかけてゆっくり思い出せ」
男はそう言うと、唐突に俺の鼻先に何かを噴霧した。しまった、ミストか。
「いいかね、君はそもそも「こちら側」の人間なのだ。いくら忘れたからといって、おかしな正義感を振りかざして我々の仕事を邪魔するようでは困る」
床にへたり込んだ俺に向かって、男は冷たく言い放った。やがて男たちによって、キエフと秋帆が担架のような物に乗せられ、運び出されていった。
身体を動かすことができない俺は、目の前で二人が連れ去られてゆくのを見ていることしかできなかった。
やがて、身体が少しづつ動くようになり、俺はふらふらと力なく立ちあがった。
――帰ろう。
俺が一歩足を踏み出そうとした、その時だった。
入り口の方から強い外光を背に、誰かが姿を現した。人影は、まっすぐ俺の方に向かって歩いてくるように見えた。
ひどく小柄なそのシルエットに気づいた瞬間、俺の胸が激しく痛んだ。
人影は、ポニーテールを揺らしながらゆっくりと進み、俺の前で立ち止まった。
人物が顔を上げ、俺と正面から向き合った。強い意志をたたえた瞳が、俺の目をまっすぐに見据えていた。
「ファ……」
口を開きかけた瞬間、俺の頬はこれ以上ないと言うほどの強い力で打たれていた。
〈第八話に続く〉
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