第33話 第三話「イッツ・ノット・トゥー・レイト」(6)
稼働していない廃工場の内部はそれなりに広かった。巨大なロータリー型の容器や、薬液が入っていたであろう巨大水槽、今にも蒸気を吹き出しそうなボンベと、それらをつなぐ大小無数のパイプ群。これで電力が供給されたら、一瞬にして巨大生物と化しそうだ。
あまりにも広く複雑なフロアを二人の姿を求めて歩き回っていると、少し離れた場所から「ここにいたのか」という声が飛んできた。
「その犬をこっちに渡せ、和祐」
「いやだ。……こいつはもう危なくない。危なくないんだよっ」
「そんなことは知ったことじゃない。渡さないと、力づくでも奪いに行くぞ」
俺はすぐ近くの金網越しに、恫喝されている和祐と、仲間を従えた偉の姿を捉えた。
――畜生、すぐ隣にいるってのに。
俺は大型タンクの下に、十センチほどの細い隙間を発見すると、床に這いつくばって全身の骨を外し始めた。みっともないが、このルートが一番近い。
数秒ほどかけて、頭部が向こう側に出た、その時だった。
「わあああっ!」
俺の目の前に信じがたい光景が、展開していた。金属の床板が次々とめくれあがったかと思うと、隙間から無数の触手が伸び、青年たちを絡めとっていった。
――「プラント」か?犬の身体から出て行ったのか?
俺はタンクの下から這い出すと、和祐に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「あ、はい。大丈夫です」
「この犬……もう寄生されてはいないのか?」
「ええ、たぶん……でもあれ」
和祐は、次々と身体の自由を奪われてゆく青年たちを怯えた目で見遣った。
「君は急いでこの工場から出ろ。犬を助けたかったんだろう?」
「はい。……なんていうか、ご無事で」
「ありがとう。期待に沿えるよう、頑張るよ」
俺は触手にからめとられた若者の前に立った。ワルだからといってそのままにしておくわけにはいかない。よく見ると触手の出どころは、一点に集中していた。俺はもっとも太い根の傍らに立つと、右の義手カバーをこじ開けた。
「すまん、「仕立て屋」。あんたの自慢の芸術品を、ちょっと改造させてもらう」
俺は左手の「爪」を伸ばすと、むき出しのケーブルに突っ込んだ。何本かがちぎれ、先端がスパークするのが見えた。微弱な電流だが「プラント」が電流に弱いことは、調査済みだった。
「出て来い!」
俺は触手の付け根に義手をぶち込んだ。次の瞬間、悲鳴に似た叫びが聞こえ、床面にモグラの道筋を思わせる隆起が走った。
「あっちか、本体は」
触手が若者の身体をするりと離れ、床の中に吸い込まれた。触手をいくら攻撃しても意味はない。問題は本体なのだ。隆起はまっすぐ壁の方に向かい、壁の手前で途切れていた。
「くっ……逃がしたか」
俺は荒い息を吐いた。若者が助かれば、俺に怪物を追う理由はない。
「泉下さん……和祐君、いましたか?」
キエフが息を切らせてやってきた。俺は「無事だ。……おそらくな」と言った。
「それにしても、あの犬……」
キエフがそう言いかけた時だった。背後のコンテナから、一つの影が姿を現した。
「キエフ、逃げろっ!」
俺は叫んだ。同時に工場内に銃声がこだました。俺は素早く身をひるがえし、どうにか的になるのを免れた。
「あ……あっ」
尻餅をついたキエフが怯えた目で見ているのは銃を構え、狂気に満ちた目を俺たちを見ている神楽偉だった。
「くそう……貴様たちのせいで」
偉は俺の方に銃口を向けた。まったく、これがミカの末の弟とは嘆かわしい。
「餓鬼がっ」
俺は偉に向かって駆けた。韋駄天を使うまでもない。銃の構え方からして、とても不良のボスとは思えないへなちょこぶりだ。銃声が二度、俺の耳元を掠めた。
「泉下さんっ」
キエフが叫んだ。俺は偉の手にした銃を蹴り飛ばすと、そのまま胸ぐらをひっつかんだ。
その時、俺の中に一瞬、躊躇が生じた。義手で人を殴るのは初めてだった。「石化拳」であれば、力の加減は調節できる。いいのか?このまま思い切りやって。そのためらいが、判断を狂わせた。
「馬鹿がっ」
胸に鋭い痛みが走った。ナイフだ。うまく肋骨の間を狙っている。こちらは銃と比べるといい腕だった。……だが。
「なんだっ、刺さらないっ」
「あいにくと俺の心筋はラグビーボールよりも固いんだ。少しはゾンビの事でも勉強するんだな」
俺は偉の身体を突き放すと、胸のナイフを抜いた。演出効果は抜群で、偉はその場に尻餅をついた。
「こっ……このっ、化け物おっ!」
偉の手が床を弄った。俺ははっとした。意外に近いところに銃があった。
「死ねっ」
偉が銃口を俺の額に定めようとした、その時だった。骨の折れるような音とともに、偉の手から銃が吹っ飛んだ。
「いってえええっ」
もんどりうって転げまわる偉の背後に、バールのような物を手にしたキエフがいた。
「泉下さん、大丈夫すか」
「キエフ……ありがとう。君にはいつも助けられるな」
「早くこいつを縛ってしまいましょう。捕物はもうごめんです」
俺は頷き、ロープかコードはないかとあたりを探し始めた。掃除機のような物を見つけ、近づいたその時だった。突然、両脚を何かに掴まれる感触があった。次の瞬間、俺はあらゆる身体の自由を奪われ、あっと言う間に数メートル上方まで引っ張り上げられていた。
「泉下さんっ!」
下からキエフの絶叫が響いた。俺は突然現れた触手に手足をからめとられ、天井近くで窯首をもたげているダクトの排気口に逆さ磔にされていたのだった。
〈第七回に続く〉
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