第32話 第三話「イッツ・ノット・トゥー・レイト」(5)


 取引の場に選ばれたのは、郊外にあるさびれた工場跡地だった。


 半開きのシャッターから屋内に足を踏み入れると、いきなり投光器が俺たちの顔を照らした。


「うっ……やめろっ」


 俺は小さく呻いた。ひるんではいけない。俺はあくまでも植草の「部下」なのだ。


「眩しいわ。これじゃ、取引相手の顔が見えないじゃない。今から五秒以内に消しなさい」


 秋帆が、予定に無い台詞を奥の暗がりに向けて放った。俺は内心、舌を巻いた。いつもの姿からは想像もつかない肚の座り方だった。なるほどキエフの言う通り「女優」だ。


「いいだろう。……ライト消せ」


 ガチャンという音と共に、照明が光量の少ない物に切り替えられた。それにより、奥に並んでいる人影の姿がくっきりと浮かび上がった。


 人影は十数名。いずれも二十歳前後の若者だった。皆、一様におとなしい服装で、いわゆる特攻服のような見掛け倒しには興味がないように見えた。俺は一同をざっと見回した。その目に見かけとは裏腹の凶暴な光が宿っていた。


「わざわざごくろうでしたね、植草さん。約束の物は見せていただけるんでしょうね」


「もちろんよ」


「では、あなたの方から先に見せていただきましょうか。本来ならとても割に合わないくらい、あなた方に取って好条件な取引ですからね」


「いいでしょう」


 秋帆が目で合図を寄越した。俺を含む全員が、一斉にアタッシェケースを地面に置いた。


「開けてみろ」


 俺たちはケースの蓋を開けると、正面から中がうかがえるように傾けた。


「ふふん、どうやら最低限の要求は満たしているようだ。……さて、ではこちらの品をお見せしようか……おい、出せっ」


 リーダーの神楽偉が声を張り上げた。すると列の後方から、ブルーシートで覆われた台車が姿を現した。両側には、俯いた生気のない二人の少年がいた。おそらくあの二人が和祐と丈二なのだろう。俺は秋帆が叫び声を上げないことに、改めて驚嘆した。


「コンテナの中を見せてもらおうか。ただし、逃がさないようにな」


「ふむ、やむを得ないだろう。……おいっ」


 偉が命令すると、二人の少年は一瞬、顔を見合わせた。中に入っている物体を出したくはないのだろう。おそるおそる細めに蓋を開けると、唸り声とともに犬の鼻先が覗いた。


「う……わあっ」


 コンテナの蓋ががたがたと鳴り、奥の暗がりから二つの緑色に光る目が覗いた。同時に鼻先が獲物を求めるように突き出し、開いた犬の口からは涎とともに緑色の粘液がしたたった。


「さあ、こんなところでいいだろう……先にアタッシェケースをこちらへ持って来い」


「そうはいかないわ。とりあえず犬の調教係と交換というのはどう?もちろん、犬を手なずけたら、二人は解放するわ」


 俺は内心、冷や冷やした。犬よりも二人の身柄の方が重要だという事を、悟られてはいないだろうか。


「そいつはいいな。……だが、二人は別に解放しなくていい。なにせ、久しぶりの姉弟水入らずだからな」


 偉がせせら笑うように言った。……まさか、最初から計画は筒抜けだったのか。


「実にご苦労なことだ……それっ、お客さんたちを拘束しろ」


 偉が号令をかけると、工場内のどこからともなく、黒づくめの男たちが大量に姿を見せた。あきらかに半グレグループの一味ではないようだった。


「そうだな、犬もくれてやろうか。特殊メイクの「ゾンビ犬」を」


 一味の誰かが、ひゅっと口笛を吹くと、コンテナの蓋を吹き飛ばすようにして、緑色の粘液に塗れた犬が複数、飛び出した。同時に黒づくめの男たちが、キエフの仲間たちをあっという間に取り囲んだ。


 ――俺のせいだ。……畜生っ!


 俺は無駄と知りつつ、「死人鞭」で包囲の輪を作っている男たちの足元を薙ぎ払った。


 数人が足を取られ、その場に転倒したが、すぐに起き上がって再び包囲の輪を縮め始めるのだった。くそっ、まさにゾンビだぜ……俺がそう思った、その時だった。


「その辺にしておくんだ、偉」


 よく通る声が、あたりに響き渡った。


 俺たちも、俺たちを包囲している連中も、一斉に動きを止めた。


 突然、無数のヘッドライトが、俺たちに向けて強烈な光を放った。いつの間に現れたのか、黒塗りの車両が工場の入り口付近にずらりと並んで停車していた。


「もう「善乃哉童」は解散だ。わかっていたはずだろう?」


 ヘッドライトに煽られながら、長身の人物がゆっくりと近づいてきた。並んだ車両からは黒いスーツで身を固めた男たちが大量に現れ、一列にならんだ。


「あんたたちに口出しはさせない」


 偉が苦しそうに言った。初めてみる気圧された表情だった。


「そう、最初は好きにさせるつもりだったのよ。パパも。なにしろ、末っ子だものね」


 ――えっ?-


 突然、黒づくめの人物の口調が変わった。近くでよく見ると、その風貌には見覚えがあった。髪形こそオールバックで、サングラスをかけているが、エラの張った顔はまぎれもなく、ミカのそれだった。


「ミカ?」


「いやよねえ、こんな無粋な格好。めぐちゃんにだけは見られたくなかったわ」


 ミカはそう言うと、サングラスを外した。高身長なこともあって、どう見ても一流企業の若い幹部だ。


「いいか偉。お前にも「新世界通信」の後継者になる資格がある。正妻の子ではないとか、そういうことは一切、関係ない。事業を継ぐ継がないはお前の自由だが、悪い遊びは今日までで終わりにしてもらう」


 ステージで鍛えたミカの声には、凄みがあった。


「……くそっ、今日の取引は終わりだ。お前たち、行くぞ!」


 ふいにそう叫ぶと偉は身をひるがえし、逆方向に駆け出した。十名ほどの手下が、辺りをうかがいながら後を追い始めた。


「ふん、子供だな。……さて、そちらの援軍さんたちは、どうするおつもりかな。大体の正体はわかっているが、よもやここで無駄な戦いもしますまい?」


 ミカが言うと、黒づくめの集団の一人が、片手を上げた。それを合図に、集団は潮が引くように、すっと後ずさり始めた。おそらく「撤退」を意味しているのだろう。


「めぐちゃん、ごめんね。もっと早く来られれば良かったんだけど、色々と事情があって」


「こちらこそ、すまない。……その、そんな格好をさせてしまって」


「ううん、いいの。どうせ今日限りでもう、こんな窮屈な姿とはおさらばだから」


 ミカがそういうと、背後から「若!」という壮年男性の声が飛んできた。


「やはり、お戻りにはなられないのですか、若」


「ごめんね、神崎。あなたたちの気持ちはよくわかるけど、私はもう、ステージに生きるって決めてしまったの」


「しかし、会長ももうお年です。せめて若さえ戻っていただければ……」


「あら、会社を継ぐ人間なら、他にもいるでしょ。神崎、あなただっているし」


「残念です。若が戻られれば「新世界通信」は今以上に発展するに違いありません」


 ロマンスグレーの男性がしおれてみせると、ミカが突然、「あははは」と笑い出した。


「馬鹿ねえ、神崎。うちの会社、そんなにヤワだと思う?だ・い・じょ・う・ぶ」


 そう言うと、ミカは再びサングラスをかけた。


「よし、我々も撤収だ。車の痕跡は、できるだけ残さないように」


 黒塗りの乗用車が、まるでサーカスのような滑らかな動きで消えてゆくのを俺は呆然と見送った。最後の一台に乗り込む直前、ミカがこちらを向いた。


「じゃあね、めぐちゃん。バーイ」


 俺は呆けたような顔のまま、ひらひらと手を振った。


「これでいいんすかね、泉下さん」


 キエフが俺に近寄ってくると、不安げな表情で言った。無理もない、それなりの覚悟をして乗り込んできたのだ。


「まあ、お前たちの仲間も、木下さんの弟さんも無事だったし、とりあえずは……」


 俺がそう言いかけた時だった。秋帆の悲鳴を思わせる声が響き渡った。


「和祐!どこに行くの?」


 俺たちは一斉に、秋帆の方を見た。視線の先に、工場の奥に向かって駆けてゆく和祐の姿があった。


「いったい、どういうつもりなんだ……あっ」


 キエフがそう呟きかけた時、秋帆もまた、和祐を追って駆け出していた。


「おい……どうしたっていうんだ!」


 あっというまに工場の奥に消えた二人を見て、キエフはちっと舌打ちをした。


「泉下さん、俺、ちょっとあの二人を連れ戻してきます。何だか嫌な予感がするんです」


「ああ。……俺も一緒に行こう。仲間たちに、先に帰るよう、言ってくれ」


「わかりました」


 嫌な予感は、俺も同様だった。どんな事情であれ、手遅れだけは勘弁してほしい。


               〈第六話に続く〉

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