第29話 第三話「イッツ・ノット・トゥー・レイト」(2)


「すまない。ちょっと事情があって……元気そうだな」


「俺、たまに「トゥームス」の前を通るんすよ。そしたら何度か、生原さんらしい女の子が店の前にいたんです。この前なんか、雨の日なのに店の前から一歩も動かないで……」


 ――涼歌。


 ふいに切ない思いがこみあげ、俺の胸を締め付けた。あいつには俺の気遣いがまったく伝わっていない。危険なことにかかわっているくらいは想像がつくだろうに。

 

 ――だから……

 ――だから?


 「それと、柳原さんも時々、覗きに行ってたみたいですよ。……ここだけの話「あの馬鹿、余計な心配ばかりかけやがって」って言ってるのを聞いちゃいました」


 ――柳原ヤギ


 またしても懐かしい思いが、俺の全身をすっぽりと包んだ。


「それと「リバイバルブート」の皆さんなんすけど、実は薫さんたちと一回だけ、セッションしたんです。そしたら皆さん「ライブができなくてもいいから、せめて顔ぐらい見せて欲しい」って言ってました」


 俺は奥歯をぐっと噛みしめた。バンド、ライブ……まるで遠い夢の中の出来事みたいだ。


「俺たちの仲間……「ロストフューチャー」の連中も、また泉下さんたちとやりたいって言ってます。泉下さん、戻って来ませんか」


 これ以上、逃げていても仕方ない。俺は意を決すると、キエフの前に右手を掲げた。


「泉下さん、その手……」


 キエフは両目を大きく見開き、絶句した。


「見ての通りだよ。ちょっとしたトラブルに見舞われてね。支払った代償が、これさ」


「大丈夫なんですか?その……痛いとか」


「いや、それはない。むしろ快適に動くし、スポーツだってできる」


 俺は右手を握ったり開いたりして見せた。かすかなモーター音は、キエフの耳に届いたろうか。


「まあ、楽器となると元の音を出せる保証はないけどね」


「でも俺、義手でギターを弾いてる人の動画を見たことがあります。練習すれば、きっと……すみません、気休めみたいな事言って」


「いや、いいさ、そもそも、店に顔を出しづらい理由も、こいつが原因みたいなものだからね。この先も、こいつと付き合ってくって言うのに、いまいち腹が決まらないのさ」


 俺は自称気味に言った。ゾンビ化だって受け入れられたのだ。義手ぐらいは……


「俺、つきあいますよ」唐突にキエフが言った。


「元のような音が出せるまで、練習につき合います。ベースってリズムの楽器だし、俺、泉下さんが弾きやすいようにテンポを合わせて叩きます。だから、また……やりましょう」


「ありがたいな、それは……薫が聞いたら「マンツーマンなんて不純」って言いそうだ。……でもキエフ、無理はしないでくれ」


「泉下さん。泉下さんは俺のヒーローなんです。あの工場で得体のしれないロボットをやっつけた時から、俺の中で泉下さんは正義の味方なんです」


 俺は沈黙した。面映ゆいというより、申し訳なかった。こんな半端な男を慕ってくれる若者もいるのに、いつだって俺は逃げてばかりいる。


「……あ、でも泉下さん、練習を始めるなら来週以降にしてください。今週はちょっと重要なミッションがあるんです」


「ミッション?」


 俺が聞き返すと、キエフは背後にいる若者たちに視線を送った。


「俺ら高校の野球部の時のチームメイトなんすけど、仲間のうちの二人が「善乃哉童」っていう不良グループに入っちまって……そのうちの一人がやっと昨日、抜け出してきたんです……ほらっ」


キエフはそう言うと、後ろの方で身を縮こまらせていた若者に、前へ出るよう促した。


「君が「善乃哉童」から逃げてきたって?その集団なら、俺も知ってるぜ」


 俺が言うと、それまで俺の背後で話を聞いていた秋帆がぐいと身を乗り出した。


「その不良グループには、私の弟もいるの。それで泉下さんに助けて欲しいって……」


「泉下さん、この人、誰です?」


「あ、いや、俺の働いてる工場の職員さんだよ。なんでも弟さんが「善乃哉童」の一員になっちまって、何とかして足を洗わせたいんだそうだ」


「ふうん……そいつは難しいんじゃないのかな。それに泉下さんに頼むって言ったって、危険がありすぎると思うぜ」


 キエフが突っぱねるかのように言うと、秋帆がいきなり食ってかかった。


「そんな。なんでそんな風に決めつけるんです?私の弟のことに口を挟まないで下さい」


「あのねえ、「善乃哉童」っていうのはさ、警察も手を出せなくて困ってるようなグループなわけ。そんなたちの悪い集団に突っ込んで行ってさ、闇から闇へと葬られたらどうする?ガキの集団だと思って甘く見ない方がいいぜ」


 秋帆は閉口し、キエフはやれやれというように肩をすくめて見せた。


「キエフ、それは本当なのか?警察も手を出せないっていうのは」


「ええ。実は俺たちも何度か掛け合ってみたことがあるんです。奴らのアジトはいくつか掴んでたんで、ガサ入れに行って下さいって頼んだんですけど、証拠がないと動けない、の一点張りで。噂じゃ、八十頭署やそがしらしょの偉い人と、連中をバックアップしてる黒幕とが陰でつながってるって話もあるんです」


 俺は愕然とした。八十頭署といえば、俺や隼人が勤務していた警察署だ。まさか。


「こいつは奴らの隙を見てどうにか逃げだしてきたけど、あいつら完璧にやばいっすよ。……見てください、これ」


 そういうとキエフはスマートフォンを取りだし、画面をタップした。小さく切り取られたフレームの中に、やや解像度の荒い動画が現れた。どこかの倉庫だろうか。薄暗い室内に、雑多な物品が積み上げられていた。


 そのまま見続けていると、カメラが積み上げられたコンテナの一つにズームした。


 やがて、蓋ががたがたと動き出したかと思うと、ゆっくりとスライドを始めた。

 しばらくすると蓋の開いたコンテナの端から、緑色の物体が顔をのぞかせた。


「これは……」


 物体はアメーバのように自力でコンテナから這い出すと、そのまま滴り落ちるように床面へと移動した。緑のゲル状物体はそのまま意思を持っているかのように床面を這い進んで行き、やがてシンクの下の暗がりに姿を消した。


 一連の動きをカメラで追っている人物と、その様子をうかがっているらしい複数の人間の声が、時折、ぼそぼそと漏れ聞こえてきた。


 ――なんだよ、あれ。リーダー、いいんすか、あれで


 ――ああ、いいんだ。おそらく元のキャリアが手狭になったんで、移動を始めたんだ。


 ――俺たちに襲いかかったりしないんすか?


 ――どうかな。寄生されたくなかったら、犬でも猫でもいい、その辺をうろついてる「代わり」をひっつかまえてくるんだな。


 カメラはシンクの左右をゆっくりとパンしていった。すると突然、冷蔵庫のドアが開き、中から緑色の触手が勢いよく飛び出してくるのが見えた。


 ――うわあっ、なんだあれっ!


 しばらくすると、キャンキャンという鳴き声とともに、痩せた一匹の野良犬がカメラの前に引きずられてきた。犬を放つと、触手はあたかも食餌を見つけた肉食獣のように、身体の一端を犬に向けて伸ばし始めた。


 ――うげぇっ、気持ち悪い!


 誰かが呻いた。アメーバ状の物体は、犬の口や鼻などから侵入すると、瞬く間に姿を消した。やがて犬の目が緑色に鈍く光ったかと思うと、四肢を痙攣させ、ぐったりと動かなくなった。


 ――ようし、これであと二、三日は持つだろう。こいつを入手したからにはもう「ドリームカンパニー」の連中にへいこらする必要もない。


 ――でもリーダー、もしこいつが犬の身体に飽きたらどうするんです?


 誰かが怯え切った声で問いを放った。


 ――ふん、そうだな……その時はいよいよ生きた「人間」を使うしかないだろうな


 その時、カメラがある人物の方を向いた。少年の面影が濃く残る、小柄な青年だった。


和佑かずひろ!」


 秋帆が叫んだ。和佑という少年は、リーダーに目で射すくめられ、身動きすらままならないようだった。


 ――なあ和佑、お前の「役割」は、今から三日以内に新しいキャリアを見つけてくることだ。そう、なるべく心臓のでかいやつがいい。……なんだったら「人間」でも構わないぞ。見つからなかった時は、お前がこの犬の「次」のキャリアだ。いいな?


 少年はぶるぶると全身を震わせ、激しくかぶりを振った。口の形が「いやだ」と動いているのがはっきりとわかった。


 ――よし、解散だ。犬は鎖で繋いでおけ。途中でやばいことにならないよう、目を離すなよ。……丈二じょうじ、お前が和佑と一緒に犬を見張れ。和佑の事もちゃんと見張れよ。いいな


 丈二と呼ばれた気弱そうな青年は、弱弱しく「は、はい」と返した。リーダーの一喝で、青年たちはわらわらと動き出した。やがて画面がブラックアウトし、悪夢のような映像は終わりを告げた。


「これを撮影していたのが、君なんだな?」


 俺が問いかけると、逃げてきたという青年はこくんと頷いた。


「泉下さん、丈二っていうのが、逃げそびれて残った仲間です」


 キエフが補足し、俺は「だろうと思ったよ」と力なく返した。


「良く逃げてこられたな。下手をすりゃ殺されるか、この化け物の餌にされた可能性だってあったろうに」


「実は犬の世話をするふりをして、周りに人がいなくなった隙に脱走してきたんです。この映像を見せれば、警察も動いてくれるんじゃないかって」


「そいつは期待しない方がいいぞ」


 キエフが大きく首を振りながら言った。


「キエフ、実は今の映像を見ていて、ちょっと思いついた作戦がある。……今回の事は、俺に任せてくれないか?」


 俺が言うと、キエフは虚をつかれたような表情になった。


「泉下さんが、丈二を助けてくれるんですか?」


「ちょっと、私の弟はどうなるの?」


 秋帆が割って入った。俺は「大丈夫、二人とも助ける」と言った。


「泉下さん、俺も行きます。俺たちの仲間を助けるために、泉下さんを危ない目に遭わせるわけにはいきません」


「いや、キエフ。実行は俺に任せてくれ。お前は……そう、奴らの目を人質からそらすための「お芝居」でもしてくれればいい」


「芝居ですか?……わかりました、俺にできるかどうかわかりませんが、やります」


「お芝居だったら、私もやるよ」


 キエフの言葉に被せるように、秋帆も言った。俺は自分の取った態度に、戸惑いを覚えていた。俺はまたしても周りの人たちを危ないことに巻き込もうとしている……果たしてこれでいいのか?


 俺は「詳しいことはまた日をあらためて相談しよう」といい、店内には俺とキエフの二人だけになった。


「泉下さん……やっぱり危なすぎますよ。特にあの女の子は、関わらない方がいい」


「ああ。俺もそう思う。でも彼女の覚悟は本物だ。言い聞かせるには少々、骨が折れるだろうな」


「じゃあ、俺が説得を引き受けます。救出作戦への参加を諦めさせればいいんですよね?」


「頼めるか?……キエフ」


「もちろん。……でも正直、あのタイプって苦手なんすよね。主張が強くて、他人の事情にまで口を出す、みたいな」


彩音あやね君とは正反対……か?」


「よしてください。もうあの二人のことは割り切ってます。結局、俺に男としての覚悟が足りなかった、それだけのことなんです」


 キエフはどこか吹っ切れたような、それでいて少し寂し気な口調でそう言い切った。


             〈第三話に続く〉

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