第28話 第三話「イッツ・ノット・トゥー・レイト」(1)
「バッチこーい」という声が、乾いた風の中に響き渡った。
俺は腰を落とすと、グラブを「新しい」拳で叩いた。驚いたことに、金属性の拳は皮のグラブの上で小気味よい音を立てた。
――はたして、捕れるか?
俺は「ソフトボールをやらないか?」と声をかけてきた若い工場職員の顔を思い出した。
職員は俺の義手を見て一瞬「その手でスポーツができるのか?」という顔をした。無理もない。草野球の経験は豊富だが、俺もさすがに義手で球技をしたことはない。
キン、というという金属バット特有の打撃音が響き、白球が俺の方に向かって飛んできた。
「オーライ」
俺は叫ぶと、反射的に球の方に体を躍らせた。ライナーか?
バスッという重い音とともに、バウンドした打球がグラブに収まった。俺は身体を反転させて送球姿勢を取った。グラブから金属の手がボールを掴み取ると、本能的に右腕がしなった。
――投げられる!
気が付くと、俺の放った球がファーストのミットに収まっていた。
「アウトオッ!」
作業服姿の同僚が、親指を立てた。俺は不思議な感動を味わっていた。
――まるで、自分の手じゃないか。
※
俺は「トゥームス」のある町から電車で二駅ほどの工場でアルバイトをしていた。「トゥームス」にはこっそりと寝起きのために帰っているが、店は閉めたままだ。
恥ずかしい話だが、思わぬ肉体の「変化」を人前にさらす勇気がなく、ワンクッション置くことにしたのだ。
俺の新しい「手」を見た同僚たちは一様に「そんな手で仕事ができるのか」と訝ったが、実際に作業をしてみると、製品の選り分けも梱包も、他の同僚たちより早いくらいだった。
「どんな事情があるのか知らないが、偉く大仰な手をこしらえたもんだなあ」
見るからに善良な工場長が、感心したように言った。彼からすると俺のごつい手は非合法な事情の末に作られたものと映ったかもしれない。
――もしかしたら、ベースだって弾けるかもしれない。
古巣に戻った以上、いずれはバンド活動も再開させねばならない。薫をはじめとするバンドのメンバーには旅に出るとしか告げておらず、不義理をした心苦しさが残っていた。
――でもこいつではたして、スラップやゴーストノートができるか?
俺は右手の指先を見つめながら思った。コインなどの金属をピック代わりに使うギタリストはいるが、義手でバリバリに楽器を弾くロッカーはあまり見たことがない。
「案外、いい音が出たりしてな」
そんな気休めを口にしながら工場に戻ると、中年の女性職員が俺に近寄ってきた。
「ね、泉下さん、ちょっと相談に乗ってくれない」
何だろう、と俺は思った。まだ工場内の人間関係も把握していないというのに、新入りの俺に相談に乗ってくれとは。
「うちのラインにさ、
「構わないですけど、どうして俺に?」
「それがちょっと言いにくいんだけど、弟さん、よくない連中と付き合ってるんですって。で、仲間から抜けさせたいんだけど、女の子でしょ?誰か迫力のある男の人で、協力してくれる人、いないかなあって」
そういうことか、と俺は納得した。確かにこの手を見れば、相当なわけありと思われても無理はない。
「とにかく話してみましょうか。どの人です?」
俺が尋ねると、女性職員はベルトコンベアーの端で缶詰の検品をしている女性を指さした。少し赤みを帯びた髪を後ろで結わえている女性だ。俺は女性が手を止めるのを待って、近づくことにした。
「すみません、ちょっといいですか?」
「あ、はい……なんでしょう?」
女性はタオルで手を拭くと、怪訝な目で俺を見た。美人ではないが、目に迫力があった。
「あっちの女性から、弟さんんの事で相談に乗ってやってくれって」
俺は仲介を買って出た女性を、目で示した。赤毛の女性は途端にぱっと表情を輝かせた。
「手伝ってくれるんですか?助かります!」
あけすけな反応に拍子抜けしながらも、俺は「まあいいか」と相好を崩した。
「俺は泉下。あっちのラインで働いてる」
「私は
秋帆は上目遣いに俺を見た。俺は表情を緩めると「もちろん」と言った。まったく、値切り交渉なんて久しぶりだ。
「じゃあ、六時に交差点の向こうのハンバーガー・ショップで話を聞こう。いいかな?」
俺が提案すると、秋帆は安心したように頬をほころばせた。
「良かった。実はお金がないからハンバーガーにしてくださいって、私の方から言おうと思ってたんです」
※
「弟さんは、どんな連中と付き合ってるの?」
ファーストフード店の薄いコーヒーをすすりながら、俺は切りだした。
「ええと、たしか「善乃哉童」とかいうかなり悪いグループみたいです」
秋帆は声を潜めて言った。また、あいつらか。俺はげんなりした。これは柳原あたりにとっ捕まえてもらわなきゃいけないな。……それともすでに刑事課の領分か。
「うちの弟、いじめられてずっと引きこもってたんですけど、……あの、なんて言うの「なりすまし」とかを覚えちゃって。人知れず悪戯を楽しんでたのを「善乃哉童」の連中に嗅ぎ付けられて、IDカードの偽造なんかをさせられかけたみたいなんです」
「ふうん。……きっと自分の能力で思いがけないことができるとわかって、舞い上がっちまったんだろうな」
「そうなんです。……で、グループのリーダーのなんとかダイっていう男に気に入られて、逃げられなくなっちゃったみたいで。私、親が共働きで、ずっと小さい頃から弟の面倒を見てきたから、心配で仕方がないんです。こんなこと言うと夢みたいって笑うかもしれないけど、できれば大学にも行かせてやりたいし」
俺はあらためて目の前の娘を見つめた。いかにも頼りなげな瞳の中に、もう子供ではないのだという覚悟が宿っていた。
「とりあえず、どうやってそいつらとコンタクトを取るか……だな。少々、策を弄する必要があるかもしれない」
「サクをロウする?」
「正攻法じゃ駄目ってことさ。何らかのトリックかハッタリを使ってビビらせない限り、弟さんは取り返せないかもしれない。……お芝居は、できるか?」
俺が尋ねると、なぜか秋帆は「へへへ」と笑った。
「実はね、私、劇団に入ってるんです。よかったら今度、見に来てくださいね」
へえ、と俺は声を上げた。単調な日常にアクセントを付けるには、芸術はもってこいだ。
「実は俺もロックバンドをやってるんだ。……おじさんだけどね」
「本当?素敵!私の友達にもロック好きが結構、いるよ。今度見に行ってもいい?」
「もちろん。……ただそのためには、弟さんを取り戻すことが先決だ」
「うん……あ、それとね、弟がグループからなかなか抜けられない理由の一つに、もう一人、リーダーが気に入ってるらしい女の子も一緒に抜けさせたいって思ってるっていうのがあるみたい」
「女の子?」
「ええと、まだ小学生みたいな若い子で、騙されて車両泥棒なんかを手伝わされてるみたい。……うちの弟、女の子に免疫がなくてさ。たぶん、ロリコンではないと思うんだけど」
俺は腕組みをして宙を睨んだ。女の子というのはおそらく、牧原杏那のことだろう。……あの、大型書店の駐車場で見た不思議な現象は、いったいなんだったのだろう?
「いや、大体の事はわかった。……その女の子のことなら大丈夫だ。たぶん、親元に戻ってるはずだ」
「どうしてそんなことを知ってるんですか?」
「いやまあ、色々あってね。……それより、怪しまれずにグループに近づくシナリオを考えないとな」
俺がそう口にしかけた時だった。ドアが開いて数名の若者が店内に入ってきた。そのうちの一人は、見覚えのある顔だった。
「あれ?泉下さん」
ツナギを着た四人組の一人が、俺を見て目を丸くした。
「キエフ……」
「どうしたんすか、お店も閉めちゃって……みんな心配してますよ」
キエフは俺を見つけると、半泣きに近い表情で近寄ってきた。
〈第二回に続く〉
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