第8話 第一話「長く呪われた夜」(7)
仲島 加壽之は一言で言うと「静かな男」だった。
細々と食事を摂る姿は、痩せて猫背でとても不良には見えない。まして殺人犯などには見えようがない人物だった。
俺は視界の隅に仲島をとらえ、断続的に観察を続けた。病院での振る舞いを見る限り、劇的な変化が現れそうな兆しはない。
――はたして奴は、俺が「殺し屋」だと気づいているだろうか。
俺は訝った。もし気づいているのなら、何らかの「罠」をしかけてくる可能性がある。
うまく寄生されず、奴を仮死状態にできるチャンスがあったとしても、そう多くはない。
――せめて、「前の」エージェントがどんなしくじりでやられたのか、わかればな。
俺は食事を摂る仲島の様子を注視し続けたが、俯いてスプーンを口に運ぶ姿からは、なんの手がかりも得られなかった。
食後、俺はいったん病室を離れた。ドリンクコーナーでコーヒーを買うためだ。
カップベンダー式の自動販売機は、普通の販売機よりもひと手間多い。が、俺はその手間を愛していた。いわゆるインスタントコーヒーのメーカーだが、それなりにまともなドリップコーヒーの味がする所も気に入っていた。
俺がいつものように「ミルク多め」のボタンを押していると、背後で声がした。
「泉下さん」
「やあ、大樹くん」
振り返ると、大樹が頬を紅潮させて立っていた。
「いいところで会えました。実は、泉下さんに相談に乗って欲しくて」
「相談?俺にかい。……まあ、暇だから構わないけど」
「実は今、ネットで状態のいいラジカセを探してるんですけど、音まではわからないから泉下さんにアドバイスを貰えないかなって」
そういうと、大樹は小鼻を膨らませながらスマートフォンの画面を見せた。
「これがいいかなって思ってます。……三十年近く前の製品ですけど」
画面に映っていたのは、シルバーメタリックのシンプルなラジカセだった。
「うん、これなら華奢でもないし、故障も少なそうだ。ウーファーがちょっと小さいけど、部屋で聞く分には問題ないだろう」
「本当ですか?じゃあ、退院したらお祝いに買ってもらうかな……じいちゃんから、昔のロックやポップスが入ったテープをもらう約束になってるんです」
「へえ。そりゃいいね。……ところで大樹くん自身はどんな音楽が好きなんだい」
「僕ですか?ギターがガンガン鳴ってる曲も好きですし、ダンスミュージックも聞きます。……でも最近は、じいちゃんに教わった昔のアコースティック曲にはまってます」
「ほう。たとえば?」
「クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングとか、サイモンとガーファンクルとか。ハーモニーが好きなんです。……あっ、そうだ、泉下さん「ボクサー」って曲、知ってます?」
「ああ、知ってるよ。好きなのかい」
「あの曲を一度でいいから、誰かとハモってみたいんです。協力してくれませんか?」
「いいけど、病院で練習するのは、どうかな」
「じゃあ外はどうです?病院の西向かいにあるコンビニの駐車場。お昼に三十分くらいなら、怒られないと思います」
「なるほどね。……まあ、あそこは時々、ここの職員さんも煙草を吸いに行ってるし、それくらいならいいか」
「僕、昔から友達がいないんです。病気がちだったのと、テレビともゲームとも縁のない子供だったんで」
「ふうん、そうだったのか……よし、それじゃあ俺が友達になるよ。……あいにくとおじさんで、君と共通する趣味なんてないかもしれないけどな」
「本当ですか?嬉しいです。泉下さん、もしかしたら好きじゃないかもしれないけど、これを見てください」
大樹が画面上に表示したのは、室内を埋め尽くさんばかりに並んでいるプランターだった。センスよく並べられた植物は花と葉物がほどよく混ざり、さながら小さな植物園のようだった。
「こいつらを前に僕、時々ささやかなコンサートを開くんです」
「コンサート?」
「部屋の真ん中で、音楽を鳴らすんです。……結構、みんなノッてくれますよ」
大樹は画像を次々とスクロールして行った。
「このゴムの木は、ロックをかけると枝がぐんと伸びるんです。……こっちのサボテンは意外に演歌が好きで、こぶしが回ると感激して泣くんです」
へえ、と俺は感嘆した。植物が音楽を理解するというのはよく聞く話だが、これほどストレートなケースは珍しい。
「前に一度、クラスの女の子に見せて欲しいって言われて、この部屋に招待したことがあるんですけど「ジャングルみたい」って逆にひかれちゃって」
大樹は眉を寄せると自虐的な笑みをこしらえた。大樹は人より豊かな感性を持っているだけだと俺は思った。その女の子は印象が強烈すぎてひいてしまったのだろう。
「これだけ繊細だと、ハードロックなんかかけたら枯れてしまいそうだな」
「そんなことないです。逆にロックを好みそうな花ってなんだろうって思います。……泉下さん、何がいいと思います?」
俺は「そうだな」と乏しい植物の知識を弄った。
「……ヒマワリなんて、どうかな」
俺の頭に浮かんだのは、音楽に合わせて頭を振る、大昔の玩具だった。
「いいですね、でもヒマワリを植えるなら……」
大樹は顎に手を当て、考え込む仕草を見せた。
「屋上か、ベランダのある家に引っ越さなきゃ」
※
病室に戻ると、仲島は寝入っていた。
俺は自分のベッドの脇にあるラックの抽斗を開け、ボールペンをあらためた。
こうしている間にも、奴の心臓に取りついた怪物は、着々と成長しているのに違いない。
俺はカセットプレーヤーを取りだすと、再生ボタンを押し、イヤフォンをはめた。
流れてきたのはサイモン&ガーファンクルの「旧友」だった。
俺も生きていた時は、それなりに友人がいた。そのほとんどを失った今、驚くほど年下の友人と趣味の会話を楽しんでいる。生き返ったばかりの頃は、死人に新しい友人ができるなど思いもしなかったのに。
俺はいつしかまどろんでいた。夢の中で、俺は一本の木にもたれかかっていた。
木漏れ日が音楽のように降りそそぎ、俺は生きている物たちの仲間に入れてもらえたかのような幸福感を味わっていた。
うっとりと緑の風に身を任せていた、その時だった。
――誰だ?
誰かが俺を見ていた。気配のする方を見た俺は、思わず息を呑んだ。
少し離れた木立の間から、二つの目が俺を見ていた。その目は、緑色に光っていた。
目を覚ました俺は荒い息を吐きながら、そっと廊下側のベッドを見た。
ベッドの上の男は、静かに文庫本を読んでいた。俺は妙な胸騒ぎを覚えた。
――もし、奴と戦っている最中に心臓が動き出したら。
久々に俺の全身を、恐怖が支配した。少なくとも、戦っている間は間違っても「生き返って」はならない。今のうちに、この動かない心臓によく言い聞かせておかねば。
〈第九話に続く〉
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