第7話 第一話「長く呪われた夜」(6)


「器用なんですね、泉下さん」


 左手だけでカセットテープを出し入れする俺に、看護師が感心したように言った。


「いつ右手がちぎれてもいいように、訓練してるんですよ」


 俺はさして面白くもないジョークを返した。あながち嘘というわけでもない。いよいよとなったら足の指だけで生活できる自信くらいはある。


「ところで」と俺は切りだした。看護師は体温計に目をやったまま「はい」と言った。


「あの廊下側のベッド、患者さんがずっと戻って来ないようですけど、どうかされたんですか」


 俺が目線で示すと看護師は頷き「ええ」と言った。


「実は先日、院内でちょっとした事件があったんですが、あのベッドの患者さんがたまたま目撃されたんです。その際に発作を起こして、集中治療室に移ったそうです。……でも、今日あたり、戻ってくるみたいです」


 なるほど、と俺は思った。看護師の言う事件とは、エージェントが殺害された一件の事だろう。目撃者どころか、その患者が殺人犯かもしれないぜ、と俺は言いそうになった。


 看護師が立ち去った後、俺は空いているベッドを一瞥すると、ラックの中のボールペンをあらためた。


 標的の名は、仲島加壽之なかしまかずゆき。十九歳の大学生だ。


 先輩の影響で、中学時代から不良グループの使い走りをしていたという。


 高校入学後、少年犯罪グループ「善乃哉童ジェノサイド」に加入、普通の学生との二重生活を送るようになる。今回の脱走劇では、捕獲した脱走者を見張る係だったという。


 院内で起きたという事件は、標的がエージェントを病棟の地下に誘いだし、殺害したものらしい。エージェントは一体、どんな失態をやらかしたのだろう。


 薬が効かずに敵の逆襲を許したのだとしたら、俺も決して盤石とは言えない。

 確実にチャンスをものにする方策を練っていると、不意に横から声が聞こえてきた。


「前にも言ったけど、抽斗に鍵がかかんないんだよ、このラック。早めに直すか、取り替えてくれないかな」


 隣のベッドの男性患者から苦情を受けているのは、まだ若い看護師だった。


「わかりました。今日中に施設課の職員に言っておきますね。すぐ替えてもらえるかどうかはわかりませんけど……」


 宥めすかすように答える看護師に男性患者は「頼むよ」と横柄な口調で言った。


 やれやれ。いばり散らす輩ってのは、場所を選ばないな。


 俺はベッドを離れると、カセットプレーヤーを手に病室を出た。外の空気を吸いたくなったのだ。ちょうどラウンジの窓から、綺麗な銀杏並木が見えるはずだ。


 街路樹は、鬱憤のたまった人間と違ってくだらないことを口にしないからな。美しい枝ぶりを眺めながら、オールド・ラブソングでも耳に流し込めば、多少の気晴らしにはなるだろう。


 俺は左手でイヤフォンを耳に押し込むと、スウェット姿のまま、同じ階にあるラウンジへと足を向けた。


                  ※               


 ラウンジは無人だった。


 誰かがつけっぱなしにした大型テレビが災害のニュースをだらだら流していた。俺は周囲に人がいないことを確かめ、電源を切った。


 まあ、夕食前だし、大方の患者は自分のベッドに戻っているのに違いない。

 俺は休息用の椅子に腰を据え、プレーヤーの再生ボタンを押してテーブルに置いた。


「ホテル・カリフォルニア」のイントロが流れ始め、ギターの音色が全身に滲み込んでゆくのが感じられた。


「わあ。……これ、カセットテープですか?」


 いきなり間延びした声を浴びせられ、俺はイヤフォンをしたまま振り返った。


「あ、邪魔してごめんなさい。初めて本物を見たんで、つい」


 俺のカセットプレーヤーを目を輝かせて眺めているのは、ずんぐりした若者だった。


「すごいすごい、動いてる。回ってるよ」


 若者は感激をあらわにした。俺は脱力しつつ、イヤフォンを耳から外した。


「そんなに珍しいかい、カセットプレーヤーが」


 俺は若者に話しかけた。パジャマにカーディガンという格好からみて、入院患者に違いない。


「はい、初めてです。ずっとほしいと思ってたんですけど、音楽のテープを持ってないし、どうやって手に入れようかって悩んでたんです」


「聞いてみるかい?大昔の音楽だが」


 俺がイヤフォンを進めると、若者の顔がぱっと輝いた。


「えっ、いいんですか?……やったあ」


 若者はイヤフォンを耳にはめると、カセットプレーヤーを手に取った。


 俺は若者をそれとなく観察した。見たところ、手足に外傷はなさそうだ。外科病棟の患者ではないのだろうか。


「すごいや。テープの音って柔らかいんだ。……じいちゃんの言ってたとおりだ」


 俺はずっこけそうになった。すでに両親さえも、カセットを知らないとは。


「これ、知ってます。ホテルなんとかですよね。じいちゃんがやってる喫茶店でかかってるのを聞いたことがあります」


「お店をやってるのかい、お祖父さんは」


「はい。喫茶店なんですけど、千枚くらいレコードがあるんです。カセットも持ってるんですけど、伸びるのが嫌だからって聞かせてくれないんです」


 若者は聞いてもいないことを一方的にぺらぺらと喋った。


「あ、ごめんなさい。僕、界野大樹さかいのたいきっていいます。高校二年生です」


「俺は泉下巡。町外れでガラクタ屋をやってるバンドマンだ。中古でよかったら、うちの店にもカセットプレーヤーはあるぜ。買ってくれたら、ロックのライブを録音したテープをつけてやるよ」


「本当ですか?じゃあ早く退院しなきゃ」


 大樹と名乗る若者は、興奮した口調で言った。


「ところで君は何の病気なんだい」


「肋骨の疲労骨折です。元々骨が弱くて骨折しやすいみたいで、今回も転倒しただけで入院です」


 大樹は自嘲めいた言葉を並べつつ、てへへと笑った。


「君はどこの病室?」


 俺が尋ねると大樹は「A病棟のE503です」と答えた。俺と同じ並びの角部屋だ。


「俺はE501だ。よろしくな」


 俺が自分の病室を告げると、大樹の表情がわずかに陰った。


「あ、そこの病室って……」


「なんだ?」


「言っていいのかどうかわかんないけど、一週間くらい前に入院患者さんが亡くなってますよね」


「ああ、その話なら知ってるよ。何か事件があったって話だろう」


「はい。…実は僕、事件の晩に亡くなった患者さんを見てるんです。僕がトイレから出てきた時、一人の患者さんがエレベーターに乗り込むのが見えたんです。エレベーターが動き出した後、別の患者さんがエレベーターの前にやってきて、どの階で止まったか確かめた後、階段で下に降りて行きました。亡くなったのは、その降りて行った患者さんです」


「君が目撃したその後なんだね、事件が起きたというのは」 


「ええ、たぶん。……次の日の朝、騒ぎになっているのを見て、初めて事件が起きたのを知ったんです。警察が来たりしてたから、もしかしたら殺人だったのかもって思いました」


「先にエレベーターで降りたほうの人は、無関係なのかな」


 俺は気になっていたことを、ずばりと口にした。


「それなんですけど……僕のいる部屋にも警察の人が来たんです。何か知ってることはないかって一人一人、聞いて回ってたんですけど、面倒に巻き込まれるのが嫌でつい、先に降りた患者さんのことは言わずじまいだったんです」


「なるほど、変に疑って恨まれても困るしな」


「そうなんです。もし濡れ衣だったら迷惑が……あっ」


 不意に大樹が口を噤み、廊下の方を見た。視線の先をたどると、一人の痩せた男性が看護師に付き添われてゆっくりと歩行していた。


「あの人……」大樹が言った。


「エレベーターで先に降りた患者さんです。あの時、ちょっとびっくりしたことがあったんで、顔をよく覚えてるんです」


「びっくりしたこと?」


「はい。エレベーターに乗り込む直前、僕のいる方をちらっと見たんですが、その時に目が、もやっと緑色に光ったんです」


「目が緑色に……」


 間違いない、と俺は思った。入院して数日が経過した今、ようやく標的へのロックオンを完了したのだ。だがそれは俺をひどく滅入らせる成果でもあった。


             〈第八回に続く〉

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