どこかの世界

刑務所

 鬼塚は夢を見ていた。灰色のコンクリートに囲まれた無機質な部屋にいた。正面は鉄格子。刑務所の独房のようだった。

 看守がやって来た。食事を運んで来たようだ。何やら怯えた様子で、ドアではなく、小さな窓のようなところから食事が差し入れられた。お腹も空いているし、食べることにした。あまり美味しくはないが、味が分かるなんてリアルな夢だと思った。

 食べ終わってしばらくすると、違う看守がやって来た。


「面会だ。出ろ」


 言われるがままに部屋を出た。無機質な少し冷たい空気の薄暗い廊下。この冷たさもまたリアルに感じられた。面会室に入ると、ガラスの向こうにスーツにメガネの男が座っていた。弁護人か何かだろう。


「鬼塚さん、そろそろちゃんと話してはくれませんか。弁護するにも、あなたの証言が無いとどう進めれば良いか作戦が立てられません」


 そうは言われても、自分が何故ここにいるのか分からない。鬼塚は黙っていた。


「鬼塚さん、あなたが殺したのは三人だとおっしゃいましたが、本当は五人ではないですか?検察は先週の二件もあなたが殺ったと、証拠もあると言っています」


 そうか、自分は殺人犯なのか。それで刑務所にいるという訳か。鬼塚は自分の状況を整理していた。自分の中に殺人者気質があるとは思わないが、最近のプレッシャーがこんな夢を見させているのだろうか。どんな殺人を犯したのだろう。自分だったらどんな手を使うのだろう。全く想像がつかなかった。研究者は世のため人のためになることを懸命に模索している。人を殺めるなんて対局の行為だ。全く不思議な夢を見るものだ。


「鬼塚さん、何か話してください。お願いしますよ」


 そうは言われても何も思い浮かばない。プレッシャーがこんな夢を見させているのだろうが、そもそも殺人なんてことを思ったこともないのだから、夢の中でもその先を展開できないのかも知れない。この夢はこれで終わりだ。そろそろ目が覚めるに違い無い。


「鬼塚さん、時間です。今日は帰ります。全く、時間の無駄だ」


 男はわざと不機嫌な様子を見せつけるような態度を取り、部屋を出て行った。やはり、夢はこれで終わりのようだ。全く変な夢だった。

 看守に連れられ、部屋に戻された。廊下が一層冷たさを増していた。まだ夢の続きがあるようだった。だが、何も変わったことは起きず、ただ時間だけがリアルに過ぎていった。


 こんな夢があるのだろうか。食事をし、排泄をし、薄い毛布にくるまって寝る。朝になる。変わらない刑務所の部屋。弁護人がやって来る。何も話さない。怒って帰る。その繰り返しだった。


 夢ではない?鬼塚はそう思い始めていた。こんなにリアルな、しかも長い夢がある訳がない。ひょっとすると、ここはパラレルワールドなのではないか。別の世界の自分が殺人者で、何かの拍子に入れ替わったのではないか。つまり、今まで確認されたことがないパラレルチェンジを今体験しているのではないか。確かめる術はないが、そうなのかも知れない。


 鬼塚の中に不安が溢れ出していた。このままこの世界にいたらどうなるのだろう。五人も殺していたら死刑なのではないか。何もしていないのに、裁かれてしまうのではないか。このままではまずい。弁護人?そうだ、弁護人に伝えなければ。自分はここの鬼塚では無い。そう伝えなければ。

 

 ────────────────────


 いつものように弁護人がやって来た。でも今日はいつもとは違う。


「弁護士さん、聞いてください」


 鬼塚は初めて弁護人の男に話し掛けた。弁護人の顔がぱっと明るくなった。何日もだんまりを決め込んでいた被疑者がやっと口を開いた。これで前に進める。弁護人の青木(あおき)は身を乗り出した。


「鬼塚さん、やっと話しをする気になったのですね。良かったです。どうぞお話しください」

 一呼吸おいて、鬼塚が訴えた。

「弁護士さん、私はここの鬼塚ではありません。別人なのです」


 一瞬、変な空気が流れた。ハッとしたように青木が叫んだ。


「な!何を言い出すかと思ったら、どういうつもりですか!」

「本当です。私はここの世界の人間では無いのです。信じられないかもしれませんが本当なのです」

「どういうことですか!最初は乱暴な態度を取ったかと思えば、次は黙秘、そして今度は別人ですか!あきれますね。私はあなたの唯一の味方なんですよ。それなのに、こんなことではまともに弁護なんてできませんよ!」

「唯一の味方だからお話ししているのです。私は別の世界では時空間研究所の所長をしています。パラレルワールドの研究をしているのです。何かの拍子に、私は別の世界に来てしまっているのです。信じられないかもしれませんが、そうなのです」

「何を馬鹿なことを。パラレルワールドなんてSFの話でしょう。そんなことがある訳が無い」

「いえ、実際にあるのです。弁護士さん、調べてください。時空間研究所に行ってください。こちらの世界にもあるはずです。そこに行って、小松原理事長と仙道さんに話を聞いてください。もし時空間研究所が無かったら、東京理学大学の理学部に行って、小松原名誉教授に話しを聞いてください。パラレルワールドは実在するのです」


「ふざけないでください。もう帰ります!」

 青木はそそくさと荷物をまとめ、振り返りもせずに部屋を出て行ってしまった。


 信じてもらえなかった。それはそうだろう。鬼塚も確証を持っている訳では無かった。だが、これを伝えたことで弁護人が何か動いてくれることを祈るしか無かった。


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 青木は怒っていた。刑務所から駅への帰り道。早足でズンズンと歩きながら憤慨していた。

「パラレルワールドだと。ふざけたことを。そんなことを誰が信じる。もしや、気が触れたと、責任能力が無いという芝居か!」

 怒りながら、さっきの鬼塚の言葉が思い出されていた。少し引っ掛かることがあったのだ。時空間研究所、東京理学大学、小松原、仙道、随分具体的な名前だ。念のため、調べてみてもいいかも知れない。青木はスマホを取り出し検索を掛けた。


 時空間研究所は実在していた。理事長は小松原、所長は仙道だった。しかも、理事長の小松原は東京理学大学の名誉教授だった。鬼塚の言った通りだった。さらに小松原を調べてみると、古い論文が出て来た。パラレルワールドの研究だった。

「タクシー!」

 青木はタクシーに飛び込み、時空間研究所へ向かった。


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「仙道所長、パラレルワールドは実在すると」


 青木は、時空間研究所に来ていた。小松原はいなかったが、所長の仙道が応対してくれた。


「実在します。我々は既に二つのパラレルワールドを見つけています。我々はトリップマシンという装置を持っていて、それを使ってパラレルワールドを行き来しています。行き来していると言っても、まだ人は送れませんが」

 仙道は所長室のモニターでチェイサーの画面を見せながら説明した。

「信じられません。科学がこんなに進んでいたなんて」


 青木は、鬼塚が言っていたパラレルワールドの存在が事実だと理解せざるを得なかった。しかし、人が入れ替わるということに関してはどうなのだろう。


「仙道所長、小松原理事長の論文に書いてあった、パラレルチェンジについて教えて下さい。あれも実在するのでしょうか」

「ははは。それは無いですね。というよりも、まだ確認されていないというのが正しいです。パラレルトリップもパラレルチェンジもパラレルマインドも、その能力を持った人間は見つかっていませんよ。唯一パラレルトリップだけが、トリップマシンによって確認されているのです。それがどうかしましたか?」

「実は、刑務所に収監されている鬼塚という男が、自分はパラレルワールドの別の自分と入れ替わったと主張しているのです。それって、パラレルチェンジですよね」

「鬼塚?収監されている鬼塚というと、あの連続殺人犯の鬼塚ですか?」

「そうです。よくご存知で」


 あれだけ報道されれば誰でも知っているだろう。一時期、テレビをつければどこのチャンネルでも鬼塚の事件を報道していた。


「鬼塚は、私の大学の後輩です。よく知っているのです」

「大学の後輩。そういうことでしたか」


 青木は鬼塚が仙道や小松原の名前を出した時の様子を思い出していた。


「あいつは優秀な研究者でした。でも、たった一回の失敗をきっかけに、心の病気になり、行方が分からなくなりました。そしてあんな事件を」


 無差別で、衝動的、そして冷静に三人を殺している。いや、五人かも知れない。理由は聞けていない。今の鬼塚の言うことが本当なら──パラレルチェンジしているのなら──、もう理由は聞けないのだが。


 それよりも今はパラレルワールドの方が重要だ。

「鬼塚もパラレルワールドの研究者ということですね?」

「そうです」

 今の鬼塚は、別の世界で時空間研究所の所長をしていると言っていた。つまり、こちらの鬼塚もあちらの鬼塚もパラレルワールドの専門家なのだ。

「青木さん、鬼塚はパラレルチェンジをしたと言っているのですね?」

「そういう意味だと思います」

「興味深い。鬼塚に会わせてもらえませんか」

「分かりました。明日も面会に行きますから一緒に行きましょう」


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 鬼塚が面会室に入ると、正面に見慣れた男がいた。仙道だった。

「仙道さん!」

 鬼塚はガラスに駆け寄った。

「仙道さん、鬼塚です。分かりますか」

 鬼塚は珍しく興奮していた。こっちの世界にも仙道はいた。これで話が通じる。


 鬼塚は、自分の世界でパラレルワールドの研究がどのようになっているかを説明した。トリッパーのこと、チェイサーのこと、そして二人のトリッパーを失ったことで鬼塚が所長に代わり、仙道がトリップマシンを開発したことを伝えた。対して、仙道は、こちらの世界にはトリッパーはいないこと、仙道が世界に先駆けてトリップマシンを開発し、二つのパラレルワールドを探し当てたことを伝えた。


「鬼塚……さん、向こうの様子はよく分かりました。可能であれば、向こうの世界に行ってみたいものです。時に、鬼塚さんはチェンジャーなのですか?」

 仙道が、やっと聞きたいことを切り出せたという風に、真剣な口調で切り出した。

「違うと思います。私は巻き込まれた側でしょう。チェンジャーはもう一人の方でしょうね」


 鬼塚には、自分で能力をコントロールしていたという実感はまるでなかった。思い出してみると、所長室でプレッシャーに苛まれていつの間にか眠ってしまい、目が覚めたら刑務所の独房だった。もし自分がチェンジャーだったとしても、もう一度能力を発動させるきっかけさえも分からなかった。


「そうですか」

 仙道は、少しがっかりしていた。やっと能力者に会えたと思っていたが、そうではなかった。だが、この鬼塚が別の世界から来たのだとは確信していた。この鬼塚がいれば、いや、向こうに行ってしまった鬼塚がいれば研究はさらに進む。このチャンスを逃す手はないという下心があった。だとすると、向こうがもう一度能力を発動するまで鬼塚を生かしておかなければならない。

 仙道は強い口調で青木に言った。 

「青木さん、私が証人になりますから、鬼塚が今は別人だということを訴えましょう」

「仙道さん。ですが、結審まで一ヶ月ほどしかありません。その間に証明することができるでしょうか」

「やるしかありません」


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 それから一ヶ月。仙道と青木は、鬼塚を救うべく証拠集めを始めた。時空間研究所の研究データを提出し、パラレルワールドの存在を認めさせた。そして、以前の鬼塚に課した性格テスト、精神テストの結果と、今の鬼塚の結果が著しく違うことを示した。その結果、鬼塚がパラレルワールドから来たとは言い切れないものの、少なくとも、今の鬼塚は別の人格であると結論づけられた。裁判所は、鬼塚を精神病棟に隔離する判決を下した。目指していた結果とは程遠いが、少なくとも死刑になることは免れることができた。


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「青木さん、仙道さん、ありがとうございました。精神病棟でも死刑よりは全然ましです。こうやって精神病棟で大人しくしているうちに、元の世界に戻れるように研究を進めてください」

「鬼塚、分かっている。お前からもらったヒントで随分理解が深まった。すぐに戻れるようにしてやるからな」

「よろしくお願いします」


 青木と仙道は病室を出て行った。鬼塚は今の状況に安堵していた。と同時に元の世界には殺人犯の自分がいることを不安に思っていた。研究所は無事なのだろうか。何か恐ろしいことになっていないだろうか。


 その時だった。鬼塚は急に頭に激しい痛みを感じた。何か硬いものがぶつかって来たような感じだった。目の前が真っ暗になった。しばらく痛みが収まるのを待ち、ゆっくりと目を開けた。そこは病室では無く、時空間研究所の所長室だった。

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