トリップマシン完成

「いよいよだぞ」

 仙道の顔は紅潮していた。これから始まる実験を待ちきれず、興奮を隠しきれない様子だった。


 あれから二ヶ月、仙道は開発部長として目覚ましい成果を上げていた。トリップマシンと重力レーダーを完成させ、高次元通信装置の能力を向上させることに成功したのだ。トリップマシンを使えば、能力の無い人をパラレルワールドに送り込むことができる。重力レーダーは、トリップマシンの居場所を特定することができる。居場所というのは、どのパラレルワールドに、ということでは無い。パラレルワールドのどこにいるかを特定できるのだ。しかも特定できるのはトリップマシンだけでは無い。一度記録されたトリッパーも同様だ。これまでも、トリッパーがどのパラレルワールドにいるかは把握することができたが、送れるデータ量は限られたものだった。重力レーダーが開発されたことと、高次元通信装置の改良によって、より詳細な情報をパラレルワールド間で送り合うことが可能になったのである。そして、今日は待ちに待った新装置のお披露目だった。


 鬼塚は、今日のために、小松原理事長と五人の理事、米国時空間研究所とEU時空間研究所の理事長と所長、そしてこの計画に賛同している実に百二十もの企業の関係者を招いていた。

 研究所の二階にあるプレゼンテーションホールは、この日のために改造され、中心には円形のステージ、その周りには、ステージから放射状に八方に区切られた観客席が後方に向かってせり上がり、一つのブロックは一列に十人で三列、全部で二百四十人入れるように仕立てられていた。

 客席の最前列には、各研究所の理事長・理事・所長とVIP企業の役員、二列目三列目には賛同した企業の関係者、そして空いた席には時空間研究所のスタッフが座っていた。

 円形のステージは、透明な強化ガラスの円筒が置かれ、その中には何かが現れるのだろうという期待が満ちていた。


 鬼塚が円筒の側に立ち、マイクで話し始めた。


「皆様、ようこそおいで下さいました。これから、歴史を変えるトリップマシンをご披露したいと思います。この装置は、皆様のビジネスを根本から変え、多大なる成功をもたらすものと信じております。それでは、トリップマシンの登場です」


 鬼塚は、円筒の方に右の手の平を上にして指し示した。それはさながら、マジシャンが秘密の箱を指し示しているかのように見えた。

 円形のステージの床が開き、ゆっくりと下からそれがせり上がって来た。トリップマシンは球形のコクピットにタイヤが四つ付いた形状で、アポロ十一号の月着陸船をモダンにしたように見えた。このデザインは、別世界に行くというイメージを顧客の潜在意識とノスタルジーに訴えるという、鬼塚の発案だった。

 おお、というどよめきが起こり、会場がざわめいた。反応は悪くない。鬼塚は狙い通りと思った。

 鬼塚は、技術的な説明を少しと、このマシンがパラレルワールドへ行く意義を、会場にいる顧客の心理に訴える短いプレゼンテーションで示し、実験開始を高らかに宣言した。

 会場のライトが消え、中心の円筒内だけがスポットライトに照らされた。透明な円筒の上部には、チェイサーのモニターが映し出され、真ん中に四角い平面が表示された。その平面には─Current Brane─の文字と、中心に小さな光の点があり、その光の横には─Trip Machine─の文字が表示されていた。次の瞬間、その四角い平面に地図が浮かび上がり、トリップマシンが時空間研究所にあることが分かった。


「トリップマシンは、新しいパラレルワールドへ翔びます。一瞬ですからお見逃しのないように」


 鬼塚がそう言うと、キュイーンというモーター音が響き、円筒の表面に「10」の表示が現れ、カウントダウンが始まった。数字が「0」になった瞬間、トリップマシンは音もなく消えてしまった。

 わあ、という大きな歓声が響いた。「何だ何だ」「何処へ行った」「トリックか」「すごい」「トリップしたんだ」などと、いろいろな思いのざわめきが聞こえて来た。鬼塚がマイクを持った。


「皆様、円筒のモニターをご覧ください。トリップマシンがどこに行ったかがこれで分かります」


 モニターを見ると、光の点が─Current Brane─の四角い平面からゆっくりと外に出て行った。すると、もう一つの平面がモニターに現れ、光はその平面の中に入って行った。平面には─New Brane─と表示され、そこが新しいパラレルワールドだということが見て取れた。そして、先ほどと同じように新しい平面にも地図が浮かび上がり、同じように時空間研究所に存在していることが示された。


「皆様、何が起こったかお分かりですね。トリップマシンは、今、新しいパラレルワールドにトリップしました。そして、向こうの世界にある時空間研究所の実験室に存在しているのです。そして、向こうの世界の位置情報をこちらで確認できるのは、もう一つの装置、重力レーダーの力です。そして高次元通信装置は、通常得ることができない他のパラレルワールドからの情報をこちらの世界に持って来ることができます。トリップマシンと重力レーダー、高次元通信装置を組み合わせることで、今どこにトリップマシンがいるのかを知ることができるのです。このことは、私どもが提供するパラレルワールド間物流サービスが、きちんと機能することを証明しております。皆様のビジネスの未来は大きく開けました。これからのビジネスはパラレルワールドが主軸となるのです」


 鬼塚は一層大きな声を出し、それに応えるかのように会場全体が熱気に包まれ、拍手の嵐が巻き起こった。


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 お披露目は大成功だった。しかし、仙道は不満だった。会場から顧客が全員出て行った後、仙道は鬼塚を捕まえた。


「鬼塚、あれはやり過ぎだ。トリップマシンが移動しているように見える光の点、あたかも新しいパラレルワールドを見つけたかのように見える表示、それに地図、あんなのまだ情報を送れないだろ。嘘ついてどうするんだ」


 仙道は技術者として、正しくない情報をでっち上げるのは性に合わなかった。正直に本当の姿を見せたかった。しかし、その思いは鬼塚に一蹴された。


「仙道さん、あなたは甘い。我々は、トリップマシンの開発に成功しています。重力レーダーだって、地図情報は別として、トリップマシンがどのパラレルワールドにいるかの詳細情報を送って来ることは可能です。そして、先ほどトリップマシンが別のパラレルワールドにある時空間研究所に行ったことも事実です。それをあらかじめ用意してあった画面に合わせてプレゼンしただけですよ。それで我々の成果が顧客に伝わった。何が問題なのですか。正直に何の面白みもない研究室のモニターを見せたら何が顧客に伝わったと言うのです。あなたはビジネスの事を何も分かっていない。今日の目的は、顧客が我々の成果に興奮し、彼らに我々とビジネスをしたいと思わせることです。もっと言えば、我々の成果に期待を高め、投資をしようと決断させることです。成果をお披露目することが目的では無いのですよ。そんな調子だから所長の座を追われるのです。仙道さん、あなたはビジネスには口出しせず、しっかり開発に専念してください」


 ぐうの音も出なかった。仙道は、鬼塚はビジネスの才能がある、自分と違ってビジネスのセンスがある、鬼塚が引っ張って行けば、自然と成功に導かれる、そう強く感じていた。

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