記者 長峰ユリ

「もうそろそろ終わってもいい頃だけど」


 時空間研究所の前で、EMイーエムウイークリーの記者長峰ながみねユリが待ち構えていた。


 亜麻色のセミロングのゆるふわの髪。上下黒のタイトなパンツスーツ。大きな胸が目を引くスリムな体型。身長は百六十センチほどで、整った顔立ち。ジャケットは前がジッパーになっていて、胸の下辺りまで下げ、そこから覗く白いシャツは胸元が大きく開き、大きな胸を強調している。パンツはぴったりとした伸縮性の良さそうな生地で、美しいヒップラインとしなやかな足を演出している。足元は銀のハイヒールでヒールは高め。どう見ても、記者というよりはファッションモデルか何かといった出で立ちだ。


「あ、出て来た出て来た」


 ゾロゾロと時空間研究所から人が大勢出て来た。長峰は情報屋から、時空間研究所で何か大きな発表があるという情報を仕入れてここに来ていた。マスコミには何も通達されず、企業を百社以上も集めて何かの発表をしている。スクープの匂いがする。そう思ってここに来ていた。


「あの、EMウイークリーです。今日は何の発表があったんですか?」


 長峰は出て来る人に片っ端から声を掛けていった。しかし、誰も何も話さない。それどころか、何か汚い物を見るかのような視線で通り過ぎる者もいた。ゴシップ週刊誌なんてこんなものか。長峰はそう思いながらも必死で声をかけ続けた。結局、誰も何も話してくれなかった。


「中に入ろう」


 長峰は諦めなかった。正面の自動ドアから時空間研究所に入ると、セキュリティゲートの前に一人のスーツ姿の男が立っていた。長峰は下調べの資料を思い出した。この男は所長の鬼塚だ。このチャンスを逃す訳にはいかない。


「鬼塚さん、所長の鬼塚さんですね。EMウイークリーです。今日は何の発表だったんですか」


 鬼塚は怪訝そうな顔をしている。


「いきなり何だね。君は誰だね」

「初めまして、EMウイークリーの長峰と言います」


 長峰は名刺を差し出した。名刺の端に東都新聞のマークがあった。


「ああ、東都新聞さんの週刊誌ですか。ゴシップとか追いかける。それが何の用です」


 鬼塚は、全く興味が無いと言わんばかりに、キョロキョロと辺りを見ながら長峰のことは見てもいなかった。


「今日は企業を百社以上も集めて大きな発表をしたとお聞きしました。どんな内容か教えていただけませんか」

「ゴシップ週刊誌に話す事は何も無いですよ。お引き取りください」


 鬼塚は、名刺を持った指を振りながら既に後ろを向いていた。


「ちょっと待ってください。私、元東都新聞の記者なんです。そちらともパイプがありますし、悪い記事にはしません」


 長峰の声も虚しく、鬼塚はセキュリティゲートを通って中に入って行ってしまった。

「もう」とふくれて、ヒールでカツンと床を蹴った。


「絶対何かある。絶対記事にするんだから」


 長峰は一ヶ月前まで東都新聞の記者だった。

 優秀な記者で、情報収集能力に長け、いくつものスクープをものにしてきた。そのスタイルの良さと美貌で、峰不二子を文字って「ミニ不二子」と呼ばれていた。「ミニ不二子」と呼ばれる理由は見た目だけでは無い。性格が小悪魔的で、男は誰でも言うことを聞いてくれるものだと言わんばかりの行動がその呼び名を広めさせていた。

 ある時、お偉いさんに色気を振りまいたことがきっかけで不倫疑惑が持ち上がり、収拾がつかなくなって、系列のEMウイークリーに飛ばされたのだった。

 長峰は東都新聞に戻りたいが、簡単には戻れないことは分かっていた。戻るには大きな記事を抜くしかない。そう思っていた。


『所長、外線からお電話です。EMウイークリーの長峰さんです』

「またか。会議で出られないと言ってくれ」


 長峰はあれから毎日電話を掛けてきていた。鬼塚は全く相手にしていなかった。ゴシップ記者に付き合っている暇は無い。それに発表するタイミングは今じゃ無い。もう少し機が熟してから大きなメディアにリークする。それはEMウイークリーではない。


『所長、パラレルワールドについて、だと言っています。出られない、でよろしいでしょうか』


 なぜ、パラレルワールドだと?いや、時空間研究所がパラレルワールドの研究をしているのは周知の事実だ。しかし、あのお披露目に出ていたどこかの企業が口を滑らせたとすると……。


「つないでくれ」

 

『鬼塚所長、今日は面白い話を仕入れて来たんです。聞いてもらえますか?』


 やはりこいつは何かを知っている?


「それは気になりますね。ぜひ聞かせてください」


 鬼塚はいつもと同じように落ち着いた口調で答えた。


『実は、時空間研究所は既にパラレルワールドに行ける技術を開発している、という話を聞いたんです』

「ほう、それは面白いね」


 鬼塚はまだ冷静だ。


『それで、それを記事にしようと思いまして。私なりに想定で書いてみたんです。鬼塚所長に見てもらえないかなと』

「どういうつもりかな」

『やはり、当事者から何も取材しないで出してしまうのは気が引けまして。でも時間が無いんです。来週分なものですから』


 鬼塚は、やられたと思った。これでは無視する訳にはいかないではないか。根も葉もないデタラメ記事を出されるのも、当たらずとも遠からじの記事を出されるのも、このタイミングでは困るのだ。とにかく記事が出ないようにしなければならない。


「長峰さん、分かりました。記事を拝見しましょう。今日の十六時に研究所にいらしてください」

『承知しました。伺います』


 長峰は約束の時間の五分前にやって来た。真っ赤なミニのタイトなワンピース。身体のラインが強調され、特に大きく開いた胸のVラインが目を引いた。ハイヒールは黒のエナメル。ヒールの後ろから見える靴底の濃い赤が強い女を演出していた。


「鬼塚所長、いかがですか?良く書けていると思うのですが」


 鬼塚は驚いた。これは良く調べ上げている。理事長の論文から始まり、先日のお披露目会の様子までバッチリ書かれている。非の打ち所が無い。これはお披露目会に出た企業や研究所のスタッフにまで取材をしていると見ていいだろう。これでは、鬼塚が何を言っても来週世に出てしまうのを止められない。鬼塚がこの記事を肯定したか否定したかという一行が変わるだけに過ぎない。


 そのとき、鬼塚の脳裏に先日の長峰の言葉が思い浮かんだ。元東都新聞の記者でパイプがあると。


「長峰さん、良く書けています。認めざるを得ませんね。でも、これを本当にEMウイークリーに載せたいと思っているのですか?」


 長峰の顔が曇った。


「本当は東都新聞にしっかりとした記事で載せたいのではありませんか。それを見越して、これだけの綿密な調査をしたのでしょう?そして私に内容を確認に来ている。ゴシップ記事の域で取りあげようなんて思ってないのでしょう。違いますか?」


 長峰は険しい顔をして黙っていたが、ふうっと息を吐いて、しょうがないなという顔で口を開いた。


「お察しの通りです。私はこれを東都新聞に一面プラス特集記事で載せたいと思っています。それだけの価値があると思っています」


 記事を載せるタイミングをコントロールする糸口を見つけたと、鬼塚は思った。


「では、そうしませんか。私もその方がずっといい。あなたは東都新聞にこの記事を持って行ってください。私はここに書かれていない情報を提供します。もっと深く正しい情報をね」

「分かりました。でもそうなると、少し時間を掛けて記事を練り直すことになりますね」

「そういうことです」


 鬼塚はこれでいいと安心した。すぐに記事が出てしまう心配は無くなった。後はタイミングをどうコントロールするかだけだ。


 その時、急に長峰が抱きついて来た。

「ありがとうございます!がんばっていい記事にしますので、よろしくお願いします」

 長峰は、抱きついたまま下から鬼塚を見上げ、満面の笑顔だった。笑顔の下には胸の谷間が覗いている。柔らかい感触が鬼塚のお腹の辺りに感じられた。


「な、何を。君、失礼だぞ」


 鬼塚は慌てて長峰を押し退けた。長峰は不思議そうに目を丸くしたかと思うと、次の瞬間笑顔に戻って舌を出した。


「すみません。嬉しかったもので、ちょっと気が緩んじゃいました。また来ます」


 長峰はそう言って、腰の辺りで小さく手を振って部屋を出て行った。鬼塚は無言で棒立ちのまま長峰を見送った。

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