番外編 リキとマイ

交錯する世界

マリアージュ

 バー・アンカーは、カウンターに一輪挿しに季節の花を入れて、それを二つだけ置くのが決まりだ。リキは毎日、白のアンカーの近くの花屋マリアージュで買い、金銀赤青黄白、全てのアンカーに届けていた。 


 マリアージュにはリキが気になっている女性がいた。名前は三崎マイ。年齢は二十五歳。マリアージュの店長で首筋までの短いソバージュが似合う活発な女性だ。


「リキさん、いらっしゃい。今日はコスモスが入ってますよ。お店だとちょっと可愛過ぎるかしら」


 お店に入ると、マイは既にコスモスを花束にして待っていた。

マイはすっかり常連のリキのために、毎日今日のお薦めを選んでくれている。

 常連にもなると、何も言わないのに商品が包まれて出て来たりするものだ。リキもその域に達していて、最近はあれがいい、これがいいと言わないようになっていた。リキは花には全く詳しくなく、最初の頃はマイに、ああでもないこうでもない、あれはどうなのこれはどうなの、と聞いていたが、マイが選ぶ花はいつもリキの想像を超えて気持ちの良いもので、そのうちマイにお任せになっていた。今ではリキが来る時間に合わせて花が用意されるようになっていた。


「いや、そんなことないよ。マイちゃんが選んでくれた花ならバッチリさ」

「じゃあ、いつものように十二本でいい?」

「いいよ、それでお願い」


 リキは、そのうち「今日のお花はこれよ。行ってらっしゃい」なんて風になるのではと思った。それはまるで、新婚の妻が「あなた今日のお弁当はハンバーグよ」なんて渡されるのと同じようだなと思った。


 新婚。とてもいい響きだ。マイには彼氏はいるのだろうか。


「マイちゃん、休みの日ってどうしてるの?」

「休みの日ですか?そうですねぇ。映画観たり、公園で散歩したり、図書館行ったり、のんびりのんびり過ごしてます」

「そうなんだ」

 映画はどうか分からないが、散歩とか図書館はきっと一人だ。

「お酒とか飲めるの?」

「飲めますよ。お店の子と飲みに行ったりしますから」

「そうなんだ」


 お店のスタッフには男はいない。きっと飲みにいくのは女の子とだけだ。リキは良い方に良い方に考えるようにしていた。


「マイちゃん、あの……」

 言い掛けたとき、客が入って来た。

「ごめんなさい。お客さん来ちゃった。また後で」

 マイは接客に入ってしまった。また核心を聞くことができなかった。でも今までの質問の答えを分析すると、男の影は無さそうだ。また明日、別の質問をしよう。


 帰り掛けたところを、もう一人の店員のエリがニヤニヤしながら話し掛けて来た。エリはバイトで大学生だ。


「さっきから何を聞いてるんですか?」

「いや、何でもないよ」

 いや、何でもなくはない。聞きたいことも聞けてない。

「もしかして、マイさんに気があるんですか?」


 エリは興味津々だ。そうだ、この子を味方にして情報を聞き出すのはどうだろう。きっと直接聞くより簡単だ。


「エリちゃん、つかぬことを聞きますが……マイちゃんって彼氏いるの?」

「いませんよ」


 即答だった。ウィンドウの花が、みんなで俺を祝福している。この世の全ての幸せが、この店にやって来たように感じた。


「結婚してますからね」


 俺は今、メデューサを見て石になり、そこをハンマーで叩かれ粉々に砕け散ったかのように意識が遠のき掛けた。


「結婚してるの?」

「はい」

「指輪してたっけ」

「指にはしてませんけど、ネックレスにつけてますよ」


 ネックレス。気がつかなかった。指は何度も何度も見たのに。ネックレスとは。


「結婚して少し太ったとかで、でもしないのは気が引けるからって、ネックレスにしてるらしいですよ」

 リキはマイの首筋を見た。確かに丸い輪っかが付いている。

「残念でしたね」

 エリは、申し訳なさそうな、それでいて面白がっているような顔をしていた。

「大変残念です」

 リキはうなだれて店を出た。恋が終わってしまった。告白もしていないのに。あっけなかった。


 リキはアンカーを回って花を配達しながら、明日からどうしようかと悩んでいた。告白していないとは言え、失恋した相手がいる店に普通の気持ちで行けるだろうか。いっそ違う花屋で花を調達しようか。そんな風に思っていた時、視界にマリアージュが目に入った。

 マイがいた。マイはいつもと変わらず明るく働いている。マイと目が合った。きっと明るく挨拶してくれるんだろうな。でもリキはどう振る舞えばいいか分からなかった。

 しかし、マイは予想と違って、リキには挨拶もせず、まるで会ったことがない人に対するかのように、そのまま仕事に戻っていった。

 おかしい。いつもなら、ニコッと笑ってくれるか、手を振ってくれるのに。そう思った時に気がついた。今は配達中。ここは白の世界じゃないんだ。配達の最後だから赤の世界だ。さっきのマイとは違うのだ。リキの頭に良い考えが浮かんだ。白がダメでも赤に行けばいい。赤のマイは結婚してないかも知れない。そう思うと体が勝手に動いていた。


 リキはマリアージュに飛び込んだ。核心から聞くしか無い。リキはそう思ってまっすぐマイに質問した。


「マイちゃん、彼氏いる?」

「え?あなた誰ですか?」


 マイは明らかに退いていた。不審者を見る目だった。そうなのだ。リキはこの店に来るのは初めてだったのだ。

「ケーサツ呼びますか!」

 エリだ。まずい雰囲気になっていた。リキは、ごめんなさい、と言って店を飛び出した。


 リキは深呼吸をして心を落ち着かせようとしていた。そして思い出していた。マリアージュは、確か全ての世界にあった。その全てにマイがいたかどうかは覚えていない。まずはそこから確認だ。そして、順を追って、白のマイと同じように打ち解けて、仲良くなり、告白するのだ。明日から順に別の世界のマリアージュを回るのだ。


 ────────────────────


 翌日、リキは青のマリアージュに来ていた。

「いらっしゃいませ」

 マイだった。青のマリアージュにもマイはいた。まずは第一関門突破だ。

「あの、一輪挿しに挿す花を十二本欲しいんだけど」

「それでしたら、コスモスがお薦めですよ」

「いや、コスモスは……」

 コスモスは昨日買いましたよね、とは言えない。

「そうですか。じゃあ、どれがいいかなぁ」


 マイは少し悩んでいくつかの花を比べていた。リキはちょっと勝手が違うと思った。白のマイなら、何も言わずに事情を察して好みの花を出してくれる。白のマイがどれだけ自分のことを分かってくれていたか身にしみた。でも結婚しているのでは恋は実らない。白のマイのことは忘れなくてはいけないのだ。まずはそこを確認したくはならない。ネックレス、そうだネックレスはどうなんだろう。見た限り、輪っかは付いていない。結婚してない可能性は大きい。でもそれを確定させなければいけない。


「あの、このお店の名前、結婚って意味ですよね?」

「はい、よくご存知ですね」

 マイはぱっと表情が明るくなった。

「それって、マイ……店長さんが結婚してるから?」

 我ながら、良い質問だと思った。

「そういうことではないです。結婚って意味もあるんですけど、もう一つの意味で、食べ物と飲み物の組み合わせがいいって意味があるんです。ワインの用語なんですけど」


 やった。結婚してるからじゃないんだ。


「花屋って、いろんな花を組み合わせて花束にするじゃないですか。それで、組み合わせがいいって意味に惹かれてつけたんです。お客様にピッタリの花を選んであげたくて」

「それはいい!いいね!」


 マイが作る花束、マイが選ぶ花はいつもそのときの気分にぴったりだ。そこにはそういう意味があったんだな。マイはいつもそんな風に考えていたんだな。


「あ、でも、結婚はしてますよ」


 マイは急に冷静になって左手をリキに見せた。薬指に指輪が光っていた。ネックレスに気を取られて全く左手を見ていなかった。そっちを先に見るべきだろう。

 その日、バー・アンカーの一輪挿しにはまたコスモスが飾られていた。


 ────────────────────


 翌日は黄色の世界に行った。ここのマイには彼氏がいた。その翌日は銀の世界に行った。そこにはマイはいなかった。


 ────────────────────


 リキはぼうっと街を歩いていた。

 やっぱりこの恋は実らないのか。そう思っていた。

 夕暮れの街。オレンジ色の空がもうすぐ色を無くしてしまう。それはまるでリキの恋の行く末のように感じられた。

 もうすぐ新橋の駅。駅には用は無いが、このまま電車に乗ってどこかに行ってしまおうか。いや、どこかへ行くなら、マイのいない世界にトリップするのがいい。そうすれば忘れられる……訳ない。やっぱりマイがいい。


 リキは握り拳を作って顔を上げた。その瞬間、目の前を歩いていた女性に拳をぶつけてしまった。


「痛ーい」

「すみません、大丈夫ですか!……え?マイちゃん?」

「え?」


 マイだった。店の外で会うのは初めてで、私服を見るのも初めてだった。白のブラウスにひざ下くらいの長さのピンクのフワっとしたスカート。フェミニンという言葉はこの人のためにあるのだと思った。こんなところで会うなんて、二人はそういう運命なのだ。


「どこかでお会いしたことありましたっけ?」

 マイは痛そうな、不審そうな、すまなそうな顔で、肩を押さえながらリキに聞いた。


 しまった。ここは何色の世界なんだ。ぼうっとしていて、自覚が無かった。でもこのマイはリキのことを知らない。いや、覚えていないだけかも知れない。とにかく、嫌われていない世界のマイだということは確かだ。ここは大事に行くべきだ。とにかく、知らない路線で会話を進めた方がいいと思った。


「あの、知り合いにあなたによく似た人がいて、その人の名前がマイさんなんだよね」

「え?偶然!私もマイなんです」

 マイの顔がぱっと明るくなった。

「そ、そうなんだ。それは……偶然だなあ、すごいなあ」

 ちょっとセリフが白々しいがしょうがない。

「あ、あの、花屋?……を探していて、それでキョロキョロしてて、それでぶつかっちゃって、すみません」

「花屋ですか!なんて偶然。私、この近くで花屋をしてるんです。良かったら、うちにいらっしゃいませんか?」

 知ってます。偶然ではありません。でもこれでいいのだ。リキは冷や汗をかきながら、第一関門を突破したと心の中で拳を突き出していた。


「どういったお花をお探しですか?」

「え……と、バーのカウンターに飾りたいんだけど、一輪挿しに、一輪ずつ、六つのお店に二つずつ飾るんで、十二本欲しいんだ」


 何だろう、このデジャヴ感。白のマリアージュを最初に訪れたときと全く同じ展開だ。


「そうなんですね。バーのカウンターの一輪挿し、素敵ですね」

 マイはとびきりの笑顔を見せてくれた。

「じゃあ、そうですね、コスモスはいかがですか?今日のオススメですよ」

 またコスモスだ。

「いや、コスモスはちょっと……」

「そうですか、じゃあどれがいいかなぁ」

 ここのマイは何も知らないからしょうがない。でもこの連続したデジャブはどうにかならないものか。


 チリリン。

 店の奥で電話が鳴った。


「マイさん、お電話です」

 エリだ。俺は君を知っている。

「ごめんなさい。ちょっと失礼します」

 ここでエリが出て来るんだ、きっと。

「お客様、代わりにお話を伺います」

 やっぱり。しょうがない。展開通りに会話を進めよう。


「マイさんって、彼氏いるのかな」

「いませんよ」


 即答だった。それで結婚してるって言うんだろう。


「彼氏はいないけど、結婚してるって?」

「いえ、独身ですよ」

「え?」

「はい」


 え?え?え?

 彼氏もいなくて独身!?


 エリがニヤニヤと怪しい目つきをしていた。


「お待たせしました。エリちゃん、ご注文伺った?」

「この方、マイさんが欲しいそうですよ」


 何を言ってるんだ、この子は!?


「え?」

「え?」


 いや、これはチャンスだ。きっとチャンスなのだ。


「マイさん、一目惚れしました。俺と付き合ってください!」


 マイの顔がぽうっとピンクになった。困ったような、恥ずかしいような。押すしかない。


「俺はあなたが好きです。ずっと前から好きだった!……ような気がしています。今日が初めてなんて思えない。これは運命だ。あなた以外にはいないんだ!」


 リキはマイの返事を待った。エリはワクワクした顔で成り行きをうかがっている。


「あの……お友達としてなら……」

 押すしかない!

「はい!それでいいです。でもデートして欲しい。次の休みはいつ!」

「あ、あの……明日……です」

「じゃあ、明日デートしよう!スカイツリーで!」

「スカイツリーですか!?」

 マイが吹き出した。さっきまでの緊張した表情とは全然違うリラックスした笑顔になっていた。

「いいですよ。じゃあ、スカイツリーで」


 やった。やった!

 友達でも何でもいい。とにかく、つながった。


「えと、それで、花はどうしましょうか」

「コスモスで」

 今日もバー・アンカーの一輪挿しにはコスモスが飾られる。

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