交錯する世界

トリッパー・リキ

 リキは小さい頃から変わった境遇にいた。朝起きると違う家にいることがしばしばあったが、両親は何事も無かったように変わらず普通に暮らしていた。リキはそういうものだと思って気にしていなかった。リキに対する周りの反応は「変わった子」だった。昨日のことを覚えていない、さっきと違うことを言い出す、道に迷う、人の家に上がりこむ。見かねた両親は病院に連れて行ったが、勉強も運動もできるし、少し妄想癖があるということで片付けられた。


 小学校の高学年になると、リキは自分の意思とは関係なく、複数の世界──パラレルワールド──を行き来しているということを認識するようになった。肉体はそのままで心だけが入れ替わる、朝起きると違う家にいる、物思いにふけると違う場面に切り換わる、友達と話が合わない、両親と話が合わない、買ったはずの物がない、買ってない物が自分の物としてある。これらの現象は全て、自分がパラレルワールドを行き来していることが原因だと気付いた。しかも、いろいろな自分と入れ替わりを重ねている。このままだと自分や他の自分の人生がめちゃくちゃになると気づいた。


 それからは自分の意思でパラレルワールドの行き来をコントロールできるように訓練した。妄想がトリガーになることを理解した。アンカー ──この時は単に「目印」と呼んでいた──を設定すると、狙ったパラレルワールドに翔べることを習得した。能力を自在にコントロールできるようになったのは、高校を卒業した春だった。


 ある日いつものように、狙いを定めてパラレルワールドに翔んだ時に、それは起こった。翔んだ先には、もう一人の自分がいた。いつもは入れ替わるはずのもう一人の自分がそこにいた。これは、入れ替わりではなく、自分自身がそのまま翔んで来たのだと理解した。


 同時に嬉しくなった。喜びが湧いて来た。


 今までは、パラレルワールドに翔ぶ=相手の生活を壊すことだったのが、これからは自由なのだと思った。誰にも迷惑をかけずに、パラレルワールドを行き来できる。そう思った。


 自由になりたかった。しかし、リキの能力はまだ不安定で、入れ替わったり、入れ替わらなかったりした。


 何度か翔んでいるうちに、おかしなことになっていった。あるパラレルワールドにはリキが二人いる。またあるパラレルワールドにはリキがいない。どのパラレルワールドがどんな状態になってしまったのか、もうリキには分からなくなっていた。元に戻せなくなっていた。


 リキは恐くなった。もう翔んではいけないと思った。リキが翔ぶのを止めた時、その世界には別のリキが存在していた。この世界では暮らせない。かと言って、自分の正しい居場所がどこかは分からなかった。


 途方に暮れ、夕方の雑踏の中を独り彷徨った。人混みを嫌って、街の外れのビルの階段にうずくまった。そこへ、白いワイシャツに黒いズボン、黒のベストに黒の腰エプロンの男が声を掛けた。十二年前のシゲだった。シゲはリキを店に招き入れた。そこは金のバー・アンカーだった。


 リキは自分の身の上を全部話した。信じてもらえるかどうかは関係なかった。とにかく、自分のことを誰かに話したかった。話すことで、誰かに自分の存在を認めて欲しかった。



 シゲは、リキの話を聞き終わると、ここにふさわしい者を呼ぶと言った。しばらくすると、カウンターの中にもう一人のシゲが現れた。もう一人のシゲはグレーのツイードのスリーピースを着ていた。ツイードのシゲは「俺はトリッパーだ。俺の下でトレーニングすれば、パラレルワールドを自由に翔び回る力を手に入れることができる。俺の下で働きながら能力を磨かないか」と言った。


 ツイードのシゲは、六つのパラレルワールドにバー・アンカーを持っていた。それぞれの店にはそれぞれシゲがいて、店を区別するために色を塗り分けた錨のミニチュアが飾ってある。白、金、銀、赤、青、黄の六色だ。


 ツイードのシゲは、不動産で成功した富豪だった。道楽で白色のバー・アンカーをやっていて、同様に他の五つのバー・アンカーにも資金を提供していた。

 六人のシゲは全員マインダーだが、ツイードのシゲはマインダーの能力の他にトリッパーの能力も持っていた。その能力を使って、六つのバー・アンカーにお金や必要な物を供給していた。


 ツイードのシゲがリキに頼みたかった仕事はこれだった。六つのアンカーを翔び回り、必要な時に必要な物を運ぶ、運び屋の仕事だった。

 それからリキは、普段はツイードのシゲの自宅──都内から離れた山奥にある城のような豪邸──に部屋をもらい、運び屋をやりながらトリッパーの能力を磨いた。


 リキは、自分に起きたおかしな状態を元に戻したいと願っていた。ある世界では自分が突然二人になり大混乱が起きている。ある世界では自分が神隠しにあったかのようにいなくなってしまっている。別のパラレルワールドにいる、全く接点のない他人のような存在ではあるが、自分のせいで、別の自分たちや周りの人間が困っているのではないかと考えると、胸が痛かった。リキは能力を磨きながら、いつかこの状態を正常に戻す方法を探していた。



 月日は過ぎ、十二年が経った。リキは三十歳になっていた。恋をしていた。金色のバー・アンカーの近くにある花屋の店員マイを好きになっていた。花屋は金銀赤青黄白のそれぞれの世界にあった。しかしアプローチに成功したのは金の世界だけだった。それ以来、リキはマイに会うために金色のアンカーに入り浸るようになった。



 半年前、ある男と女が黄色のバー・アンカーにやって来た。時空間研究所の仙道所長と助手の高階だった。二人は、波動測定装置や高次元通信装置の開発のことで熱く議論していた。装置はあるがトリッパーが行方不明で実験が進んでいないこと、米国はもういくつものパラレルワールドを発見していることなどが耳に入って来た。それを聞いたリキは、そこに行けば自分の願いが叶うかも知れないと思った。リキはすぐに行動した。翌日、時空間研究所の門を叩いた。

 リキが時空間研究所に行った時、研究所は二つのパラレルワールドを発見していた。トリッパーがそこで行方不明になっていることは少し気になったが、希望があると思った。研究所は、発見したパラレルワールドを識別し、記録している。この装置は、リキがしたいと思っている正しい状態を作る時に役に立つと思った。

 リキは、自分の知っているパラレルワールドを、時空間研究所に記録させることにした。まずは青色のバー・アンカーがあるパラレルワールドに翔んだ。そこはGZK66と標識された。その世界にある時空間研究所に行った時、リキの期待は一気に失望に変わった。


 黄色のバー・アンカーの世界にある時空間研究所は装置を開発し理論も進んでいた。しかし、青色のバー・アンカーの世界にある時空間研究所は全く遅れていた。共同研究は始まったが進展するとは思えなかった。

 失望したリキは、GZK66にトリップするたびに、腕のセンサーを外し、運び屋の仕事をして時間を費やしていた。その世界を調べているふりをして自由に生活を送っていた。三ヶ月後、新しいパラレルワールドを開拓する実験になった時、赤のアンカーがある世界へ翔んだが、リキはもう付き合う気はなく、そのまま金の世界のマイに会いに行こうと思った。いつも別の世界に行く時には腕のセンサーを外していたが、この時はうっかり着けたまま翔んでしまった。リキはまずいと思った。リキはもう自分の知っているパラレルワールドを研究所に知らせるつもりが無かったからだ。特に金色のバー・アンカーがある世界は研究所に絶対に教えたくなかった。マイとの世界を侵されたくなかったからだ。リキはすぐさま腕のセンサーを壊し、研究所とのつながりを絶った。


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 それから三ヶ月経った今、リキは何者かにさらわれた。

 

「どうですかな。リキのこと、少しは分かりましたかな」


 黒服に殴られたのが痛むのか、リキさんを思ってなのか、シゲさんは少し辛そうに見えた。

 リキさんは十八歳まで自分の意思に関係なく、あちこちのパラレルワールドを翔んでいたのだ。普通の人が普通に持っている小さい頃の思い出、リキさんにはあるんだろうか。


 それにしても、怪しいのは時空間研究所だ。研究所がリキさんを連れ戻しに来たというのはよく分かるストーリーだ。でも、研究所は黄色の世界にある。ここは金色だ。いくらなんでも人をパラレルワールド間で翔ばせる技術は無いはずなのだ。そうなると、どうやってここに来たのかという問題が解決しない。新しい技術が開発されて、リキさんの居場所が分かり、しかも黄色から金色に翔んで来なければならない。そんなことができるようになったのだろうか。

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