第9話 鏡

『夏休みに、田舎に一人で旅行に行ったんだ。中古車を親に買って貰ったこともあって、テンションが上がっていたんだよ。思い切っての遠出だった。


 東京に戻る道すがら、打ち捨てられた廃村があることを思い出して、足を伸ばしてみた。過疎化の為に捨てられて、数十年になるはずだ。


 廃村の入り口には、一応立ち入り禁止の立札が立っていた。車をその前に停め、雑草を踏みしめて先に進んだ。


 少し歩くと、集落の跡が見えてきた。案の定、建物は木造ばかりで、ほとんどが全壊しかかっていた。


 人一人いない廃墟の群れってのは、思っていたよりも不気味だった。


 視界の隅に社が見えた。目的なんて特になかったけど、何となくそこに向かった。


 石造りの鳥居は苔生していて、拝殿は半分ほど崩れていた。中に入っても、恐らく床板も腐っているだろう。怪我をするのも嫌なので、更に奥殿に回り込んでみたんだ。


 奥殿は人一人分の高さしかない小さなものだったんだが、拝殿よりも余程がっしりした造りで、壁板も見るからに厚く、内部は殆ど昔の儘であることが窺われた。


 何だろう、この厳重さは?


 錠前は釘で扉に打ち付けてあったけど、赤錆だらけで大分弱っていそうだった。

それなら、と思い切り力を込めて観音扉を開いた。


 何度か無理に開けようと扉を引っ張ると、ついにバキ、と音がして錠前が外れた。


 ギギ、半開きになった扉を更に広げた向こうに、人の顔があった。


 にやああり、といやらしい笑みを浮かべたその顔を見て、俺はぎょっとした。


 でも、すぐに、それが鏡であることに気が付いたよ。鏡が歪んでいるために、自分の顔が笑っているように見えたみたいだ。


 俺は、拍子抜けしてその場を後にした。


 その後、バイト仲間や友人、彼女に、

「何で、そんなニヤニヤ笑ってるの?」

と聞かれることが多くなった。


 全く無意識だったし、これまでそんなことは殆どなかったから、自分でも混乱した。


 最初は何とか周りを誤魔化していたが、段々皆気味悪がったり、露骨に嫌な顔をしたりするようになった。


 彼女には、当分会いたくないと言われたよ。メールしても返事来ないし、多分このまま関係消滅かも知れん。

 

 彼女に事実上別れを告げられた日、俺は自分の部屋の洗面所で、鏡を見ていたんだ。自分の顔をじっくり眺めてみる。


 うん、おかしなところは無い。多分、疲れてるから、無意識にストレス発散のためにニヤついていただけなんだ。


「お前は誰だ」


 ゲシュタルト崩壊で有名な話を思い出し、ふざけて鏡に向かって言ってみる。

鏡の中の自分が、にたりと笑った。


「!?」


 俺は笑ってなんかいないはずだ。指で触って確かめてみる。やはり笑っていない。


 硬直した俺に向かって、鏡の中の俺はにたにた笑いながら、右腕を上げた。


 俺の左腕が上がる。


 奴が左腕を上げる。


 俺の右腕が上がる。


 奴の左手が髪を掴む。


 俺の右手が俺の髪を掴む。


 そのまま俺の頭をぐるぐる回す。


「や、や、ややや、やめろおおおお~~~~~!!!!!」


 気が付くと、俺は鏡に向かってぜいぜい息をしていた。


 これが、つい三日前のことなんだ。


 なあ、見ていてくれよ、俺が、これからすることを』


 友人のKはそう言い、校舎の一角にある姿見に向かって、じゃんけんをした。


 Kはグー、鏡の中のKは──


 パーを出していた。


 鏡の中のKが満面の笑みを浮かべている。Kは、今にも泣きそうな顔で俺を振り返って、


「なあ、助けてくれよ」


と震える声で言った。


俺は事態が掴めきれず、何も言えずにいた。すると、Kは突如走り出した。


「助けて!!助けて!!」

と泣き喚きながら、そのまま窓の外に身を投げた。


 呆然として立ち尽くす俺に、鏡の中の俺が、にやりと笑いかけてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る