第22話 足跡が消えてしまわないように
ちらちらと舞う雪は静かにゆっくりと街を白に染めていった。
僕らはスピーカーから流れるクリスマスソングを聴きながら白い雪の上を歩いた。
袖にふわふわの茶色混じりの白い毛がついた真っ白なコートに身を包んだ世羅はエレガントでずっと年上に見えた。
「明日、付き合って欲しい場所があるんだけどいい?」
昨日の帰り際、世羅はそう言った。
どこ? と僕が聞いても、「明日のお楽しみ」と世羅は笑うだけだった。
そして、こうして歩いている今も僕はどこへ向かっているのかわからなかった。
ただ世羅の足先の向かう方へと一歩遅れて足を進めていた。
僕らは弱々しい太陽の光が射す日曜日の午後をただただ歩き続けた。
赤煉瓦倉庫街を抜け、石造りの橋を渡り、駅前を過ぎ、急な斜面で有名な地獄坂を息を切らして上りきり、そして市が経営している大きな自然公園の前で世羅は足を止めた。
「ここ?」
「あそこ」
世羅は階段の上を指さした。
長い階段を上ると中央の噴水を囲むようにして円形の広場が広がっていた。
久しぶりだった、ここに来るのは。
夏になると噴水は水を踊らせる。
水を掛け合い遊ぶ子供達の声が響く賑わいの場所になる。
けれど、今は僕らの他には誰もいなかった。
噴水は雪と氷でコーティングされ、見ているだけで凍えてしまいそうだった。
世羅はそんな噴水の前に立ち腕をいっぱいに広げた。
「ここが、私の一番好きな場所。マイベストプレイス」
「…………」
「もう一度見ておきたかったの、ここを」
どんな言葉を返せばいいのか。
優しく微笑む世羅の顔を見つめながら、僕は今まさにこの場に相応しい言葉を捜索していた。
「…………」
静かな場所だよね。
違う。
氷の噴水も良いね。
違う違う。
綺麗だよね、雪と氷の世界って感じで。
…違う。
「あああぁぁぁぁっ!」
!?
世羅は大声を出し走り出した。
なに!?
えっ。僕は、…どうすればいいんだ?
はっ! もしかして、鬼ごっこ開始の…雄叫び?
振り返り、世羅の後を追おうとすると、幻想的ともいえるパノラマが飛び込んできた。
雪化粧を施された街はちらちらと輝き、そのキラメキを縁取るように海が広がっていた。
そしてその背景には、雪を着込んだ山々がベールのように連なっていた。
僕はその景色に目を奪われ、踏み出した足を止めた。
ここに立って景色を眺めたことは何度もあったと思う。
けれど、今僕の目に映っている景色を僕は知らなかった。
さっき上ってきた階段の前で世羅は立ち止まった。
僕はぎゅっと足音を立てながらゆっくりと世羅の方へと歩いた。
「いつ見ても綺麗。真樹君、知ってた? この景色」
「冬の景色は初めて見た。こんなに変わるんだ」
「うん。意外と知ってる人少ないかもね。だって、こんな寒い冬にここに来る人なんてそういないでしょ」
確かに。
「私ね、初めてこの景色を見つけたとき、あまりにも感動して泣いちゃったんだ。中学生のときだったんだけどね」
世羅は前方に広がるファンタジックな景色を見つめて言った。
「一人でね、学校からずっと歩いてここに来たんだ。最初はね、別にここに来ようなんて思ってなかったの。でもね、どんどん歩いてたらね、なんかこの近くまで来ちゃってて。それで、何気なくこの公園に入ってみたんだ」
「学校からって、遠すぎない? そんな、ずっと歩いてなんて」
「ずっと、そうだね。ずっと歩いたね。授業を三時間目で早退して、それからここまで、うん、ず~っと歩いたなあ」
世羅は景色に向かって目を細め、優しく微笑んだ。
「早退? うん? なんか、あったのその日」
「特にその日になにかあったってわけじゃなかったんだけどね。嫌になっちゃって。これから先もずっとこうなんだって、そう考えたら」
「嫌? 学校がってこと?」
「うん…。そうだね。学校がってことかな」
「星愛の中等部もやっぱり大変なんだよね、授業とか」
「授業とかは別に大変でもいいの、私は。星愛っぽいって笑われるかもしれないけど、そんなに勉強嫌いじゃないんだ」
「それじゃ、なにが?」
僕がそう尋ねると、世羅は目を閉じ首を三回縦に振った。
そして目を閉じたまま言った。
「私ね、ずっと一人だったの。中一の秋くらいからかな。クラスの中心だった女の子グループにね、嫌われちゃってね。あっ、もちろん、私は何もしてないよ。でもね、あるの、女の子にはそういうことがね。なんか気にいらないって理由で仲間外れにしちゃうようなことが。それで、その子達がクラスの他の子達に色々と根も葉もない私の悪い噂を流して、気付いたら私は一人になってたんだ。誰も口をきいてくれないし、目が合ってもすぐ逸らされて。休み時間とか本当に嫌でね。みんなが楽しそうに話しをしてるのを聞きながら、私は一人で本を読んで過ごしてたの。どのアイドルがかっこいいとか、あの店にこんな可愛いものが売ってたよとか、そんな周りの声を聞きながら」
一呼吸分おいて、世羅は続けた。
「それでもね、頑張ろう頑張ろうって自分に言い聞かせて学校に通ったの。いつかはきっと良いことあるんだってそう思いながら。でもね、やっぱり一人は辛くてね。慣れられるようなことではないんだよね、そういうのって。それで中ニの冬にね、もうダメだ、もう耐えられないってなって、学校を早退して、歩き回った末にここに着いたの。綺麗だったな、本当に。涙が出ちゃうくらい」
僕の知っている世羅は、明るくて活発で、とにかく元気全開な女の子だった。
そんなに辛い過去があったなんて、世羅の言葉を聞いた後でも「そうだったんだ」と上手く理解することが出来なかった。
誰にも口をきいてもらえず避けられる世良。
休み時間の賑わいの中一人黙って本を読む世羅。
想像することすら出来ない。
「それからね、辛くなったときにはここでこの景色を眺めるようにしてるの。春夏秋冬、季節で景色は全然変わるの。でも、やっぱり冬のこの景色が一番綺麗。この街は雪が似合うのよね、すごく」
「今の世羅を見てると信じられないけど…」
僕は世羅の横顔に言った。
「辛かったときがあったんだね」
「でも、もうこれが当たり前のことになっちゃてるから。慣れることはやっぱり出来ないけど、それでも頑張ることは出来るようになってきたと思うよ。これも努力の賜物よね」
これが当たり前のこと?
「うん? どういうこと?」
「中等部、高等部。顔ぶれは変わらないでしょ。まあ、高等部になると二クラス増えるから、その分新しい人達も入って来るんだけどね。それでも、難しいでしょ? こういう話しってすぐに伝わるから。ほらほら、あの子。話ししない方が良いよ。中等部からずっと一人でああしてるんだから。気をつけた方が良いよって。そういうことっ」
ねっ!
世羅は首を傾げ、右目をぱちりとつぶった。
いつもだったらとろけてしまうようなメロメロウインクだった。
「…そういうことって、世羅、今も……」
「何度も言わせないで。一応これでも気にしてるんだから、自分なりに」
「今までそんなこと…」
「もう!」
世羅は屈んで足下の雪を手ですくった。
バフっ。
「…………」
「何度も言わせないでって言ったでしょ」
バフっ。
アゲイン…。
「……」
「真樹君が知ってる今の私が私、だからね」
雪はやっぱり冷たくてどんな味もしなかった。
「真樹君には同情されたりしたくないんだ。私のたった一人の友達だから」
世羅は腰に手をあて、力強くそう言った。
「…う、ん」
顔の雪を払いながら、僕はそう言った。
僕らは来た道をまた長い時間をかけて歩いた。
世羅は学校生活についてもう何も言わなかった。
だから僕ももう何も聞かなかった。
でも、正直、とてもショックな話しだった。
僕が知っている世羅は明るくて活発で時々ちょっと激しいアクションをとる、そんな女の子だった。
きっとクラスでも人気があって、友達も多いんだろうと、そう僕は勝手に思い込んでいた。
僕のそんな想像と全く逆の現実を世羅が過ごしていたなんて…。
「考えごとしてるでしょ。今」
鋭い睨みの横目からゆっくりと視線を外して僕は適当なことを言った。
「似合うなって、思って。そのコート」
「本当にそんなこと考えてたの?」
頬に突き刺さる切れ味の良すぎる視線に耐え、僕は笑って言った。
「なんかお姉さん、みたいだよ」
「…なにそれ?」
「仕事の出来るセクシーなOLって感じで」
…。
……。
世羅が屈んだのを見て僕は走った。
「あっ! 待て!」
世羅は両手に雪を持って、走って追いかけて来た。
「もうっ!」
バタン。
…大転倒。
女の子がこんなに豪快に転んだところを初めて見た…。
世羅はダイブするように前のめりに転んだ。
「大丈夫?」
返事はなかった。
世羅は倒れたまま起き上がらなかった。
「世羅?」
「…うぅぅん」
「大丈夫?」
「ダメ……」
右手を僕の方へと伸ばし世羅はそう言った。
雪まみれの手袋を握り、僕は世羅の手を引いた。
世羅は雪の上にぺたんと座り、体についた雪を払った。
「真樹君が逃げるから」
世羅は前髪についた雪を指で落とし、唇を尖らせ言った。
「怪我、してない?」
「うん。たぶん」
「そっか。それなら良かった」
「でも、一人じゃ歩けないかも」
「うん? 痛いの?」
世羅が僕の手を引いたので、僕は手を引き立ち上がらせた。
「どう?」
「歩けないかも…」
「本当に? それじゃ、どうしよう。少し休んでから歩く?」
世羅は首を振った。
「引っ張ってくれれば歩けるから、大丈夫」
「引っ張る?」
「うん…」
「…うん?」
…。
……。
沈黙が流れた。
世羅は俯いて、手袋についた雪を払っていた。
僕はそんな世羅を見ながら、胸の中でエールを送っていた。
「それでも男か? 男なら女の子に恥をかかすな! 頑張れ! 自分」
三数えたら、世羅の手を取るんだ。
それじゃ。
三、二…………、一。
「連れて行ってあげるよ。お嬢様」
僕は右手を出した。
「お嬢様は余計だけどね」
世羅は僕の手を取った。
「それじゃ、よろしくお願いします」
気付くと世羅は僕の隣を並んで歩いていた。
足は? と尋ねると、世羅はわざとらしく膝のあたりをさすった。
「駅に着くまではずっと痛いかも」
「着くまでは?」
「そう」
そう言って、世羅は繋いだ僕の手をぎゅっと強く握った。
「だから、あともう少しだけよろしくねっ」
「どうぞ、どうぞ」
片目を細め、悪戯っぽく微笑む世羅のセクシースマイルから視線を外し、僕は繋いだ手を軽く振った。
「真樹君」
「うん?」
世羅は僕の腕を振り回した。
「ありがとう。今日のことはずっと忘れないから!」
「うん」
世羅の手の動きに合わせて、僕も腕を回した。
お年寄りにはお勧め出来ないヘビーな体操状態だった。
ポキッと肘の関節が鳴る音が聞こえ、僕らは顔を見合わせて笑った。
「世羅でしょ?」
「ううん。違うよ。真樹君でしょ」
「いやいやいやいや。世羅だって」
「私じゃないって!」
ドンっ!
世羅の体当たりに僕は態勢を崩し転びそうになった。
「はははは。夢だったら、ずっと遠くまで飛んじゃってるよ」
「だね。間違いなく」
そして僕らはまた手を繋ぎ足跡を残し歩いた。
この足跡が消えてしまわないように……。
そんな歌詞にしか使えなさそうなセンチメンタルなことを僕は考えていた。
いつか今日のことを歌にしたりするのかもしれない。
好きな女の子の手を握って歩いた冬のある日のことを。
切なくて儚い恋の歌に乗せて。
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