第16話 やってこない夢

 ギターを手に僕はひたすら曲作りに没頭した。

 曲の幅を広げようと、レンタル屋へ行き普段聴かないようなCDをたくさん借りて聴いた。

 クラブミュージック、スウェディッシュポップ、R&B。

 どのCDも個性があって、そのアーティストならではの雰囲気に満ちていた。

 そうやって耳に残った新しい発見を加えながら僕は曲作りに打ち込んだ。

 

 僕は止まらなかった。

 ノンストップで音を立ち上げていった。

 そのせいでベッドでの睡眠時間は減り、教室の机で寝る時間が増えた。

 担任の怒り百パーセントの怒声にガタンっと机を揺らし、ラジオの呟き声を子守歌代わりにぐっすりと眠った。


 燃えていた。自分でもわかるくらい燃えていた。

 けれど、そんな日々が一日、二日、三日と過ぎて行くにつれ、僕の心には不安が広がっていった。


 世羅の転校の話しを聞いたライブの夜から今日でちょうど十日が経っていた。

 夢を見るのは当たり前のことのようになっていた。

 何をしなくても、何を考えなくても、いつもの夢は訪れた。

 だから僕は不安だった。


 この十日間一度も夢を見なかった。


 もしかしたら、世羅になにかあったのかもしれない……。


 不安は寂しさを巻き込み爆発寸前だった。


 


 補習を受けていた祐介を置き去りにし、僕は足早に学校を出た。

 世羅の話しだと、月水金は七時間授業だということだった。今から向かえば、学校帰りの世羅を待って会うことが出来るはず。

 僕は星愛に向けて自転車を走らせた。

 僕はペダルを踏んで、踏んで、踏み続けた。


 星愛の正門から道路を挟んだ向かい側にある文房具屋とパン屋の間で待機することにした。

 堂々と正門の前で待っているのは気が引けた。お嬢様達の好奇の視線は冷た過ぎるような気がした。それに世羅だって困ってしまうかもしれない。前にカフェで世羅のクラスメートに会ったときのことを思い出した。世羅は本当に困った顔をしていた。出来ることならそういった面倒を招くようなことは避けたかった。


 正門からお嬢様達が出てきた。みんな髪の毛は黒く、スカートは膝よりも下だった。

 お嬢様達の集団は静かにさっと流れるように門を抜け、去って行った。大声で話したり、キラキラした声で笑ったりするような女子高生らしい子はいなかった。

 僕はライムグリーンの自転車を探した。

 けれど、なかなか世羅は現れなかった。

 店の外に立ち、腕を組んで辺りの様子を眺めている文房具屋のおじさんに怪しまれないよう、僕は携帯電話でメールを打っているフリをしながら、道路の向こう側の様子を覗っていた。


 そうやって十分ほど待ち続けていたとき、ライムグリーンの自転車が門から出てきた。

 風になびく黒く長い髪の毛。世羅だ。

 世羅は颯爽と自転車を漕ぎ、星愛の裏門の方へと続く路地へと入っていった。

 自転車を反転させ、僕は急いで彼女の後を追った。

 信号を渡り、路地へと入り、お好み焼き屋の前を通り、大通りを国道沿いに走り、安さで有名な業務用スーパーを通り過ぎ……。


 ……追いつけない。


 早い。かなり早い…。甘く見ていた。


 姿を捕らえることが出来ても、その距離はゆっくりとしか縮まらなかった。


 結局、追いついたのは、それからしばらくペダルをフル回転させ続けた後だった。

 世羅は大きな建物の前でスピードを落とし自転車を降りた。

 僕は最高速度を蹴り出していた。

 ペダルはカラカラと空回りし、これ以上の回転は無意味だった。

 建物の前に着くと、ペダルに足を乗せたまま両手でブレーキを握った。


 キイイィィィッ!! 


 強烈なブレーキ音が響いた。


 そしてその音に振り向いた世羅と目が合った。

 僕は自転車を押しながら駆け寄った。


「ええぇっ? 真樹君、どうしたの? なんでここに?」


「世羅を追いかけてたんだけど、追いつけなくて。で、ここにいる」


「追いかけてた?」


「うん」


「どこから?」


「星愛から」


「えええぇぇっ!? なんで?」


 世羅は驚き続けた。


 僕らは自転車置き場と書かれた駐輪場に自転車を停め、建物の入り口に並んだベンチの一つに腰掛けた。

 ここの建物の三階は図書館になっているらしく、世羅はそこへ借りていた本を返しに来たとのことだった。

 僕は世羅にここに来た理由を話した。

 最近夢を見なくなったこと。いつも見ていたのに突然見なくなったから、もしかしたら世羅になんかあったんじゃないかと思って心配になっていたこと。


「だから、今日星愛の前で待ってたんだけど、世羅が早すぎて、着いていくのがやっとで」


「全然気付かなかったよ、真樹君がいること」


「道路の反対側にいたからね。なんか、女子校の前で堂々と待ってるのって、なんか恥ずかしくて」


「正門の前で待ってたら、きっとみんなにすごい見られたと思うよ。誰、誰? 誰を待ってるんだろうって」


「……でしょ。それはなんか想像ついた」


「うん。でも知らなかったな、追われてたなんて」

 そう言うと、世羅は笑った。

 口元を押さえる、いつもと変わらない可愛くて上品な笑い方だった。

「私もね、気になってたの。真樹君が夢に入ってるって全然感じられなかったから」


「なんでだろう。ちょっと前まではこんなことなかったのに」


「うん」

 世羅はゆっくりと頷いた。

「だからね、もしかすると、私を避けるためにそうしてるのかなって、思ったりもしてて。ライブの日転校の話しをしてからでしょ? 夢見なくなったのって」


「ん? そうしてるって、なに?」


「遅く寝てるのかなって」


 確かに遅く寝ていた。

 曲作りに夢中になっていて、寝るのは三時を過ぎてからだった。


 う…ん…? あ、れ…?


 そういえば、いつか世羅は言っていた。ベッドに入って眠くなったときに僕が夢を見ていると感じて、じゃあ、行こうと僕の夢の中へ向かうと。


 「あっ」


 そっか。そういうことか。

 忘れていた。すっかり忘れていた。


「ごめん……。忘れてた。そうだったんだよね、俺が先に寝てないと世羅は登場出来ないんだよね? 俺の夢に」


「うん、そう」


「ライブの後からさ、曲作りに夢中になってて、寝るの三時過ぎだったんだ。四時くらいになったときもあったんけど」


「そっか。そうだったんだ。私も変な思い過ごししちゃってたみただね」


 夢を見なかった理由。それは、ただ単に世羅よりも遅く寝ていたってだけのことだった。


「あれ? でもさ、夢自体を見なかったんだけど、それはなんか関係あったりしないのかな? 世羅は登場しなくてもさ、見てもおかしくないでしょ? あれだけ頻繁に見てた夢なんだから」 


「それはきっと忘れてるだけよ。夢ってすぐに忘れちゃうでしょ。覚えてなくても人は夢を見てるのよ。たぶん、私が真樹君の夢の中に登場することによって、その夢に強烈なインパクトが加わるでしょ? スペシャルキックとか、強烈でしょ。だから私が真樹君の夢にお邪魔したことは忘れないで覚えているんだと思う」


 なるほど。

 僕は大きく頷いた。

 確かにインパクト大だ。

 あんなに強烈な印象を残されたら忘れられなくて当然だ。

 それに、僕も寝る前はいつも夢を見られるようにと、あのベンチの風景を考えながら眠りについていた。


「それじゃ、今日からまた少し早めに寝ようかな。そうすれば、会えるでしょ、また夢で」


「そうだと思うけど。でも、真樹君、曲作り忙しいんでしょ?」


「それは大丈夫。必要以上に出来てるから。それに、最近やばくて。学校で寝てばっかりだったし。これ以上続くと、担任にどんな目に遭わされるか。あっ、そうそう。世羅の方は? 転校の話しどうなったの?」


「うん……」

 世羅は口をすぼめ、不満そうな表情をした。

「やっぱり、決定。二学期が終わったら、すぐに向こうに行くことになったよ。学校の方にももうお母さんが連絡して、同じぐらいのレベルの学校で編入できそうなところを今紹介してもらってるところ。まあね、きっと次の学校も今と変わらないような女子校だと思うけどね。期待は全然してないよ。期待度ゼロ」


「明日のことはわからないっていうでしょ? 期待していなくても、実際行ってみたら最高に楽しいかもよ」


 明日のことはわからない――


 僕はその言葉に力を込めて言った。

 十七年間生きてきて一番のサプライズは世羅との出会いだ。

 あの日、突然しかも夢の中に現れた世羅。いきなり僕を蹴り飛ばし、時計塔を破壊し、人の夢の中をめちゃくちゃにした彼女。そして、そんな激しいアクションを繰り出すエスパー少女はものすごく可愛い女の子だった。

 絶対に予想することなんて出来なかった出会いだった。

 わからないものだ。未来というのは、うん。


「そうだったら、良いけどね」

 世羅は呟くようにそう言った。


 

 図書館で本を返した後、僕らは自転車を押しながら大通りまでの道のりを歩いた。

 道路沿いに立ち並ぶ団地の影が赤い夕陽をカットするように等間隔で地面に黒を落としていた。


「それじゃ学校で眠くて仕方がないでしょ? そんなに遅くまで頑張ってるんだから」


「大丈夫、ほとんど寝てるから」


「怒られない?」


 「授業中に夢を見るな! 夢とは叶えるものだああぁぁ!」


 僕は担任の真似をした。


 世羅は目を細め笑った。

「ホント楽しそうね。羨ましいなあ」


「寝てるところにいきなりそう来られたら、全然笑えないんだけどね。びくっとして机をガタンって蹴っちゃったりして」


 僕は肩を揺らして見せた。


「はははは!」


 楽しそうに笑う世羅の笑顔は眩しすぎた。

 この笑顔を見れるのもあと三ヶ月かと思うとたまらなく寂しい気持ちになった。


「でも、最近そんなに曲作りに夢中になってるってことは、もしかして、またCDを作る予定があるの? 二か月連続リリースとか。ほら、よくあるじゃない、そういうの」


「そういうわけじゃないんだけどね。でも、とにかく今頑張らなきゃって思って。前にも話したと思うけど、卒業したら東京で勝負したいし」


 世羅に会うためにも。

 そう付け加えたかったけれど、もちろんそんなことは言えなかった。


 君のために――――


 きっと、どれだけ時間が経っても言えない言葉だと思う。こういう言葉をさらりと口に出来る悟史は只者じゃないと思った。


「うん。私もね、あの日真樹君に転校の話しをした後、帰り道でね、ふと思ったんだ。そうだ、スティールは卒業したら東京に行くんだって。そう思ったらね、気持ちがすごく楽になったんだ。でも、行くのはやっぱり嫌だけどね」


 子供って大変。親がいないと何にも出来ないから。足下の小石を蹴り、世羅はそう付け加えた。


 

 なんとしてでも、東京で夢を叶えないと。

 僕はきつく胸に思いを込めた。


 

 大通りは赤一色染まっていた。


「それじゃ、真樹君、また……。あっ! 夢で会うのは難しいかな」

 唇に指をあて、世羅は考え込むように視線を足下に向けた。


「大丈夫だよ。今日からはちょっと早く寝ようと思ってたから。二時前には寝ようと思ってたから。ほら、これ以上授業中に寝ちゃうとさ、さすがにね、やばいから」


「そう? 私は変わらず二時に寝てるから。それじゃ、また夢で…、かな?」

 世羅は首を傾げ言った。


 髪の毛がふわりと揺れた。


「うん。オッケー。また、夢で」


「了解」


 世羅は片目を閉じて微笑んだ。


 

 忘れられない笑顔がまた一つ増えた瞬間だった。  

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