第15話 情熱の炎

 僕と祐介が一番乗りだった。


 マスターはホールで照明の位置を調整していた。


「いやあ、今日は楽しみだよ。君たちの軌跡の一つになるライブになることを願ってるよ。よろしくね」


 僕らはマスターに挨拶をし、楽屋で制服を着替えた。


 気分良し、体調良し、調子良し。

 トリプルAの最高のコンディションだった。


 六時間目の授業を爆睡して過ごせたお陰かもしれない。

 通称「ラジオ」と呼ばれている倫理の先生は一方的な呟き的授業を展開する。誰が寝ていても、誰がこっそり携帯をいじっていようと、お構いなしだ。ただ、成績表にちょっとしたランクダウンを施すだけだ。


 悟史と学は、対バンのバンドのメンバーと一緒に登場した。


「マジびびった。中学のとき一緒のクラスだった奴、コイツ」


「よろしく~~~っ!」

 長い後ろ髪を金髪に染めたピアスだらけの男が言った。


 こうやってライブをやるごとに一人二人と顔見知りが増え、仲間が増えていく。

 サウンドは人と人を繋ぎ、音楽は心を結ぶ。

 最高だ。音楽って、バンドって、最高だ。うん。


「真樹、学、急いでよ。リハ逆順だよ。俺らからだからね~。あっ、ほらっ! 祐介がもうステージに立ってるよ」


 僕は手を上げ、ギターを持ってステージへと上がった。


 

 オープンしてから一時間の間は客足がまばらだった。

 チケットはどのバンドもそこそこの売れ行きだとマスターは言っていたけど、ホールの状態は寂しいものだった。お客さんの数は出演バンドのメンバーの数と同じくらいだった。

 ステージで演奏しているバンドを盛り上がるためにもと、僕らもホールに出てお客さんと一緒に盛り上がった。最近よく耳にするロックバンドの曲だったので、僕らは一緒に歌い、飛び跳ね、腕を振った。

 二バンド目のステージの途中から人が次々とホールを埋めていった。そして、四バンド目の演奏が始まる頃にはホールは気持ちが良いくらい人でいっぱいになった。


「真樹、真樹」

 悟史が僕の肩を叩いた。


「チケット、何枚売った?」


「十三、四枚かな」


「俺は何枚売ったと思う?」 


 聞いて聞いてと言わんばかりに、悟史は自分を指さし言った。


「二十五枚」


 バンド内で一番チケットを売るのは悟史だ。

 一人で三十枚くらい売ったときもある。


「残念! 三十五枚! 記録更新~~!」


「すげえ……」


「誰かにチケットを売る、その誰かに友達も呼んでよってまたチケットを渡す。その繰り返し。だから実際俺が直接売ったのは、二十人もいないよ」


「それで、本当にそんなに売れる?」


「そう、売れるの。愛があればね。愛だよ、愛。ハート」

 悟史は両手を合わせ、ハートの形を作った。


 良いテンションだった。

 ライブ前のテンションはこのくらい高くないと。

 僕もハートを作り、悟史のハートに重ねた。


「真樹の愛ゲット~~! 運命ボーイゲット~!」


「悟史、ほら、終わったぞ、前のバンド。そろそろ切り替えてくれよ、ライブモードに」


「大丈夫だよ、祐介。このハートこそがライブモードに入ってる印だからさ」


 ステージに向かい、セッティングを済ませると、いつものように僕らは暗幕の裏に下がった。


 僕は腕を広げ深呼吸をした。

 いつもよりも一段と濃い興奮に胸は早い鼓動を打っていた。

 

 Kid Aが流れた。


「それじゃ、行くぞ」


 ――――おーー!


 僕らは肩を組み、気合いを入れた。



 ステージに立つと、ホールは実際よりもずっと広く見えた。

 僕らの名前を呼ぶ声がホールのどこかから聞こえた。

 そしてその声に混じって、聞き覚えのある声が聞こえた。


「真樹くんっ!」


 四小節のドラムのフィルインが終わると同時に、僕はピックを振り下ろした。

 サウンドが弾け、照明が一斉に輝いた。

 いつもライブに足を運んでくれる女の子、北高の友達、バンド仲間。見知った顔が見えた。

 イントロが終わり、歌を歌い始めたそのときだった。三列目辺りで人に揉まれながら手を振る世羅を見つけた。

 僕と目が合うと、世羅は恥ずかしそうに笑った。

 僕は歌った。

 この瞬間を感じ、この瞬間に声を張り上げた。


 シルエットを演奏する前に今日CDを作ってきたことを話した。


 僕らにとっては初めてのCDで、まだまだ未完成だけれど、それでも最高と呼べるそんな作品が出来た。 僕はざわめきだらけのホールに向かってそんな話しをした。

 そして、今夜のラストナンバーに繋いだ。


「それでは、CDにも収録している曲で、今日のラストの曲です。シルエット」


 

 世羅はずっと歌っていた。

 約束通り、一緒に歌ってくれた。

 興奮のせいか、感動のせいか、歌を歌う世羅の姿のせいか涙がこみ上げてきた。

 今まで感動を見たり聞いたりして涙ぐんでしまうことはあったけれど、自分で体験したことはなかった。

 変な涙だった。

 思いっきり大きな声で笑いたくなった。


 


 ライブが終わると、僕はホールに出た。

 ホールの入り口で悟史と祐介が大きな声で「CD売っています!」と言っているのが聞こえた。

 僕はアンケートを回収しながら世羅の姿を探した。

 世羅はホールの隅でしゃがみ、バックを台代わりにしてアンケートを書いていた。


「今日は、ありがとう」


 僕は世羅の横に立ち声をかけた。


「あっl! 真樹君!?」

 世羅は立ち上がり、軽く頭を下げ、そして言った。

「今日は感動をありがとうございました! あまりにも感動して、涙が出ちゃった」


「いえいえ、こちらこそ。ありがとうございました」

 僕も頭を下げた。


「あっ、ちょっと待ってね。今書き終わるところだったから」


 世羅はまたしゃがみこみ、バックを台にしてペンを走らせた。


「はい、これ。今日の感想」


「うん、ありがとう」


「あのさ、真樹君。今日ってこれから少し時間……」


「まさきく~ん!」


 いつもライブに来てくれている女の子達が駆け寄ってきた。


「一緒に写真撮ろう。今、CD買ってきたんだ。CDと一緒に記念に一枚お願いしま~す」


「ほら、真樹君、呼ばれてるよ。早く行って、ほら」


「でも……」


「早く早く!」


 世羅は僕の背中を押した。


 

 写真を撮り、世羅のところへ戻ると彼女はもういなかった。

 ホールを抜け、外に出ると、自転車を漕ぐ世羅の後ろ姿を見つけた。

 僕は走った。


「世羅!」


 声は届かなかった。


 僕は全力で走った。


 コンビニの角でようやく世羅に声が届いた。


「……やっと。追いついた…」


「どうしたの?」


「どうしたのって。さっき、話しの途中だったでしょ…。今日、これから、はあ、はあ。時間、あるかって」


「それで走ってきてくれたの?」


 僕は頷いた。

 そして額の汗を手の甲で拭った。


「それは、やっぱり大丈夫。また今度で良いよ」


「そんな、中途半端で終わられたら、気になるだろ。ちょっと、待ってて、楽器片付けてそれから戻るから。ここで待ってて」


「大丈夫だって」


 僕は世羅の言葉を無視し、来た道をまた走って戻った。


 


 ホールに戻ると、メンバーはホールの入り口でマスターと話しをしていた。


「あっ! 真樹、どこ行ってたんだよ」

 学はスティックケースで僕の脇腹を突いた。


「いてっ。わりい」


 僕は両手を合わせきつく目を閉じた。


「真樹君もお疲れ様。今日はすごく良かったよ。良い曲だね、シルエット。CDで聴くのとはまた違った感じを受けたよ。これからが本当に楽しみなバンドだよ。今もみんなにそう言ってたんだけどね。君たちにはまだまだ時間もあるから。そしてその時間は全て可能性だよ。本当に楽しませてもらったよ、今日はありがとう」


「ありがとうございます!」

 僕は深く頭を下げた。


「それじゃ、また次のライブの予定が立ったら言って。僕が協力出来ることはするからさ」


 ありがとうございます!


 僕らは大きな声でマスターに礼を言った。




 ライブ後は祐介の家でライブの反省会を兼ねた打ち上げをすることになっていた。

 僕は、久しぶりに会った友達と話しがしたいと言って、三人に先に行ってもらった。

 祐介は首を傾げ納得のいかない表情をしていたけれど、それでもなんとかその場を切り抜けることが出来た。


 少し時間をおいて、僕は世羅が待つコンビニへと向かった。

 世羅はガラスの向こう側で立ち読みをしていた。

 ガラスを小さくノックすると、世羅は本を棚に戻し外に出てきた。


「大丈夫だったのに。これからどこかに行く予定だったんじゃない? 大切なライブの後だから」


「祐介の家でね、反省会って名前の打ち上げ。でも、みんなには先に行ってもらったから大丈夫」


「悪いよ」

 世羅は小さくそう呟いた。




 僕らはコンビニの裏手にある小さな公園のベンチに腰を下ろした。

 公園といっても、ジャングルジムとブランコしかない誰にも遊ばれなさそうな狭苦しい野外空間だ。


「それで、どうしたの?」

 僕はギターをベンチの手すりにもたせ聞いた。


「うん……」


「うん?」


 世羅は足下の土を靴で払うように撫でた。

 ジャリジャリと小石が転がる音がした。

 世羅は何も言わず、しばらくそうしていた。

 表情はどこか曇っていた。寂しそうで、不安そうな顔だった。


「あのね……」


「うん」


「私ね……」


「うん」


「転校することになると思うの」


「うん」


 ……。


 …………?。


 !?



 転校!?


「ええっ!? 転校?」


 世羅は頷いた。


「なんで突然」


「本当に突然で……。昨日、お母さんがいきなりそんな話しをして。お父さんがね、年末にアメリカから戻ってくるんだって。それで、来年からは東京の本社で働くことになったみたい。お母さんが言うにはね、出世出来るみたいなの。まあ、アメリカにも出張してたしね。これで出世も出来なかったらちょっと、考えものなんだけどね」


 世羅は続けた。


「だから私には悪いけど、東京の学校に通って欲しいって」


 そこまで言うと、世羅は「はああああ」と大きな溜息をついた。


 東京の学校に転校。

 突然の転校。そんなのは歌の歌詞だけだと思っていた。

 僕はショックだった。

 真っ白だった。頭も心も。


「三学期からはあっちの学校に通うことになると思う」


「そっか……」


「うん……」


「そう、なんだ」


「うん」


 何を言っていいのか、何を言えばいいのか、言葉というものが何一つ浮かんで来なかった。

 僕はただ黙って、車道を走る車を眺めていた。


「せっかく、真樹君と友達になれたのに」


 こんな出会いはもうないんじゃないかと思う。

 こんなに可愛くて、こんなに僕の歌を気に入ってくれて、こんなにもドキドキさせてくれる女の子には。

 しかも、彼女は人の夢の中に入り込むことが出来るというエスパーガール。

 ないだろう、こんな出会いは、もう……、二度と。


「ごめんね。こんな話しして。ライブの後なのにね」


 これから僕らはもっと仲良くなれて、もしかしたら、二人は手を繋ぎ並んで歩いていたかもしれない。

 そんないつもならにやけてしまうような願望的妄想も悲しみの中に沈んでいた。

 何かを考えれば考えるほど僕は悲しくなった。


「でも、まだ時間はあるから。だから、また今までみたいに会って話ししたりしよう。それに、ね、東京に行っても、またお邪魔するよ。真樹君の夢にね」


「うん」


 笑おうとしたけれど、上手く笑えなかった。

 ははっ、っと、短くて響きの悪いいかにも無理して笑っていますよ、といった笑い声が漏れた。


「それじゃ」

 そう言うと、世羅は膝をパンと叩き立ち上がった。


「はい、今日はここまで」


「ああ、うん」


 ベンチから立ち上がらない僕に世羅は手を伸ばした。


「ほらほら。みんな待ってるでしょ。早く行こう」


 僕は目の前の手をとった。

 世羅の手の温もりが伝わってきた。

 でも、その温もりがまた、辛かった。



 また、夢で会おう――


 世羅はいつもの言葉を口にし、いつものように小さく手を振った。



    *



 三人はハイすぎるテンションだった。


「こうやって実際に売れて、お金に変わるとさ、やっぱり嬉しいよね~。作った作品をお金で買ってもらう。それってプロだよね、プロ、うん」


 百枚作ったCDが今日一日で七十枚売れた。

 一枚五百円で三万五千円の売り上げだった。


「だな。どうする? 売り上げでなんかグッズでもつくっか? ステッカーとかそんなのをよ」


「なんかいいなそれ。ナイスアイディア、学」


「だろだろだろだろ! ガンガンよ、なんでもやってこうぜ」


「そうだね。俺らの行動一つが可能性だからね。いこういこう! 進もうどこまでも~」


 そんな三人の言葉に乗っかるように僕も言った。

「卒業したら、東京に行こう。東京で夢を叶えよう」


 ……。


 三人は一斉に僕を見て止まった。


「あれ? 俺、なんか変なこと言った」


「って、だろ? 行くだろ、俺ら」

 祐介が言った。


「だよね。そうだよね。なんかびっくりして固まっちゃったよ」


「おう。俺も。なんだよ、今更」

 悟史と学も続けるように言った。


「…だよね」


 おう、うん、そう――

 三人は当然だろと言うように短く言った。


 今までも何回かそういう話しをしたことがあった。

 卒業したらバンドで東京に行って勝負をする。

 けれど、僕はもう一度、今、確認したかった。


「やってやろう。俺らの音でさ。絶対! 成功するために」


 僕はコーラの入ったグラスを掲げた。


 ……。


「真樹。お前、なんかちょっとずれてんじゃねえ?? なんかあったか?」

 祐介はグラスを手で回しながら言った。


「まあまあ。祐介。良いだろ。っしゃああ! 真樹が乾杯しようって言ってんだから、してやろうぜ!」


「だね」


 カーーーッン。


 僕らはグラスを重ねた。


 さっきまで胸を占めていた寂しさは、情熱の炎を高く燃やした。

 自分のために、夢のために、そして世羅のために、僕は燃え上った。

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