第8話 女の子……

 土産物屋の前に自転車を停め、携帯で時間を確認した。


 十二時三十三分。


 オーケー。

 僕は一人頷き、自転車に鍵をかけた。


 待ち合わせ時間の三十分前。

 早すぎるような気もしたけれど、十五分前では遅すぎる気がしたし、二十分前では不安だった。また彼女はベンチに座って本を読んで待っていそうな気がした。

 僕らは恋人ではないけれど、でもやっぱり、女の子を待たせてはいけない、と思う。男として。


 店の裏手に回り、ベンチに向か…、向かおう……と。


 ……。


 世羅……。


 僕はまた携帯を開き、時間を確認した。


 十二時三十五分。


 うん。さっき見たときより二分しか進んでいない。見間違えたりはしていない。

 ベンチにはもうすでに世羅がいた。つばの広い白い帽子をかぶり、前と同じようにベンチに座り本を読んでいた。


 僕は世羅の前に立った。


 世羅はちらっと目だけを上げ僕を見た。


「あれ!? もうそんな時間」


「ううん。まだ十二時半」


 僕はそう言って、隣に腰を下ろした。


「どうしたの、真樹君。三十分も早く来て」


 それはこっちの台詞だ。


「待たせちゃ悪いなって思って。前も世羅の方が先に着いてたし。って、そっちこそ、何時にここに着いたの?」


「優しいね、真樹君は。紳士ね。レディーファースト。うん。私はね」


 世羅は本を置き、僕の前に左手を広げ、そして右手も同じように広げた。


「十時!?」

 

 僕は驚いて言った。


「そんなわけないでしょ」


 だよな。

 そうだよな。普通に考えて、三時間も早く来て、彼氏でもない男を待っているなんてあり得ないよな。うん。普通に考えて。


「十二時少し過ぎくらい。家にいても特にやることがなくて暇だったから早めに出たの」


 ……。


「…ふ~ん。まあ、俺もそんな感じ」


「真樹君。この間行ったカフェにもう一回行かない? 人が多いけど、あの店の雰囲気結構気に入っちゃって」


 帽子の影の中から世羅は微笑んだ。

 断る理由を探したら三十年くらいかかりそうな気がした。こんなに可愛い女の子と一緒にいられる。それ以上に何を望めば良いというのか。場所なんてどこでも良い。話題なんてなんでも良い。うん。今この瞬間を一緒に過ごせるということだけで満足だ。


「いいよ」


「本当? それじゃ行こう」


 世羅はベンチから立ち上がり、思いっきり体を伸ばした。


 彼女の仕草の一つ一つが僕が今まで持っていた理想の女の子像を飛び越えていった。軽々と、ふわっとハードルを跨ぐように。




 カフェは前回同様混み合っていた。


「すみません。二人なんですけど」


 赤いエプロンをつけたウェイトレスのお姉さんにそう声をかけると、お姉さんは店内を見渡し、カウンターを見回し、それから申し訳なさそうな顔をして言った。


「申し訳ございません。ただいま店内満席でして」

 

 見事な八の字だった。漫画の中の女の子が困ったときに見せる眉毛の形だった。


「それじゃ……」

 

 大丈夫です、と言いかけたところで世羅が声をあげた。


「あっ! あそこの二人がけの席、今空いたみたいですけど」


 世羅が指を差した方を見ると、カップルが立ち上がりトレーにカップを乗せていた。そして二人は席を立ち、こちらの方へと歩いて来た。


「それではどうぞ、あちらのテーブル席へ。今すぐにテーブルの方拭きますので」


 ウェイトレスのお姉さんはカウンターから布巾を取り、今しがた空いたばかりのテーブル席へと向かった。


 僕らも後をついて席へと向かった。


「ラッキーだったね」

 

 世羅はピースをした。


 僕もピースを返した、のだけれど、テーブルを拭き終わったお姉さんの「どうぞ」という声に彼女の視線は奪われてしまった。


「ありがとうございます」

 

 世羅はお姉さんに軽く頭を下げ、卵形のスツールにすっぽりと腰を落とした。


 数秒前まであった僕の右手のVはぴったりとくっつき、陰陽師が呪術を使う時の構えのようになっていた。


「この椅子欲しいなあ。可愛いよね?」


「うん」


 虚しさと恥ずかしさを混ぜ合わせたようななんとも言えない気分だった。

 陰陽師ポースを崩さずに僕はゆっくりと卵の中に腰を沈めた。



 抹茶フロートは相変わらず夏に合う最高の味だった。

 パクパク食べられて、ズズズズっと飲める。

 最高だ。


 僕は昨日の話しをした。

 世羅はスプーンを持ちながら、うんうんと大きく頷いて聞いてくれた。


「聞きたいな、早く。私買うからね、絶対。いつから録音するの?」


「明日」


「明日? 良いの真樹君、私とこんなことしてる場合じゃないんじゃないの?」

 

 ソフトクリームと小豆が乗ったスプーンを口元で止め世羅は言った。


「ああ、大丈夫。昨日、スタジオの帰り祐介の家にみんなで寄って明日のレコーディングの手順を決めたから。スタジオに入る、学が叩く、レベルを調整する、録音ボタンを押す。オーケー」


「なんかそう聞くと、すごく単純な作業に聞こえるんだけど。レコーディングってもっと神経を使う細かい作業じゃないの?」


「それはまた別な作業ってことらしいよ。明日は学が最高のドラムを叩く。それだけ」

 

 僕はドラムを叩くフリをした。


「学ならきっとやってくれるから、全然心配してない」


 世羅は止まったままだったスプーンを口に運んだ。

 僕は半分沈んだソフトクリームの山を抹茶の海からすくった。


「真樹君の話しを聞いてると羨ましくなっちゃうよ」


「ん?」


「そんな信頼出来る仲間がいて」


「そう? 世羅は? なんでも話せる親友とかは?」

 

 世羅は首を傾げ、う~ん、と唸った。

 

「……いないかな。みんな勉強、習い事って感じだから」


 そう言って世羅は小さく笑った。


 そんなに違うんだろうか。

 この世界にいる僕らのような高校生はみんな似たような生活を送っているのだと思っていた。友達を作り、学校帰りにどこかに出かけ、つまらないことで笑い、怒り、涙を流し、そしてまた笑って。それが当然だと思っていた。でも、お金持ちのお嬢様が通うエリート学校はそうではないらしい。勉強に励み、習いごとに通い…、ん? それじゃ一体いつ笑ったり、怒ったり、泣いたりするんだろう。


 大変なんだなと思った。お嬢様達も。


「なんか俺たちとは全然違う感じだね」


「でも、私はこんなだけどね」

 

 世羅は笑って言った。


 僕も笑った。


 笑顔は人を幸せにする――――


 それなら笑っていた方が良い。

 悲しんだり、怒ったり、真面目な顔で悩んだりするよりも。



 隣の席に座っていた二人組の女の子が席を立ち、入れ替わるように二人の女の子が僕らの隣のテーブルについた。

 二人は僕らを見て、それからちょっと気まずそうな表情を浮かべた。


 ええぇ。


 嫌な表情というものは相手によく伝わる。

 声は聞こえなかったけれど、彼女達の顔にはそんな言葉が浮かんでいた。

 世羅を見ると彼女は俯きストローに口を当てていた。

 僕の左正面に座った女の子がちらりと世羅を見た。そしてその後、その視線を辿っていた僕の視線とぶつかった。女の子はすぐに僕から目をそらした。こそこそとしたイヤな視線だった。

 それから二人は隣の僕にも聞こえないような小声で話しをした。

 隣に座っていて気分が悪くなるような隣席者だった。


「そういえば今日は何の本読んでたの?」


「おばび。てぃばにーべじょうしょぐぼ」

 

 世羅はストローをくわえたまま言った。


「ああ、前読んでた本ね」

 

 世羅は頷いた。


 そのとき突然僕の隣に座っていた女の子が言った。

 

「あれ? 南さん?」


「うそ? 本当だ、南さんだ」世羅の隣の女の子も言った。


 その声に世羅は顔を上げた。

 

「あっ。こんにちは」


 僕は二人を見て、それから世羅を見た。


「誰?」


「あっ、クラスのお友達」

 

 星愛の同級生。お嬢様学校のお嬢様友達。


「南さん、彼氏いたんだ。びっくり」

 

 僕の隣の女の子がそう言うと、もう一人の女の子も続けた。

 

「本当、びっくり! 南さんって彼氏いたんだね」


「彼氏じゃないよ。友達」

 

 世羅は手を振って否定した。


「そうなの? 二人でいたからそう思っちゃって。男の子の友達がいるんだ、南さん。羨ましいな。夏休みを楽しく過ごせて。あの、どこの学校の方ですか?」

 

 世羅の隣の女の子が僕に聞いた。


「北高です」

 

 僕が答えると、女の子達は顔を合わせ、驚いた表情を浮かべた。


「南さんとはどういうお知り合いなんですか?」


 僕の隣の女の子がそう言うと、世羅はトレーに手を伸ばした。

 

「あの……。私、これから行かなきゃ行けないところがあって」


「そうなの? 残念ね。もっとたくさんお話したかったのに」


「本当、残念ね」


 そう言った二人の表情は、残念そうに思っているようにはまったく見えなかった。どこか相手を馬鹿にしたようなイヤな笑いが口元に留まっていた。


「行きましょう」

 

 トレーを持ち、立ち上がった世羅に僕も続いた。


 カウンターに向かう途中さっきまで座っていた席の方を振り返ると、女の子達は顔を近づけ合って話しをしていた。



「ごめんね、なんか」

 

 店を出ると、世羅は帽子をかぶり、僕の方を見ないでそう言った。


「うん? 別に。俺は気にしてないよ。そんなに仲良くない感じ? あの子達と。なんか、微妙な感じだったけど」


「仲良くないというか、あんまり話したことない子達、かな? クラスが同じってだけで」


「ふ~ん」


 それ以上は何も言わない方が良いような気がした。

 僕が何も言わないと、世羅も何も言わなかった。


 世羅はそんなことはないと言ったけれど、きっと仲の悪い相手グループの女の子だったんだろう。

 女子特有の仲間作りから生じたグループ間の水面下の争い。


 なんて面倒くさいんだろう。


 僕が知っている限り、小学校の頃にはそういったことが始まっている。


 大変だ、女の子は。


 一体いつまで続くんだろう。そんな面倒くさいことが。


 大変だ、本当に。


 そして、女子校となるとなおさら面倒くさそうだ。

 お嬢様でもやっぱり同じだろう。優雅におしとやかに物腰柔らかく誰にでもにこやかに、そんなことが出来るようになるにはきっと時間がかかるんだろう。


 土産物屋に着くと、世羅はようやく口を開いた。

 

「悪いけど、今日はここまでで良いかな。ごめんね、真樹君」


「俺は、大丈夫だけど」


「明日から頑張ってね! 私応援してるからね。頑張れ、真樹君、頑張れスティールって」


 拳を作り、ガッツポーズを決め、世羅は言った。

 けれど、その力強い動作とは反対に表情は寂しげだった。

 世羅のそんな表情を見たのは初めてだった。


「また夢でね」


「うん」


「それじゃ、今日もありがとう真樹君。またね」


 胸の前で小さく手を振り、世羅は自転車のペダルに足をかけた。



 女の子、女子校、お嬢様、グループ、ひそひそ話。

 全然わからない。

 

 ふぅ。

 

 わからないことばかりだ、女の子は。

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