第9話 あのね
翌日、アフロマンの合図でスタジオの扉を開けた僕らは驚きの声を上げた。
マイクに囲まれたドラムセットは音楽雑誌に出てくるレコーディング風景の写真のようだった。
「時間もったいねえぞ。さっさと準備しねえとな。MTRはそこの台の上に置いてくれ」
祐介はケースからMTRを取りだし、アフロマンの指示に従い台の上に置いた。
「オッケー。次は――」
アフロマンは次々に指示を出した。
祐介はそれに従い七本のマイクをMTRのインプットにそれぞれ差し込み、学が叩く音量に合わせレベルを調整し、簡単に叩いたリズムを録音した。そしてその音をヘッドフォンでアフロマンと交代で聴き、それを聴いたアフロマンはマイクの位置を調整した。
僕と悟史は黙ってその様子を眺めていた。
「準備オッケー。後は録るだけだな」
アフロマンがそう言ったのは、スタジオに入ってからちょうど一時間が経ったときだった。
僕らは一度スタジオを出てそれぞれに違ったドリンクを口にした。
「学、緊張してる?」
悟史がそう尋ねると、学はくるくると指でスティックを回した。
「バカ。これくらいで緊張してられっかよ。俺らの夢はもっともっとでかいんだからよ」
「そう? それなら大丈夫だね。頼むよ、未来の最強ドラマー君」
「頼まれなくてもやってやるよ。お前こそ、次は自分なんだからな。今から心の準備しとけよな」
「はいはいはい」
「はははは! 面白いな、お前ら。良いコンビだ。それじゃ、録り終わったら聴かせてくれよな、俺にも。んじゃ、頑張れよ」
アフロマンが吐いた煙草の煙はアフロに沿って天井へと昇っていった。
僕はその様子を見て、笑いたくなったけれど我慢した。
アフロにしている人達は、たぶん…、自分のその髪型をものすごく大切にしている。アフロに関係することで笑ったりなんかしたら、きっと……、ものすごく怒るだろうから。
「それじゃ、俺が合図を出して、ちょっとしたらフォーカウントで始めて」
ドラムセットの向こう側の学に祐介が言った。
学は真剣な表情で、一つ大きく頷いた。
気合い十分だ。
祐介が両手で大きな丸を作った。
学はスティックを四回鳴らし、そしてリズムを刻んだ。
休憩を一度挟み、一曲につき三テイク計六テイク録ることが出来た。どのテイクも同じくらい良く録れていた。
どのテイクを採用するかの決定権は学に委ねられた。
「それじゃ、セピアは一番初めのやつで、シルエットは二番目。セピアはどれも変わらない感じだけど、シルエットは二番目に録ったやつのバスのタイミングの方が曲の雰囲気に合ってる感じがするからな」
「わかった。それじゃ、名前つけるからちょっと待って。っと、セピアがこれと。オーケートラック。で、シルエットが、と。……これだな。オーケートラックと。オッケー! ドラム録り終了!」
祐介は立ち上がり、スタジオの扉から顔だけを出しアフロマンを呼んだ。
アフロマンは「どれどれ」と言いながら、祐介からヘッドフォンを受け取りアフロに埋め込み、プレイボタンを押した。
指でコツコツとリズムを取りながら、アフロマンは一人揺れていた。
そんなアフロマンの後ろで学は揺れるアフロを持ち上げて投げるフリをした。そしてそれを見た悟史もそこに加わり、二人でアフロを重たそうに持ち上げ、放り投げるフリをした。
正面にいた僕は笑いをこらえるのに必至だった。
当の二人は笑いをこらえる互いの顔を見て、ぶふっと吹き出した。
何も知らないアフロマンはアフロを揺らし続けた。
「良い感じに録れたんじゃねえの? 後はそれぞれのトラックごとに音をいじってまとめるだけだな」
曲を聴き終わったアフロマンはヘッドフォンを頭から抜き取り言った。
「でも、音の土台は出来てるから、それほどいじる必要もねえか。ちょっとイコライザーかけてやって、あとはスネアに軽くリバーブ足して、バスにコンプ薄くかけるくらいで大丈夫だな」
「はい。家に戻ったら早速やってみます」
「おう。次はベースだけど、ベースはどうする? 前話したみたいに、アンプとラインのミックスにするか? その方が迫力は出るぞ」
「それでお願いします」
祐介は頭を下げた。
「オッケー。それじゃ、ベースのセッティングもやってやるよ。この際だから最後まで付き合うぞ」
――ありがとうございます!
僕らは声を揃えていった。
「そうだ、曲聴いたぞ。正直、俺の好きなジャンルじゃねえけど、雰囲気があって良かったぞ。今度ライブ合ったら教えろよ。顔出すからよ」
――はい!
僕らのリズムは完璧だった。
アフロマンの予定と僕らの予定とスタジオの予約状況からベース録りは二日後の十二時からに決まった。
初めの学が順調に終わったことで、僕らのレコーディングに対する緊張はすっかり解けていた。
「悟史、次はお前だぞ。何回もやり直したりするなよな。俺みたいにサクッと決めろよ。サクッと」
「はあ? 俺だよ、俺。ミスなんてするわけないでしょ。三時間も要らないよ。三十分もあれば十分」
「三十分? 三十年と間違ってるんじゃねえの? お前」
はははははは――
僕らは降りたがらない五時の太陽の下、大きな声で笑った。
*
やっぱり、女の子はよくわからない。
僕は改めてそう思った。
世羅はドラム缶の中から顔を出したり、引っ込めたりしていた。
昨日、あんなにブルーになっていたのに……。
もしかしたら当分の間は夢でも会えないんじゃないか、そんなことを考えたりもしていた。
でも……。
「お~~い!」
世羅はいつもと同じく元気すぎた。
「無視するな!」
ドラム缶から飛び出すと、世羅はガタンと大きな音を立てて倒れたドラム缶を蹴り上げた。ドラム缶は空高く舞い上がり、そして、なぜか…、上空で破裂した。
「さっきからどうして何も言わないのよ」
激しもいつも通りだった。
「あっ、いや、何をしてるのかなって思って……」
「ふ~ん」
世羅は不満そうに言った。
「で、レコーディングの方はどう? 上手くいった?」
「ああ、うん。上手くいったよ。ドラム録りは完了。で、今……」
はっ!?
そうだ祐介の家にいるんだ。
スタジオを出た後、僕らは一度家に帰り、それから祐介の家に集まった。今日録ったドラムのミックス作業のために。
「祐介の家だ」
「祐介君の?」
世羅は僕の隣に腰を下ろした。
「そう。録音したドラムのミックスをしてたんだ」
「ミックス? 録音してそれからまた何かすることがあったの?」
「マイクを七本使って録ったから、その七本の音を一つ一つ加工して、それからその七つの音を二つにまとめるんだ。二つっていうのはあれね、エルとアール。ヘッドフォンで音楽聴くと右と左で違う音が出たりしてるでしょ」
「すごい本格的なのね。そういうのはプロしかしないと思ってたから」
「プロを目指してるから、プロと同じようなことしないと」
「それもそうね」
世羅は腕を組み、うん、と一つ頷いた。
僕は今日のスタジオでのレコーディングの話しをした。
アフロマンのセッティングに驚いたこと、真剣にドラムを叩く学がすごく格好良く見えたこと、アフロマンが残りのレコーディングも手伝ってくれること。
「すごい!」「本当!?」「楽しみ!」
世羅は僕の話を楽しそうに聞いてくれた。
「それで、世羅の方は今日何をしてたの?」
「私? 特に何も。本を読んで、勉強をして、それからまた本を読んで、勉強をして…、また本を読んで、で、寝たよ」
読書と勉強オンリー。
「ふふふ。つまらないでしょ、私の一日は」
「そんなことないよ。夢のためでしょ? 海外小説の翻訳家っていう」
「それは…、そうなんだけどね」
そう言うと世羅は黙り込んだ。
僕は世羅を見て、世羅の見ている風景を眺めた。
漁船と空と雲。
現実のベンチから見る風景よりも簡単でさっぱりとしたいつもの夢の中の風景。
今ではこうして夢で世羅と話しをするのにも慣れたけれど、でもやっぱりこれはとても不思議であり得ないことだ。
僕は今、特別な時間の中で特異な体験をしている。そんなことを考えながらも、こうしている今はそれほど不思議だとは思えなかった。そしてそれが僕には不思議だった。
「私ね、時々思うの。未来の私は充実した毎日を送れてるのかなってね。そして、そういうことを考えると、不安になっちゃうの。もしも、そうじゃなかったらどうしようって。私の今は未来の私のためにあるって、そう思ってるの、私は。今を今として感じて生きていくことが出来ないんだ。だから、不安になるの。未来の私も今の私と同じように生きていたら、って。もしもそうだったら私は一生今を生きられなくなっちゃうでしょ? ただ未来を期待してるだけの人間になっちゃうでしょ? それって、すごく寂しいことのような気がして」
世羅の言ったことはわからないわけではなかった。僕だってそう。夢のためにと今を生きている。未来の自分が笑っていられるようにと、とにかく今自分に出来ることを全力でやっている。けれど、世羅のように今が未来のためだけとは思っていない。僕は今という瞬間を大切にしている。
“大人は時間を生きる、高校生は瞬間を生きる”
いつかの国語の授業で担任がそんなことを言っていた。普段は頭の硬い頑固オヤジだけれど、時々こういった心に語りかけるようなことを言う。
国語も担任も嫌いだけれどこの言葉は胸にしっかりと残っている。
その通りだと思ったから。共感出来たから。
あの頑固オヤジに。
「それじゃ、今はどう? この夢は」
「今?」
「うん。今。こうやって夢の中で話しをしたり、あと、なんか色々と壊して暴れ回ったりとか」
「暴れ回たりって、失礼ね。私は、真樹君の夢を楽しくさせるようにアクションを交えた演出をしてるだけなの。演出よ、演出」
世羅は左手の腹を右手の拳で打った。パンパン、という音がやけに大きく響いた。
「まあまあ、ちょっと待って、落ち着いて。なにもね、挑発してるわけじゃないから。ただ、俺が言いたいのは、俺は楽しいんだ。こうやって世羅と夢で話しをしたりするのが。あっ、実際に会ってるときもね」
世羅は目をぱっと大きく開き、ほんの少しだけ首を傾げた。
「俺もね、不安はあるよ。もしもプロになれなかったらって考えると本当に辛くなる。俺はどうなるんだろうって思う。もしかしたら死んじゃうのかもって思ったりもする。だからこそ今全力で頑張るしかないって思う。それは世羅と同じだよ。死んじゃうは大袈裟だけどね。でもね、今が未来の自分のためだけとは考えていないんだ。今を今として、そして瞬間を瞬間として感じて生きていくことが大切なんじゃないかって思うんだ。今があって明日があるなら、今を大切にして生きれば、明日はきっと良い一日になるって思うし」
……。
………。
うん?
…そんなにじっと見つめられると、ちょっと困ってしまうんだけど。
世羅はただ黙って僕を見つめていた。
「真樹君」
「うん!?」
緊張のせいで大きな声が出てしまった。
「そうね。真樹君の言う通りね。私は逃げてるだけだね。ただなんとかして逃げようと思っているだけなんだ。私も楽しいよ、真樹君と会って話しをするの。夢でも現実でもね。本当にね」
「逃げてるって、ん? それはどういうこと? 世羅は夢のために必至に頑張ってるんだから、それは逃げでもなんでもないでしょ。ただ今の自分の努力が本当に将来に繋がるのかって、そういった不安に不安に駆られるときがあるってことでしょ?」
世羅は僕の話を無視して続けた。
「私だって、本当は大切にしたいよ、今をね。でもね、今を大切にしたいって思っても出来ないんだ。もっとたくさん笑ったり、泣いたりしたいよ、私も。みんなでどこかに出かけて遊んだりもしたいよ。あのね、真樹君――」
世羅がそう言ったとき景色が歪んだ。それもいつもよりも激しく、潰れるように。体は大きく揺れていた。
「真樹! 起きろ~!」
目を開くと、学が僕の体をゆすっていた。
「そろそろ俺ら帰るぞ」
「…ああ、うん。今、何時なの?」
「八時半」
学の隣には悟史が目を閉じたまま立っていた。
「真樹は近くだから、別にゆっくりしてけば良いのに」
祐介はぴょんと立った寝癖頭で言った。
「…ああ。大丈夫。俺も帰るよ。家でゆっくり寝るよ」
寝癖頭の祐介に見送られ、フラフラと自転車を漕ぐ悟史とハンドルに肘をつきダラダラと自転車を走らせる学の後ろ姿を眺め、僕は家へと向かった。
あのね、真樹君――――
世羅の声と言葉がまだ頭の中で響いていた。
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