第7話 ラッキーデイ
マスターはホールの中央に立ちスピーカーのチェックをしていた。
ジーンズにチェックのシャツをインといういつもの服装だった。
僕らの姿を見つけるとマスターは流していたCDを止めた。
「おぉう、来たね。悪いね、こんな早い時間に。今日もこれからライブがあるからさ。こんなライブハウスでも結構忙しいんだよ。はっはっはっは!」
大きな声で笑った拍子にずり下がった丸眼鏡を指で戻し、マスターは僕らに椅子をすすめた。
僕らがここで初ライブをやったのは去年の秋だから、マスターとの付き合いもそろそろ一年になる。
詳しい年齢はわからないけれど、たぶん四十代前半くらいだと思う。
あのときも今日のようにメンバーみんなでマスターを訪ねた。緊張し、ガチガチになりながら、「ライブに出させてくれませんか」と頼みこんだ。
マスターはそんな僕らを見て大笑いし、それから「うん。いいよ」とあっさりと承諾してくれた。
「そうそう。ライブの話しだよね。音源発売に合わせてってことだよね?」
マスターはPAの卓の上から紙の束が挟まったバインダーを持って来た。
「九月の半ばってことだったよね」
マスターは紙をめくりながら言った。
僕らが今日マスターを訪ねたのは、昨日のリハーサル後に急遽立ち上がり決定した初となる音源制作プロジェクトによるものからだった。
ライブでオリジナル曲を演奏していながら、僕らは自分達の曲を音源化していない。
それは、なぜか。
オリジナルバンドなら用意しておいて当然の名刺代わりのもの。
まずは音源を用意してからライブに臨むバンドも多い。
それなのにどうして僕らは音源を作ってこなかったのか。
それは、なぜなのか。
「なんでだろうな」
学は首をひねった。
「機会がなかったからじゃない?」
悟史は言った。
「正式な音源となると、準備とかも必要だし。いつから作って、いつのライブでそれを出すとか」
僕も言った。
僕ら三人が質問に答えると祐介は言った。
「機会もなかったし、準備も出来てなかった。俺もそう思う。でも、そろそろ良いんじゃねえかなって思うんだよな。曲も結構出来たし、ライブもコンスタントにやれるようになってきたし。それに今なら時間もあるしな。録ってみねえ?」
バンドを結成して半年。今までその話が出てこなかった方が不思議だった。
「オッケー」「やろう」「録るか」
僕も悟史も学も同じ答えを出した。
祐介は、カウンターに座り缶コーヒーを片手に煙草を吸っているアフロマンから紙とペンを借りた。
スタジオで働いているこのアフロのお兄さんを僕らは勝手にアフロマンと命名しそう呼んでいる。もちろん本人を目の前にしては言えないけれど。
「それじゃ、まずは何曲入りにして、どの曲をとって、いつから始めて、いつ完成させるか、それを決めないとな。じゃあ、早速。何曲録る?」
僕と悟史は正反対の意見を言い、学は全く違ったことを言って一人笑い、祐介はペンを走らせ話しをまとめた。
そうして二時間の話し合いの結果、僕らは初の音源制作プロジェクトのアウトラインを完成させた。
『予定表』
・レコーディング曲
「セピア」「シルエット」。
・レコーディング―夏休み中に
・ミックス、マスタリング終了―八月以内に
・ジャケット作り、ダビング作業―九月二週目頭までに
・音源の完成に合わせ九月中旬に音源発売ライブを入れる。
「これだけ決めるのに、二時間もかかったのか」
スティックの先で予定表を突きながら学が言った。
……。
「でも、やっぱそうだよな。一人じゃねえんだもんな。四人で一つのことを決めたんだからな。そりゃそうだよな。それがバンドだからな」
……。
………。
「こうやって、考え方も音楽性も違う奴らが集まって一つのものを作るってのが最高傑作を作ることに繋がるんだよな」
なにを言ってるんだ、この男は。
「ちょっと息抜きにラーメンでも食いに行かねえ?」とか、「コーラ百本一気に飲むと死ぬって本当?」とか、「スタジオの電気代気になるよな」とか、そんな関係のないことばかり言って一人大爆笑していた奴が。
「最高の音作ろうぜ! なあ?」
学は真剣な顔で言った。
「……」
祐介は何も答えなかった。
「………」
僕も何も答えなかった。
「おうっ!」
悟史は立ち上がり、学とハイタッチを交わした。
パチ~ン、と気持ちの良い音が響いた。
……。
リズム隊は相性が大切。この二人は大丈夫だ。ばっちりだ。………うん。
「それじゃ、早くライブも入れないと。サウダージに電話してマスターに聞いてみようよ。真樹、電話電話電話」
ハイなリズム隊の片割れに急かされ、僕はサウダージに電話をした。電話に出たマスターに用件を伝えると、明日の十二時頃ライブハウスの方へ来られないか、と言った。これから駅前のバーまでPAの出張に行くとのことだった。
そして僕らは今、こうしてマスターのもとを訪ねている。
「九月の二週と三週目の土日は埋まってるんだよ。でも、二週目の日曜日は高校生バンドのライブが入ってるから、そこに入れてもらうってことも出来るよ」
マスターは九月の二周目の日曜日に大きくペンで丸をつけた。
「どんな感じのバンドが出るんですか?」
祐介が聞いた。
「パンクバンドが四つに、ハードロックバンドが二つ」
パンク、ハードロック。
僕らの音楽には登場しないジャンルだ。
「違うよね、君たちとは。で、そこで僕から一つ提案があるんだ」
トン、と音を立てペンを置き、マスターは得意げに微笑んだ。
「二週目の金曜日が空いてるんだよ。それでだね、僕が提案したいことというのは、君たちをメインにしたイベントをやるっていうのはどうかなってことなんだよ」
僕らをメインにしたイベント!?
「せっかくのCD発売ライブなんだからこのくらいやっても良いと思うんだよね。対バンは僕が探してあげるから。それにホール代も安くするよ。平日料金からさらに割引いてあげるよ。初のCD発売ってことだからね。僕から君たちへのプレゼントってことで。僕も聞きたいしね、君たちが作る音を」
好条件オンリー。断る理由が見あたらない。
やらなきゃ損。やって得尽くし。
「どう?」
僕は隣に並んだ三人を見た。
みんな目を輝かせ、口元をゆるゆるに緩ませていた。
祐介が頷き、学が頷き、悟史が頷き、そして僕も頷いた。
「お願いしますっ!」
ナイスユニゾンだった。僕らの声は綺麗に重なった。
マスターは九月二周目の金曜日にSteALイベントと書きこんだ。
「よろしくね」
マスターは眼鏡を上げ、にっこりと微笑んだ。
サウダージを出た僕らは、陽気な爆走グループへと変わり、次なる目的地へと自転車を走らせた。
「イベント名、スペシャルハッピーナイトっていうのはどう?」
前で自転車を漕いでいた悟史が振り返って言った。
「バカ! そんなキモイ名前のイベントに誰が来んだよ! もっと熱い感じにしようぜ」
僕の隣で学が言った。
「じゃあ、どんな感じ?」
「ああ、そうだな。最強とか?」
「それじゃ、女の子が来ないでしょ? 女の子は気合いとか根性とかそういった暑苦しいことがあまり好きじゃないからね。だからもっとポップでスタイリッシュな感じにしないと」
リズム隊はもちろん、僕らはみんなハイになっていた。
サウダージが発行しているビラやホームページでも宣伝するから、イベント名を考えて早いうちに教えてくれ、と帰り際マスターに言われた。
僕らの上がったテンションはさらに上昇し、そしてこのハイ状態が生じていた。
「お前らさ、そういった一人一人の個性も大事だけど、バンドなんだからもっとバンド全体を見て考えろよな」
隣の悟史を見て、それから僕と学の方に振り返って祐介は言った。
「じゃあ、祐介はどういう感じのタイトルが良いの?」
「俺か。う~ん。そうだな。リインカーネーション、とか?」
祐介は悟史の質問に照れくさそうに答えた。
「………」
悟史は祐介から顔をそらし黙った。
「ドンマイっ! 祐介!」
前を走る祐介に学が大声で言った。
「うるせえ! ドンマイとか言うんじゃねえよ!」
ははははは――
堪えきれない喜びを笑いに変えて、
僕らは笑った。
「こんにちは!」
僕らのハイテンションな挨拶に、アフロマンはカウンターから「おう」と怠そうに答えた。
ライブが決まった。後はレコーディングに突入するだけだ。
アフロマンにレコーディングの件を話し、明日以降で三時間スタジオを抑えられる日がないかどうか尋ねた。
「明日は無理だけど、明後日以降なら結構空いてるぞ。昼間だけどな。お前らレコーディングするってのはいいけどよ、準備は出来てんのか? MTRは持ってんだよな?」
「はい。あります」
祐介が答えた。
「マイクは何本使う? ドラム録りなら、オーヴァートップ二本にタムが二本だろ、それにスネアに一本、いや二本か。裏と表から録った方が良いな。それにハイハットに一本だろ、あとバスドラに一本。八本ありゃいいか。あっ、そうだ。持ってるMTRってよ、同時録音何トラまで出来る? 一発で七録れるか?」
「八トラックまで大丈夫です」
「そうか。それなら大丈夫だな。MTRに内蔵のエフェクター入ってるだろ? 個別にコンプとかリミッターとかかけてやった方が良いぞ。まとめたドラム全体にかけると立体感がなくなるからな」
スタジオで働いているくらいだから、ミュージシャン志望だということはわかっていたけれど、僕らにとってこのアフロのお兄さんはスタジオのカウンターに座り缶コーヒーを飲みながら煙草を吸っているだけのただのアフロのお兄さんだった。だからこうして音楽について話しをするアフロマンに僕は驚いた。
それからもアフロマンはレコーディングの方法について語り続けた。
祐介だけが質問に答え、頷き、そうなんですか? と彼の話に対応していた。
僕は話しの半分くらいしか理解することが出来なかった。
アフロマンの口からは僕の知らない言葉やその言葉に関する数字が次々と飛び出した。
「高校生でレコーディングなんて俺らの頃はあり得なかったな。ヴァンヘイレンとかミスタービックとかその辺りのハードロックをひたすらコピーしてるだけだったからな」
アフロマンは左手の指をぱらぱらと動かした。
早弾き系ギターリスト、なのだろうか? 見た目的にはジミヘンっぽいけれど。ギターに火をつけて放り投げそうだ。うん。
「それで、予約は明後日で良いか? 三時間なら一時四時が空いてるぞ」
「はい。それでお願いします」
祐介は答えた。
「一時四時と。オッケー。それと、もしなんならよ、俺が準備しといてやろうか? マイクのセッティングくらいなら全然やってやるぞ」
「本当ですか? ありがとうございます。助かります!」
「その方がいいだろ。三時間あってもセッティングに一時間とかかかったら時間もったいねえだろ? 準備しといてやるよ。明後日は夕方まで暇なんだよ」
「ありがとうございます!」
祐介の声に僕らも続いた。
ありがとうございます!
これとない有り難い申し出だった。
気怠そうでとっつきにくいアフロマンのイメージは、気怠そうでとっつきにくそうだけれど、意外と良い人というイメージに変わった。
曲を聴きたいと言ったアフロマンにスタジオで録音したMDを渡し、僕らはスタジオを後にした。
ラッキーデイだった。
ギラギラとした夏の日差しも、背中にまとわりつく汗も、姿は見えないけれどうるさく鳴き立てる蝉の声も、この夏の全てが僕らにとってのラッキーシンボルのように思えた。
きっと明日も今日と同じくらい良い一日が訪れるはず。
悪いことが入り込む隙も予感もどこにもなかった。
僕は明日のことをそっと考えていた。
世羅とのデート的な一日を。
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