第6話 近づく僕ら
世羅に会った影響か、それとも世羅に会いたいと思う気持ちが強くなったことが原因か、彼女に会ったあの日から頻繁に夢を見るようになった。
夢を見た日は、朝からとても気分が良かった。くだらない冗談にも思いっきり笑えたし、ギターの弦が切れても全然気にならなかった。
そしてそんな僕の様子を怪しく思っている人物達がいた。
バンドのメンバーだ。
「最近、真樹テンション高くねえ?」
学のその言葉に悟史が飛び乗った。
「そうそうそうそう! 怪しいんだよね、なんか。真樹、彼女でも出来たの?」
「確かに、なんかちょっと違うな」
普段はこういった会話には乗っかってこない祐介までもそう思っていたようだった。
「夏休みだから、…かな?」
僕はその言葉を盾になんとか交わし続けた。
みんな腑に落ちない表情を浮かべていたけれど、それ以上の追求はなかった。
そして今朝の僕は、いつも以上にハイでハッピーなエネルギーに満ちていた。
それはもちろん、あの夢が与えてくれた力だ。
「そういえば真樹君って、彼女いるの?」
船体に大きな穴を開けた漁船の前に立ち、世羅は満足そうな顔を浮かべていた。
彼女が漁船に車を投げつけた後だったので、僕はすぐに言葉を返すことが出来なかった。
車はアクション映画さながらの大爆発と共に宙に消え去った。
「ってことは、いるんだ」
「ってことはって、なにそれ」
「黙ってるから」
「いきなり目の前で車が爆発したんだ…。驚くでしょ、普通。って、なんで人の夢の中でそう暴れるんだよ…」
「ストレス解消かな? たぶん」
世羅は足下に散らばった車か漁船の残骸を見て頷いた。
「で? どうなの?」
「どうなのって。いないよ」
「いつから?」
「いつからって。まあ、ずっと」
「ずっと、って十七年間?」
「そう」
そう。
僕は彼女いない歴十七年間の十七歳。
けれど、そういった出会いやチャンスがなかったわけではない。告白されたこともあったし、手紙で気持ちを受け取ったこともあった。
自分にその気がないのに付き合ったりするのは嫌だった。
運命とはいかなくても、両思いの末にそうなりたいと思っている。
うん。
だから、だから……、僕は悟史や学に馬鹿にされる。
真樹ボーイ、純愛少年、運命待ち百年。
そういえば、彼女の方はどうなんだろう。
こんなに可愛いんだ、彼氏がいてもおかしくはない。
というか、いないという方がおかしい。
「世羅は? いるの? ………彼氏」
「私?」
世羅は僕の隣に腰を下ろした。
「いないよ。同じく十七年間」
良かったぁ。彼氏がいるなんて言われたら、今を進む大きな喜びと感動と胸の高鳴りを失ってしまう。
ふぅ~~。
僕は胸を撫で下ろした。。
「それでなんだけど、真樹君が嫌じゃなかったらこれから週に一度くらい会ったり出来ないかなって思って。私、男の子の友達って一人もいないの。中学も女子だけだったし、同世代の男の子とまともに話したことって小学校のとき以来ないの。だから友達になって欲しいなって思って」
手を振り回し、そのまま空へと飛んでいきたかった。
そんな浮かれ、ざわついた気持ちを見透かされてしまわないように、僕はちょっと間をおいてから答えた。
「良いよ。うん。スタジオが入ってない日だったら大丈夫」
「本当!? 良かったあ! それじゃ、いつ会える?」
世羅は両手を組み、眩しすぎる輝きを目に浮かべた。
お願いスタイルにキラキラビーム。
最強の組み合わせだ。これに勝てる男は相当な強者だ。
「明日、っていうか今日は? 明日はスタジオが入ってるから。時間は何時でも良いよ」
僕はキラキラビームに倒されてしまわないよう、目をそらして言った。
「今日? うん、私は五時くらいまでだったら大丈夫。六時からお母さんとちょっと出かけることになってるの。それじゃ、お昼くらいにしようか。ここで二時はどう?」
オッケー。
そう答えたところで景色がねじれた。
「あと――で――――」
世羅の声が遠くなり、そして、僕は目を覚ました。
*
土産物屋の前に自転車を停め、ベンチへと向かうと世羅はすでにそこにいた。
サウダージで見た白と黒のキャスケットをかぶり、本のページをめくっていた。
「お待たせ」
僕がそう言うと、世羅は本から目を上げた。
「うん」
淡いブルーのワンピースは彼女に似合いすぎていた。
「暑くないの?」
「ここ日陰だし、それに、ほら。風も通るしね」
突き出した屋根を指さして世羅は言った。
「ん? で、なに読んでるの?」
「ティアファニーズブレックフェストゥ」
「………?」
わからない、という顔をして見せると、彼女はまた繰り返した。
僕は首を傾げた。
「知らない? ティファニーで朝食を。有名な小説なんだけど、私この本大好きなんだよね。ホリーみたいになれたらって何度思ったことか」
ティアファニーで朝食を。
タイトルだけは聞いたことがある。でもその内容はさっぱりだった。
ホリー? 魔法使い? ファンタジー小説?
さっぱりだ。
「聞いたことはあるけど、どんな話しかは全然。そっか。さっき言ってたのは、英語のタイトルか。ティアファニーズブレックファースト」
「ブレックフェストゥ。真樹君、発音悪いよ。ちゃんと英語の勉強してる?」
「………」
僕はゆっくりと世羅から視線を外した。
英語はもちろん、他の教科も高校に上がってからはまともに勉強した記憶がない。
僕の勉強とはテストの三日前からいかにして赤点を取らずにすむかを考えて行うその場しのぎのもの。教科書の出題範囲をパラパラとめくり、その中からテストに出てきそうなところとその前後だけを覚える。それが僕の勉強であり方法。
「良いよ、真樹君。大丈夫だよ、勉強が大切って言いたいわけじゃないから」
彼女は小さく笑って続けた。
「私ね、英語は頑張ってるんだ。夢があるの。海外のね、小説の翻訳家になりたいの。それが私の夢。将来アメリカに留学したいって考えてるの。大学中に一年くらいね。そこでアメリカ文学について学びたいなって」
「ふ~ん、なんか、すごいね。しっかりしてるっていうか」
「星愛っぽい考えとか思ったでしょ? ふ~んにそんな響きがあったよ」
「ううん。思ってないよ」
そうは言いつつも、実はちょっとそう思ったりもしていた。
ダン、ダン、ダン、ダン。
!?
世羅は足を鳴らした。
ワンピースの裾がバサバサと揺れた。その行動に説明は要らなかった。
「本当に、そんなこと思ってないよ。全然、まったく」
僕はもう一度否定した。
「そっか。それなら、うん、良かった。私はね、ただ、好きなことをしていられたらって思うだけなの。好きなことを職業に出来たら、それはとても幸せなことでしょ? 真樹君だって同じでしょ?」
「うん。まぁ、ね」
「プロデビューでしょ? 真樹君は」
「うん」
バンドでメジャーデビュー。
それが僕の、そして僕達の夢だ。
まだ漠然とした話しかしていないけれど、高校を卒業したらみんなで上京しようと考えていた。何かを目指すなら東京。日本の中心で、チャレンジャーとして夢に向かう。僕達はそんなよく耳にしたり、目にしたりするサクセスストーリーに憧れ、その道を辿ろうとしていた。
「頑張ろうね。私達」
世羅は片目を少しつぶって、唇の端をほんの少し持ち上げた。見方によっては困っているような、恥ずかしがっているようなそんな表情だった。
そしてワンピースの裾をぱっと翻し、彼女は立ち上がった。
「真樹君、喉渇いてない? 近くに新しいカフェが出来たの。知ってる? 抹茶フロートが最高なんだって。それにね、お店もすごく可愛いって。行ってみない?」
「そうなの? 普段カフェとかいかないから。わかんなくて。良いよ、俺は別に」
「決まり!」
白と赤茶色の石を組み合わせた外壁の洒落たカフェだった。
アンティーク調の大きな扉を開けると、店内は人でいっぱいだった。空きはないだろうと思ったけれど、ちょうど二人席が一つ空いていた。
僕らは席に通され、赤い卵形のスツールにすっぽりと腰を落とし込んだ。
「ね、可愛いでしょ?」
テーブルに肘をつき、周りをキョロキョロと見回しながら世羅は言った。
「うん」
確かに。お洒落で可愛くて女の子が好きそうなお店だった。
「友達から聞いたの? ここのこと」
「うん、まあね。そんなところ」
世羅は真剣な顔でメニューを睨んでいた。
ぱらっ、ぱらっ、とページをめくる音に重みを感じた。
「あっ、これこれ。抹茶フロート。見て。これだよ」
くるりと回転し、目の前に滑り込んできたメニューに目を向けると、そこには、なんとも美味しそうな写真が。
ベースの抹茶オレの上にソフトクリームが浮かび、ソフトクリームの脇にはたっぷりと小豆が盛られていた。予想していたよりも遙かに美味しそうだった。
「美味しそう」
「でしょ、でしょ! じゃあ、真樹君もこれで良い?」
文句なしにOKだった。
「すみませ~~ん」
店員さんを呼び止め、世羅は抹茶フロートを二つ注文した。
「世羅はよく来るの? こういう店に」
「う~ん。そんなには来ないかな。たまにね、ちょっと息抜きしたいときとかに来るくらい」
「学校帰りに友達と寄ったりしないの?」
「あんまりないかな。みんな色々忙しそうだから。あっ、私は全然だよ。自由気ままに時を過ごしている一介の女子高生だからね」
「人の夢の中に入れるって超特技があるけどね」
「しーっ!」
世羅は人差し指を立てて、冗談ぽく笑った。
「それは秘密」
抹茶フロートは世羅が聞いた評判通りだった。
甘くて、抹茶の香りがこれまたなんともいえない、夏にぴったりのデザートだった。
「美味しいっ!」
頬に手を当てそう言う彼女の仕草はとてもお嬢様的だった。
そんなお嬢様的な彼女とは反対に、僕はソフトクリームの山をガシガシ切り崩し緑の海に沈めていった。
「あっ、そういえばさ」
持ち上げたスプーンを下に置いて、世羅が言った。
「真樹君ってさ、どうして夢の中じゃいつもジャージ着てるんだろうね」
「ジャージ? えっ? 俺、ジャージ着てるの?」
「うん。そうだよ。上下揃いの白に青のラインが入ったジャージ」
そうだったのか。
夢の中で自分の服装を気にしたことなんて一度もなかった。
白に青のラインが入ったジャージ。それは………。
「それ、俺の部屋着だ」
「そうなんだ」
毎回部屋着のジャージ姿で登場していたとは…。
「世羅はいつも制服だよね?」
「うん。そうだね。制服着てるね。なんでかよくわかんないけど。全然気に入ってないんだけどね、あの制服」
「そう?」
「うん。星愛の制服が好きって子も多いけど、私は嫌い」
「似合ってるけどね、………結構」
可愛い子は何を着ても可愛い。
けれど、制服は特別だ。可愛さレベルをさらに一段上げる。
まさに、魔法のドレス。
「それじゃ、今度会うとき着てこようか?」
悪戯で言っているとはわかっているけど、そんなことを言われてしまったら………。
心に、負荷がかかってしまう。
「う、うん」
「変態。危ない顔してるよ、今。次、夢で会ったらキックね」
「………うん」
「何がうんなの!? 意味わかんないし」
「うん」
「だから、なんなのよ、うんって。気持ち悪いよ! 決定。スペシャルキック五発ね。忘れないから」 世羅はスプーンを僕の鼻先に突き立てて言った。
「あっ。そうそう。聞きたいことがあったんだ」
この状況を打破するため、僕は話題を変えた。
「あのさ、俺が夢を見てるってなんでわかるの? 最近は結構見てるけど毎日必ず見るってるわけじゃないし。でも夢を見ると、世羅は絶対登場するでしょ? なんで?」
「わ、か、る、か、ら」
目の前でスプーンが揺れた。
「真樹君の感じがするの。今、夢の中に入ったって。ベッドに入って眠くなってきたなってときに感じるの。真樹君今夢の中だな、じゃあ行こうって」
僕が寝る、夢を見る、世羅が眠りに近づく、僕の気配的なものを感じる、僕の夢の中へと向かう。そういうことらしい。
やっぱりエスパーだ。うん。間違いない。
すぐ隣から送られてくる鋭い視線に耐え、僕は心の中で頷きまくった。
店を出ると、僕らは倉庫を改装したショッピングモールの中をふらふらと歩き、運勢をアップさせる石だとか、竹で作ったバックだとかを眺め、五時まで過ごした。
「楽しかったよ、今日も。次は来週だね」
「うん。来週は月水がスタジオだから、それ以外の日ならたぶん大丈夫」
「オッケー。それじゃ、また夢で決めよう」
そう言って、世羅は自転車のスタンドを蹴った。
「うん。それじゃ」
「あっ、そうそう。約束したからね」
「うん? なに?」
「スペシャルキック」
……。
………。
大きく手を振り去って行く世羅に、僕は小さく手を振って応えた。
そしてその晩、僕は約束通り蹴り飛ばされた。
ガシャァァンっ! とガラスの割れる音に驚きベンチから立ち上がると、土産物屋の窓から飛び出した世羅が僕の方にダッシュしてきていた。そして笑顔で漫画のような高速ハイキックを放った。
一発目が右肩に炸裂した瞬間、周りがスローモーションになった。そして二発目、三発目、四発目、五発目が入ったそのとき、僕は吹き飛んだ。ベンチを破壊し、土産物屋の旗がかかった木製のポールを折り、赤い自販機を大破させ、コンクリートの壁に埋まった。
世羅は僕の前に来ると、ふふん、と鼻で笑い、そして僕の手を掴み空へと放り投げた。
景色がぐるぐると回転した。
けれど、気付くと僕はまたベンチに座っていた。
「スペシャルキック完了! 夢って楽しいね!」
僕は首を横に振った。
そして僕らは今日の出来事を振り返り話しをした。
空は青く、漁船が揺れ、カモメが飛ぶ、僕の夢の中で。
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