第5話

 IRSTはinfra-red search and track systemの略称である。

 赤外線捜索追跡装置の略で、赤外線を放射する目標物を発見・追跡する兵器システムのひとつだ。

 赤外線にはふたつの基本的な帯域がある。長波長赤外線と中波長赤外線である。

 長波長赤外線はサーマル・インフラレッド、TIRとも略され、遠赤外線とも呼ばれるTIRを利用した赤外線カメラは数キロほど遠方の八~十二マイクロメーターの帯域でのエンジンや人体の熱映像を見ることが出来る――バーバー51が搭載されたIRSTで先ほどやった様に。

 基本的には熱赤外線帯域を利用して赤外線を光源に映像を可視化する、歩兵用熱線映像式暗視装置と同じものだ――現状においては大掛かりな冷却装置を必要とするために実用化に至っていない歩兵用の熱線映像式暗視装置と異なり、航空機に搭載されるIRSTは液体窒素等を使って強力に冷却された高性能のセンサーを使って周囲の状況を検索する。

 あらゆる物体は黒体放射といって、温度に見合った遠赤外線を出している――そのため遠赤外線を感知する熱線映像装置を使えば、光源のまったく存在しない場所でも目標を視認することが可能になる。

 遠赤外線映像は可視光線映像に比べて解像度で劣る一方で透過能力に優れ、ある程度であれば障害物を透過して向こう側の物体を検索したり、煙などを透過して像を捉えることも出来る。

 先ほどバーバー51がやったのが、まさにそれである――現在上空に待機しているステルス戦闘機バーバー51は、遠赤外線映像を使って教会内部の索敵を行ったのだ。

 倉庫の扉をそっと押し開けると、蝶番がきぃと音を立てた。片手でライフルを据銃しながら、扉を少しずつ開いて周囲の様子を窺う。外側に動きが無いことを確認して、スタンフォードは廊下に出た。倉庫は廊下の突き当たりにある――ありがたい。復路で迷わなくて済む。ルートは単純であれば単純であるほどいい――それでなくとも気を揉まなければならない事柄は山積しているのだ。

 建物は頑丈な石造りで、左右にふたつずつ扉があり、その造りがどことなく牢獄を思わせる。通路の突き当たりには階段室があり、一見したところ照明は見当たらなかった。

「前方クリア」 スタンフォードはそうつぶやいて、通路の左右にふたつずつ並んだ扉のうち、手近な扉の取っ手に手をかけた。

 鍵がかかっている――小さく舌打ちを漏らして、スタンフォードは超小型無線機の送信ボタンを押した。

「バーバー51、こちらオペレーション・シーライオン、ブラック・ワン――IRSTで再度検索を頼む」

「バーバー51了解、スタンバイ――礼拝堂と塔の敵影に動き無し。先ほど建物の外側にいたふたりが今は内部に侵入しているが、これは君たちだな?」

「ブラック・ワン――肯定だアファーマティヴ。交信終わり」 それで通話を打ち切って、スタンフォードはミラーに視線を向けた。

「行くぞ。ついてこい、音を立てない様にな」 そう告げて、彼は歩き始めた。

 階段を下から見上げると、踊り場のところに小さな通風窓があって、そこから光が射し込んでいる――ナイトビジョンをはずしてみると、なにかが燃える炎の光だった――車でも燃えているのか、ほかのものか。

 揺らめく炎に照らし出されて、向こう側にぼうぼうの草が見える。つまり、その窓の高さが地上よりちょっと上くらいだということだ。

 階段には照明は無い――踊り場に燃料の切れた角燈が引っ掛かっている。幸いなことに、石造りの階段は体重をかけてもきしんだりしない。ただ、カーペットのたぐいが無いので足音を消す効果はまったく期待出来ない。

 窓から光が射し込むために、ナイトビジョンはもう使えない――明る過ぎる。窓を支えているつっかい棒をはずして窓を閉めたかったが、外側にたまたまそれを見ている者がいるかもしれない。あるいは、開いていたはずの窓がいつのまにか閉まっていることに気づく者がいるかもしれない。

 硝子窓ではなく板をちょっと持ち上げているだけだから、外から中で行動している彼らを見られる恐れは無いだろう。

 スタンフォードは肩越しにミラーを振り返って、ハンドサインで行動開始を伝えた。援護しろ。

 銃身下部に取りつけられたM194アンダーバレル・ショットガンの銃身をフォアアーム代わりに握り直して、彼は壁に左肩をくっつける様にして後ろ向きに階段の前に立った。

 アンダーバレル・グレネードとアンダーバレル・ショットガンを比較したとき、単独の破壊力以外のあらゆる側面においてアンダーバレル・ショットガンのほうが優れた性能を誇るというのが、彼の考えだった。

 装弾数も多く連射も可能で、さらに口径の同じショットガンで使用可能なすべての弾薬を発射出来る。その中には自動車一台を炎上させられるほどの破壊力を誇る高性能爆薬を仕込んだ弾薬もあり、実際問題としてグレネード・ランチャーと比較してもそこまで破壊力に差があるものではない――スタンフォードのライフルには銃身の長さが違うM194Lというモデルが組み込まれており、こちらは銃身長が十五センチほど長い。そのぶん若干射程が伸び、スラッグ弾使用時の命中精度も向上している――もちろん狙撃が可能なほどではないが。

 こつんと、ブーツの踵が階段の段差にぶつかった。

 対テロリスト・チームの任務でもそうなのだが、CQBでもっとも厄介なもののひとつが階段だ。

 踊り場まで昇り、今度はそこから逆向きに昇る。階下は安全でも、上の階がそうとは限らない。つまり、常に二階に気を配り、奇術師もどきの真似事をしながら、後ろ向きで踊り場まで昇っていかなければならない。

 ミラーが階段の下から上の階に銃口を向けるのを見ながら、スタンフォードはそろそろと後ろ向きに階段に足を載せた。M194アンダーバレル・ショットガンの取りつけられたライフルの銃口を頭上に向けて、今度は逆の足をそっと同じ段に引き上げる。

 いつものライフルと重量バランスが違うせいか、自分のライフルよりもずっと軽いはずなのに妙に疲れる。

 今度は左足を次の段に引き上げる――そこでいったん動きを止め、彼は上階の様子に耳を澄ました。

 問題無いと判断して、再び二段上がって、耳を澄ます。さらに二段上がって、耳を澄ます。

 クリアリングというのは、緊張と忍耐の激突だ。どんなに焦っていても、手順を無視して昇降と観察をいっぺんにやってはいけない。両方一度にやろうとするとしくじる。

 さらに一歩階段を昇ったところで、彼は足元を確認した。昇る前に段数は数えている。今足を置いた段が踊り場のはずだ。

 彼は踊り場の壁に体をくっつける様にしてかがみ込むと、ミラーに向かって手を広げた。そのまま四指をそろえる様にして伸ばしてから掌を返す。

 ミラーがうなずいて、彼がそれまでしていたのと同じ様に後ろ向きに階段を昇り始めた。

 こちらの援護があるからだろう、ミラーは少し早いペースで階段を踊り場まで昇ってきた。

 地下からの侵入はまったく警戒していないのだろう、なにかトラップが仕掛けられている様子は無い――今度はふたり同時に階段を昇りきると、彼らは視線を交わしてうなずき合った。

 互いに交代制でカバーしながら、ガスマスクを装着する。もしこの先でCNを使う様な状況になった場合、のんびりとマスクをかぶっている暇は無いかもしれない。

 途中から石材の色が変わっている――戦争中に破壊されたものを再建したからだろう。左手に扉がある――取っ手に埃が積もっており、まったく使用されていないものだとわかった。換気目的なのか扉に小窓があり、そこから覗きこむと、彼らにはまったくわからない祭事用の道具が納められていた。

 まっすぐ進むと、廊下が右側に直角に曲がっていた。曲がり角から据銃してじりじりと曲がり角を廻り込む――廊下には誰もおらず、右側に開け放された扉がある。覗き込むと司祭室らしく、中央正教の司祭服を身につけた老人が全身に銃弾を撃ち込まれて倒れていた。

 棚の上に飾られた縦木に横木、さらにちょっと斜めになった横木を組み合わせた中央正教の十字架に、唾が吐きかけられている。

 司祭室をぐるりと廻り込む様にして進むと、左手に扉があった――廊下自体は直進しており、奥に螺旋階段が見える。開け放されたままの扉から向こう側をそっと覗き込むと、ふたりの男たちが礼拝堂の椅子に座って居眠りをしているのが視界に入ってきた。

 どうする? ミラーが視線で尋ねてきたので、スタンフォードは軽くかぶりを振ってみせた。こちらに気づいていないなら、催涙ガスを投げ込む必要も無い。

 ミラーが小さくうなずいて、サプレッサーつきの自動拳銃を太腿のホルスターから引き抜いた。彼が装備しているのは74式微声拳銃、武装民兵に供給されているのと同じ国で生産されたものだ。彼らの指揮官たちが携行しているのと同じ74式自動拳銃をベースに銃身と一体化したサプレッサーを組み込み、スライドの後退をロックする機構を追加したもので、銃口初速が音速以下になる様に装薬の組成や充填量を調整した亜音速サブソニック弾を使用する。このタイプの銃は、スライドの後退を物理的にロックした状態で発砲するとほとんど音がしない。代わりに発射の都度ロックを解除し、スライドを手で引き直さなければならないが。

 そういった都合上、複数の標的を騒がせずに始末するのは難しい。銃を構えようとした相棒を手で制して、スタンフォードは手にしたライフルをミラーに差し出した。

 ミラーにそこを任せて扉を抜け、忍び足で礼拝堂に入り込む。

 幸いなことに礼拝堂の床も石造りで、絨毯も敷かれているので足音はほとんどしない。彼は装備ベルトにつけたダンプ・バッグの中から、くだんの注射器を取り出した。

 用意された注射器は五本。注射された相手を失神させて死なない程度に無力化する、強力な麻酔剤が充填されている。麻酔と言っても通常の麻酔剤では自発呼吸が止まり、殺害してしまうこともあるので、厳密には麻酔薬ではないと聞かされていた――具体的になんという薬なのかまでは聞かなかったが。

 とはいえ身長二メートル、体重百二十キロと目されている暫定政府軍の兵士たちの首領を無力化することを念頭に用意されたものなので、標準体型の相手では薬が強すぎて殺してしまうこともあるだろう――だが、スタンフォードは別段気にしていなかった。

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