第7話

 直接接近して無力化することを選んだのは、ただ単に相手の体にぱっと見てわかる痕跡を残さないためだ。国際平和維持軍の攻撃が始まったら首領の拉致をごまかすために、教会の建物は誤射を装って破壊される手筈になっていた――民兵の攻撃で破壊されなければ、国際平和維持軍のヘリが破壊する。瓦礫の山から掘り出した死体を相手に、(まず掘り出されることがあればだが)首筋の注射痕を気にする者などいないだろう。

 スタンフォードは長椅子のひとつで寝そべっている民兵のそばまで近づくと、手にした注射器をバラクラバの上からその首筋にそっと押し当てた。起きる様子が無いことを確認して、そのまま一気に押しつける。

 用意された注射器は、アレルギー患者の緊急的な症状抑制に使う注射キットに似たものだ。キャップをはずして先端を相手に押しつけ強く押し込むと、ロックがはずれてスプリングの力で針が飛び出し、内容薬を注入する。

 注射器のカバーをはずして先端を寝こけている兵士の首筋にあてがい、そのまま強く押し込むと、カチンという手応えが伝わってくる。民兵はかっと目を見開くと、正面に立ったスタンフォードの姿を目にして一瞬体を硬直させた――視界に入ってはいたものの、スタンフォードの存在を認識出来ていたかどうかはわからない。民兵は横になったまま一瞬体を痙攣させると、そのままふたたび目を閉じて動かなくなった。一応自発呼吸はしている様だが、これからどうなるかはわからない。

 もうひとりの民兵も同様に昏睡させてから、スタンフォードはミラーのところまで戻った。

 たがいに視線を交わして螺旋階段に近づいたときコツコツという足音が聞こえてきて、ふたりは動きを止めた。

 音は上から聞こえてくる――首領が降りてきたのか?

 死角になる様な場所は無い。隠れることはあきらめて、彼はミラーが差し出してきた催涙ガス手榴弾のピンを引き抜いた。

「ブラック・ワンよりブラック・ツー――スタンバイ、スタンバイ……」

 手榴弾はピンを引き抜いても、安全レバーがはずれるまでは作動しない。そのまま数秒待って、彼はガス弾を放り投げた。

 きん、という音とともにはずれたレバーが石段の上で跳ね返る――シューっという音とともにもうもうと催涙ガスが立ち込め始め、上のほうから動揺の気配が伝わってきた。

「行け! 行け! 行け!」 声をあげて、床を蹴る――ミラーは後衛だ。ふたりが一気に突入するには、階段は狭すぎる。それに、注射器はミラーも同じものを五本持っている。彼の両手がふさがっても問題無い。

 スタンフォードは螺旋階段を駆け登り階段の中央部分をはさんで反対側で蹲り咳き込んでいた大男に殺到した。こちらの気配に気づいて顔をあげた男の顔を、ライフルのストックで殴りつける。ストックの金属製のバットプレートの下端部分を打撃ポイントに銃全体を振り回す様にして殴りつけ、続いてその動作で振り回した銃を引き戻す様にしてバットプレートの角の部分でこめかみを殴りつけると、男は一瞬意識が飛んだのかその場でぐらついた。

 だがまだ体勢を立て直そうとしている――獣の様な唸り声をあげながら、大男がスタンフォードに掴みかかってくる。注射器を取り出そうと片手を銃から離していたスタンフォードは、その動きに対して一瞬反応が遅れた。

 壁に背中から叩きつけられて、小さくうめく――銃を取り落としたことに気づいて、彼は小さく舌打ちした。怒りで顔を真っ赤にした髭面の大男が、こちらの首元を掴んで押しつける様に締めながら、顔面を殴ろうと拳を振りかぶる。

 ズラード、という唸り声は、確か異教徒とか異民族とかそういった意味のはずだ。だが殴りかかるよりも早く脇腹にミラーのライフルのフラッシュハイダーが突き刺さり、大男はその場で膝を折った。

 力が抜けた手を首元から振りほどいて、足元に蹲った男の顔面に右膝蹴りを叩き込む――スタンフォードはそのまま大男の頭を抑えつけ、取り出した注射器を露出した男のうなじに押しつけた。

 即効性の強力な麻酔薬によってその場でぐったりと弛緩した男の体を催涙ガスの圏内から引きずり出して、プラスティカフ――というか工業用の幅広の結束バンドで両足首を縛着する。

 足はこれでいいとして、問題は手だ。両手を縛ったり両手の指同士を縛着すると、運ぶのに支障が出る。スタンフォードはその代わりとして両手の中指と薬指、それに人差し指と親指をそろえる様にしてプラスティカフで縛着した。これで多少暴れられたとしても、銃やナイフは保持出来ない。

「間違い無い、イスラン・ザリエルだ」 そうつぶやいたとき、ミラーがガス弾の筺体と安全レバーを持って戻ってきた。先ほどスタンフォードが取り落としたライフルを、自分の銃と一緒に肩にかけている――ガス弾は放置していても問題無いが、痕跡の数を減らすに越したことは無い。

「標的は確保。引き上げるぞ」 ミラーがうなずいて、男の肩をかつぎ上げる。

 これだけの体重の、しかも完全に弛緩した状態の人間となると、いくら鍛え上げている特殊部隊員ふたりがかりでも運ぶのには苦労する。

 スタンフォードはいったんその動きを手で制し、礼拝堂まで駆け戻って内部に動きが無いことを確認してから扉を閉めた。

 それが済んでから、彼らはふたりがかりで男――ザリエルの体を持ち上げた。それぞれ上体と脚を持ち上げて、ぶら下げる様にして歩いてゆく。

 身長差がありすぎて運ぶのは大変だったが、仕方が無い――上半身をふたりがかりでかついで足を引きずり、床に痕跡を残すわけにはいかない。どうせすぐに建物ごと破壊されるが、その前に追跡されたら困るのだ――せっかく絨毯のたぐいが無いのだ、引きずって跡を残さなければあからさまな痕跡はなにも残らない。

 階段のところまで到達しても、おかしな声は聞こえない。銃声はすでにほとんど聞こえなくなってきていた。広場での処刑はだいたい済んだということなのだろう――見殺しにする様で心苦しかったが、仕方が無い。

 悲鳴がもう聞こえなくなっていることだけに安堵しながら、スタンフォードはガスマスクをはずしてナイトビジョンに付け替えた。

 地下へと通じる階段を降りるのにも転げ落ちそうになって苦労したが、階段から地下倉庫へ入るのは入り口が狭すぎて、いったんザリエルの体を床に降ろしてふたりがかりで足を引っ張って引きずっていかなければならなかった。

 隠しトンネルへの入口が壁ではなく床にあることに心底感謝しながら、トンネルの出入り口にザリエルの体を引きずり込む。蓋は元通りに閉めたが、閂はかけずにおいた。向こう側からははずせない施錠がされているというのは、つまりと宣言するのと同義だからだ。

「まったく、突き落としたほうが早いんじゃねえのか?」 ザリエルの脇の下あたりに西部劇の投げ輪みたいな縛り方をした輪っか状のロープを通してきゅっと締め上げながら、ミラーがぼやく。スタンフォードは返事をしなかった――体格で劣るぶん疲れていたので、ミラーの言葉に返事をする余裕が無かったのだ。

 スタンフォードは息が整うのを待ってから超小型無線機の送信ボタンを押し込み、

「ブラック・ワンよりゼロ・ブラヴォー」

「ゼロ・ブラヴォー――状況の報告を」

「ブラック・ワン――ターゲットは確保、これより離脱する。進発準備を整えておいてくれ」

「ゼロ・ブラヴォー――了解」

 ゼロ・ブラヴォーは国際平和維持軍とこちらとの連携のために、ロメオ64とゼロ・ブラヴォーというふたつのコールサインと二種類の周波数を使い分けている。

 ほかの隊員たちと違ってスタンフォードは現場指揮官のひとりなので、必知事項ニード・トゥ・ノウ作戦上の機密保全オペレーショナル・セキュリティの関係上詳細までは知らされていないが、行動準備コードが『ルーシー』、進発コードが『デイジー』であることくらいは知っている――今ごろ彼らが知らない周波数で、国際平和維持軍の各部隊に準備命令が伝えられているだろう。

 64――

 38、

 36、

 65、

 51、

 61、

 21、

 23、

 51、

 23、

 85、

 27、

 74、

 33、

 13、

 69、

 77、

 

「ブラック・ワンより全ブラック――傍受していたか?」

「ブラック・スリー――傍受していた。こちら側はクリア。人手はいるか?」

「ブラック・ワン――否、いい。そっちの確保を頼む」

「ブラック・スリー――了解」

 それで通信を終えて、スタンフォードはミラーとふたりがかりでザリエルの体を下ろしにかかった。方法は単純だ――片方の端を輪っか状にしたロープでザリエルの体を吊り下げて、下まで降ろす。

 標準体重ならともかく、なにしろ体重が百二十キロもある相手だ。ロープが指に食い込んでひりひりと痛み、気を抜くと一緒に転げ落ちそうになる。高さはたかだか三メートルそこそこなのだが、ザリエルの体が床についてロープに荷重がかからなくなるまでの数分が、まるで永遠に続くかの様に長く感じられた。

 梯子を伝ってトンネルまで降り、用意しておいた台車にザリエルの体を載せる。両足を縛っているプラスティカフにロープを引っ掛けて、それを担ぐ様にしてスタンフォードが足を支え、後ろからミラーが台車を押していくということで、話は十秒でまとまった。出来る限り急がなければならないが、かといってこの体勢では走ることも出来ない。たがいの歩調がそろわなければ、ザリエルの体を落としてしまってそのぶん時間が無駄になる。

 急ぎ足でトンネルを通り抜けると、やがて行く手に光が見えてきた。たまたまトンネルの中を覗き込んでいたレクサーが、こちらを見つけたらしい――彼は周辺監視はほかの三人に任せ、こちらを手伝うためにトンネルに入り込んできた。

 三人がかりでザリエルの巨体を引き上げ、墓石を元に戻す。さいわい動かした形跡は目で見て識別出来るものではなかったので、そのまま放置することに決めた。

 正直息も絶え絶えの有様ではあったが、まずはやらなければならないことがある。確実に証拠を隠滅しなければ。

「ブラック・ワンよりゼロ・ブラヴォー――教会より離脱した。行動を開始しろ」

「ゼロ・ブラヴォー――了解」 その返答のあとやや間を置いて、バタバタというヘリのローター音が聞こえてきた。ゼロ・ブラヴォーがロメオ64のコールサインで発した命令デイジーに従って、国際平和維持軍の部隊が行動を開始したのだ。

 武装民兵は国際平和維持軍の鎮圧部隊によって殲滅されるだろう――そしてそうすることで、イスラン・ザリエルは『死亡』する。

 無論、村人はもうひとりも生き残ってはいないだろう――武装民兵がシワの村を襲って少数民族を虐殺、後手に回った国際平和維持軍が武装民兵を撃退したものの、そのときには生き残りはひとりもいなかった。公式にはそう発表される。

「ブラック・ワンよりレッド。受信しているか?」

 スタンフォードの呼びかけに、応答はすぐに返ってきた。

「こちらレッド、感度は良好。すでに回収地点L Zに向かっている。到着予定時刻E T Aは十分後だ」

「ブラック・ワン――了解Rog。ゼロ・ブラヴォー、状況は把握しているか?」

「ゼロ・ブラヴォー、掌握している。速やかに撤退せよ、以上アウト」 通信を打ち切って、スタンフォードは村のほうを見下ろした――頭上を通り過ぎていったヘリコプターが八・二ミリ口径のバルカン砲を発射し、曳光弾がまるで光の雨の様に降り注いで中央広場にいた武装民兵をバタバタと薙ぎ倒していく。

 一分間に二千発の発射能力を持つ六連銃身のガトリングバルカンが吐き出した徹甲弾が、対応の遅れたテクニカルを一瞬で蜂の巣にした。大半の軍用車と違ってガソリンエンジンを積んでいたのだろう、四発に一発の割合で混ぜられた曳光弾トレイサーの曳光剤が穴だらけになった燃料タンクから漏れ出した燃料に引火して、テクニカルの荷台の上で細切れにされた機銃手の死体もろとも車体を炎に包みこむ。

 攻撃ヘリ二機がガンビットとテクニカル合わせて六台と兵員輸送装甲車A P Cを含む車輌十一台をあっという間に無力化し、その間に兵員輸送ヘリからファースト・ロープ降下した兵士と装甲車から降りた兵士たちが村の各所に散開してゆく。

 先ほどまでは民兵が村人を虐殺していた銃声が聞こえてきていた村で、今度は平和維持軍が民兵に攻撃を加える銃声が聞こえてきた。

 すでにヘリ六機、装甲車十数台、歩兵五百名による包囲網は完成しつつあった。もはや武装民兵どもに逃げ場はあるまい。

「どうした?」 レイトナーに声をかけられて、スタンフォードはそちらを振り返った。

 レイトナーが、ザリエルの左腕を担ぐ様にして持ち上げている。レクサーがライフルを交換してから、それに参加した。

「否、なんでもない。行こう」

「ああ。しっかり護衛を頼むぜ、分隊長」 レイトナーの言葉に苦笑してうなずくと、スタンフォードはスリングを使ってライフルを据銃しながら歩き出した。


 一週間後、国際平和維持軍による鎮圧作戦によってアルマダ共和国暫定政府軍ナンバー2、南方軍部隊総司令イスラン・ザリエルが死亡したことが発表された。なお民間人の死者は五百人とされ、鎮圧作戦前にすべて死亡していたと発表されている。

 この事件は民族浄化を受ける少数民族の抵抗勢力による他民族への決起と反政府連合軍の結成を促す材料となり、また国際平和維持軍とそこに部隊を派遣する自由主義陣営が本格的に反政府軍のバックアップを行う口実となった。

 これ以降、アルマダ共和国は自由主義陣営が結成する国際平和維持軍と共産主義国家群による代理戦争の舞台となり、自分たちでは手をつけることも出来ない鉱物資源の利権をめぐって泥沼の争いに巻き込まれてゆくことになる……

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