第3話
アルマダ共和国領シワは共和国が大戦後に主権を回復してから十年後に戦勝国側から返還された、共和国十三番目の州だ。
かつては大陸有数の農産地帯であり、また世界有数の麦どころ兼フルーツ王国だった――だがそれも今は昔、たった百年前にこの土地に見られた見渡す限りの黄金色の麦畑は、七十八年前の第三次世界大戦の際にばら撒かれた三万発を超える焼夷弾と一万発を超える対戦車用の空中散布地雷、燃料気化爆弾によって永遠に失われてしまった。
戦勝国側があっさりと領有権を放棄したのはかつては大陸の消費量の半分を供給するとまで言われた麦畑がすべて失われて被害があまりにも甚大だったことと、残留した燃料による土壌汚染が原因で復興も覚束無い有様だったからだ。
かつては肥沃だった大地は着火しないまま地面に落達してそのまま破損した焼夷弾の内部から漏れ出し地面に染み込んだ焼夷弾の燃料の残留物と焼夷剤が燃焼したあとに残る有害酸化物によって汚染し尽くされ、今や不毛の地と化している。ところどころに残った奇蹟的に汚染を免れた土壌で栽培された乏しい麦や野菜だけが、この地に生きる人々の命を繋ぐ糧だった。
複数の民族が押し込められた共和国の政権は独立から四半世紀がたった五十年ほど前に崩壊し、以降民族イデオロギーの衝突による絶え間無い紛争と虐殺、民族浄化が続いている。今はもっとも多数派の民族が旧共和国首都を乗っ取って軍事政権の樹立を宣言、近隣の共産・社会主義国家から供給される武器装備品を運用して少数派に対する民族浄化を強力に推し進めている。
この村も、そういった民族浄化の標的に選ばれたひとつだった。
同時に国際平和維持軍の参加国も、七十年がたった今になって再びシワに目を光らせている――数年前に、極めて有望なレアメタル鉱が発見されたからだ。
平和維持と人道支援と言えば聞こえはいいが、要するに目当てにしていた麦畑が台無しになって手を引いた連中が、今になって今度は地下資源目当てにたかっているというだけだ。
その地下資源目当てにたかっている国の一兵士としての自分の立場に対する皮肉もこめて唇をゆがめ、彼はライフルの銃把を握り直した。
国家上層部の連中の思惑は、自分には関係無い――軍人として任務に服するだけだ。その結果としてあんなふうに虐殺されている連中をひとりでも減らせれば、この汚れ仕事も無駄にはなるまい。
胸中でつぶやいて、彼はライフルを据銃して周囲の様子を探った。裏口を出て左側は問題無い。扉の枠――戸板は機銃掃射で粉砕されている――の反対側に張りついて、今度は右側。先ほどの武装民兵ふたりは、もうかなり離れている。相変わらず外からは銃声と悲鳴がひっきりなしに聞こえてきているから、多少の動きは気取られることは無いだろう。
彼の後に続く様に裏口の反対側に張りついて、左側を索敵していたレクサーに視線を向ける。彼はこちらに視線を向けて小さくうなずいた。
家々は中央広場を取り囲む様にして建てられていて、玄関も裏口も道路に面している。この地方の家の特徴だ。円形に配置された民家と円周の道路が交互に並んでいると言えばわかりやすいか。
左右ともにクリア。彼は先ほどまでよりも大胆に裏口から身を乗り出すと、次に身を隠す場所を探した。
最終的に目指す場所は、村の中央の教会だ――政府軍兵士どもの首領はいつでも、高い場所から少数民族が虐殺されてゆくのを眺めて悦に入っている。煙と同じで高いところが好きなのだが、あいにく煙よりもたちが悪い。
問題は中央広場を突っ切って中央の教会に潜入するのは、非常に難しいということだ。
人数が多すぎて死角が非常に狭い。仮に見つからずに潜入出来たとしても、抵抗する――あるいは昏倒させた――身長二メートル体重百二十キロの巨漢を引きずりながら教会の周囲の敵を突っ切って出ていくのは至難の業だ。
そのために情報部と連隊本部で協議して見つけ出したのが、教会の地下に設けられたトンネルだった。中央正教会の教会は、ほぼ例外無く秘密の隠し通路を持っている――五世紀くらい前に宗教戦争が行われたころの名残らしいが、無宗教の彼にはよくわからない。重要なのは、そこを
つながっている先は、教会の建てられた時代による――あの教会は大戦後に再建されたもので、大戦で破壊された教会は七世紀前のものだ。そのころに建てられた教会の隠しトンネルは、たいてい墓地につながっている。
身を低くしたまま通りを走り、物陰から物陰へと進んでいく。厄介なのはところどころで車が炎上していることだ。出来るだけ明るい場所は避けたいが、そうもいかない場所もある。
墓地にたどり着くころには、十五分が経過していた――まああのペースとしては悪くない。
「ブラック・ワンよりブラック・ツー――今どこにいる?」
「ブラック・ツー――墓地の奥だ。スリーとファイヴ、シックスも一緒だ。トンネルの出入り口らしいものも見つけた」
「ブラック・ワン――
雑草がぼうぼうに生い茂った墓場を這いずって進んでいくと、一番奥のところに黒ずくめの恰好の人影が見えた。
「スティーヴ?」 超小型無線機を通さず肉声で呼びかけると、人影が手を挙げた。
「遅かったな、ウォーゼル」 ミドル・ネームで呼ばれて、彼は少しだけ口元をゆがめた。
「クリスは?」 そう尋ねると、少し離れた後方から返事が返ってきた。
「はいよ」 その声に、彼は一瞬ぎょっとして背後を振り返った。彼らとすれ違って背後に廻ったのか、それとも最初からどこかに身を潜めていたのか。
いつものことだが――クリス・レイトナーは身を隠すのが抜群に巧い。擬装に長けていて、足元にいても気づかないことがある。これで狙撃の技能が備わっていればジャングル戦で敵う者などいないのだが、残念なことに彼は前に出るのが好きなタイプだ。
すぐ近くにジャック・ワイズマンとデイヴ・ライリーもいる――墓地に一番近い位置に陣取っていたのはこのふたりだから、くだんのトンネルを見つけ出したのも彼らだろう。
「問題の墓はこいつですか?」 ワイズマンが手をかけた墓石に視線を向けてアレックス・レクサーがそう尋ねると、スティーヴ・ミラーがその問いに小さくうなずいた。
「さっき民家でちょうどいいものを見つけたんで、失敬してきた」 ミラーがそう言って、それまで草の陰に置いていた台車を翳してみせる。
「一応俺が乗っても平気だった。全体重がかからない様に気をつければなんとかなるだろう」
「えらいぞ、スティーヴ」 ミラーの言葉に、ウォーゼル・スタンフォードはそう言ってにやりと笑った。言うまでもなく他人の持ち物だが、持ち主はすでに死んでいるかそう遠くないうちに死ぬだろう――彼らにはなにもしてやれないが、いずれ仇は討ってやる。
「帰ったら、おまえの息子に肩叩き券の作り方でも教えてやろう」
「安上がりだなおい――しかもそれ、実際に働くのはあんたじゃなくて俺の息子じゃないか」
無駄話はそれで終わりにして、彼らは行動を開始した。レイトナーとレクサー、ワイズマンとライリーはここで待機して教会の様子と、墓地にやってくる者を監視し、場合によっては始末する。
スタンフォードはレクサーに自分の狙撃用ライフルを差し出し、
「おまえのと交換してくれ。穴蔵に持ち込むには長すぎる――暗視照準器の使い方はわかるな?」
レクサーがうなずいて、自分のライフルを差し出してきた。ライフルで正確に照準をつけるには個々の個癖に合わせた
弾倉まで交換する必要は無い――これが対テロリスト任務なら弾薬も特製だが、今使っているのはただの軍用弾だ。弾倉は共通だから、今のままでも問題無い。
スタンフォードは受け取ったライフルを軽く検分した。サーヴィス・ファイアーアームズ社が軍用向けに供給しているSDSUアサルト・ライフルをベースにしてサウンドサプレッサーを組み込んだ、特殊部隊用途のSDSUISS――
銃身下部にフォアアームの代わりにM194アンダーバレル・ショットガンを取り付け、彼自身が装備している長距離狙撃用のライフルに装備されているものほどではないが銃身と一体化した大容量のサウンドサプレッサーを備えた減音機能の高い隠密作戦用モデルになる。
こういったいわば作りつけのサプレッサーの利点は必要に応じた着脱が出来ない代わり、全長が変わらないことと必要になったときにその都度取りつけなくていいことだった――発射ガスを内部で膨張させ減速させることで発射音を抑制するというサプレッサーの基本原理からすると、容積を大きく取れる一体型のサプレッサーは利点が多い。
銃声は大きく分けてふたつの音で構成されている――ひとつは飛翔する弾頭が音速を突破するときの風斬り音や
サプレッサーが抑えることが出来る銃声の構成要素は後者で、特殊なものを除いて基本的には自動車用のサイレンサーと同じ構造のものだ――実際に外部に放出する前にある程度膨張させ、内部に詰めた綿状の詰め物やパンチングメッシュの仕切り板の隙間を通過させることによって減速させ破裂音を抑制する。
だが野戦用ライフルにおけるサプレッサーの第一義は、銃声ではなく銃火を消すことだ。夜間だと特に――銃火は格好の標的になる。
コッキングレバーを引いて排莢口から薬室を覗き込み、金色の薬莢がきちんと装填されているのを確認してから、彼はボルトを戻した。コッキングレバーを軽く押してボルトの閉鎖を確認してから、続いてM194のコッキングレバーを引く。
薬室内部を覗き込んできちんと装弾されているのを確認してから、彼はコッキングレバーを放して超小型無線機の送信ボタンを押し込んだ。
「ロメオ64、ロメオ64。オペレーション・シーライオン、ブラック・ワン。応答せよ」
「ロメオ64――感度は良好。状況を報告してくれ」
一瞬の間をおいてヘッドセットから強襲部隊の指揮官の声が聞こえ、スタンフォードは胸を撫で下ろした――後方に待機した国際平和維持軍との連携がうまくいかなければ、彼らはここで孤立する。
「ブラック・ワン――目標に到達した。これから教会に潜入する」
「ロメオ64――了解。幸運を祈る。交信終わり」
それで通話を打ち切り、スタンフォードはミラーと視線を交わした。レイトナーとミラーがトンネルの出口を隠す墓石をずらし、斜めに掘られたトンネルの入り口を剥き出しにしている。
墓地は村はずれにある。墓石が多少ずれていても、ここまでは虐殺の劫火の光は届かない。たとえここまで動哨が足を伸ばしたとしても、よほど近くまで寄らない限りこのトンネルの存在に気づくことは無いはずだ。
スタンフォードは暗視装置を装着して、ライフルの銃身に取りつけたフラッシュライトのスイッチを入れた。可視光線を遮断して赤外線だけを照射するフィルターをかぶせられたライトは、パッシヴ式暗視装置を併用した場合に光源として機能する。熱源分布や微弱な光を増幅して視界を確保する機能もあるが、そもそも光源も無く周りが土のトンネルでは役に立たない。
トンネル内部を照らし出すと、乱雑に掘られたトンネルが奥のほうまで続いているのがわかった。
「俺が先に行く」 スタンフォードはそう告げて、トンネルに足を踏み入れた。
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