第4話
アルマダ共和国領シワは共和国が大戦後に主権を回復してから十年後に戦勝国側から返還された、共和国十三番目の州だ。
かつては大陸有数の農産地帯であり、世界有数の麦どころ兼フルーツ王国だった――だがそれも今は昔、たった百年前にこの土地に見られた見渡す限りの黄金色の麦畑、莫大な生産量を誇る農地は七十八年前の世界大戦の際にばら撒かれた三万発を超える焼夷弾と一万発もの対戦車用空中散布地雷、そして二千五百を数える燃料気化爆弾によって永遠に失われてしまった。
戦勝国側があっさりと領有権を放棄したのはかつては大陸の消費量の半分を供給するとまで言われた広大な穀倉地帯の九割九分が失われて被害があまりにも甚大だったことと、残留した燃料による土壌汚染が原因で復興も覚束無い有様だったからだ。
かつては肥沃だった大地は着火しないまま地面に落達してそのまま破損した焼夷弾の内部から漏れ出し地面に染み込んだ焼夷弾の燃料の残留物と燃料気化爆弾の燃料が燃焼したあとに残る有害酸化物によって汚染し尽くされ、今や不毛の地と化している。ところどころに残った奇蹟的に汚染を免れた土壌で栽培された乏しい麦や野菜だけが、この地に生きる人々の命を繋ぐ糧だった。
複数の民族が押し込められた共和国の政権は独立から四半世紀がたった五十年ほど前に崩壊し、以降民族イデオロギーの衝突による絶え間無い紛争と虐殺、民族浄化が続いている。今はもっとも多数派の民族が旧共和国首都を乗っ取って軍事政権の樹立を宣言、近隣の共産・社会主義国家から供給される武器装備品を運用して少数派に対する民族浄化を強力に推し進めている。
この村も、そういった民族浄化の標的に選ばれたひとつだった。
同時に国際平和維持軍の参加国も、七十年がたった今になって再びシワに目を光らせている――数年前に、極めて有望なレアメタル鉱が発見されたからだ。
平和維持と人道支援と言えば聞こえはいいが、要するに目当てにしていた麦畑が台無しになって手を引いた連中が、今になって今度は地下資源目当てにたかっているというだけだ。
その地下資源目当てにたかっている国の一兵士としての自分の立場に対する皮肉もこめて唇をゆがめ、彼はサブマシンガンのグリップを握り直した。
国家上層部の連中の思惑は、自分には関係無い――軍人として任務に服するだけだ。その結果としてあんなふうに虐殺されている連中をひとりでも減らせれば、この汚れ仕事も無駄にはなるまい。
胸中でつぶやいて、彼は裏口の枠――裏口の戸板は機銃掃射で粉砕されている――に張りついて外の様子を窺った。裏口を出て左側は問題無い――先ほどの武装民兵ふたりは、もうかなり離れている。すでに家という家を調べ尽くしているので、彼らの巡回にはさほどの意味は無い。
家に併設された家畜小屋を民兵が覗き込んだのは、ある種の気まぐれによるもので彼らの存在を看破したからではない――彼らは屋内の様子に注意を払っていない。
相変わらず外からは銃声と悲鳴がひっきりなしに聞こえてきているから、多少の動きは気取られることは無いだろう。
「ブラック・ワンよりブラック・ツー、ブラック・ファイヴ――注意の状況の確認を」
「ブラック・ツー――周囲はクリア」
{ブラック・ワン
家々は中央広場を取り囲む様にして建てられていて、玄関も裏口も道路に面している。この地方の家の特徴だ。円形に配置された民家と円周の道路が交互に並んでいると言えばわかりやすいか。
サブマシンガンを据銃したまま左右を窺い、次に身を隠す場所を探す。
最終的に目指す場所は、村の中央の半壊した教会だ――政府軍兵士どもの首領はいつも、高い場所から村人たちが虐殺されてゆくのを眺めて悦に入っている。煙と同じで高いところが好きなのだが、あいにく煙よりもたちが悪い。
問題は中央広場を突っ切って中央の教会に潜入するのは、非常に難しいということだ。
人数が多すぎて死角が非常に狭い。仮に見つからずに潜入出来たとしても、抵抗する――あるいは昏倒させた――身長二メートル体重百二十キロの巨漢を引きずりながら教会の周囲の敵を突っ切って出ていくのは至難の業だ。
そのために情報部と連隊本部で協議して見つけ出したのが、教会の地下に設けられたトンネルだった――中央正教会の教会は、ほぼ例外無く秘密の隠し通路を持っている。五世紀くらい前に宗教戦争が行われたころの名残らしいが、海外出身で異教徒の彼にはよくわからない――彼らにとって重要なのは、そこを
つながっている先は、教会の建てられた時代による――出撃前の
身を低くしたまま通りを走り、物陰から物陰へと進んでいく。厄介なのはところどころで車が炎上していることだ。出来るだけ明るい場所は避けたいが、そうもいかない場所もある。
墓地にたどり着くころには、十五分が経過していた――まああのペースとしては悪くない。
「ブラック・ワンよりブラック・ツー――今どこにいる?」
「ブラック・ツー――墓地の奥だ。スリーとファイヴ、シックスも一緒だ。トンネルの出入り口らしいものも見つけた」
「ブラック・ワン――
雑草がぼうぼうに生い茂った墓場を這いずって進んでいくと、一番奥のところに黒ずくめの恰好の人影が見えた。
「スティーヴ?」 超小型無線機を通さず肉声で呼びかけると、人影が手を挙げた。
「遅かったな、ウォーゼル」 ミドル・ネームで呼ばれて、彼は少しだけ口元をゆがめた。
「クリスは?」 そう尋ねると、少し離れた後方から返事が返ってきた。
「はいよ」 その声に、彼は一瞬ぎょっとして背後を振り返った。いつの間にか彼らとすれ違って背後に廻ったのか、それとも最初からどこかに身を潜めていたのか。
いつものことだが――クリス・レイトナーは身を隠すのが抜群に巧い。擬装に長けていて、足元にいても気づかないことがある。これで狙撃の技能が備わっていればジャングル戦で敵う者など誰もいないのだが、残念なことに彼は前に出るのが好きなタイプだ。
すぐ近くにジャック・ワイズマンとデイヴ・ライリーもいる――墓地に一番近い位置に陣取っていたのはこのふたりだから、くだんのトンネルを見つけ出したのも彼らだろう。
「問題の墓はこいつですか?」 ワイズマンが手をかけた墓石に視線を向けてアレックス・レクサーがそう尋ねると、スティーヴ・ミラーがその問いに小さくうなずいた。
「さっき民家でちょうどいいものを見つけたんで、失敬してきた」 ミラーがそう言って、それまで草の陰に置いていた台車を翳してみせる。
「一応俺が乗っても平気だった。全体重がかからない様に気をつければなんとかなるだろう」
「えらいぞ、スティーヴ」 ミラーの言葉に、ウォーゼル・スタンフォードはそう言ってにやりと笑った。言うまでもなく他人の持ち物だが、持ち主はすでに死んでいるか、そう遠くないうちに死ぬだろう――彼らにはなにもしてやれないが、いずれ仇は討ってやる。
「帰ったら、おまえの息子に肩叩き券の作り方でも教えてやろう」
「安上がりだなおい――しかもそれ、実際に働くのはあんたじゃなくて俺の息子じゃないか」
無駄話はそれで終わりにして、彼らは行動を開始した。レイトナーとレクサー、ワイズマンとライリーはここで待機して教会の様子と、墓地にやってくる者を監視し、場合によっては始末する。
スタンフォードはレクサーに視線を向けて、それまで背中側に吊るしていた自分の狙撃用ライフルを差し出した――ウルティマ・レティオ・サウンド・リデュースはアサルトライフルがベースになっているのでいざとなれば連射やバースト射撃も可能だが、いかんせん
「預かっておいてくれ」
「了解」 レクサーがうなずいて、受け取った狙撃用ライフルをスリングで背中側に吊るす。
「これ持っていってください」
レクサーがそう言って、自分が背中側に負っていたSDSUISSアサルトライフルを差し出してくる。ライフルを置いていくことで半減するファイアパワーを補うのが半分、残り半分はレクサーもスタンフォードと同じ様にSDSUHGA12ISSサブマシンガンを体の前側に吊るしているので、それに加えてウルティマ・レティオ・サウンド・リデュースとSDSUISSの二挺を一度に背中に負っていられないというところだろう。
弾倉まで交換する必要は無い――先述したとおりライフルのメーカーも弾頭の形状も装薬の組成も同じで弾倉の取りつけ部分の形状も同じなので、そのまま使い回すことが出来る。
スタンフォードは受け取ったライフルを眼前に翳し、軽く検分した。サーヴィス・ファイアーアームズ社が軍用向けに供給しているSDSUアサルトライフルをベースにして大型のサウンドサプレッサーを組み込んだ、特殊部隊用途のSDSUISS――
銃身下部にフォアアームの代わりにM194アンダーバレル・ショットガンを取りつけ、彼自身が携行している長距離狙撃用のライフルに装備されているものほどではないが銃身と一体化した大容量のサウンドサプレッサーを備えた減音機能の高い隠密作戦用モデルだ。
こういったいわば作りつけのサプレッサーの利点は必要に応じた着脱が出来ない代わり、オリジナルのSDSUアサルトライフルと全長がそれほど変わらないことと容積を大きくとれること、必要になったときにその都度取りつけなくていいことだった――発射ガスを内部で膨張させ減速させることで発射音を抑制するというサプレッサーの基本原理からすると、容積を大きく取れる一体型のサプレッサーは利点が多い。
とはいえ、預けた狙撃銃の代わりにこのSDSUISSを使うつもりも無い――そもそもこの作戦においては、発砲せずに状況を終わらせるのが最上の展開なのだ。
銃声は大きく分けてふたつの音で構成されている――ひとつは飛翔する弾頭が音速を突破するときの風斬り音や
サプレッサーが抑えることが出来る銃声の構成要素は後者で、特殊なものを除いて基本的には自動車用のサイレンサーと同じ構造のものだ――高圧高速で噴出する発射ガスを外部に放出する前にある程度膨張させ、内部に詰めた金属製の綿状の詰め物やパンチングメッシュの仕切り板の隙間を通過させ減速させることで破裂音を抑制する。
だからといって、装薬の量を減らして
SDSUISSやウルティマ・レティオ・サウンド・リデュースと同じ様に銃身と一体になったサプレッサーを備えたSDSUHGA12ISSも、標準で
ところがそれと同じ様に装薬の燃焼速度や充填量を調整して弾速を落とそうとすると、銃身の長いライフルでは銃身の摩擦抵抗によって弾頭が銃身内部で停止する可能性がある。
基本的に銃弾の装薬は一定の範囲内の長さの銃身を備えた銃で発射された際に、弾頭が銃口から飛び出す直前に火薬が燃え尽きる様に燃焼速度や充填量が調整されている――その弾薬を用いるライフルのほうも銃身長がその範囲内に収まる様に設計されており、そのため生産国やメーカーが違っても同じ弾薬を用いるライフルの銃身長はだいたい似通っている。これは安全保障上の同盟国など、同じ
そのため意図的に用途の異なる弾薬を使用しない限り、実銃の射撃で映画の様な派手な
逆に装薬の充填量や燃焼速度が不適切だと派手な
このため、規格が同じライフル弾でも使う銃によって装薬の燃焼速度や充填量が異なることは珍しくない――たとえば銃身長が八十センチのライフルと五十センチのライフルでは、弾頭や薬莢の形状が同じでも使用される弾薬の火薬の組成や充填量が異なる。だがそうやって火薬の組成や量を調整しても、音速を下回るまで
よってライフルにおけるサプレッサーの使用は拳銃の場合ほど効果的ではなく、その第一義は銃声ではなく硝煙や発射ガスの急激な膨張で周囲の枝葉が揺れたり埃が舞い上がったりするのを抑制して自身の位置が露顕するのを防ぐことだ。銃声の構成要素のひとつである
そんなことを考えながら、スタンフォードは受け取ったライフルを肩づけして
銃の照準は、誰もかれもが同じ状態で撃てるというわけではない――同じ眉間を狙うにしても、人によっては額に照準することもあるし鼻の頭を照準する者もいる。
それは個人個人の個癖しだいだ――スタンフォードは眉間をきっちり狙う派閥だが。額を狙っても鼻の頭を狙っても眉間に命中する様に、個々の個癖に合わせて照準を修正する作業が必要になる。
コッキングレバーを引いて排莢口から薬室を覗き込み、金色の薬莢がきちんと装填されているのを確認してから、彼はボルトを戻した。コッキングレバーを軽く押してボルトの閉鎖を確認してから、続いてM194のコッキングレバーを引く。
薬室内部を覗き込んできちんと装弾されているのを確認してから受け取ったライフルを背中側に吊るし、彼は超小型無線機の送信ボタンを押し込んだ。
「ゼロ・ブラヴォー、こちらオペレーション・シーライオン、ブラック・ワン――応答願う」
「こちらゼロ・ブラヴォー――感度は良好。状況を報告してくれ」
一瞬の間をおいてヘッドセットから強襲部隊の指揮官の声が聞こえ、スタンフォードは胸を撫で下ろした――後方に待機した国際平和維持軍との連携がうまくいかなければ、彼らはここで孤立する。
「ブラック・ワン――目標に到達した。これから教会に潜入する」
「ゼロ・ブラヴォー了解――幸運を祈る。交信終わり」
それで通話を打ち切り、スタンフォードはミラーと視線を交わした。レイトナーとミラーがトンネルの出口を隠す墓石をずらし、斜めに掘られたトンネルの入り口を剥き出しにしている。
墓地は村はずれにある。墓石が多少ずれていても、ここまでは虐殺の劫火の光は届かない。たとえここまで動哨が足を伸ばしたとしても、よほど近くまで寄らない限りこのトンネルの存在に気づくことは無いはずだ。
スタンフォードは複数の方式の暗視機能を搭載したために大型化した
トンネル内部を照らし出すと、乱雑に掘られたトンネルが奥のほうまで続いているのがわかった。
「俺が先に行く」 スタンフォードはそう告げて、トンネルに足を踏み入れた。
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