第3話
レクサーが小さくうなずき返してくるのを確認して、彼は超小型無線機の送信ボタンを押し込んだ。
「ブラック・ワンより全ブラック――ブラック・ワンとブラック・フォアは移動を開始する。援護しろ」
「ブラック・ツー
「ブラック・スリー
「ブラック・ファイヴ了解」
「ブラック・シックス了解」
チームの同僚四名の
彼は音も無く飼育小屋の外に出ると、姿勢を低くしたまま小走りに移動を開始した。
穴だらけになった牛牽きの荷車が、路上で猛烈な炎をあげて燃えている――政府軍の兵士たちは村の中央広場から数台のガンビットやテクニカルで周囲三百六十度に機銃掃射を加えていたのだが、そのうちの一台が掃射した痕だ。ただの
焼け落ちた幌の下で荷台に積み上げられている荷物は、どうやら燃料用の薪らしい――油分が多い針葉樹だからか、黒煙の混じった炎に覆われた車体の発する熱と光に彼は小さく舌打ちを漏らした。明るすぎる。
近道をするならこの荷車の陰から広場に通じる通りを突っ切るべきだが、移動の最中に敵兵がこちらを見れば即座に存在が露顕する。生身の人間が十五ミリ口径の対空機銃数台の一斉掃射に対抗するのは到底不可能だ。廻り込んでいくしかない。
彼は周囲に視線をめぐらせて、民家のひとつに目を留めた。
風雨によって薄汚れた、比較的大きな木造の家だ――年季も入っている様に見える。先の大戦のダメージで工業技術が失われたシワでは、金属製品はごく単純なものしか作ることが出来ない――汚染地域から回収された金属製品から作った釘や農耕用の鍬や鋤がせいぜい、蝶番やネジ類の様な規格化が必要な金属製品やひねって開閉するドアノブなど夢のまた夢。
大きな建物を造るのに必要な数学的知識も失われ、そのため建築物も平屋建ての単純な構造のものが一般的だ――先の大戦での全壊をまぬがれた教会も含めて、戦前に一般的だった煉瓦造りの建物はシワにはほとんど残っていない。
それも今は、容赦の無い機銃掃射によって半壊している。木製の引き戸が完全に破壊され、外壁に頭の無い女の屍がもたれかかっている――たまたま十五ミリ口径の銃弾が頭部に命中したのか頭が西瓜の様に砕け、燃え盛る車の発する熱で干からびた血と脳漿が外壁に飛び散っていた。
「レクサー、そこの建物に入るぞ。援護する、先に入れ」
無言でうなずいて、レクサーが少し高い位置にある民家の玄関に入るために五段ほどの低い階段を駆け昇る。この地方は冬が厳しい――地面からの放射冷却を防ぐために、床下はかなり高い造りになっている。
階段を昇っている間に広場から発見される危険が無いわけではないが、さいわい広場との直線上で建物や木が炎上している。
揺らめく炎が、こちらの動きに注意が向くのを妨げてくれるはずだ。レクサーが完全に屋内に身を隠し、こちらから見える角度で手招きする――彼はレクサーの位置からだと死角になる側に動きが無いことを確認してから、姿勢を低くしたまま一気に屋内に駆け込んだ。
民家の入口には二重の扉があり、いずれも銃撃によってグズグズに破壊されていた――屋外の寒気をなるべく室内に入れないための、寒冷地帯によくみられる風除室と呼ばれる構造だ。
最初の廊下は狭く、扉で仕切られている――これも同じ様に、室内に出来るだけ寒気を入れないためだろう。
窓はガラスではなく、木の板をつっかい棒で支えて隙間を作るものだ――数百年ぶんの技術レベルの後退によって著しく文明程度の落ちたシワでは、金属製品はもちろんガラスも一般的ではない。この窓も窓枠に釘打ちした細い角材に錐で穴を開けて紐を通し、同じ様に板の上端部分にも穴を開けて紐を通すことで、蝶番と似た様な動きをする様に作ってある。
まあありがたくはある――二箇所ある窓のうち一方の板は銃撃で粉砕されているが、もう一方は無事に残っている。その隙間から外の様子を窺うことが出来る。
それでとりあえず外部からは見えない場所に入り込んだと安心したのも束の間、なにやら奥のほうから話し声が聞こえてきて、ふたりは動きを止めた。
撃ち込まれた銃弾で穴だらけになった内壁をなぞる様にして視線を滑らせ、そのまま奥に通じる扉に視線を向ける。
なんの拍子か向こう側に戸板が倒れ込み、開け放された扉の向こうから話し声が聞こえてきているのだ。
「ブラック・フォア――民間人の生き残りでしょうか?」 超小型無線機を介したレクサーのささやきに、軽くかぶりを振る。
「ブラック・ワン――違う。あれはウルジア人の言語じゃない。ハルバス人の言語だ――敵兵だ」
その言葉に、レクサーがローレディで構えていたアサルト・ライフルを音も無くスリングで肩にかけ、サプレッサーつきの自動拳銃を収めた太腿のホルスターに手を伸ばす。
シーライオン――アシカ作戦と名づけられたこの作戦は、国際条約に抵触する
国家の復興と統一を妨げるテロリストの掃討と称して少数民族の虐殺を繰り返すハルバス人の武装民兵に武器を供与している連中の正体を突き止めるため、彼らを統率している指揮官を死亡に見せかけて拉致するのが目的だった。
彼がここで殺害されずに拉致されたことを暫定政府軍側に悟られない様にするために、彼らは公的にはここにはいないことになっている。薬莢ひとつであっても、出来れば痕跡は残したくない。
シワは国際平和維持軍が巡回するし、戦闘になることもあるから、自由主義国家群の安全保障同盟の標準弾である八・二ミリ口径のライフルや十二ミリ口径の自動拳銃の薬莢は珍しくもない。
この作戦は彼らの離脱と入れ替わりに平和維持軍が部隊を展開することで、彼らの侵入の痕跡を消す形で行われる――無論平和維持軍側には彼らの行動を把握している者はいないはずだが、問題の根っこはそこには無い。
どこにでも平和平和、戦争を放棄すれば安全は維持されるなどと、壊れたテープレコーダーか九官鳥みたいにひとつ覚えの寝言を囀る馬鹿はいるもので、厄介なのはその手の阿呆がジャーナリスト気取りでそこらへんを揚げ足取りのためにほっつき歩いていることだった。
その手の自称平和主義者、はたから見ればただの馬鹿だが、おそらくこのあと平和維持軍が到着した時点でそれにくっついて現地入りするだろう。
ブラック・ツーは連中が使う拳銃を改造してサプレッサーつきにしたものを持っているから、それで殺害した先ほどの敵兵に関しては関与を否定出来る――彼が殺害した敵兵に関しても、ナイフで殺すぶんには問題無い。
だが平和維持軍の装備した
お花畑で踊っていれば世の中がうまく回ると勘違いした馬鹿どもの頭の中身になど興味も無いが、それでなくてもそういう手合いの阿呆の思考に踊らされた連中のせいで、国際平和維持活動は国際的な評判がよろしくない。現場の軍人からすれば、まったくもって迷惑な話だった。
ことに特殊作戦群に入隊する前に国際平和維持活動に参加していた時期に、そういったお花畑の影響を受けた政治家に荷物を勝手にひっくり返された挙句に、狙撃銃の銃口に砂が入るのを防ぐために使用されているコンドーム――安くてたくさん入っているから便利なのだ――を高々と振り翳して『常備して女買いに走っている』などと難癖をつけられた経験のある身としては、特に。
そのあとしばらくしてからその女がサイン入りの大人の玩具を販売していると知ったときには、怒りを通り越してあきれてしまったが。
まったく……あの手の阿呆どもはたまに殺したくなるな。
胸中でだけ毒づいて、彼はレクサーが同様にナイフを引き抜くのを確認してから音も無く歩き出した。
レクサーの目の前で左手を翳し、ぱっぱっと何度か動かす――先行する、後から続け。
レクサーがうなずくのを確認してから、それまでいた玄関から室内に通じる扉の脇にへばりつく様にして内部の様子を窺う。
扉の向こうは、廊下だった――やはりこの短い廊下は、玄関か風除室のおまけの様なものらしい。壁に農具が立てかけてあるから玄関兼物置、農具手入れ場の様なものなのかもしれない――どうでもいいが。
建物は大きさに見合って比較的複雑な構造――間取りの概念のある建物だった。
採暖のための火は一室でしか焚かないからだろう、床と天井の間に隙間が空いており空気が循環する様になっている。
家の中に入った先は廊下になっており、左手は壁だった――廊下は直進と右手側の二方向に伸びており、右手側は突き当たりの左側に扉がある。
便所だろうか――シワの先住民族には便所は家の中に設けるが便所は人間の生活圏から出来るだけ離すべきだという考え方があり、そのため同じ家の中でも出来るだけ移動距離を取ろうとするらしい。左側の壁に扉が無いのもそれが理由だ――移動距離さえ長ければ、直線距離は気にしないらしいが。
どうにも非合理的な考え方だと思わざるを得ないが――動線は短いほうが生活は楽だと思うのは、まあ彼らが異民族だからだろう。
それはともかく、右手側の壁にも扉は無い――便所だけにするには奥行きがありすぎるので、突き当たりで左右に曲がっているその先になにかの部屋があるのだろう。
廊下の突き当たりまで進むと、左手側に裏口があるのがわかった。
右手側は案の定、進んだ先の右手に扉がある――なんのためのものかはわからない。
左手側の廊下の突き当たりにも左手に扉があり、その逆側、家の外壁に風除室を設けた裏口がある。左手側の室内への引き戸は真ん中あたりからふたつに折れて廊下側に倒れており、鎹状の取っ手のために床にぴったりくっついていない。踏みつけたらシーソーの様に動いて、派手に音を立てるだろう。足を置くべき位置を確認してから、彼は戸板を跨ぎ越える様にして廊下に足を踏み入れた。
廊下は板張りだが、下の土台がしっかりしていてきしんだりする不安は無い。
「ブラック・ワン――戸板を踏まない様に気をつけろ。取っ手のせいで斜めになってる。下手な体重のかけ方をすると傾きが変わって音がするぞ」
「ブラック・フォア了解」 発した警告に、レクサーがそう返事をしてくる――裏口から外に出るために一歩進みかけたとき、
「バルマサ・ラダ・ザーラ――」
「クラ・イーザ・マタロ?」
「ザラパッタ」 壁に設けられた窓から話声が聞こえてきて、彼らは動きを止めた。さいわい窓自体は高い位置にあって、窓板が吹き飛んでいても内からも外からもたがいの様子は窺えない。
「なに言ってるんですかね……」 レクサーのささやき声を、無線が拾う――コールサインを名乗っていない。
「ブラック・ワン――ただの胡散臭いテロリスト御用達のカルト宗教の経典に関する問答だ。耳を貸す価値も無い」 自分はコールサインを名乗ることで相手の手順無視を糺してから、彼はレクサーに後退する様に手で合図した。
今はブラック・ツー、スリー、ファイヴ、シックスの
ふたりの民兵は侵入者がいることに気づいて索敵しているわけではないし、村人はほぼ全員が中央の教会に集められている――連中にとってこの巡回は形だけのものだろう。すでに巡回しているふたりは裏口の前を通り過ぎており、裏口から中を覗く様子も無い。
歩哨が減れば減っただけ、異状に気づかれる可能性は高くなる――無視していい。どうせ結果は一緒だが、殺さずにやり過ごせるのならばそれに越したことは無い。
「ブラック・ワンよりブラック・ツーおよびブラック・スリー。エクスレイが二名、そちらの方向に
「ブラック・ツー――了解」
「ブラック・スリー――了解」
「ブラック・ワンより全ブラック――こちらの援護はもういい、ポイントに移動しろ」
「ブラック・ツー――了解」
「ブラック・シックス了解。気をつけろ」 その返事を確認してから、彼はレクサーのほうに視線を向けた。
「行こう」
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