098. 第一ゾーン

 涼一の作り出した黒球は、帝都からでも観測できたと言う。

 もちろん、ゾーン内の守備兵たちは、はっきりとその姿を目撃した。黒い塊が何かは分からなくとも、自分たちを害する物なのは間違いない。

 逃げ場を探し、彼らは口々に助けを求めた。


「魔法陣から抜け出せ!」

「無理です、見渡す限り円の中です!」

「神よ……」


 神崎たちに押し込められた兵士たちも、障壁から出て逃げ惑うが、地を覆う魔法陣に絶望する。

 ゆっくりと近づく天上の影の下、一人、また一人と武器を落とし、ただ呆然と空を見上げて立ちすくんだ。

 幼い頃に聞かされた神の裁きとは、この光景のことだ。


 魔球は光を遮り、束の間の暗黒が第一ゾーンに訪れる。

 逃げ走る兵の、或いはしゃがんで祈り出した兵の頭上で、二キロの球は爆散した。

 細かく砕かれた破片は、それでも一つが直径数メートルもある。魔光は有象無象の隔て無く、あまねくゾーンへ降り注いだのだった。


 ロケット花火を思わせる奇妙な音をたて、術式の隕石が着弾し始める。

 被害範囲は六キロ、ちょうど展開された魔法陣の内側全てだった。


「に、逃げっ、うがぁっ!」


 黒い隕石は地に落ちると同時に、インク染みのように撥ね散らばり、直撃した兵は瞬時にボロボロと身を崩して魔素結晶の塵になる。

 影に触れた者は地面に縫い止められ、脳を焼かれた。


 魔球の飛来音は、数分の間、耳を聾する音量で響き続ける。その轟音の中では、犠牲者の絶叫など目の前にいても届かない。

 障壁周辺にいた部隊に隠れる場所などなく、全てが地獄の釜へ放り込まれた。


 再び空に光が戻った時、第一ゾーンは気味が悪いほどの静寂に包まれる。

 極大術式を浴びた動植物の一切が、生き延びることを許されなかった。





 術式の轟音は、涼一たちのいる地階でも皆の鼓膜を痺れさせた。

 魔素耐性の低い者から血を吐き始めるが、辛うじて動く死体にはならずに済む。重傷者を多数出しながらも、吸魔壁は見事その役割を全うした。


 やがて音は止み、術式が終了したことに、あちこちから安堵の溜息が漏れ聞こえる。


「クライン、大丈夫か!?」


 床に倒れ込んだ参謀に、ガルドが駆け寄った。


「な、なんとか……少し休めば……」


 ガルドの部隊で、まともに動けそうなのは、リゼルの部隊くらいのものだ。そのリゼルにしても、壁に手を付き、息荒く回復に努めていた。


「みんな、動けるか?」


 涼一の問いに、仲間が一斉に無事を伝える。特務部隊も形代のおかげで、ダメージは少ない。

 膝をつくガルドの前に、涼一が立った。


「俺たちはゾーンの中心へ行く。監視は残さない。背中を撃つような真似だけは、よしてくれよ」

「帝国軍人の誇りにかけ、そのようなことはしないと約束しよう。今この時だけは、メリッチが我々の共通の敵だ」


 地上に戻ろうとする涼一たちを、アメリアが追いかけた。


「私も連れて行ってください」

「……どこのゾーンからここへ?」


 年月を経ても、彼女の纏う雰囲気は帝国人とは違う。


「第十一ゾーンです。道案内もできます」


 平地のゾーンに案内も必要なさそうだが、彼は同行を認めた。中心地には、説明が欲しい物もあるかもしれない。

 一行が外に出ると、倒れた馬の群れに出くわした。ガルドたちが乗って来た馬たちだ。


「全滅か……歩くしかないな」


 ゾーンへ踏み出した涼一は、足音の変化にも気づく。


「お兄ちゃん、植物も魔素化してるわ」


 踏みしだかれた雑草は、サクサクと霜を砕くように粉になった。

 魔素結晶の微粉が漂う中、涼一は黒鉄の塊へ足を進める。

 役割を果たした隕鉄を拾い上げた彼は、握り込んで感触を確かめた後、レーンへと手渡した。


「まだ使えるの?」

「力はすっからかんだ。また充填すれば使えるだろうけど、どれほどの魔素が要るのやら」


 彼はゾーンの中心に目を向ける。青く光っていた柱も、もう見当たらない。

 生き物のいない死の道を、彼らは黙々と歩き進んだ。

 障壁内に入ると、死屍累々と転がる兵の遺体が嫌でも目に入る。この遺体も大半が結晶化しており、一部が砂のように崩れていた。


「しっかし、何も無いね。真っ平で死体しかないなんて」


 足の遅いアメリアに付き添っていたアカリによる、第一ゾーンの感想だ。

 遺物どころか、木も丘も無い平面のゾーン。アメリアがその理由を解説してくれる。


「ここはゾーンと名付けられていますが、転移の痕跡はありません。魔素だけが異常に多い特殊な地形を見つけた帝国が、便宜上ゾーンと名付けたのでしょう」


 涼一の推測通りここが渦の真上なら、魔素量の多さも合点がいく。

 延々と死の光景が続く有り様に、神崎が溜め息をついた。


「こりゃ、メリッチも成仏してるだろ。生き残ってたら、本当の化け物だ」


 彼は皆に同意を求める。若葉たちは、うんうんと頷くが、ヒューは前方を指で示した。


「そうでもないようだぞ」


 涼一にも、彼の指した光が見える。青い魔光、転移器の再起動だ。


「まだやる気か……!」

「でも、どうやって!?」


 アカリの問いには、アメリアが答える。


「彼は吸魔の盾を運び込んでいました。形代も大量に持っています。それらを使い、なんとかあの術式にも耐えたのでは……」


 そうとしても、凄まじい執念だろう。隕鉄の術式を屋外で耐えるとは。


「急ごう、直接ヤツを叩く」


 涼一たちの顔が一気に厳しくなる。

 まだ戦いは終わっていない。彼らは全力で、転移器に向けて走り出した。





 アメリアや美月らより先行し、男性陣が中心地の見える位置まで辿り着く。

 いくつかの大きな装置と、何より魔光が目に飛び込んで来た。


「用心しろよ、リョウイチ」


 戦輪を構えたヒューを先頭に、彼らが数十メートルまで接近すると、中心地点の様子も見えてくる。

 周りを囲んで立ち並ぶ立像、真ん中に丸い石盤、大きな盾とともに横たわる死体の群れ。

 その石盤に向かって、彼らに背を向けて男が一心不乱に作業を続けていた。


 形代が男によって石盤に押し付けられる度に、激しく魔光が瞬く。

 青い光の柱は、この中央から真上に吹き上がった物だ。


「あれは……兵に自分を守らせやがったな!」


 神崎の推察は正解である。黒球が降り出すと、メリッチは守備兵たちに自分を覆う盾を構えさせた。

 十数枚の吸魔の盾の下、彼は命を永らえさせることに成功する。


 躊躇うことなく、レーンが魔弾を発射した。高速で赤い糸を引く強化魔弾は、三発ともが正確にメリッチの頭を狙う。

 しかし、立像たちが白色に発光したかと思うと、障壁のドームが中心に現れ、魔弾は術式の壁で弾き落とされた。


「渦と同じだ、あの野郎、そんなもんまで……」


 山田が叫びかけるが、すぐに何かに気付いて口を閉じる。


「くそっ、急いで対術式槍を取りに帰ろう。魔素を吸って障壁を壊す!」


 涼一の指示を、山田が止めた。


「あの障壁、涼一の隕石は防げなかったんだろ。渦のやつほどの耐性は無いんじゃないのか?」


 確かに、強固な壁ならメリッチ以外の兵も生存しているはずだ。


「あんな野郎に、太古の遺物の完全再現なんてできっこねえよ。全員で攻撃を集中させようぜ」

「お前も成長したな」

「上から目線かよ」


 言い返しつつも、彼は少し嬉しそうにはにかむ。

 全員が前方へ武器を構えた時、メリッチが怒りの声を上げた。


「愚か者ども、どもが……が! 邪魔を。私の……する気か!」


 振り返った彼は目から血を流し、動く死体のようにしか見えない。


「……話の通じる状態じゃなさそうだ。形代をあんな風に使えば当然だな」

「リョウイチ、敵が来るぞ。さっきの魔法陣より外にいた連中だ」


 ゾーン反対側の進入口から、砂煙が近づいてくる。

 障壁外で助かった守備兵が、ようやく恐る恐る中に入って来たのだった。


「さっさと片付けようぜ!」


 山田が電源を障壁に放つと、すぐに小関もそれに加わった。


「うりゃあっ、これで倍増だ!」


 神崎が術式の弾を、花岡が火炎の魔石を打ち尽くす勢いで投射し、電撃に同調する。

 遅れてやって来た若葉たちも、何をすべきかはすぐに理解した。


「あそこに当てればいいのね!」


 アカリと中島が水弾を、若葉がロケット花火の残りをぶち込んだ。

 攻撃を防ごうとする障壁は強烈な光を発して、真っ白な不透明の半球となる。

 中からは、メリッチの怒り狂う声が一層大きく響き渡った。


「やめろっ! やめ……! あと、少し……なの、だ、ぞ!」


 ――その少しをさせてたまるか。


 涼一がニトロの残弾をまとめてつかみ取り、一度に目標に向かって撃ち放った。空中でバラけるかと思われた弾は、軌道を湾曲させ一点に次々と着弾する。


「砕けろよっ!」


 爆炎が幾重にも重なって発生し、轟音と共に障壁を削り取った。

 白いドームに、ついに穴が開く。


「魔弾よ、縫い殺せ!」


 弾を止める物はもうない。穴からドーム内に侵入した魔弾は、猛スピードで中を飛び回る。

 内部に存在する全てを縫い止めるまで、赤い閃光が空中に描かれ続けた。


 障壁を作っていた像が破壊され、白いドームは根元から消え失せる。

 まだ立っていたのは、形代を持ち、腹と胸に魔弾を受けた男だけだった。


「てん……転移を……もう、少し……で……」


 崩れ落ちたメリッチは、石盤に縋り付くと、最後の形代をそこへ当てる。

 青い光が、また濃さを増した。


「どんだけ、しぶといのよ!」


 若葉が呆れ果てて叫んだ。


「任せろ」


 光る戦輪がメリッチの首を目指して飛び掛かり、高速回転した刃が標的のうなじを切り裂いた。


「ぐ……あぁ……」


 一瞬の呻きの後、主を失った頭部がゴロンと地に落ちる。

 無謀な夢に狂った男は、その研究成果の地で終焉を迎えたのだった。


 涼一たちは、ゆっくり中央へ歩み寄り、残ったメリッチの遺品を見渡す。

 石盤に重なる胴体をヒューが蹴り出し、頭は小関がゴールキックで遠くへ飛ばした。


「……そっくりだ」

「何と?」


 レーンが石盤を見ながら尋ねる。


「渦の中心だよ。メリッチは、どうやってだか、あれを知ってる。渦の真上に、そのコピーを作りやがったんだ」

「発動したら、渦の二重掛けだ。螺旋を加速させる気だったんだろう……」


 そんなことをすれば、大陸は確かにゾーンだらけになる。

 しかし、世界間転移は発動にも莫大な起動魔素がいるはず。起動者の涼一ならできる可能性もあるが、メリッチが形代を使ったところで得られる力は知れている。

 一体、どうやって所長は発動させるつもりだったのか。


「リョウイチ!」

「みんな離れろ!」


 メリッチの死後、大人しくなっていた青い光が、烈々たる勢いで噴き上がり始めた。

 魔光の輝きは、先程までとは比較にならない。


「形代は呼び水だ、下からエネルギーを吸い上げてる!」


 上空に集まり出した魔素溜まりが、徐々に左回りに回転し始める。

 メリッチがここにレプリカを作ったのは、渦の力を流用するためだった。力の制御が難航しただけで、機構自体は一年前に完成していたのだ。

 アメリアが、実験の顛末を早口で話し出す。


「一年前は、円盤を破壊してすぐに止めたの。吸い出した力に同調して、魔素の渦ができてしまう。それじゃダメ、ゾーンを増やすだけだわ」

「どういう意味だ。本当は転移器をどう起動させればいいんだ?」


 アメリアが答える前に、レーンが叫んだ。


「もう敵が来る、石盤を潰すわよ、リョウイチ!」


 神代文字が刻まれた遺物へ彼女は魔弓を向けるが、その手を涼一が押さえた。


「待て、まだ潰すな!」


 仲間の全員が、信じられない物を見た顔で彼を見返す。


「リョウイチ、何をする気だ?」

「早く止めないと、お兄ちゃん!」


 慌てる彼らに、涼一は臆せず指示を告げた。


「みんな、ここを守ってくれ。俺がこれを起動させてやる」


 ――そう、本来の目的で、だ。


 起動者と呼ばれ続けた彼は、その期待された力に、自身も賭けようとしていたのだった。

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