097. 最大級

 早馬で馳せ去るクラインを眺め、レーンは尋ねる。


「彼は信用できるの、リョウイチ?」

「どうだろうな。どっちにしろ、この壁を崩すのに少し手間がかかる」


 術士が構築した玄関の蓋を前に、涼一は腕を組んだ。

 他の仲間は、投降した兵たちの武装を解除している。

 メリッチがゾーンに向かった時には、既に生え抜きの幻影兵は移動していたらしく、ここに残る兵士の士気はさほど高くない。

 今のところ、大人しく涼一たちの指示に従っていた。


 建物の壁際に並んで座らされた守備兵は、百人に満たないくらいだ。

 別に術士が十人ほど存在し、建物の封鎖に関わった者をアカリが連れてくる。彼も元は地球の人間だった。


「これは造壁の術式だな?」

「構築後に、硬化の術式も掛けています」


 術士たちは、兵よりもさらに協力的だ。箝口令を敷かれていた第一ゾーンの内実をクラインに暴かれ、彼らはより帰還の望みを託せる涼一側へ付こうとしている。

 所長の計画は既に兵にも説明されており、降伏に抵抗しなかったのは主にそれが原因だった。

 ヒューと特務部隊の面々に投降兵の監視は任せ、他の仲間で術式槍を拾い集める。

 槍が揃ったところで、神崎たちも研究所に到着した。


「一体、何をおっぱじめようって言うんだ?」


 うなだれる敵兵を横目で見ながら、神崎が集合の理由を知りたがる。


「大規模術式を使うんだ。避難場所として、この研究所に入りたい」


 壁の様子を調べる涼一に代わって、若葉がこれまでの経緯を皆に説明する。

 メリッチの計画も懸念材料だが、花岡は涼一の使おうとしている術式を気にした。


「この建物で防げるのかい?」

「分からない……かな。根拠はある。ここは術式系の攻撃を受け付けないように作られてるみたいだ」


 研究所の外壁を、涼一がパンパンと叩く。


「こいつは吸魔素材だよ。これで作った盾を、伏川で見た。ある程度は魔素を吸収して防御するんだ」


 若葉たちによって、花岡や小関にも対術式槍が配られた。


「中に入るには、こいつを崩さないといけない。みんなで魔素を吸収して、硬化の術式を停止させる」


 入り口を塞ぐ防御壁は、正確には壁というより土のブロックだ。床から直方体の土塊が生えて、人が通れないように邪魔している。

 壁とわずかに隙間があるのは、吸魔素材に触れないようにするためだろう。


「対術式槍は、魔素を操作する力がある。間違っても、力を送り込むなよ。ちょっとずつでも、吸い出すんだ」


 涼一が素手でやる操作を、道具を介して再現するのがこの槍だった。

 勝手に魔素を吸う対魔素材と違い、きちんと規定した発動をしないと上手く働かない。


 壁の真ん中に涼一が手を触れると、皆も槍先をコツンと周りに当てる。

 複数の術士が重ね掛けで強化した壁だ。そう簡単に吸い尽くせるエネルギー量ではなかったが、こちらも涼一に加え八人がかりで事にあたっている。

 そう時間も立たない内に、涼一の手の爪が土にめり込んだ。


「よし、これで壊せるぞ」


 結果として消費した魔素の補充もでき、彼は快活に宣言する。


「うっ……お前よくこんなの、いつもやってるな」


 仕事量は涼一に遠く及ばないはずの山田だったが、それでも嘔吐感と戦っていた。


「先輩、俺も……」


 見れば小関ら他の男性陣も渋い顔だ。


「私はなんだかリフレッシュしました」


 朗らかに笑う美月は、彼らから化け物二号と認識された。

 だらし無い男たちを尻目に、美月ら女性三人が土塊に蹴りを入れる。


「とりゃっ!」

「はーっ!」


 最後に涼一が肩から体当たりすると、壁は土の小山となって崩れ去った。


「ストレス解消になったね」

「ねー」


 緩い女子高生二人とは対照的に、涼一の顔はまた厳しさを取り戻す。


「全員、建物の中へ! ロド、守備兵の連中を誘導してくれ!」


 特務部隊に挟まれてゾロゾロと兵と術士が行進し、土くれを踏み越え研究所の中に消えて行く。

 その後に仲間も続くと、外に残ったのは涼一とレーンだけになった。


「これもようやく役に立つのね。使えそう?」


 第一ゾーンを一撃で葬るには、それ相応の遺物が必要だろう。彼女が用意したのは、手持ちで最大の魔素含有量を誇る逸品だった。


「やるしかないよ。今なら制御できると思う」


 科学資料室から拝借したのは化石とこれ。拳大の古い金属塊、隕鉄だ。

 御神体以上の力を秘め、ガソリンのボールを持ち歩くより、余程今まで危なっかしい思いをしてきた。

 使用するまで術式効果を知る術はないが、隕石や隕鉄の引き起こす物と言えば、何となく想像もつく。


 地面に置いた遺物に涼一が手を伸ばしたその時、クラインが駆る馬の蹄音あしおとが聞こえて来た。





 ガルド率いる部隊は、ゾーン障壁には直ぐに到達したものの、そこを越えることは叶わなかった。

 守備兵はゾーン進入口を封鎖しており、ガルドの通行要求を撥ねつける。


「メリッチ所長より、誰も通すなと厳命されております」

「部隊司令でもか!」

「誰であっても、です」


 彼らはメリッチの私兵に近い。所長の命令が絶対であり、内心では、新参の司令を所長命令の伝達係程度に思っていた。


「所長にはどうしても会わねばならん。駄目だと言うなら、敵対者と見做して排除する」


 馬上のガルドが水平に腕を掲げると、部下の弓兵が矢をつがえる。

 その動きを見て、守備隊に号令が掛かった。


「研究所への反乱策動である。ゾーンを死守せよ!」


 矢の先がガルド隊へ向けられるが、リゼルたちの方が速い。前に出ていた守備兵は、一人残らず額を射抜かれた。

 しかし、奥から魔石が投射されると、進入口一帯は火に包まれる。


「退け! 別の入り口から突入する!」

「待って下さい!」


 障壁外周を回り込もうとしたガルドたちに、ようやくクラインが追いつき、後方から大音声で呼び掛けた。


「術式研究所へ、ここは危険です!」


 参謀のただならぬ雰囲気に、馬首を返したガルドが近づいて問い質す。


「何があった?」

「アサミがここ全域を攻撃します。退避してください」


 出された名前に、司令は眉を上げた。


「あの男と交渉したのか?」

「投降です。降伏して、助力を求めました」

「何を……!」


 あっさりと報告するクラインに、悪びれた様子は無い。彼の決断は、冷静に最善を求めた結果だ。

 ガルドもその事実を、飲み込むしかなかった。


「急ぎましょう。アサミは待ってはくれませんぞ」


 クラインは返事を聞くことなく、来た道を戻り始める。


「研究所へ退避する。全員、クラインに続け!」


 ガルドの後ろについていたアメリアが、資料で見た名前に反応して彼の横に並んだ。


「アサミとは、アサミ・リョウイチ、起動者ですね?」

「そうだが?」

「彼なら転移ゲートを開けるかもしれません……」


 所長もそのつもりだったのだろう。


 ――研究所を急襲するほどの力を持つ男が、大人しく恭順するはずがなかろうに。


 アサミならメリッチを止め得る。

 忌ま忌ましい男だが、ガルドはその能力を疑っていなかった。





 ガルドの部隊が到着しても、涼一は特に話すことも無く、ただ建物の入り口を指し示した。

 無言の部隊兵に混じり、クラインは軽く会釈して通り過ぎる。

 涼一の右腕を見たリゼルだけが、唯一口を開いた。


「まさか治ってるとはな。勝てる気が失せそうだ」


 彼の視線と言葉で、涼一もリゼルが何者かを悟る。


「中に入ったら、黙ってた方がいいぞ。術式で黒焦げになる」

「魔弾もね」


 レーンも冷ややかに彼を睨んだ。

 抵抗する気は無いと右手を挙げ、リゼルは研究所の壁に弓を立てかける。

 武装を解いたガルド一行も、建物の中に収容された。


「さあ、始めようか」

「ええ」


 レーンの手伝えることは無くても、傍らで発動を見守ると言う。

 彼女は念のため魔弓を抜き、周囲に目を配った。


「リョウイチ……!」


 ゾーン中央の方角に、青く輝く魔光が立ち上っている。おそらく、メリッチの製作したという転移器だろう。ゆっくりやってる余裕はなさそうだ。

 涼一は慎重に、隕鉄へ自分の魔素を触れさせる。


 様々な術式に触れて来た彼は、この遺物が魔法陣を形成するタイプだと、すぐに気づいた。

 規模と目標を規定しやすいこの系統の術式は、今回の目的にはありがたい。

 彼の目の前の地面に、小さな黒い陣が展開される。

 できればゾーンを発動の中心にしたかったが、隕鉄から広がる円は移動しそうにない。

 なら、その円を大きくするまでだ。


 彼の加える力に呼応して、スルスルと魔法陣は巨大化していった。

 研究所を飲み込み、敷地の外に膨張し、ゾーン障壁に届かんとする。

 涼一は美月に貰ったお守りを、左手に握り締めた。


 ――まだ足りない、ここからだ!


 形代のエネルギーを激流と化し、隕鉄にぶつける。

 一度止まりかけた魔法陣の拡大が、再び急加速して、ついに第一ゾーンを覆い始めた。


「凄い……」


 光を吸収して黒く大地に刻まれる円形の模様は、数多のゾーンを生んだ巨大転移陣のサイズを越えてゆく。

 レーンがかつて見たアレグザ平原に広がったものよりも、まださらに倍は大きい。

 ゾーン中心に生まれていた魔光の柱に、黒陣によって神代文字が影を落とした。


「届いたわ、リョウイチ!」

「行けっ!」


 隕鉄から噴出する闇が、涼一の右手を、顔を、漆黒に染め上げた。


「な、なんてデカさだ……」


 引っ込むように念を押されていたロドが、入口から顔だけ出して呟く。

 彼だけではない、若葉が、アカリが、神崎が、皆が我慢し切れず前に出て、大陸最大級の術式に目を奪われていた。

 ガルドまでが子供のように口を開け、通路の奥からこの御業みわざを記憶に焼き付ける。


 ゴォォー……。

 不気味な低音が、ビリビリと研究所を振動させた。

 涼一は弾かれたように遺物から手を離し、後ろに転がり倒れそうになるのを、レーンが支える。

 彼女につかまって建物に振り返った彼は、まだ顔を見せている仲間に怒鳴った。


「バカッ! 中に入れ!」


 二人はヘッドスライディングするように、研究所へ滑り込む。


「アサミ、地下室がある!」


 ガルドの叫びで、一同は研究所の地下へ走った。

 地震の初期微動を思わせる細かい揺れは、涼一が発動させた術式によるものだ。

 彼らの遥か頭上には、半径二キロの黒い魔素球が産み出されていた。


 ガルドに案内され、涼一たちは研究所の地下へと進む。各部屋は施錠されていたが、山田が鍵で全て開けて回った。


「あの巨大さは、尋常じゃない。本当にこの建物で凌げるのか?」


 興奮冷めやらぬロドが、不安を口にする。


「発動したのは魔素の隕石だ、物理的な衝撃は無い。形代だけは手放すなよ」


 涼一の言葉に、ガルドは皮肉な笑みを浮かべた。


「我々は神頼みか。信仰心が問われるな」

「頼むなら、メリッチの作った吸魔の壁にした方がいい。ゾーン技術の神髄なんだろ?」


 揺れ動く天井から、埃が舞い落ちる。

 シェルターで竜巻をやり過ごす避難民のように、投降兵たちは肩を寄せ合った。

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