096. 術式研究所

 図書館周りで戦闘が開始されると、ガルドは研究所の前に立ち、守備兵たちの指揮を執った。

 大型の建築物は石材を重ねて造るのが基本の帝国で、術式研究所は異彩を放つ。

 一見、コンクリートを打ちっぱなした近代建築を思わせる、直方体で構成された無骨な威容だ。窓も無く、牢獄のようでもある。

 研究所を囲む防御壁もあり、壁の進入口は遺物保管所へ通じる一カ所だけだった。

 遅れてメリッチが飛び出て来ると、ガルドに研究所の封鎖を命じる。


「全員建物から出せ。入り口を術式で閉じる」

「所長はどこへ退避されるのですか?」

「ゾーンの中へ入る。護衛はいらん!」


 有無を言わせぬ物言いに、ガルドも反論はしなかった。

 メリッチが一人、第一ゾーンへと走り出したのは、若葉が最初の蛇花火を放つ、少し前のことだ。

 研究所内に残る者がいないことが確認されると、専属術士によって、入り口に造壁の術式が発動された。

 高強度の壁が出入口を塞ぎ、建物を密閉する。

 作業を終えた術士の一人が、ガルドに歩み寄った。


「あの、話を聞いていただけませんか?」


 頭に被ったフードを外すと、術士の顔がよく見える。

 初老の女性が与える印象は、軍務につく幻影兵たちと似ても似つかない。


「君は……この世界の人間ではないな」

「第十一ゾーンの出身です。ここの術士は、ほとんどみんなゾーンから連れてこられました」


 研究所専属の術士は、神官や魔導兵が遠く及ばない高度な術式を操るという。彼らが捕縛されたゾーン住民だと言うのは、十分予想されていた。


「リゼルさんの調査に協力したのは、私です。あなたは所長の行動に疑念を抱いておられるのですよね?」

「そうだ。何か知っているのか?」


 術士なら、メリッチと行動を供にしてきたはずだ。彼女の答えに期待して、ガルドがその目を見つめ返す。


「所長は……メリッチは、私たちの形代を全て持って出て行きました。第一ゾーンの転移器を、無理やり起動させるつもりです」

「転移器は完成しているのか!」


 彼女は違うと首を振る。


「彼は最初、地球と行き来するゲートを作ろうとしていました。だから私たちも協力した。でも、それが失敗した今、彼は暴走している」

「暴走だと?」


 不穏な表現に、ガルドの目が睨むように細められた。


「メリッチは転移現象を加速させ、大陸ごと地球と入れ替える気です」

「馬鹿な、自分さえチキュウに転移できれば、それでいいとでも? 大量殺戮と変わらんじゃないか」


 所長の計画は、ガルドをしてメリッチ拘束を決意させるに足るものだった。

 彼はクラインに守備部隊の指揮を委ね、自らは第一ゾーンへ急行すると告げる。


「研究所の防衛を放棄することはできないが、無理はするな。死守するくらいなら、逃げる方法を考えよ」


 研究所外からガルドについて来たリゼルを含む三十名が、彼の元に集められた。


「この部下たちは、研究所の守備隊から完全に分離する。我々の目的はメリッチを止めることだ。後は頼んだぞ、クライン」

「はっ、閣下も御武運を」


 ガルドの別動隊には、先の術士、アメリアも同行を希望した。

 ゾーン中心まで約二キロ、急げば所長が着くまでに身柄を押さえられよう。


 ――御武運か……。


 この事態では、同じ帝国人に刃を向けることも覚悟するべきだ。

 仇敵を前に背を向ける皮肉を嗤うように、彼の頬の火傷跡が疼く。口を固く結び、ガルドは部下が連れてきた馬へ飛び乗った。





 第一ゾーンからの敵兵に対処した神崎組は、息の合った連携で敵を圧倒していった。


「小関くん、左!」

「あいよっ!」


 中島の指示で、小関の電撃が接近する幻影兵を弾き返す。

 ヘイダの水矢が通電範囲を広げているため、逃げ切れない何人かの敵が雷獣に捕まった。

 特務部隊三人の援護は強力で、図書館の防衛自体には苦労しない。敵をゾーンへ押し戻す、そこが問題だ。

 新たな防壁を作らない彼らに対し、槍兵が退いて、替わりに魔導兵が火攻めを始める。

 盾の後ろから、火炎の魔石がバラ撒かれた。


「替われ、小関! 火を消す!」


 花岡が持ち出したのは、街で集めてきた消火器だ。

 魔光の泡が彼らの前を満たすと、火はたちどころに消え去った。追撃される魔石も、発火せずにただコロコロと地面に転がる。


「おい、あれ見ろよ」


 花岡の指す先に、泡まみれのローブが見える。白いシャボンに包まれ、幻影の効果が消えていた。

 神崎が小関へエアガンを投げて寄越す。


「これなら狙い撃ちだ。やってやれ!」


 ピンポイントを正確に突く射撃が、化けの皮が剥がれた幻影兵を撃ち抜く。

 弓兵たちは前線に出た神崎と小関を射ようとするが、特務部隊がその攻撃を許さなかった。

 前衛をエアガンが、後衛を術式矢が一掃し、敵の並びに大きな穴ができる。

 チャンスと見た神崎が、後ろに控える中島を呼んだ。


「突撃する、薬を抱えてついて来てくれ!」

「薬は万能じゃないんだから、致命傷はやめてよ!」


 隊列を修正しようとする兵たちへ、再び花岡の消火器が泡を噴く。


「お代わりは、いくらでもあるぜ」


 泡自体が高濃度の魔素を含むため、直撃を受けた兵は、目から血を流して倒れ込む。消火器は、兵器としても一級の攻撃力を秘めていた。

 一見無害そうな泡、その危険性を認知した守備隊は、必死で仲間に警告を伝え合う。


「お、おい、大丈夫か!」

「泡は猛毒だ、触れたら死ぬぞっ!」


 二度の噴射で泡の魔素量は兵の許容値を超えてしまい、術式効果が消えるまで、もはや近づくことが出来ない。

 山田の勧めで、二十本近くの消火器が図書館にストックされている。

 それを花岡は書籍用の台車に乗せて前線まで押して来ており、一本を噴出し切るとどんどん次弾を投入した。


 みるみる内に敵陣全体が死の泡風呂となり、神崎たちの安全地帯も拡大する。

 ゾーン障壁まで後少しと迫った時、守備兵は遂に諦めて退却を開始した。敵の後退先は、第一ゾーン内部だ。


「よっしゃ、ざまあみろ!」


 小関が勝利の雄叫びを上げた。

 トランシーバーに向かい、神崎も涼一へ報告を入れる。


「涼一くん、こっちは敵を障壁内に押し込んだぞ」


 皆が通信機からの返答を待つが、しばらく沈黙が続いた。


「涼一さん?」


 不安になった小関も、横から呼び掛ける。


『……すまん、立て込んでた。至急、研究所に来てくれ。全員だ』

「ここまで押したのにか?」

『ああ、ゾーン周辺は危ない。急げ!』


 不審な指示に、神崎たちは顔を見合わせたが、ここが危険なら逃げるしかない。

 踵を返す彼らを、図書館を出て加勢に来たロドたちが呼び止める。


「おい、カンザキ、どっちへ行くつもりだ!」

「研究所だ! 涼一が集まれってさ」


 蛇花火の壁が邪魔で、研究所周辺の状況は判然としない。

 小関は命拾いしたゾーン内の部隊を睨み、花岡は未練がましい視線を残った消火器に送る。

 何が起こったのか頭を捻りながら、一同は研究所へ駆け出した。





 研究所に至る涼一たちの進撃は、当初の予測通り激戦となった。

 配備されていた幻影兵の数が多く、建物前の布陣は厚い。時間を掛けたくない涼一は、レーンの遺物を使用することを選ぶ。


「レーン、葛西に資料室の遺物を渡してくれ」

「三つ有るほうね。カサイで大丈夫?」


 彼女は背嚢から、ゴロンと三個の石を取り出して、美月に手渡した。

 しげしげと遺物を眺めた彼女は、その正体に戸惑って涼一に尋ねる。


「これは何?」

「化石だよ。一つ一つなら、御神体より力は少ない。今の葛西なら発動できるはずだ」


 かつては涼一すら使用を躊躇った遺物も、転移を繰り返した現在なら制御に自信を持てた。

 昔のサメや肉食恐竜の化石は、基本的には若葉の使う眷属と似たような効果を発揮するだろうと、彼は想像する。

 地面に並べた化石へ、順に美月が手を触れていく。


「攻撃先や、その様子をちゃんと規定して発動しろよ」

「分かった」


 難しい顔で意識を集中していた彼女の手が、まばゆく光ったかと思うと、巨大な咆哮が研究所に向かって轟いた。


「おい、あれ……」


 出現した魔光の生き物に、山田が絶句する。


「恐竜だろ、何て名前なんだ?」


 博士に質問する涼一へ、彼はまくし立てた。


「あんな極彩色のトサカがついた恐竜なんているかよ! 手が六本もあるじゃねえか!」


 十メートル級の恐竜モドキが三匹、蛇腹の壁をものともせず兵を食い、踏み潰して進軍する。

 一匹は六本の手を持つ肉食竜、一匹は足が生えて二足歩行するサメ、さらに一匹は象の頭に角が三本生えた巨体だった。

 兵たちは見たこともない幻の怪獣たちに、この世の終わりの如き悲鳴を上げる。


「なんなんだ、あれは!」

「き、気味悪い、助けてくれえ!」


 幻獣に喰われると脳を焼き切られるのは、若葉の縫いぐるみとよく似ている。

 彼らがひとしきり暴れ、魔光を鈍らせて消える頃には、研究所への道を守る兵士は一掃された。


「これ、めちゃめちゃ疲れた。ちょっと休みたい……」

「お疲れさん。助かったよ」


 美月の疲労も相当なものだ。涼一は彼女を慰労し、しばらく回復に努めるように指示する。

 彼は葛西のイメージ構築力を侮っていたらしい。

 彼女の脳内の一端を垣間見て、涼一はまた、天然不思議少女との付き合い方へ慎重にならざるを得なかった。


 強力な術式のおかげで、その後はさしたる抵抗も無く研究所前に到達する。

 大型術式に対抗する不利を悟った守備兵は、研究所を囲む外壁内への篭城を選択したのだった。


「研究所と心中するつもりか。リョウイチ、まとめて片付けてくれ」

「……多重爆炎で行く」


 一挙に始末したいと言うヒューに応え、涼一は複合弾を選ぶ。

 カプセルトイのケースの中に、ガソリンを入れてテープで目留めする。そこにニトロを貼付け、魔素を含ませた繊維でぐるぐる巻きにした物だ。

 作ってはみたものの、テニスボール大になり、飛距離が大幅に落ちてしまった。

 スリングショットは使えないので、手榴弾のように手で投げ込んで使う。


「入り口に蓋をしてくれ」

「任せて!」


 アカリも、複雑な術式が使えるまでに習熟してきた。涼一の冷弾を受け取り、難なく氷の壁で敵の出入口を潰していく。

 投擲範囲まで走り出した涼一を、レーンとヒューが援護した。

 手の内の爆炎玉が、術式の光を帯びて輝く。


 鳴りを潜めていた敵の攻撃が再開され、術式矢が壁を山なりに越えて涼一に迫った。

 全部で五本、青の魔光、追魔の弓だ。


「魔弾よ、行け!」


 涼一の手に向かった三本は、レーンの魔弾が空中で粉砕する。二本は、ヒューがその身体で受け止めた。


「くっ、お返ししてやれ、リョウイチ!」


 飛来した矢の軌道を逆になぞり、爆炎玉が壁の向こうに放り込まれる。直後、数メートルの高さの青い炎が、研究所の敷地内に噴き上がった。


「まだだ、まだ二発残ってる!」


 涼一は、爆炎玉を使い切る気だ。

 後ろから山田とアカリが、ロケット花火を撃ちまくった。敵に当たらなくても、飛び散った火花が追魔の矢を封じる。

 爆炎の術式が、順に二発、左右に大きな火炎を上げる。

 中の兵の悲鳴が重なり、涼一たちの耳をつんざいた。


「ヒューさん、じっとして」


 ヒューの矢傷を回復したのは、攻撃への参加を控えた美月だ。

 兄の炎があれば、火は増大する。これを好機とばかりに、若葉は仲間に追撃を求めた。


「火炎系の遺物を中に放り込んで! 片っ端から!」


 出口を堰き止めていた氷は、火に負けてもう溶けていた。代わって見えるのは、中を焼き尽くそうという業火だ。

 紅蓮の進入口に、皆の攻撃が集中する。

 ライターが、火炎の魔石が、マッチの頭を集めた発火弾が、目標を定めずに撃ち出され、火勢は建物を隠す程に強まった。


 涼一たちは中へ進入するために、暫くその火が弱るのを待つ。

 反撃も声も消え、火が人の背ほどになった頃合いで、アカリがウォーターガンで進入路を整備した。

 敷地の地面は真っ黒に焦げ、生き残った兵は、最奥の防壁にへばり付くように退避している。


 研究所の建物も猛火に曝されたはずだが、こちらは全く被害が見られない。

 ぬめっとした金属質の研究所外壁――この素材に、涼一は見覚えがあった。

 入り口に近づく彼らは、中から大声で呼び掛けられる。


「我々は降伏する。抵抗する気はない」


 聞き漏らされないよう、よく通る声で明瞭に降伏が宣言された。


「司令か? ゆっくり前に出てこい」


 まだ残る火を踏み越えて出て来たのは、苦渋の表情を浮かべたクラインだ。


「見たことがある。アレグザにいたな?」

「アイングラム司令に仕えるイース・クラインだ。投降する、話を聞いて欲しい」


 彼の顔を、涼一は思い出した。参謀として、司令と話していた男だ。


「ガルドもここにいるのか?」

「恥を忍んで言おう。司令は所長のメリッチを止めるため、ゾーン内部へ向かわれた。彼を助けて欲しい」


 クラインには、所長が大人しく捕まるとは到底思えなかった。

 ゾーン内に配置された兵は、メリッチの信奉者ばかりだ。彼らが敵に回れば、司令の隊はひとたまりもない。


「少し虫が良すぎないか。俺達にとって、ガルドは敵でしかない」

「それはそうだ。しかし、今回ばかりは無理を承知で頼むしかないのだ」


 クラインは、知り得たメリッチの計画を、涼一たちに説明する。話の途中、ヒューが小さく「バカモノが……」と吐き捨てた。

 計画は止めなくてはいけない。しかしガルドを助ける理由も無い。

 涼一の返答は、クラインに冷淡だった。


「第一ゾーンを破壊する」

「破壊? 攻撃ではなく?」


 老参謀は戸惑う。


「ゾーン全域を、術式で殲滅する。最大規模の術式でね」

「ま、待ってくれ。司令を引き返させる。時間が欲しい」


 クラインにとって司令は新兵の時から知る存在であり、実子のいない彼は、いつしかガルドを息子のようにも感じていた。

 司令を無駄死にさせるわけにはいかないと、参謀は必死で涼一に訴える。


「司令の部隊には、ゾーンから来た住人も協力している。彼女まで見殺しにはできんだろう?」

「何だって、本当か?」


 研究所の術士はチキュウから来た者たちである。その主任であるアメリアが、ガルドとゾーン内へ向かった。そう教えられた涼一は、仲間を振り返り、彼の決断を待つ顔を見回した。

 彼の肩にかかった通信機から神崎の声が流れ、向こうの作戦成功が伝えられる。


「仕方ない、ガルドを止めに行け。戻ってこなくてもゾーンは破壊する。あまり待たないぞ」

「すまん! 借りは絶対に返す、約束する」


 まだ健在な馬を探そうと背を向けるクラインに、彼は念を押した。


「安全なのはここだけだ。死にたくなければ、研究所に戻れ」

「分かった」


 通信機に口を当てた涼一は、返事が遅れた詫びを入れる。


 ――メリッチはゾーンごと吹き飛ばしてやる。


 仲間を集め、彼は作戦の概要を説明していった。

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