095. 切られる火蓋
第一ゾーン到着の知らせに、涼一は状況を把握しようと、屋上の防護柵にへばり付く。
「ここはゾーンの中か?」
「違う、障壁外だ。右手にあるのが研究所、左が第一ゾーンだ」
ヒューも自分たちの居場所を確かめるため、キョロキョロと首を回した。
「遺物の保管所と入れ替わったようだ――くっ!」
彼は涼一の腕をつかむと、思い切り後ろへ引く。
涼一がいた空間を、守備兵の射た矢が通り過ぎた。
「本拠地だ、敵の質は今までと比べものにならんぞ」
引き倒された涼一は、若葉へヒューの警告を伝える。
「敵が多い、防壁を作りながら迎撃しろ」
『了解!』
図書館入り口前には氷の壁が、反対側へは屋上から繭弾が投下された。
火炎弾こそ飛んでこないものの、術式の矢が奇妙な軌道で涼一たちへ降り注ぐ。
防御用の壁を増築するために、彼らはしばらく繭と氷の術式に掛かり切りとなった。
作られた壁が矢を阻み、接近する幻影兵を繭が搦めとる。
西部第十一ゾーンの戦いを再現しようとした涼一たちは、最前線に槍兵が出て来たことに気付いた。
彼らは白い繭壁を、氷を、手に持つ槍で突き刺し始める。
「リョウイチ、対術式槍だ!」
「魔素を吸収するつもりか」
槍が刺した部分から、ゆっくりと繭はほつれ、小さな穴が空く。放置すれば、人が通れる突破口になるだろう。
氷壁も同様だ。槍の攻撃は、氷に亀裂を走らせる。
「若葉、壁の魔素を吸われてる。取り付いてる奴らに、電撃を喰らわせてやれ!」
『山田さんの出番ね』
通信が終わるや否や、スパークが氷を伝って槍兵を痺れさせた。
どれほどの電圧が掛かったのか分からないが、その場に崩れた兵たちはピクリとも動かない。
繭の穴から顔を覗かせた兵は、魔弾がその額を貫く。
追加の繭弾で壁の補修を急ぐものの、敵を受け止め切れるかは微妙なところだった。
「戦輪だと届かない、下へ降りる」
「気をつけろよ!」
ヒューは図書館壁面の凹凸を器用に利用して、一足飛びで地上に降り立つ。
繭壁まで一瞬で駆け寄ると、彼は短剣で不用心な敵の首を切り裂いた。極端な接近戦で、槍兵を始末していくつもりだ。
「葛西を上に寄越してくれ、アレグザから増援を呼ぶ」
『今行くわ!』
涼一の要請に、美月が直接答える。
彼女が来るまでにウニ球を撒こうと、彼は複合弾を用意した。美月の到着は、弾の発射と同時だ。
繭壁を越えた所で、氷のトゲが爆裂する。
屋上は涼一たちが三方に分かれ、玄関以外の各方角を一人で担当する形になっている。
敵の圧力が減る気配は無く、押し返すにはもっと人数が欲しい。
「頼んだぞ、葛西」
「うん!」
美月が鳥居の柱に手を触れ、魔法陣を出現させた。
涼一は転移する彼女を見送り、鳥居の前に置かれた鞄から新しく形代を出す。
消費した魔素を供給しつつ、攻撃の手も緩めない。敵に開けられた穴を目掛けて、彼はニトロを正確に撃ち込んで行く。
美月が転移する伏川駅前から、鳥居のある中央本部まで約一・五キロ。魔素補給を考えても、即座に味方を連れてくるのは無理だ。
西部のゾーンで見た妹の眷属には、まだ登場していないものがいたはずだと、涼一はトランシーバーで要望を伝える。
「若葉、デカいのを出せ。増援まで時間を稼ぎたい」
『分かった、ちょっと待って』
これは見ものだろうな――妹が持つ最大戦力に、彼は大いに期待した。
若葉とアカリが準備をする間、山田が敵の足止め役を務める。
初撃こそ戦果を上げた電撃も、敵兵は槍を使って威力を減じていた。地面に立て並べられた対術式槍は、字句通り避雷針のようである。
魔素吸収を受けても、長く氷壁は保っていたが、術式矢の斉射を受けて遂に一角が崩れた。
図書館への進入路が開けた瞬間、若葉は魔物の王へ号令を掛ける。
「いっけえー!」
四匹の龍が、空を駆け昇った。
もう季節外れとなりそうな黒い真鯉が二匹、緋鯉が二匹。
鯉のぼりたちは上空で散らばると、漆黒の口を大きく開き、研究所の守備兵たちに急降下する。
堂々たる空の支配者たちに、敵からは怯えた声が上がった。
「あれは……龍か!?」
鯉たちへ射掛けられた矢は、その身体をすり抜けて飛び去る。
この魔鯉は、ほとんど実体の無い、エネルギーの塊だ。口に吸い込まれ、また、その体躯に触れた兵は、過剰な魔素に脳を焼き切られてしまう。
四匹は地表スレスレを悠々と泳ぎ、前に出ていた槍兵を食い散らかしていった。
「ひ、退け! 先にあの龍を落とせ!」
対術式槍は鯉のぼりにも有効ではあるが、多少の攻撃では魔鯉が怯みはしない。
「さすが美術部だな。エグいが、
鯉が作ってくれた時間で、涼一たちはもう一度、壁の構築に取り掛かる。
敵の包囲を完全に崩壊させるにはもう一手、それを葛西が連れてきてくれるだろう。
涼一は残り少なくなった繭弾を、防壁の穴を埋めるように撃ち込み続けた。
◇
噴水前に転移した美月は、ツカハの馬に乗せられて中央へ向かった。
増援要請を受け、小関と花岡だけでなく、神崎と中島も鳥居の前に集まる。全員が、いつでも駆けつけられるように、準備を済ませて待っていた。
美月の回復が済めば、転移実行だ。
その様子を険しい顔で眺めていたロドへ、ギレイズ公使が走り寄って来る。
「本国のナバーレ副司令から救援の要請だ! 術式矢が切れて、押されているらしい。特務部隊を国境に回してくれ」
「そろそろ来るかと思ってたところです。街の守備兵を残し、午後には前線に向かわせましょう」
「ありがたい」
ロドは部隊本部の部下に指示を出し、ヘイダとマッケイを急ぎ呼ぶように伝えた。
ツカハを伴って鳥居に近づいた彼は、美月へ発動を少し待ってくれるようにと頼む。
ロドについて来たギレイズは、訝し気な視線で彼の様子を覗った。
慌ててやってきたマッケイに、ロドは不在中の部隊統率について細かく話し始める。
「待ってください、隊長は出撃されないのですか?」
「そうだ、お主が増援の指揮官ではないのか?」
二人の質問を聞き流し、髭の隊長はヘイダを手招きした。
「……おっ、ここだ! 来てくれ」
彼女の次は、神崎へと向き直る。
「カンザキ、形代の予備はあるか? 三つほど欲しい」
「おう、ちょうど三個あるぜ」
リュックから取り出された形代を受け取り、ロドはヘイダとツカハへ手渡した。
「ヘイダ、我々でも転移は可能なんだな?」
「はい、形代があれば。多少鼻血は出ますが、そこは気合いで」
彼の意図を悟り、ギレイズとマッケイが
「何も隊長自ら出撃されずとも――」
「そうだ、指揮官が最前線に出る必要はなかろう」
「何をオタオタしておる。リョウイチたちが今戦っているのは、帝国の本拠地だぞ。フィドローン人が誰も参加しないのは、義にもとるというものだ」
ツカハはとっくに諦め顔である。特務部隊長が言い出したら聞かない男なのは、部下なら誰もが知っていた。彼は隊長である前に、未だ心中では騎士なのだ。
美月が皆に回復完了を伝える。
「もう行けるわ」
「よし、やってくれ、カサイ」
いつの間にか、鳥居を遠巻きにして多くの人が集まっている。
リディアにマリダ、矢野、愛海とその手を握る有沙。
「気をつけてな。よろしく頼んだよ」
「おう!」
矢野へ向かって、神崎が拳を突き出す。
「有沙をよろしくね」
「おねえちゃん、ケガしちゃダメだよ!」
小さな手が、中島に向かって千切れそうなくらいの勢いで振られた。
口々に掛けられる言葉を背に、増援メンバーは出現した転移陣を
「姉さんは、いつ帰ってくるのかしら……」
「あの子は、お父さん似だから」
リディアは娘の肩に手を回し、消え行く魔法陣を見つめる。
レーンの無事を信じつつも、いつまでも自分たちの元に留まる娘ではない、それも母には分かっていた。
◇
屋上に現れた集団を見て喜んだ涼一は、その中にロドまで混じっていることに呆れ返る。
「あんた無茶し過ぎだ。歳を考えたらどうです」
「馬鹿者、まだそんな老けてはおらん」
フィドローン勢は
「特務部隊は、ここから援護してくれ。俺達は玄関から打って出る」
「任せろ、リョウイチ」
ロドたちは、もう矢を
涼一たち住民組は急いで一階へ下り、若葉たちと合流する。
一度は図書館をぐるりと兵に包囲されたが、魔鯉のおかげで、敵の厚い隊列も二方向ほどに狭められていた。
「兵が多いのは、北の研究所方向と、西の第一ゾーンから来る連中だ。神崎さんたちは、ゾーン方向に戦線を押し上げてくれ」
「涼一くんは北か?」
「ああ、俺と若葉の班は、まず研究所を強襲する」
涼一は、玄関ホールで電撃魔人となっていた山田と交代する。
「相変わらず遅せえよ。また黒焦げになるじゃねーか」
山田はそう言うが、彼の手は綺麗なままだ。
発動媒体を太陽光発電パネルに換えたことだけでなく、彼自身の熟達もその理由だろう。
炸裂睡眠弾をつかむと、涼一は前方にリズムよく投射していく。この弾も、繭弾同様、そろそろ品切れになってきた。
敵の攻勢が鎮まったのを見て、涼一とレーン、それに若葉班が前に出る。
神崎にトランシーバーの術式を発動させておくように念を押し、まず涼一たちから外へ走り出た。
「手を休めるな、術式で切り崩す!」
若葉が蛇花火を投げると、蛇腹がズルズルと研究所まで伸び始める。これが目標までのガイドラインだ。
昏睡する兵をニトロで吹き飛ばし、電撃が道を広げる。
涼一たちを迎撃しようとする弓兵たちは、屋上からの火矢が焼き払った。
このチャンスに前へ進もうと、涼一と山田が先陣を走る。
だが、彼らのすぐ横手、蛇花火の壁が対術式槍で崩された。
「これも潰せるのか!」
二人の応戦より先に、魔弾と戦輪が幻影兵たちを牽制し、敵の接近を封じる。
「えいっ!」
若葉とアカリも癇癪玉を崩れた壁へと投げつけ、穴を窺っていた敵は小型ニトロのような爆裂で吹き飛ばされた。
「おおおっ!」
山田の手をつかんだ涼一が、魔素をたっぷり乗せた全開の電撃を放つ。生まれた電気の狼が火花を散らし、幻影兵たちを血祭りに上げた。
「おい、俺の専売特許を取るなよ! ビビるじゃねーか」
「失敗しても、山田が吹っ飛ぶだけだ」
どこかで言われたセリフを、涼一がシレッと返す。
「リョウイチも言うようになったな」
戦輪を構えたヒューが、先頭集団に合流した。
敵を撃退したなら、進軍の再会だ。
「若葉、蛇花火はまだあるか?」
「まだ結構あるよ!」
一匹で崩されるなら、群れで行く。
「遠慮無く撒いてやれ、使い切っていい!」
黒い大蛇が若葉を中心に放射状に生まれた。研究所部隊は、黒銀の壁でズタズタに寸断される。
「リョウイチ、矢に注意して。ナズルホーンで受けたやつを」
「あの矢、撃ってこないな……」
涼一の右腕を切り飛ばした攻撃は、最大の強敵になるはずだった。蛇壁は、その対策でもある。
斬撃矢の部隊がいないなら、一気に進み得る。
「みんな走れ!」
研究所まで、百メートルほど。蛇腹に沿って、涼一たちは全力で疾走した。
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