5. この世界で殺虫剤は使えますか?

094. ゾーン戦争

 前日は三回転移したが、帝国との戦闘らしい戦闘は無かった。


「今日の運試しは、どんなもんかな」


 明るくなった東の空を眺めながら、涼一は本日最初の空間転移を試みる。

 一回目は、焼け焦げた地面が広がる山のゾーンだった。


「またかよ、次だ!」

「はい!」


 美月が間髪入れず図書館を転移させると、建物の周囲が砂漠に変わる。


「これもハズレだ。次行くぞ!」


 恐竜たちの姿は、涼一たちからは見えない。龍と帝国部隊との死闘の結果、第七ゾーンの守備能力はほぼ全壊していた。

 満タンからなら、二回は転移できる。涼一は御神体を握り、次のくじを引いた。

 図書館の建物を囲むように、円形の障壁が現れる。


「小さい! 第三ゾーンだ。丸ごと第七に飛ばしたようだぞ」


 ヒューの言うように、ここにはもう壁しかない。ゾーンの役割は、涼一によって消失してしまった。

 壁外の部隊の喧噪が、屋上からもよく聞こえる。帝国最大の港湾都市に近く、居並ぶ船影が遠くに霞んで見えた。


「移動する?」


 美月もまだ力が残っている。


「頼む」


 涼一の返事で、彼女の手が光った。景色は一変し、今度は森の中だ。


「フィドローン?」


 ふらつきつつ若葉が見当をつけるが、ヒューがその予想を否定した。


「フィドローン内にゾーンは無い。これは西部の森だ……。兵が多いぞ、戦闘準備を!」


 双眼鏡を覗いた涼一も、ゾーンの外にいる帝国兵の数に驚く。

 図書館は障壁の少し内側に出現し、壁の進入口が真正面に開いていた。兵がその気なら、すぐにここまで詰め寄ってこれる。


「次の転移は少し待ってくれ。魔素が溜まるまで、近づく兵を迎撃だ!」


 皆に指示を出した涼一は、ヒューからこの場所の名を教えられた。


「マーブリンド王国の近く、西の第十一ゾーンだ。驚いたよ、マーブリンドも開戦している」


 東の争乱は、西にも飛び火する。

 ゾーンを狙うように軍を配置した王国に対し、ここには帝国の西部方面軍が集まった。

 どの場所でも転移地が戦闘区域に絡んでおり、これが後の歴史書において、一連の戦いをゾーン戦争と称させた理由だ。


 帝国に反旗を翻した国々は、一様に「ゾーンの解放」を訴える。

 ゾーンは大陸にもたらされた人知を超える遺産であり、一国が管理するべき物ではない――自由都市連合が流布したこの言説は、瞬く間に人口に膾炙した。


 ゾーンを抑え込むべき災厄とする障壁派と、自由都市ら解放派に分かれ、各地の領主にも態度の表明を求める機運が高まる。

 パッチワークのように二派で色分けされた帝国内部は、分裂の兆しが現れていた。


 帝国の西部方面軍よりも先に、派遣されていた術式研究所の兵が図書館の出現に反応する。

 幻影兵は建物入り口を目指し、障壁の外から走り込んだ。


「幻影兵だ、範囲術式を!」


 いち早く気付いたヒューが叫ぶ。

 若葉班は玄関の防衛に向かい、涼一は上から繭弾を投下した。回避に失敗した幻影兵は、固着の術式に搦め捕られる。

 敵兵のいくらかは繭が展開する前に突入を成功させ、若葉たちを狙って魔石を撃った。

 燃え上がる玄関に、見下ろした涼一は舌打ちしたが、直ぐに耳を弄する雷鳴が響く。

 山田のサンダーが、敵を焼く雷獣を解き放った音だ。

 若葉から叱責の通信が入る。


『お兄ちゃんは回復に専念して! こっちは大丈夫!』

「すまん……」


 繭と格闘していた兵には、アカリの水弾が襲う。ローブの兵を片付けた頃に、ようやく西部方面軍が動き出した。

 久々の火炎弾が、図書館の外壁に当たって弾けるが、わずかでも煉瓦を砕いたのは、最初の一撃だけで終わる。

 レーンの魔弾が、続く砲撃を漏れ無く撃ち落とした。






 的確な迎撃で涼一たちは無傷だが、帝国の本隊も障壁内へ入らず、彼らの射程外に留まったままだ。

 遠距離から焼殺しようという帝国軍に、若葉が業を煮やした。


「火炎弾は気分が悪いんだよね。こっちにも援軍はいるんだから」


 アカリと美月が、若葉の前にファンシーな縫いぐるみを並べていく。

 有沙のお気に入りのトランシルバニア勢。大中小のモルロの小隊。犬猫のマスコットに、定番の熊のキャラクターもいた。

 特に活躍を見込まれて有沙に抜擢されたのは、抱きまくら程もある大きな鮫型のクッションだ。


「さあ、順番に行くわよー!」


 ペッタン、ペッタンと、若葉は縫いぐるみの頭を手で押さえていった。

 端から順に、小さな突撃兵たちが覚醒し、モゾモゾ動き出す。

 可愛らしく歩く人形たちは、障壁入り口で加速し、魔光をその身から放ちつつ一気に敵陣へなだれ込んだ。






「ああ、これはまた……」


 形代から力を吸収していた涼一は、眼下の光景に感想を失う。

 小さな人形は兵の顔に張り付き、魔犬がその喉を噛みちぎる。

 キリンの首が足に巻き付いて敵を倒すと、熊がとどめを刺しに飛びかかった。


「何だこいつらは! 叩き切れ――うぁっ!」


 縫いぐるみたちの動きは素早く、帝国兵の剣を避けて反撃する。

 狙いは柔らかい顔や首ばかりだ。若葉の規定した術式効果に、兄は妹の情け容赦無さを再認識した。


 ――こいつら、虫より余程おぞましいよな。


 何とか剣撃がモルロを両断すると、破裂した腹から中の綿が吹き出す。爆発した魔光の綿毛は、漂い広がって周囲の兵士たちへ伝播した。

 散った毛は一本一本が意志を持つ糸虫となり、敵の体内へ侵入しようとうごめく。


「ダメだ、退却しろ!」


 部隊長があらん限りの声で叫ぶと、そこへ部下たちが歩み寄った。毛玉に顔を覆われたまま、彼らはただヨロヨロと動く。


「お、お前たち……寄るな! こっちへ来るな!」


 背を向け逃げ出そうとする部隊長の頭を、空中を泳ぐ鮫の顎が喰わえ込んだ。

 縫いぐるみの攻勢は、涼一が回復を済ませる頃、ようやく終わりを見せる。

 障壁から飛び出た魔獣たちはゾーンから大きく離れ、西部方面軍内を縦横に暴れ回り、その後には大量の犠牲者が残された。


 一匹辺りの戦果はしつこく泳ぎ続けている鮫が一番だが、モルロ隊によって生み出された動く死体の数もおびただしい。

 術式の魔物を使役する魔女の住み処へは、最後まで討ち入ろうという敵はいなかった。

 火炎弾投擲部隊が鮫の餌食となった時、砲撃の音も止む。

 結果としてマーブリンドへの援軍を務め、涼一たちは次の転移へ駒を進めた。


「若葉、もう行くぞ」

『了解、いつでもいいよ』


 西部の森に別れを告げ、再び転移光が彼らを包む。

 景色が切り替わった直後、ヒューが大声で叫んだ。


「リョウイチ、来たぞ! 第一ゾーンだ!」


 帝都を遠方に臨む、渦の中心地。

 当たりの祝報は、涼一によってすぐに皆へ伝えられた。





 涼一たちが西部へ飛んだ頃、術式研究所では慌ただしく兵が働いていた。

 つい先ほど、夜間の強行軍を経て、ガルドたちが研究所に帰還している。

 ハータムから戻ったメリッチは、さっさと自室に篭り、しばらく人を寄越さないように申し付けたらしい。


 所長に会うのを諦めたガルドは、部下に休息を取るよう指示して、自分は司令室へと向かった。

 就任後、散らかされたままの質素な部屋で、彼はリゼルとクラインに出迎えられる。


「成果はあったか?」

「はい、少し強引にやらせてもらいました」


 リゼルは先に研究所へ戻り、この施設の内実、ひいてはメリッチの本当の目的を探るように命じられていた。

 所長の不在は僅かな時間だったが、買収と恫喝を駆使し、施設の鍵を持ち出すことに成功する。

 彼が最優先で潜入したのは、研究所地下にある術式解析室と、その隣の所長専用の研究室だった。


 ガルドの部屋の机に、持ち出された機密資料が広げられる。

 螺旋の描かれた大陸地図、神代文字の分析表、異世界の書籍を翻訳した書類の束。


「派手に盗ってきたな。気付かれないのか?」

「どれも少し前の研究資料です。失くなったとは、すぐに分からないでしょう」


 ガルドは気になる点を、二人の部下に確認した。


「この写しの原本は、ゾーンで見つけた物だな」

「そうです、資料の最初に著者名が記してあります」


 カサイ・レンジロー。対王国戦に参加した軍人で、この名にピンと来ない者はいない。


「レンジロー・クレイデルの書いた本か。所長は何を気にしている……?」


 先に資料に目を通していたクラインがパラパラと紙をめくって、一節をガルドに見せた。


「この部分の検討補足が、ずいぶん多いですな」

「……エリクサー?」

「不老の妙薬。“不死の術式”だとの分析がなされております」

「馬鹿な。そんなものは、夢物語だ」


 しかし、メリッチには十分検討に値する物だったと思われる。


「高濃度の魔素は精神を破壊し、動く死体を生み出します。この死体は、本当に死者と変わらない。そのことは司令もご存じでしょう」

「回復の可能性は皆無だからな」

「では、精神を守る術式を掛けた上で、魔素を浴びればどうなるか。魔素を力として取り込み、自我もそのまま保つ。それを所長は研究していたようです」


 術士による不老不死の追求は、よく聞く話だ。

 自らが高レベルの術式使いであるメリッチが、そういった研究に手を出すのは不思議ではない。


「だが、この研究が第一ゾーンとどう結び付く?」

「魔素を取り込んだ存在というのは、ゾーン住民の高位版ですな。彼らを研究する、あるいは、不死の術式そのものをゾーンから引き出すか。これだけでは、所長の狙いははっきりしません。ただ、リゼルは現在進行中の研究についても、資料を見たのだろう?」


 答えたのはクライン、彼に促されて、リゼルはメモした手帳を開く。

 最新の研究に関して、彼の調査へ協力する者もおり、いくつか新しい事実が判明していた。


「この数年、研究所の予算の多くが第一ゾーンに振り分けられました。あそこに資材を持ち込み、所長は何かを建設している。一年前の実験で、巨大な転移門ゲートの発生が確認されています。不完全なもので、すぐに消えたようですが……」

「一部で噂が流れていたな。術式研究所は、瞬間移動を行う遺物を持っていると」


 本来は帝国の機密だが、術式研究所を快く思わない諸侯もいる。一部将官の耳に入る程度には、陰口とともに話が伝わっていた。


「噂は正確ではありませんね。所長室の記録によると、発生した魔法陣はゾーンの転移陣と同等だったとありました。つまり、人為的に世界間転移を起こす気のようです」

「自分が世界を渡るつもりか!」


 所長は、ゾーンを私物化するつもりだ。転移能力を自在に使えるなら、メリッチは帝国どころか、大陸全土を掌握できるだろう。

 得られるのは、遺物の力、莫大な富、従う信奉者たち。

 それに加え、不老不死か。


「所長のやっていることが、帝国の益になるとは思えん。不審な動きを見せたら、命令を待たず拘束していい。ここがアサミたちの標的になれば、どんな無茶をしでかすか知れんぞ」

「はっ。我々は研究所部隊から離れ、しばらく独自に行動します」


 彼らが密談する部屋の扉が、激しくノックされた。


「司令、敵襲です! 遺物管理棟が、丸々すり替えられました!」

「すり替えだと? どういう意味だ」


 何が起こったかは分からないが、それを招いた人物の名を、ガルドは容易に推測することができた。


 ――早速か、アサミ・リョウイチ。決着を付けさせてもらおう。


 部下へ指示を叫びながら、研究所部隊司令は対決の場に進んでいった。

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