093. 渦

 リズダルは北海道くらいの大きさの島国で、人口は意外と多い。

 ヒューの言う通り、この島が丸ごと転移したのだとすると、第二ゾーンを上回る大きさだ。

 現在も維持されているものでは、最大の転移地ということになる。


 島は平坦な地形で、北部に小高い台地がある。そこにあったのが、リザルド族の霊山マーダだった。

 マーダは信仰の対象と言うより、禁忌の山で、普段訪れる者は少ない。空間転移に巻き込まれたリザルドがいなかったのは、幸いであった。


「ここは首都に近い。待ってくれるなら、連絡を入れてくるが?」


 ヒューは既にそのつもりで、出立の準備をしている。


「なら、ゾーン調査機関の責任者と話せないか?」

「要請はしてみよう。機関も聞きたいことがあるはずだ」


 外に出ようとする彼に、涼一は頼み事を付け加えた。


「大陸の地図も欲しい。転移地の詳しい場所が分かるやつがいい」

「分かった」


 ヒューを見送ると、残った面々で遅い夕食を取ることにする。

 食料も相当量を持ち込んでいるので、その気になれば暫く図書館で暮らすことも可能だ。

 各自が適当な場所に座って、思い思いに食事を始めた。

 豆のスープを前に話し込む美月とレーンを見て、珍しい組み合わせだと、涼一が会話に参加する。


「二人が喋ってるのを見るのは、初めてだな」

「機会が無かっただけよ。アレグザじゃ、母さんが放さなかったもの」


 作業を手伝っていない時の美月は、リディアの家に入り浸っていた。

 話題のほとんどは、やはり連次郎に関してで、彼の地球での様子を何度も話させられたらしい。

 レーンも父のことは気になるが、美月自身にも興味があった。


「いきなり増えた従妹だもの。聞きたいことは、いろいろあるわ」

「カッコイイ従姉ができて、私も鼻が高いよ」


 案外、気が合うんだろうか。水と油みたいな二人を、涼一は面白そうに交互に見比べる。

 しかし、美月には確かめておくべきことがあり、今のうちに話しておこうと、彼は真面目な面持ちに切り替えた。


「なあ葛西。地球への転移ゲートが見つかったら、お前は日本に帰るのか?」

「……家族は向こうだから。勝手に消えたら、家出よね」


 アカリや小関と違い、彼女の親は転移に巻き込まれていない。行方不明になった娘を、今も日本で待ち続けているだろう。


「でも、涼一くんや、せっかく知り合えたレーンさんと、二度と会えなくなると思うと……」


 自発的に地球から転移する方法が無ければ、一方通行だ。泣きべそを浮かべた美月が、パッと顔を上げる。


「みんなで地球に行くのはどう? レーンさんも一緒に、ね」

「世界間転移は、リディアさんやマリダが耐えられるか微妙だぞ。それに、レーンたちにしたら、地球こそ未知の異世界だしな」


 涼一の返答に、美月の表情はまたどんよりと曇った。

 彼女は帰るべきだろうと、涼一は考える。未練を残して生きて行くには、この世界は厳しい。

 もっとも、そのためにはゲートを見つけるのが先決だ。

 美月にはまだしばらく考えてもらおう――そう彼が去ろうとすると、レーンも立ち上がる。


「リョウイチは、ここに残るのよね?」

「そうだ。迷いはないよ」

「ならいい。もし帰る気になったのなら、早めに言って」


 そんなことになれば必ず言うと約束し、彼は図書館の事務室へ向かった。

 もしリズダルの関係者が来てくれるなら、そこを会合場所にするつもりである。


 床や机の上を適当に片付け、ヒューを待つが、一向に帰ってくる様子が無い。こんなことなら、トランシーバーを渡しとくんだったと、涼一は後悔した。

 ナズルホーン以上の安全地帯ではあるので、皆は少しでも睡眠を取ることにする。


 結局、ヒューが戻ったのは深夜、日の昇る二時間ほど前のことだった。





「すまない、リョウイチ。私だけなら、もっと早く戻れたんだがな」


 ヒューが小声で謝罪する。

 首都までは、彼の足なら一時間ほどの距離だと言う。街に着いたヒューは、機関に連絡を入れ、そこから二時間待たされた。

 深夜にも関わらず、彼に同伴して現れたのが、ゾーン調査機関長ライ・クカムだった。


「君たちの方から来てくれるとは思わなかった。ここまでの経緯は、道中に聞いた。歓迎するよ」


 涼一には見た目の区別が難しいリザルド族だが、喋ると違いがはっきりする。クカムの自信に満ちた話しぶりは、貫禄を感じさせた。


「ご足労、ありがとうございます。山を削ってしまいましたが……」

「気にせんでいい。たかが岩の塊だ」


 友好的な雰囲気に安心しつつ、涼一は彼を事務室へ案内する。

 仲間はそのまま寝かせておき、起こすつもりはなかったが、一人レーンだけは物音を聞き付けてやって来た。

 四人は事務机を囲んで座り、クカムが地図を広げる。


「機関がつかんだ転移地が、赤い印だ。機密情報だが、まあ、君なら問題無いだろう」


 大小の赤い点は、大陸全土に数多く打たれている。

 他より特に目立つ大きな点が、アレグザやナズルホーンにあるゾーンだ。


「この地図が見たかったそうだな。何か役に立つかね?」


 涼一はチョークを持つと、ナズルホーンにその先を置く。


「ちょっと汚しますよ」


 彼はそのまま腕を動かし、地図に線を引く。

 チョークの白い粉は、ナズルホーンからアレグザの方向へ反時計回りに円を描いた。

 彼の手は一周しても止まらず、グルグルと回り続け、地図には大きな螺旋が完成する。

 そのライン上に、全ての赤い点が乗っていた。


「転移地は渦を描いて発生している。どう思われますか?」


 クカムは顎をさすり、考え込む。


「確かに綺麗に線上に並んだが……。点の繋ぎ方は、線を引いた者次第だろう。何か根拠があるのかね?」

「前回転移した地下で見た魔素量は、尋常じゃなかった。あの渦の広がりは、地上にも影響を与えていないとおかしい、そう考えたんです」


 クカムの視線に、ヒューが頷く。


「先ほど報告した大空洞です。転移現象の源と考え得る、膨大な力が発生していました」

「これを見てください。そこで拾いました」


 渦の中心点にあった防衛機構の残骸を、涼一は机に置いた。魔素にさらされながら、彼が拾って持ち帰った物だ。


「この表面に、細かな文字のような文様があります。俺はこれを見たことがある。術式の魔法陣が描く模様と似てる」


 破片に顔を近寄らせ、クカムがしげしげと観察する。


「神代文字だ。誰も解読した者はいない。忘れられた、どの国よりも古い時代の言語だよ。素材も、古代遺跡で見つかる魔岩だな」


 魔石よりも高性能な術式記憶用の素材、それが魔岩だ。遺跡で発掘する以外に、入手方法は存在しない。


「つまり、あの渦は古代からあった。そうですよね? では次の問題は、どこから大量の魔素を引き出しているのか、です」


 クカムもヒューも答えず、涼一の推測が語られるのを待った。


「渦の中心にも、転移陣にそっくりな文字が刻まれていた。この星の内部に魔素溜まりでもあるなら別ですが、あれは他所から吸い出しているのでは?」


 正確には、転移を利用して魔素を生み出してるいるのでは、だ。


「その吸収先が、チキュウだと?」

「そうです」


 何か確証のある話ではない。

 涼一の仮定が正しいなら、何千万年も前に渦は作られている。術式の力で守られ、レーンの魔弾で破壊されるまで、防衛機構も働いていた。

 途方もない昔に、高度な文明があったということになる。


「古代文明のことは、リズダルでも少しは調べたよ。何かの理由で、完全に滅びてしまい、今はその残滓があるだけだ」

「地球でも、似た話を研究してる人はいます」


 二人の超古代論議に、レーンが疑問を呈した。


「結局、あの渦は何の目的で作られたの?」

「単なる想像しかできない。それでよければ、聞いてくれるか?」


 彼女だけでなく、クカムも大きく首を縦に動かす。


「渦は魔素のエネルギーを産み出すために作られた。理屈はともかく、大陸全土に魔素を行き渡らせる程の力を得ることに成功する。だけど、弊害もあった」

「転移現象ね?」

「そうだ。古代文明に、魔素以外の転移物は必要無かったんじゃないかな。世界間転移は、デメリットの方が大きい。渦の副作用として誘発されたんだろう」

「ゾーンは事故みたいなものなの?」

「ああ。避雷針とは上手い名称だ、電気と一緒だよ。濃すぎるエネルギーは、出口を求めて暴発する。魔素がショートし、本来発生するべきでない術式を生み出した。その結果転移したものがゾーンなんだと思う」


 理屈は通っている、そうクカムも認めた。

 超古代文明が滅んだのも、案外ゾーンに対処できなかったからかもしれない。

 大き過ぎる力を求めた結末が、自身の文明の崩壊というのは、よくある話だと彼は思う。

 帝国がゾーンを管理し、それを利用し始めたのも、たかだか数百年前からのことだ。

 古代の術式の再現に成功した帝国は版図を広げ、今またゾーンによって自らの首を締めようとしている。


「……魔素は便利な力だ。渦を止めれば、大陸から失われると思うかね?」

「すぐ消えるものじゃないでしょう。しかし、供給が無ければ、いずれは」


 涼一の推論は、大陸で生きる者に難しい選択を迫る。転移現象を止めるのは、膨大なエネルギー源を枯渇させるということだ。

 悩む調査機関長に、涼一は別の問題を思い出させる。


「その渦を止める手段、それがまだありませんよ?」

「確かにな。起動者が触れられない物を、どうやって止めればよいのか……」


 クカムの眉間の皺が、さらに深くなった。四人は机の地図を見ながら、しばし黙考する。


「……いずれにせよ、ここを避けては通れんな」


 クカムの指が、地図上の一点に置かれた。チョークの線は、その点に収束している。

 第一ゾーン、研究所のある場所のすぐ近くだ。

 あの暗い大空洞は、第一ゾーンの地下に広がっていたと、涼一の描いた螺旋が示唆していた。






 涼一たちが話し終わる頃、他の仲間も起きて、事務所に顔を出した。

 自己紹介を済ますと、若葉がおずおずとクカムに質問する。


「あの、聞きたいことがあるんです……」

「何だね?」

「リズダルは、私たちと同じ地球から来たんですか?」


 機関長は喉の奥を鳴らす。人間で言う苦笑だろうか。


「我々にも断言はできんよ。この世界に飛ばされたのは、三千年以上前のことだ。今のチキュウには、リザルド族はおらんのだろう?」

「ええ……いません」


 超古代文明と同じく、永遠の謎ということだ。涼一とヒューも議論したことがあり、結論は出なかった。

 はっきりしたのは、第一ゾーンの重要性だ。

 ゾーン調査機関は、第一近辺への諜報員を増派するらしい。

 起動エネルギー源が地下にあったのでは、今まで見つからなかったのも無理はない。

 大空洞の存在を知り、地上からの侵入路を探すことが急務となった。


 涼一はクカムへ、この霊山を破壊した後始末も頼んだ。

 図書館が来たということは、ここに在った避雷針はもう存在しない。言わば霊山のコアを消失させたということで、揉める可能性もある。

 その辺りは上手く手を回しておくと、彼は請け負ってくれた。


 彼が首都の機関本部へ帰る時には、何十人もの警備兵が図書館へやって来る。

 彼らが厳つい武装をフルに着込み、大筒や魔矢まで用意しているのは、万一の事態に備えたものだ。

 何がやって来るか分からないのが転移地点、その危険な場所の監視役を担う彼らへ、機関長はテキパキと指示を伝えた。


 クカムの仕事は、これから急増することだろう。対処すべき事項を頭で整理しつつ、彼は徒歩で下山した。


 遠く眼下に見える街を眺めていた山田が、大きく背を伸ばす。


「あー、よく寝た。続きやろうぜ」


 この日の涼一たちの作戦は、明けの陽光を合図に開始された。

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