091. 中心点

 光の縞模様は、涼一たちが進むにつれ、その線幅を狭めて行く。

 歩き始めた時は、横断歩道よりも広く縞が繰り返されていたが、徐々に狭くなった今は二十センチ幅を下回っている。

 どれほど時間が掛かるか分からなかった中心への道行きも、細く光る筋が終着の予感を高めた。

 探索の目標は意外に近い。


「あれだろうな」


 涼一の言わんとするのは、光量の多い前方の一点だ。魔素の濃度が高いのか、そこだけ盛り上がるように光っている。

 さらに近づくと、その周りに黒い影がいくつも立ち並んでいるのに気づいた。

 人が円陣を組んでいるようでもあるが、動きは全く無い。


「リョウイチ、これは輪でもないわ……」


 光の流れを注意深く観察していたレーンは、地上に描かれたラインの全貌をようやく把握する。

 その答えを聞こうと涼一が口を開けた瞬間、ヒューに襟をつかまれて、彼は地面に引き倒された。


「みんな伏せろ!」


 並んだ黒い影法師たちが、どれも頭部の一点を赤く光らせている。

 一瞬の後、それが赤い閃光となって涼一たちへ伸びた。


「レーザー!?」


 辛うじて回避に成功した若葉が呟く。その彼女の言葉を兄が否定した。


「光線じゃない、カーブしてる。赤い魔光だ!」


 話しながらも、彼は急いで横に倒れた美月へ這い寄る。彼女は直撃を腹にくらい、ハアハアと息を荒げていた。

 涼一が美月の手を握ると、彼女の魔素が溢れ返り、彼の身体へ流れ込んだ。


「無茶苦茶な濃度の魔素光だ。食らうと動けなくなるぞ!」


 かつてマリダが食らった魔素注入の攻撃、それと原理は同じである。

 ただし、威力は段違いで、耐性の高い美月が喋れなくなるレベルだ。普通なら、一撃で動く死体になっているだろう。


 涼一たち以外は影法師の追撃に備えて、もう後退している。

 彼が魔素の一部を引き受けてやると、美月も這う程度には動けるようになった。彼女の魔素の許容量は折り紙つきで、そう簡単に致命傷とはなり得ない。


「ありがとう……涼一くん」

「走れるか?」

「え、ええ」


 彼は美月を起こし、全速で引き返そうと肩を貸す。次弾を警戒して必死に急いだものの、二射目の赤光は飛んで来なかった。


「近づくと、攻撃するみたいね」


 推測を確かめるために、レーンが魔弾を影へ撃ち出すと、また赤い魔光が発射される。彼女ではなく、弾そのものを狙った迎撃だ。

 魔弾の軌跡と光線はよく似ており、二つが絡み合うと、もつれた糸のようである。

 弾は光線を器用にかわして影へと向かうが、着弾寸前に渇いた破裂音が響く。

 何らかの力が影への接近を拒み、魔弾はポトリと落下した。強化魔弾が通用しないことに、彼女も思わず舌打ちする。

 レーンの攻撃すら防ぐ鉄壁さに、山田が呆れた。


「バリア付きかよ……」


 迎撃と防御を兼ね備えた設備は、中心地点の重要さを物語っている。


「リョウイチ、ここは――」

「ヒューの言いたいことは分かってる」


 膨大な魔素、大量の遺物、だがゾーンでないなら、浮かぶ予想は限られた。


「こいつが起動装置か、そのエネルギー源な気はするよ」


 ヒューは頷き、涼一の決断を待つ。


「……あの防衛機構だけでも潰したいな」

「遺物の停止は試さないのか?」


 ヒューの祖国の目的は、それだ。


「やってみてもいいけど、期待はしないでくれ。ちょっとあの魔素の量は、俺にとっても尋常じゃない」


 手持ちの武器では心許ないため、涼一は図書館に戻って再武装することを提案する。防御を破るには、対研究所に取っておいた装備が必要だろう。

 結局、往復することになった道中、彼らは攻撃方法を相談した。


「一時的でも、あの力を吸い取らないと防壁が崩せない。壁が消えれば、魔弾で影は潰せるわ」


 レーンの射程は、敵の迎撃が発動する距離より長い。問題は壁だ。


「ヒュー、対術式槍って、どういう仕組みなんだ?」


 涼一は、かつて教えられた知識を思い出していた。マリダを襲った武器は、魔素を吸収することもできると言う。


「あれは魔弾や戦輪に似てる。物体と魔素を混ぜる“練魔の術式”を使う。同じ術式は、遺物でもあった」

「どれのことだ?」


 名前を知らないヒューは、少し説明に手間取った。


「ナカジマが使っていた。服の汚れを落としたり、顔を洗ったり……」

「あの人、洗剤で顔を洗ってるのか?」


 洗剤の粉を顔にまぶす中島を想像し、涼一は驚愕する。

 そんなことしてるから、小ジワが気になるのでは――この感想を口に出す前に、ヒューが否定した。


「違う、それぞれ別の遺物だ。いや、私には同じように見えたのも事実だが」


 アカリは中島と一緒に仕事をすることが多い。彼女が、遺物の正体を知っていた。


「多分、クレンジングオイルと液体洗剤かな。なんて言ったっけ、あれ。なんとか活性剤……」

「界面活性剤か」


 洗剤は持って来ていないが、同じ効果の遺物なら有るかもしれない。

 図書館に戻った彼らは、即興で対魔素武器を作るため、建物を走り回ることとなった。






 涼一たちが集めてきた品々を、ヒューとレーンが手に取って調べて行く。


「魔弾を作るのに、これはよく使っている。かなり強力よ」


 レーンが選んだのは、白い固形石鹸だった。


「これも悪くない。戦輪の調整に欲しいくらいだ」


 ヒューのオススメは、職員の事務所にあった染み抜きらしい。

 練魔の術式は、物質の持つ魔素の親和性を増す効果がある。術式の働いている間なら、形代を超える魔素を含ませることが可能だ。

 レーンの魔弾が、莫大な涼一の力を利用できたのは、この効果のおかげだった。

 涼一は繭弾に染み抜きを掛けながら、レーンに攻撃時の注意を説明する。


「繭が展開しきると、魔弾でも突破しにくくなる。遅れるなよ」

「狙い目はリョウイチの少し後くらいね。待たずに撃つわ」


 若葉たちは、水鉄砲に詰めた水に石鹸を溶かし込んだ。

 皆の準備が終わり、外に出た涼一は建物の背後の暗闇へ振り返る。

 足を止めた彼に、山田が理由を尋ねた。


「何かあるのか?」


 涼一は双眼鏡まで持ち出し、周囲を観察している。


「山田、バルサーを持っておいてくれ」


 噴出式殺虫剤バルサー。目張りをして屋内で炊くやつだ。煙幕として使えるかと、何個か持って来た。


「いいけど……ヤバいのがいるのか?」

「大丈夫とは思うが、ほら、若葉が卒倒すると困るから」


 何となく事情を察した山田は、黙って殺虫剤を取りに帰る。

 全員が揃うと、また中心に向かって短い行軍が始まった。赤い魔光の攻撃に物理的なダメージは無く、もう美月にも射抜かれた影響は見られない。

 立影が見えたところで涼一たちは左右に広がり、光の円に沿って中心を囲うように並ぶ。


「撃つぞ!」


 涼一が繭弾を放つと、一拍待って、レーンの魔弾が発射された。三本の魔線が、彼女の手元から伸びる。

 先程と同じく、影から迎撃の魔光が発っせられるが、今回は繭の形成が先だ。

 白い糸の壁が曲がる赤光を遮断し、輝きを増す。


 その作りかけの繭を撃ち抜いて、魔弾が影を目指した。

 半透明の防御バリアが、繭の中で瞬時に一回り小さなドームを形成するのが、今回ははっきりと視認できる。


「水をかけろ!」


 ウォーターガンの担当が一斉に放水し、繭に加勢した。

 攻撃を防ごうと展開したバリアは、繭と水にエネルギーを吸われ、急速に輝きを失う。

 繭と障壁に挟まれた空間をクルクルと飛んでいた弾は、この機を見て中心へ進路を変えた。


 魔弾は障壁に衝突した刹那、わずかに速度を落とすが、穴を穿つべく回転し続ける。

 壁を貫き、かせを解かれた三つの魔弾が、ドームの中を跳ね回った。


「魔弾よ、喰らい尽くせ!」


 レーンの決め台詞は、珍しくタイミングが遅い。敵の防御を打ち破ったのを確認した彼女の、勝利の雄叫びだった。


 真円の綺麗な軌道で、三本の赤い輪が影をグルグルと縫い続ける。ゴリゴリと魔弾が敵を削る音が、何度となく響いた。

 音が止まり、赤い線が消える時には、影は完全に沈黙する。

 人の背丈ほどあった影法師たちは、路傍の石ほどに砕け散っていた。

 魔素を吸い、大きく成長するかと思われた涼一の繭は、途中で激しく瞬いたかと思うと空中へ霧散する。


「相手の魔素が多過ぎるんだ。近づくのは気をつけろよ、リョウイチ」


 ヒューに言われ、まだ肝心の問題が残っていることを、涼一は認識した。

 防衛機構を止めても、膨大な魔素の塊に近づくのは容易ではない。


「行けるとこまで、近づいてみる」


 彼は荷物を若葉に預けると、一人で円の中心へ歩み始めた。





 転移を発動し、ゲートを抜ける時、身体中の魔素を撹拌かくはんされたような気分になる。平衡感覚が乱れ、足もふらつく。

 中心に近づくのは、正にその時の圧力に似ていた。


 突風の中を歩くように、左右に体が揺れ、やがて上下の認識もあやふやになる。

 崩れた影法師の残骸に到達する頃には、後ろで見守る仲間が心配するほどに、彼は千鳥足で歩いていた。


 影法師に見えていたのは、土の立像だ。

 顔に当たる部分は、魔弾で粉砕されている。手足と胴体に刻まれた複雑な衣服の模様で、元は人型であったことが想像できた。

 立ち続けるのが難しくなった涼一は、その場にしゃがみ、立像の破片を拾う。


 魔光の輪の中心に目を向けた彼は、レーンが言おうとしたこの光の本当の形を理解した。

 光は同心円状に並んでいるのではなく、渦だ。魔光は中心から吹き出るように、螺旋の形に広がっていた。

 渦の芯には、平らな円形の石盤。そこに陣が直接刻まれており、小さな魔法陣が浮かび上がっている。


 術式を使えても、ちゃんとした知識は無い涼一だが、この魔法陣には見覚えがある。何度も目にして、記憶してしまった。

 空間転移の魔法陣、その小型版が、彼の目線の先で魔光を噴き上げている。


 彼が見たものを考察する暇は、もう無かった。

 鼻から伝う血が、時間切れを宣告する。

 涼一は中心目掛けて繭弾を投げ、魔素の吸い込みを図った。


 白い繭壁は、瞬く間に発光して散るが、時間は稼げる。

 前屈みになり、転がるように仲間のところに戻った彼を、レーンが待ち構えていた。


「リョウイチ、無事なの!」


 彼女が彼を受け止める前に、すかさずアカリが割り込む。


「涼一さん! ……たまには私にもさせてください」


 目論み通りとほくそ笑む彼女を、レーンは呆れる顔で見返す。しかし、そんなアカリに、涼一は非情だった。


「か、葛西を呼んで――」


 全てを言い終わる前に、美月が彼を引ったくる。

 あんぐりと口を開けたアカリは、この世の終わりのような顔でくっつく二人を見た。


「どうしたの? 私なの? そうなの?」

「すまん……さっきの分、少し返させてくれ」


 涼一は美月の腕をつかむと、魔素を流し入れた。電流が走ったように、彼女の体がビクリと撥ねる。

 過剰魔素を処理し、一息つけた彼は、美月の体調を心配した。


「申し訳ない。葛西が一番、耐性有るからな。気分は悪くないか?」

「ちょっと泣きそうだけど、体は大丈夫」


 ヒューが期待を込めて、彼に問う。


「どうだ、何とかなりそうか?」


 涼一は大きく首を横に振った。


「馬鹿言うなよ。あんなの鳥居の比じゃないぞ。マグマに突っ込むようなもんだ」

「そうか……。破壊できるか試そう」


 ヒューの合図で、皆が一斉に射撃を開始する。

 ウォーターガンが、魔弾が、電撃が中心地点を襲った。

 途中で涼一も参加し、ニトロで加勢したが、攻撃は尽く光と共に途中で弾け消える。

 投擲矢を投げ切ったヒューが、残念そうに終了を告げた。


「無理だな。あれの吐き出す力が、全て押し返してしまう」


 対策の練り直しだ。

 この場での決着を諦めた涼一たちは、また図書館へと戻って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る