089. 移動図書館

 無事に図書館へ飛んだ涼一たちは、二班に分かれて空間転移への準備に取り掛かる。

 ここは第二ゾーン、彼らの出現に気づく者は、太古から生き延びた爬虫類だけだ。


 玄関から外に出た若葉たちは、住民特製の氷弾をバラバラと前方に撃つ。ヴェロキラプトルなら飛び越えられそうなサイズだが、一応の防御壁である。

 今のところ、恐竜たちの姿は見えない。

 周囲の深い樹林を警戒しつつ、山田は着火の魔石を用意した。


「いつでもいいぜ、投げてくれ」


 伏川町産の肉を、若葉とアカリが氷壁の外に放り投げる。保存し損ねて傷んでしまった肉を、手頃な大きさに切り分け、乾燥させたものだ。

 山田の魔石で着火されると、肉の焼ける匂いが漂った。


「かー、焼肉食いたくなるわ、これ」

「まあ、そうだね……」


 甘い物派の若葉も、これには同意する。嗅覚に訴える誘惑は強い。

 密林の中の生き物も、それは同じだろう。


 四人は白亜期の植物相を興味深く観察しながら、標的が現れるのを待った。

 しばらくして、何か大きな物が落下する衝撃が響く。涼一たちが、先に獲物を仕留めたらしい。

 耳を澄ませる若葉たちに、草の踏み折れる音が近づいた。

 今度は自分たちの番――音の方角から、ラプトルの数倍はある大きな爬虫類の顔が突き出した。


「Tレックス!」

「違う、アロカントサウルス、いやとげが無いな。シアッチだ」


 山田が解説してくれるが、若葉にはどうでもいいことだった。

 彼女が睡眠弾を放って問答無用で肉食恐竜を眠らせると、シアッチはミシミシと木を折って横倒しになる。


「こいつ大きい! 若葉、涼一さんに知らせたら?」


 アカリが思いがけない獲物に興奮し、報告を促した。

 大型恐竜の出現を伝えられた涼一から、嬉しそうな返信が飛んでくる。


『おお、幸先いいな。こっちも準備はできた。適当に葛西へゴーサイン出してくれ』


 若葉たちは図書館の中に戻って美月を呼ぶと、仕事を頼まれた彼女は張り切って御神体を握った。


「お兄ちゃん、行くよ!」

『おう』


 通信する妹の袖を、美月が引っ張る。


「私も喋りたい」


 仕方なく、若葉は彼女に通信口を向けた。


「……何を話せばいいのかしら」


 アカリがトランシーバーを奪い、発動を急き立てる。


「さっさと仕事する! 通信は私が許可したときだけ!」

「ひどい……」


 文句を言いながらも、美月は転移の遺物に集中した。

 程なくして、御神体は目映まばゆい光を放つ。重力変動に備えて、若葉たちはしゃがんて発動を待った。

 美月の発動能力には何の問題も無く、巨大な魔法陣があっという間に展開される。


 術式の規模はできるだけ大きく、彼女はそう涼一に言いつけられた。

 建物の中からは分からなかったが、今回の転移陣の大きさは半端なものではない。

 建物を中心に直径三百メートルの光の円が浮かび上がり、第二ゾーンに巣食う多くの爬虫類たちもそこへ巻き込まれる。


 涼一たちを連れ、図書館は三度目の瞬間移動を成功させたのだった。





「少しは慣れるものね、これも」


 レーンは空間転移を、立ったまま乗り切る。鍛えられたバランス感覚のなせる技だろう。


「やるなあ。で、ここがどこか分かるか?」


 屋上の端から、ヒューが双眼鏡を覗く。


「……障壁の一部を吹き飛ばしてるな。第九ゾーンだろう。巨石が大量に並ぶ、石のゾーンと言われている」


 転移地のサイズは、涼一の想定を超えていた。上出来ではあるものの、ここに用は無い。

 若葉へ通信回線を開き、推定された場所を教える。


「若葉、大陸の北、第九ゾーンだそうだ。小規模な兵舎しか見えない、ハズレかな。すぐに次の転移をするから、葛西と代わってくれ」

『涼一くん! 私うまく出来た?』


 彼女が飛び上がって喜んでいるのが、通信からも伝わる。涼一は知らないが、美月の横でアカリは舌打ちしていた。


「大成功だよ、葛西。ここまで大きくなくてもいいぞ。形代を握って、少しでも魔素を回復してくれ」

『分かった!』


 満タンからなら、美月はギリギリ二回は転移を発動できると、彼は予想している。涼一と合わせて、計算上は四回の連続転移が可能だ。

 兵もいないなら、恐竜たちは次へ連れて行くのがよいだろう。涼一は、既にこの場所に興味を失っていた。

 ヒューが観察を終え、鳥居の近くへ戻ってくる。


「やはり、転移後も東西南北に変化は無いようだ。私の記憶が正しければ、兵がいないんじゃないぞ、リョウイチ」

「どういう意味だ?」

「この建物の位置が、ゾーンの本部だ。おそらく避雷針を回収していたんだろう。部隊ごと、第二に送られたんだ」


 レーンが呆れたように笑う。


「送られた駐屯部隊は全滅ね。歩く天災みたいになってるわよ、リョウイチ」


 ほとんどの帝国兵は、転移の衝撃に耐えられないと思われる。

 相手が攻撃部隊でないことに気が咎めつつも、涼一は既に割り切っていた。

 アレグザが中立という名分は厳しくなるかもしれないが、先に手を出したのは帝国だ。


「よし、次だ」


 若葉にも連絡を入れると、今度は彼が御神体を取り出す。

 魔素が流れ込むと、魔法陣が滑らかに広がった。転移陣のサイズは、美月が作ったものと揃えるように努力する。

 これで今日二度目の空間転移。

 涼一は周りの風景が変わると同時に、ヒューに尋ねた。


「今度はどこだ!」


 答えはすぐに返された。


「分かりやすい。砂漠のゾーン、第七だ」


 三人はそれぞれ別方向に散り、屋上から周囲を見渡す。


「リョウイチ、敵だらけよ!」

「敵陣のど真ん中だ。ゾーンの中心に転移したみたいだな」


 二人の言葉を聞き、涼一は若葉にも警戒を呼びかけた。


「若葉、敵が来るぞ! 迎撃準備だ」

『了解!』


 彼は“覚醒弾”を、スリングショットにセットする。


 ――レーンが肉でおびき出したヤツが、下で寝てるはず……。


 屋上から放たれた弾は、見事に目標へ命中し、砂漠に怪鳥音が鳴り響いた。





 若葉に言われ、一階メンバーも戦闘準備に入る。

 シアッチを起こすのは、山田の役目だ。カフェイン・ガムを魔石と合わせた覚醒弾は、この時のためにつくられた。


「起きた途端ガブッとか、無しだぜ?」


 氷の壁を迂回し、彼は横から巨獣を狙う。

 弾が当たると、白亜期の肉食竜は身体を跳ねさせて目を覚ました。


 グルオォォォ……。

 不気味な唸り声に、山田は仲間の元へ飛んで帰る。

 自分たちの方に来ないか、ヒヤヒヤと見守っていると、何かに気付いた恐竜は彼らに背を向けた。






 第七ゾーンは、大陸中央部の山脈に挟まれた場所にある。

 草木の無い砂漠地帯に出現したゾーンで、中央には背の高いモニュメントが立っていた。

 涼一たちは、その細い塔と入れ替わって転移している。


 駐屯部隊は障壁の外に一周、塔を囲んで内部に一周と、二周の円陣で配置されており、図書館はちょうどその内円の中に出現した。

 突然の異常事態に帝国兵はパニックになるが、部隊に損失は無い。すぐに兵は落ち着きを取り戻し、包囲陣を形成して、中央を取り囲む円を狭めていく。

 その行動は、恐竜たちの不興を買ってしまった。


「あれは何だ……」


 前列を歩く帝国兵は、樹林の中に潜むハンターに気付く。

 ラプトルの群れが、まず兵士の喉元に食らい付いていった。


「龍だ! 魔導兵を……うわっ!」


 知性を持って襲撃するラプトルを相手するには、歩兵では力不足だ。兵を蹴り倒し、槍を凶悪な爪で弾き、背を向けた者に集団で飛び掛かる。

 魔導兵が火炎で防壁を作ると、小さな龍は後退した。

 だが、恐竜たちは大量の魔素を摂取した転移経験者の末裔だ。変異を起こしている彼らに、多少の術式では焼け石に水だった。

 さらなる暴龍たちが、術式の火を越えて現れる。


「お、親が来たぞ!」

「翼龍もいる!」


 体長十メートルの大型肉食恐竜は、生きる重戦車だ。伝説の龍を思わせるその姿が、必要以上に兵の恐怖心を煽り立てた。

 それは空を舞うケツアルコァトルスも同様で、死鳥グライ数匹分の翼長が影を作る度に、地上の兵は逃げ惑う。

 これらの龍が、涼一たちに時間を与えてくれた。





「葛西は転移が使えるか?」

『……もうちょっとで行けそうだって』


 若葉に入り口を守るように指示し、涼一たちは屋上から駐屯部隊を狙う。

 恐竜たちのいない北側では、兵士が着々と図書館へ近寄っていた。


「多重術式を使う。漏れた敵を警戒してくれ」


 ニトロと冷弾を主体とした術式による氷のウニ――ナズルホーンで活躍したそれも悪くないが、もっと広範囲のものがいい。

 美月を参考にして、涼一は新しい術式に挑戦する。


 障壁の魔石に繭玉と接着剤を混ぜた弾を、彼は北へ向けて撃ち飛ばした。空中で膨れ上がった弾が、触手のように糸を吐き出す。

 美月が繭で作ったのは、自分を守る殻だった。涼一が今、産み出そうとしているのは、兵たちを閉じ込める牢獄だ。

 綺麗なドームを作る必要は無い。いびつな乳白色のシーツが、駐屯部隊に被さるように広がった。


 弾に混ぜた接着剤が、固着の術式を同時に発動しており、触れた兵は繭布に絡め取られてしまう。

 仲間がナイフや剣で繭を切ろうとしても、術式の発動が終わるまでは修復スピードの方が早い。

 建物側に走り逃げて来た数少ない兵を、レーンとヒューが撃退し、一切の接近を許さなかった。


『お兄ちゃん、行けるって。転移するわよ!』

「よし、頼む!」


 葛西の魔法陣は、今度はかなり小さい。ちょうど最初に伏川町から転移した時と同程度だ。

 円からはみ出た恐竜たちは、ここに土産みやげとして置いていく。


 レーンを見倣みならって、涼一も立って重力の動きに耐えようとバランスを取る。

 彼らが見る景色は、またしても一瞬で激変した。


「ヒュー、今回はどこ――」


 涼一の質問は、途中で止まる。見知った場所なら、聞くまでもない。


「見ての通りだ」

「ナズルホーン、大ハズレね」


 いや、そこまでハズレでもない。ここはもう、帝国の管理下ではないはずだ。

 予定より早いが、涼一は作戦初日の行動を一旦休止することにする。


「若葉、ナズルホーンだ。一度外に出て、ル・デッサ号と連絡を取れないか探してみる」


 全員が一階に集まり、各員の役割を決めていく。

 ヒューはここの状況を調べに、単身で偵察を。

 最重要な鳥居を守るためレーンが屋上に、図書館入り口は若葉と山田が担当した。


 涼一は自分のサポートにアカリを選んだが、なぜか美月も外出メンバーがいいと言う。

 組み合わせに嫌な予感を感じつつも、説得する暇が惜しく、彼はそのまま三人で出発することにした。


 ル・デッサ号の上陸艇は沿岸に係留されており、すぐに見つかった。

 岸にはナーデルの旗を立てたテントがあり、艦長のエンリオもいる。


 目的の船とは苦もなく接触できた涼一だが、そこまでの道中で、彼はほとほと困り果てたのだった。

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