085. 龍
転移現象は、光と衝撃を伴う。
体内の魔素を掻き回し、地震のように揺れる重力変動が涼一たちを襲ったため、皆しゃがみ込んで耐えた。
伏川町が転移した時は酷い頭痛に見舞われたが、今回はそこまでの悪影響は無い。
揺れが収まると同時に、彼らは一人、また一人と立ち上がり、仲間の無事を確かめた。
「ヘイダ、大丈夫か?」
涼一はフィドローンの射手の元へ寄る。
彼女は鼻血を拭いながらも、健在をアピールした。
「どうってことないね。まあ、思ったよりガツンと来たけどさ」
渡した形代は、ちゃんと機能を果してくれている。
今回の戦闘で準備した武器を制作するのに、ヘイダの持っているキールの遺品の魔素を使用した。
魔素のオーバーフローさえ解消すれば、形代は魔素を何度も吸収する身代わりとして再利用できるようだ。
彼女からお守りを返してもらい、涼一は再充填された魔素の塊を掌の上で転がす。少しでも、体内の魔力を回復しておきたい。
「成功したんだよな?」
山田が心配そうな声を出す。
屋上は残り火で照らされているが、建物の周囲には光源が見当たらない。
「失敗してたら、火炎弾が飛んで来るだろう。夜光ランプも見えない」
屋上の際に立ち、ヒューが眼下の様子を報告してくれた。
涼一は、彼に小さな望遠鏡を渡す。
「これを使ってみてくれ。術式で相当遠くまで見える」
縮められていた望遠鏡を伸ばし、改めてヒューは辺りを窺う。
観察を終わり、遺物を返す彼は、見たことの無い表情をしていた。爬虫類の顔に慣れてきていても、涼一が知らない顔では感情を読み取れない。
「何を見つけたんだ? 黒目が開いてるぞ」
「ああ……少し驚いたんだ。ここは、おそらく別のゾーンかもしれない」
正確には、彼は驚いたのではなく、一瞬怯えてしまったのだった。涼一はもう一度、同じ質問をする。
「何を見た?」
自分の目を疑うのを諦め、ヒューが見たままを答える。
「……翼龍だ」
レーンが横から口を挟んだ。
「翼龍って、大きな翼の龍でしょ。ゾーンにいるって噂の」
「そうだ。私も初めて見たが、あれがそうなんだろう。第二ゾーンにいると聞いている」
地球で言えばワイバーン、そんな如何にも魔法世界の住人は、レーンやヒューにも珍しいようだ。
涼一は二人に質問した。
「この世界に、龍はいるのか?」
「いないわ、そんなの物語の生き物よ。ああ、でも、ゾーンはデタラメだから……」
レーンは途中で自信を無くす。
話を聞いていた山田が、周囲に目を凝らしつつ、疑問を呈した。
「だけどさ、ここがゾーンなら壁があるはずだろ。ヒューにも見えなかったのか?」
「第二ゾーンなら、障壁は遠くて見えないな。大陸最大のゾーンだ。アレグザの数十倍はある」
日本の県レベルを超す大きさだ。本部で見た地図を、涼一は懸命に思い出そうとする。
円形ですらない巨大なゾーンが、確かにそこに描いてあった。
「……大陸の西端だったな。アレグザに歩いて帰るのは無理だ」
彼は鳥居に手を当て、皆を見回す。
「こいつで帰るしかない。発動できるまで、ここで待とう」
若葉とレーンの魔素も使い切ってしまった。
アカリや山田も万全では無いし、少し回復する時間が欲しい。
大気や大地、自分を囲む環境から力を吸収することで、体内魔素は回復される。
ハクビルでは一晩かかったが、魔力に満ちたゾーンなら、もっと早く復帰できるだろう。
加えて、キールの形代から魔素を吸収すれば、すぐに満タンに持って行ける。
体内魔素を急変動させると、魔素酔いを引き起こすこともあるのだが、涼一はもう何度も経験して慣れてきた。
翼龍の存在が不安を煽るため、皆は図書館の中に戻り、一階で涼一の復調を待つ。
ゾーンを飛ぶ龍は、こことも地球とも違う世界から来たのだろうか。考えても無駄だと、涼一は
◇
下のフロアまで降りると、美月は何かを取りに奥の書架へ走る。
涼一は救出された四人と自己紹介を済まし、携帯食糧と水を配った。
ロビーの椅子に各々が腰掛け、彼がこの世界の説明をしている時に、美月が戻ってくる。
「よかった! 焼けてなかったわ」
彼女は一冊の本を抱えていた。
涼一へ手渡されたその本を、皆も肩越しに覗き込み、若葉がタイトルを声に出して読み上げる。
「”消えた古代遺跡 葛西連次郎著“」
レーンは身を乗り出した。
「私には読めない。リョウイチが読んで教えて」
その内容にはヒューも関心があるらしく、涼一の前に座る。
この本は、連次郎が転移する直前までの研究をまとめ自費出版されたもので、葛西の実家以外では、寄贈された伏川図書館に唯一残されていた。
地球に存在する遺物の存在。その魔法物の持つ力を推測した下りは、涼一たちにはもう事実として受け入れられた。
錬金術、賢者の石、エリクサー、ファンタジーでお馴染みの用語が、前半では詳細に語られる。
後半は、それら遺物の中で、彼が特に注目した“避雷針”について記述されていた。
消えた古代都市、集団失踪事件、謎の爆発の観測。それらに共通するのが、避雷針の存在だと連次郎は結論付ける。
「世界中を飛び回ってたんだな。資産家なのか?」
「叔父さんは、四十代までは宝石を扱う貿易商をしていたわ。今思えば、研究のための資金集めをしていたのかも」
伝説を信じ、調査に邁進し、ついに自らがその存在を証明する。シュリーマンを思わせる偉業ではあるが、地球にその成果を知る者はいない。
「お兄ちゃんの気になる話は載ってた?」
「そうだな……」
連次郎は、転移現象は古代から何度も発生したと言う。
二つの世界は、ゾーンを通じて交流して来たということだ。
「ここが妙に地球に似ているのが、引っかかってたんだ。馬がいて、松が生えてる。両方の世界は混じり合ってるんだよ」
「大昔からの話なんだ」
「転移は人為的な現象だ。こっちの誰かが、目的を持って引き起こしてる」
魔法陣はアレグザに出現したと言う。伏川町ではない。術式を発動させたのは、この世界だ。では、ゾーンを作る目的とは?
涼一の思考を、レーンも同じく辿っていた。
「ここに魔素や術式を呼び込むためかしら。転移地そのものではなく、転移に伴う現象を利用したいとか」
「そうかもな……」
これ以上は、どこまで考えても推測の域を出ない。転移を起こしている大元の存在がどこにあるのか、それが鍵だろう。
ゾーンの謎に思考を巡らせる彼らへ、ヘイダが警告を発した。
「敵よ! ……いや、敵だと思う。迎撃準備を」
彼女が戸惑った理由は、すぐに涼一たちも理解する。
図書館の割れたガラスから覗いた光る目は、人間のものではなかった。
◇
レーンが魔弓を構え、襲撃者を狙う。
「龍、子供よ!」
龍は人間より小さく、山羊くらいの大きさだ。
いきなり建物に乱入してくることはせず、外からこちらの様子を窺っている。
爬虫類特有の顔付きに、レーンは龍だと判断したが、よく見れば身体は羽毛で覆われているようだ。
「こいつら……龍か?」
「……自信が無くなってきたわ」
涼一の疑問は、山田が解決してくれる。
「俺、知ってるわ」
「あいつらをか?」
「好きだったんだよ。図鑑買ってもらったりさあ」
脱線しそうな話を、レーンが引き戻す。
「ヤマダ、あれは何?」
「ヴェロキラプトルだな。頭のいい奴だ」
その名前は、涼一も知っていた。ハリウッド映画の有名人だ。だが、あんな外見だっただろうか。
「そのヴェロなんとかって言う龍の子供なのね?」
「違うよ、レーンちゃん。あれで大人だ。地球に昔いた恐竜の一種だよ。小型だけど、下手にデカい奴より強いぞ」
チキュウには龍がいるのかと、彼女は驚いて目を見開く。
どうも恐竜マニアっぽい山田に、涼一はもう少し詳しい説明を求めた。
「あれは獰猛なのか? 映画とは外見が違うけど……」
「本当はこうなんだろうよ。肉食だから、優しくはないな」
レーンも爬虫類に詳しそうな専門家へ尋ねる。
「ヒュー、あなたの親類の弱点は?」
「それは酷い言い草だぞ、レーン」
若葉が後ろからアドバイスする。
「氷がいいよ。ヒューさん、寒がりだったもの!」
「お前たち……」
会話を聞いて、涼一は冷弾を放った。恐竜たちの侵入経路を、彼は氷で埋めて行く。
「殺す必要はない。鳥居で帰るぞ」
「もう行けそうなの、リョウイチ?」
「ああ。それよりアカリに期待しよう。あいつ次第で、ここにも帰ってこられる」
名前を呼ばれた気がしたアカリが、彼らに手を振る。
「なんですか? 私の出番ですかー?」
「みんなを連れて、屋上だ。帰るぞ!」
「了解です!」
念のために涼一やレーンは最後尾を担当して、背後を警戒しながら上る。
恐竜が中へ入って来ることは無く、全員無事に屋上へ戻れた。だが、あとは帰るだけというところで、先頭のアカリが小さく悲鳴を上げる。
「ひっ!」
「どうした!」
彼女は神社を指して固まっていた。指の先を見た涼一は、山田へ得意気に告げる。
「あれは俺も分かるぞ。プテラノドンだ」
「ブブー、ケツアルコァトルスでーす」
そのケツアル何とかは、鳥居を止まり木にして佇んでいた。鳥居の小ささが、怪鳥の巨体を余計に強調している。
しんがりを務めていたレーンは、また漫画のように目を丸くした。
「あれは、何?」
「ケツアルコァ――」
「翼龍だ」
山田を遮って、涼一が簡潔に答える。
レーンが魔弓を出す前に、涼一が睡眠弾を撃ち出すと、大きな音を立て翼龍は崩れ落ちた。
「殺さないの?」
「ああ、ちょっとな……」
彼は眠る巨鳥を気にせず鳥居に向かい、皆もおっかなそうにその後を追う。
「可愛い……」
美月の感想に、アカリが怯えた目を向けた。
涼一はここに帰ってくる気満々だったが、万一ということもある。
彼は御神体の根っこを取り、レーンに持ってもらった。戻ってこれなくても、最低限の収穫は確保できる。
何か嫌な音がしたが、彼は無視して小さな鳥居の前に立った。
「よし、やるぞ。また
転移の遺物を発動させるのは、これで二回目だ。
目標地点が大事なことは、涼一も十分に分かっていた。試しに日本の街を設定しようとするが、やはり上手く行かない。
彼は第二の故郷となったアレグザを想う。
本部テントを、そこで待つ人々の顔を。
一回目より遥かに短時間で、時計回りに空中に円が描かれ、青い転移陣が出現した。
重力の歪みも一瞬で終わり、踏ん張っていた彼らはこけずに済む。
「アレグザ行きだ。地球じゃなくて申し訳ない」
救出された四人から順に、鳥居の魔法陣を潜って行った。
その後は美月を最初に、アカリや山田が続く。ラストに残ったのは、涼一とレーンだ。
レーンには少し待ってもらい、涼一は眼前の光景を脳裏に焼き付けた。
図書館、焦げた屋上、小さな鳥居。ここに再び戻ってくるのだと、決意を深く胸に刻む。
しっかり覚えたと自信を持った彼は、レーンに振り向いて合図した。
「主役は最後ね。手でも振って登場する?」
「よせよ」
二人は笑いながら、転移陣を通る。
その先には、同じように笑顔の人々が、彼らを待ち受けていた。
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