084. 転移の先は?

 ナズルホーンにいた術式研究所の部隊には、涼一たちの襲撃に備える時間は充分にあった。

 敵が海から来ることも承知しており、図書館の北方に多数の火炎弾投擲機を移動させ、そこを本拠地とする。

 ゾーン中央の遺物が焦点となるのは明らかで、リゼルたちも待ち伏せを選択した。疾風矢の威力は期待以上で、ここまでは大成功と言ってよい。


 しかし、レーンの魔弾が非常識な速度で味方を撃ち抜いた時、リゼルはその時点での捕獲を諦め、一旦射程外へ退却した。

 怖じけづいたと言われようが、観測ガラス越しに見た魔弾の力には、慎重にならざるを得ない。

 事実、リゼルが後退した直後、彼のいた狙撃地点は二発目の魔弾で吹き飛んだ。


 彼の見る限り、操術士のダメージは、かなりのものと思われる。

 再度のチャンスを目論み、リゼルは先の投擲部隊へ連絡を取った。


「隊長、火炎弾の投射が始まりました。前進しますか?」


 建物への砲撃音は、リゼルにも聞こえている。


「射程圏まで進む。まだ攻撃はするな。次の初撃は、魔弾の射手を狙え」


 魔弾も封じれば、彼らの弓を防げる者はいなくなる。氷壁だけなら、どうとでも対処のしようがあった。

 研究所から与えられた任務は、操術士の捕獲。それに加えて、敵に渡りそうな遺物の破壊だ。

 操術士へ、ラズタ連邦へ、あの遺物を明け渡してはいけない。


 仮に潜入班による捕獲が失敗しようとも、最低限の仕事は遂行するつもりだった。

 リゼルは射撃ポイントを確保し、観測ガラスを目標に向ける。


 ――火炎弾でいぶり出されて来い。


 図書館から出てくるであろう敵を、彼は息を潜めて待った。





 若葉と美月は、三階に上がる階段の前で足止めを食らう。踊場の窓から入った火の球が、彼女たちの行く手を阻んでいた。


「俺に任せとけ!」


 援護に駆け上がって来た山田が、消火作業にかかる。凍る階段を上りきった先が、目指す場所だ。

 鉄の扉を開けた若葉の目に、火の海となった屋上が飛び込んできた。


「みんな、火を消して!」


 山田に続いて最上階へやって来たヘイダが、水矢を真上に撃ち上げる。

 小型のスコールが火炎を鎮め、若葉たちの進路を確保した。


「もう矢の残りが少ない。急いで」

「葛西、行こう」


 山田と美月も、当然、同級生としてお互いに面識がある。彼女はコクリと頷きつつも、自分を呼ぶ男の名前を思い出そうと努めた。


 ――やま……山川くんだったかしら……。


「こっち。あれの後ろに逃げたら見つけた」


 美月は、給水タンクの後ろへ皆を案内する。

 小さな鳥居に、石の台座に載ったやしろ。存在を知らなければ、ここまで参る人は少ないだろう。

 若葉たちが見守る中、美月はスタスタ鳥居を通り過ぎ、社に手を合わせた。


「ちょ、葛西さん」

「なんで拝んでんだよ」


 彼女は小首を傾げ、皆に聞き返す。


「何かおかしかったかしら?」

「いや、発動してくれよ。鳥居を、ほら」


 山田のセリフに、彼女は余計に困惑した。


「この前は、こうやって拝んだら、ここに来たのよ。あっ、社にしがみついたんだった」


 勢いよく木造の御社に飛びつく美月を、若葉が引き剥がす。


「なんで転移の形が違うか理解できたわ。葛西さんに発動して欲しいのは鳥居。すがるなら鳥居にして」

「でも、やり方がよく――」

「行きたいところをイメージするの」


 美月は目をきつく閉じ、鳥居の細い柱に抱き着いた。

 いつまでも変化が現れないことに、山田が痺れを切らす。


「おい、光ってないよな……」

「うん」


 術式発動には付き物の、魔光の輝きが見られない。


「葛西、ちなみにどこへ転移しようとしてるんだ?」


 薄目を開け、美月が静かに笑みを浮かべる。


「……ふふっ、ユニバーバル・スタジオ」

「なんでだよっ、いやそれでもいいけどさ」


 遠い目をしたまま、彼女は山田の問いに答えた。


「涼一くんと一緒に行きたい。高校の時から、誘ってるの。山川くんも行きたい?」

「……分からんけど、よく知ってる場所の方がいいと思うぞ。あと、俺は山田な」


 じゃあ、と彼女はまた鳥居に頬ずりし始める。火炎弾が飛ぶ周囲の惨状とは、あまりにミスマッチな姿だった。

 しばらく待つが、やはり術式は発動しない。


「やっぱり、社でいいわ。鳥居は無理そう」

「ね、そう言ったじゃない」


 再度、神に祈る美月へ、山田が興味本位に尋ねる。


「今度はどこへ行こうとした?」

「ふふふ。涼一くんのお部屋」


 この後、水矢が尽きるまで待つが、転移は発生しなかった。

 若葉はヘイダを呼び、涼一たちを連れて来るように頼む。


「葛西さんじゃ、発動は無理そう。お兄ちゃんたちを呼んで来て」

「危なくなったら、あんたらも逃げるんだよ」


 頼りになる姐御を見送った後、若葉と山田は顔を見合わせた。


「こいつさ、涼一の彼女なんだよな?」

「違うわよ。お兄ちゃんは、どっちかと言うと逃げてたかな」


 葛西はクラスでも、いや学校でも目立つ美人だった。

 それでも友達は少なく、親しく話していた相手は、涼一くらいだ。この容姿で人に敬遠されるのは、それなりの理由があるのかもしれない。

 若葉たちは、改めて葛西の天然ぶりに溜め息をついた。





 屋上から下りてきたヘイダを見て、涼一は不安を口にする。


「何かあったのか? 葛西は?」

「遺物が発動しないの。ワカバが、やっぱりリョウイチの力が必要だって」

「そうは言っても、俺だってガス欠だぞ」


 顔を曇らせながら、彼は皆に指示を出す。


「全員、屋上に移動だ。遺物で逃げるのに賭けよう!」


 幸い、敵に突入してくる気配は無い。一階から撤退した彼らは、救出者を前後に挟んで屋上へ向かう。

 二階を担当していたアカリも、皆に合流した。


「氷殺ターボが切れそう」


 彼女が缶を振って見せる。


「冷弾がまだ有る。だけど、どんだけ用意してるんだ、この火炎弾」


 建物に踏み止まった以上、今さらジタバタしても仕方ない。遺物の発動は、脱出の必須条件になっていた。

 屋上に踏み出た涼一は、若葉に出迎えられる。


「こっちよ、お兄ちゃん。あの人、役に立たない」


 辛辣なのは、鬼若葉化しかかってるからだ。美月は何をやったんだと、涼一は彼女の姿を探した。

 若葉に引っ張られてミニ神社へと行くと、グズグズ鼻をすする美月を見つける。


「わ、私ね、頑張ってるの。でも、力が入らなくて……。涼一くんの顔を見て、ホッとしちゃったからかな」


 山田が困って首を振る。


「ちょっとは光るようになったんだけどさ。発動するには、全然足りねーみたいだ」


 甘ったれた人間の嫌いな若葉は、美月に腹を立てたようだが、涼一には気になったことがあった。

 半ば泣き出した彼女に近づくと、彼はその手を握る。


「ひゃっ」


 美月は顔を赤らめ、涼一を見つめた。


「あ、あの……もっと頑張るから。ちょっと元気出たから」

「葛西のお守りを見せてくれ」

「え?」


 彼女はスカートのポケットから、目玉型のお守りを取り出した。それを受け取り、涼一はしばらく手元に集中する。

 確信を得た彼は、若葉へ振り返った。


「葛西は悪くない。こいつも魔素切れだ。形代にも、ほとんど力が残っていない」


 よくよく考えれば、彼女は転移に続いて繭まで形成している。さらに大型術式を発動させろというのは、酷な話だった。


「俺も駄目、葛西も無理となると、次は……」


 彼の見る先は、さっきまで怒っていた妹だ。

 誤解していたと知り、若葉は美月に謝っていた。


「ごめんね、真面目にやってないのかと――。えっ、お兄ちゃん、何?」

「魔素の一番残ってそうなのは、お前だろう。魔素を寄越せ、俺が吸い取る」

「う、うん」


 鳥居に手を触れる兄へ、若葉が尋ねる。


「鳥居でいいの? それとも社って言うか、御神体?」


 涼一が説明を求めると、前回の美月の転移について教えられた。二つの遺物には違う術式が組み込まれていると知り、彼は難しい二択を迫られる。

 空間転移なら、鳥居ごと逃げられよう。だが、行き先は運任せだ。

 鳥居だと、ナズルホーンに鳥居自体は残して行かなくてはいけない。


「迷ってる暇はないぞ。そのうちみんな火で焼かれる」


 火勢が増したことを、ヒューが忠告する。このままだと鳥居は焼かれてしまうだろう。


「転移の遺物を放置して行くのは、勿体無い。御神体を発動させ、その後に鳥居だ」


 涼一の決断に、皆が頷く。

 彼は御社の小さい扉を開け、中を覗き込んだ。

 真っ黒な何かの根が、御神体として奉られている。

 古いいわく品なのか、崩れそうに脆いため、彼は手元に集中して慎重に取り出した。


「若葉、俺にくっついてくれ」

「……恥ずかしいね」


 照れ臭いのは、涼一も一緒だ。

 妹は兄の左手を握り、後ろから肩に自分の手を回した。こんなベッタリくっつくのは、小学生の時以来だろう。

 彼女の体内の魔素が、涼一にも感じられる。


「これは……行けるぞ、若葉」


 レーンとの共同作業は慣れが必要だったが、妹の波長は兄にそっくりだ。練習無しでも、すぐに彼は若葉に同調した。

 涼一は妹も体の一部として認識し、まるで外付けの燃料タンクのように、その力を引き出していく。

 流れ込む魔素を、彼はそのまま御神体にぶつけた。


「ぐっ、これでも足りないのか……」


 ――葛西のやつ、一体どれだけのエネルギーを使ったんだ。


 だが彼には、足せるタンクがもう一つ有る。


「レーン、来てくれ。あと少しなんだ」

「遠慮無くやるわよ」


 彼女は本当に遠慮が無かった。

 若葉ごと涼一を抱くと、一気に自分の魔素を流してくる。魔力の激しい流れは、彼女の激情を表しているかのようだ。


「おー魔光だ、やったぞ!」

「成功……ちょっ!」


 山田とアカリは歓声を上げたものの、すぐに床に這いつくばった。

 御神体を中心にして、重力が捻れる。溢れる光は、すぐにミミズのような細かい光の紐と化した。

 紐は円形に並び、誰も読めない文字を形作る。


 二人の力を得て、涼一はついに御神体の魔法陣を展開させた。





 いつまでも図書館から出てこない敵に、リゼルは苛立ち始めていた。

 捕獲が狙いであるからには、殲滅攻撃はできない。

 最初は術式で消火する様子もあったが、もう一階に魔光は見えなかった。危険を承知で、彼は建物に接近することを隊に伝える。


「反撃に細心の注意を払え。建物の一階へ潜入する」

「はっ」


 彼らはジリジリと距離を詰めた。

 木立が切れる場所に来ても、敵には動きがない。火炎弾の着弾する衝撃だけが、草木を揺らす。

 日が落ちてから、かなり時間が経ち、もうタイムリミットに近い。


「突入だ、走れ!」


 一か八か、潜入班は入り口を目指して駆け出した。反撃が全く無いのは、敵が上階にいるからだとリゼルは見当を付ける。

 外殻の残骸を乗り越え、図書館入り口を目の前にした時、彼らの身体が下方へ押し付けられた。

 何事かと見回す彼らの中で、上を見た部下の一人が叫ぶ。


「隊長! 上空に魔法陣が!」


 青く巨大な円盤状の光が、複雑な模様を空中に描いていた。


「いかん、全速力で退避しろ!」


 涼一が発動させた丸い光の円は、徐々に大きく成長する。

 青い転移円は、建物の敷地を越え、美月が作っていた繭の外壁にまで届いた。


 この魔法陣を、リゼルは一度目撃している。こんなに大きくはないが、操術士を捕らえ損ねた際に、同じ青い円が光っていた。

 転移の術式――研究所で、その正体を知らされる。リゼルたちが巻き込まれれば、よくて動く死体の出来上がりだ。


 這々ほうほうていで森まで戻った彼らは、建物が青く強烈に輝くのを目の当たりにする。

 雷鳴が轟き、周囲は全て光で満たされた。


「な、なんなんだ……」


 部下たちは呆然と、新しく生まれた空地を見る。

 もう建物は存在せず、あるのは植生を間違えた草木のみ。


「くそっ! また逃げられたのか!」


 リゼルは地面を拳で殴りつける。

 もう指の先まで来ていた目標達成の喜びは、またしても、彼の手から零れ落ちたのだった。

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