084. 転移の先は?
ナズルホーンにいた術式研究所の部隊には、涼一たちの襲撃に備える時間は充分にあった。
敵が海から来ることも承知しており、図書館の北方に多数の火炎弾投擲機を移動させ、そこを本拠地とする。
ゾーン中央の遺物が焦点となるのは明らかで、リゼルたちも待ち伏せを選択した。疾風矢の威力は期待以上で、ここまでは大成功と言ってよい。
しかし、レーンの魔弾が非常識な速度で味方を撃ち抜いた時、リゼルはその時点での捕獲を諦め、一旦射程外へ退却した。
怖じけづいたと言われようが、観測ガラス越しに見た魔弾の力には、慎重にならざるを得ない。
事実、リゼルが後退した直後、彼のいた狙撃地点は二発目の魔弾で吹き飛んだ。
彼の見る限り、操術士のダメージは、かなりのものと思われる。
再度のチャンスを目論み、リゼルは先の投擲部隊へ連絡を取った。
「隊長、火炎弾の投射が始まりました。前進しますか?」
建物への砲撃音は、リゼルにも聞こえている。
「射程圏まで進む。まだ攻撃はするな。次の初撃は、魔弾の射手を狙え」
魔弾も封じれば、彼らの弓を防げる者はいなくなる。氷壁だけなら、どうとでも対処のしようがあった。
研究所から与えられた任務は、操術士の捕獲。それに加えて、敵に渡りそうな遺物の破壊だ。
操術士へ、ラズタ連邦へ、あの遺物を明け渡してはいけない。
仮に潜入班による捕獲が失敗しようとも、最低限の仕事は遂行するつもりだった。
リゼルは射撃ポイントを確保し、観測ガラスを目標に向ける。
――火炎弾でいぶり出されて来い。
図書館から出てくるであろう敵を、彼は息を潜めて待った。
◇
若葉と美月は、三階に上がる階段の前で足止めを食らう。踊場の窓から入った火の球が、彼女たちの行く手を阻んでいた。
「俺に任せとけ!」
援護に駆け上がって来た山田が、消火作業にかかる。凍る階段を上りきった先が、目指す場所だ。
鉄の扉を開けた若葉の目に、火の海となった屋上が飛び込んできた。
「みんな、火を消して!」
山田に続いて最上階へやって来たヘイダが、水矢を真上に撃ち上げる。
小型のスコールが火炎を鎮め、若葉たちの進路を確保した。
「もう矢の残りが少ない。急いで」
「葛西、行こう」
山田と美月も、当然、同級生としてお互いに面識がある。彼女はコクリと頷きつつも、自分を呼ぶ男の名前を思い出そうと努めた。
――やま……山川くんだったかしら……。
「こっち。あれの後ろに逃げたら見つけた」
美月は、給水タンクの後ろへ皆を案内する。
小さな鳥居に、石の台座に載った
若葉たちが見守る中、美月はスタスタ鳥居を通り過ぎ、社に手を合わせた。
「ちょ、葛西さん」
「なんで拝んでんだよ」
彼女は小首を傾げ、皆に聞き返す。
「何かおかしかったかしら?」
「いや、発動してくれよ。鳥居を、ほら」
山田のセリフに、彼女は余計に困惑した。
「この前は、こうやって拝んだら、ここに来たのよ。あっ、社にしがみついたんだった」
勢いよく木造の御社に飛びつく美月を、若葉が引き剥がす。
「なんで転移の形が違うか理解できたわ。葛西さんに発動して欲しいのは鳥居。すがるなら鳥居にして」
「でも、やり方がよく――」
「行きたいところをイメージするの」
美月は目をきつく閉じ、鳥居の細い柱に抱き着いた。
いつまでも変化が現れないことに、山田が痺れを切らす。
「おい、光ってないよな……」
「うん」
術式発動には付き物の、魔光の輝きが見られない。
「葛西、ちなみにどこへ転移しようとしてるんだ?」
薄目を開け、美月が静かに笑みを浮かべる。
「……ふふっ、ユニバーバル・スタジオ」
「なんでだよっ、いやそれでもいいけどさ」
遠い目をしたまま、彼女は山田の問いに答えた。
「涼一くんと一緒に行きたい。高校の時から、誘ってるの。山川くんも行きたい?」
「……分からんけど、よく知ってる場所の方がいいと思うぞ。あと、俺は山田な」
じゃあ、と彼女はまた鳥居に頬ずりし始める。火炎弾が飛ぶ周囲の惨状とは、あまりにミスマッチな姿だった。
しばらく待つが、やはり術式は発動しない。
「やっぱり、社でいいわ。鳥居は無理そう」
「ね、そう言ったじゃない」
再度、神に祈る美月へ、山田が興味本位に尋ねる。
「今度はどこへ行こうとした?」
「ふふふ。涼一くんのお部屋」
この後、水矢が尽きるまで待つが、転移は発生しなかった。
若葉はヘイダを呼び、涼一たちを連れて来るように頼む。
「葛西さんじゃ、発動は無理そう。お兄ちゃんたちを呼んで来て」
「危なくなったら、あんたらも逃げるんだよ」
頼りになる姐御を見送った後、若葉と山田は顔を見合わせた。
「こいつさ、涼一の彼女なんだよな?」
「違うわよ。お兄ちゃんは、どっちかと言うと逃げてたかな」
葛西はクラスでも、いや学校でも目立つ美人だった。
それでも友達は少なく、親しく話していた相手は、涼一くらいだ。この容姿で人に敬遠されるのは、それなりの理由があるのかもしれない。
若葉たちは、改めて葛西の天然ぶりに溜め息をついた。
◇
屋上から下りてきたヘイダを見て、涼一は不安を口にする。
「何かあったのか? 葛西は?」
「遺物が発動しないの。ワカバが、やっぱりリョウイチの力が必要だって」
「そうは言っても、俺だってガス欠だぞ」
顔を曇らせながら、彼は皆に指示を出す。
「全員、屋上に移動だ。遺物で逃げるのに賭けよう!」
幸い、敵に突入してくる気配は無い。一階から撤退した彼らは、救出者を前後に挟んで屋上へ向かう。
二階を担当していたアカリも、皆に合流した。
「氷殺ターボが切れそう」
彼女が缶を振って見せる。
「冷弾がまだ有る。だけど、どんだけ用意してるんだ、この火炎弾」
建物に踏み止まった以上、今さらジタバタしても仕方ない。遺物の発動は、脱出の必須条件になっていた。
屋上に踏み出た涼一は、若葉に出迎えられる。
「こっちよ、お兄ちゃん。あの人、役に立たない」
辛辣なのは、鬼若葉化しかかってるからだ。美月は何をやったんだと、涼一は彼女の姿を探した。
若葉に引っ張られてミニ神社へと行くと、グズグズ鼻を
「わ、私ね、頑張ってるの。でも、力が入らなくて……。涼一くんの顔を見て、ホッとしちゃったからかな」
山田が困って首を振る。
「ちょっとは光るようになったんだけどさ。発動するには、全然足りねーみたいだ」
甘ったれた人間の嫌いな若葉は、美月に腹を立てたようだが、涼一には気になったことがあった。
半ば泣き出した彼女に近づくと、彼はその手を握る。
「ひゃっ」
美月は顔を赤らめ、涼一を見つめた。
「あ、あの……もっと頑張るから。ちょっと元気出たから」
「葛西のお守りを見せてくれ」
「え?」
彼女はスカートのポケットから、目玉型のお守りを取り出した。それを受け取り、涼一はしばらく手元に集中する。
確信を得た彼は、若葉へ振り返った。
「葛西は悪くない。こいつも魔素切れだ。形代にも、ほとんど力が残っていない」
よくよく考えれば、彼女は転移に続いて繭まで形成している。さらに大型術式を発動させろというのは、酷な話だった。
「俺も駄目、葛西も無理となると、次は……」
彼の見る先は、さっきまで怒っていた妹だ。
誤解していたと知り、若葉は美月に謝っていた。
「ごめんね、真面目にやってないのかと――。えっ、お兄ちゃん、何?」
「魔素の一番残ってそうなのは、お前だろう。魔素を寄越せ、俺が吸い取る」
「う、うん」
鳥居に手を触れる兄へ、若葉が尋ねる。
「鳥居でいいの? それとも社って言うか、御神体?」
涼一が説明を求めると、前回の美月の転移について教えられた。二つの遺物には違う術式が組み込まれていると知り、彼は難しい二択を迫られる。
空間転移なら、鳥居ごと逃げられよう。だが、行き先は運任せだ。
鳥居だと、ナズルホーンに鳥居自体は残して行かなくてはいけない。
「迷ってる暇はないぞ。そのうちみんな火で焼かれる」
火勢が増したことを、ヒューが忠告する。このままだと鳥居は焼かれてしまうだろう。
「転移の遺物を放置して行くのは、勿体無い。御神体を発動させ、その後に鳥居だ」
涼一の決断に、皆が頷く。
彼は御社の小さい扉を開け、中を覗き込んだ。
真っ黒な何かの根が、御神体として奉られている。
古い
「若葉、俺にくっついてくれ」
「……恥ずかしいね」
照れ臭いのは、涼一も一緒だ。
妹は兄の左手を握り、後ろから肩に自分の手を回した。こんなベッタリくっつくのは、小学生の時以来だろう。
彼女の体内の魔素が、涼一にも感じられる。
「これは……行けるぞ、若葉」
レーンとの共同作業は慣れが必要だったが、妹の波長は兄にそっくりだ。練習無しでも、すぐに彼は若葉に同調した。
涼一は妹も体の一部として認識し、まるで外付けの燃料タンクのように、その力を引き出していく。
流れ込む魔素を、彼はそのまま御神体にぶつけた。
「ぐっ、これでも足りないのか……」
――葛西のやつ、一体どれだけのエネルギーを使ったんだ。
だが彼には、足せるタンクがもう一つ有る。
「レーン、来てくれ。あと少しなんだ」
「遠慮無くやるわよ」
彼女は本当に遠慮が無かった。
若葉ごと涼一を抱くと、一気に自分の魔素を流してくる。魔力の激しい流れは、彼女の激情を表しているかのようだ。
「おー魔光だ、やったぞ!」
「成功……ちょっ!」
山田とアカリは歓声を上げたものの、すぐに床に這いつくばった。
御神体を中心にして、重力が捻れる。溢れる光は、すぐにミミズのような細かい光の紐と化した。
紐は円形に並び、誰も読めない文字を形作る。
二人の力を得て、涼一はついに御神体の魔法陣を展開させた。
◇
いつまでも図書館から出てこない敵に、リゼルは苛立ち始めていた。
捕獲が狙いであるからには、殲滅攻撃はできない。
最初は術式で消火する様子もあったが、もう一階に魔光は見えなかった。危険を承知で、彼は建物に接近することを隊に伝える。
「反撃に細心の注意を払え。建物の一階へ潜入する」
「はっ」
彼らはジリジリと距離を詰めた。
木立が切れる場所に来ても、敵には動きがない。火炎弾の着弾する衝撃だけが、草木を揺らす。
日が落ちてから、かなり時間が経ち、もうタイムリミットに近い。
「突入だ、走れ!」
一か八か、潜入班は入り口を目指して駆け出した。反撃が全く無いのは、敵が上階にいるからだとリゼルは見当を付ける。
外殻の残骸を乗り越え、図書館入り口を目の前にした時、彼らの身体が下方へ押し付けられた。
何事かと見回す彼らの中で、上を見た部下の一人が叫ぶ。
「隊長! 上空に魔法陣が!」
青く巨大な円盤状の光が、複雑な模様を空中に描いていた。
「いかん、全速力で退避しろ!」
涼一が発動させた丸い光の円は、徐々に大きく成長する。
青い転移円は、建物の敷地を越え、美月が作っていた繭の外壁にまで届いた。
この魔法陣を、リゼルは一度目撃している。こんなに大きくはないが、操術士を捕らえ損ねた際に、同じ青い円が光っていた。
転移の術式――研究所で、その正体を知らされる。リゼルたちが巻き込まれれば、よくて動く死体の出来上がりだ。
雷鳴が轟き、周囲は全て光で満たされた。
「な、なんなんだ……」
部下たちは呆然と、新しく生まれた空地を見る。
もう建物は存在せず、あるのは植生を間違えた草木のみ。
「くそっ! また逃げられたのか!」
リゼルは地面を拳で殴りつける。
もう指の先まで来ていた目標達成の喜びは、またしても、彼の手から零れ落ちたのだった。
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