083. 避雷針

 ヒューは森の中を駆け回り、残敵を探索する。

 幻影兵は全滅したようだが、矢襲を仕掛けてきた者を倒した確証は得られない。

 見つけた弓兵の遺体が一体では不自然で、敵は一次退却したと考えるべきだろう。


「安全とは言えん。救出するつもりなら、急いだ方がいい」

「ああ。もうちょっとで立てそうなんだけど」


 図書館を包む殻は、脆い土壁から、再び鈍い光沢を取り戻そうとしている。

 殻を修復しようとする力に若葉が気付くが、涼一はまだへたり込んだままだった。


「お兄ちゃん、壁が……」

「ヒュー、叩き割ってくれ」


 亜人の膂力りょりょくで、ヒューが土壁に蹴りかかると殻が砕け、人の通れる大きさの入口が作られる。

 アカリと山田の手を借りて涼一が立ち上がり、ふらつくレーンをヘイダが支えた。


「動いて平気なの、リョウイチ?」

「レーンこそ、足元があやしいぞ」


 からかうように、涼一が笑う。冗談を言えるくらいには、彼の気力も回復してきていた。


「お互い、貧血だろうな。さっさと中に入ろう」


 帝国兵が残した夜光ランプを拾い、ヒューが進入を先導する。

 殻の中は暗く、ランプが有っても建物の全景が見づらい。いや、見通せないのは、障害物が多いからだ。

 図書館入口や煉瓦壁に、白い糸状の物質が大量にこびり付いており、その蔓延する糸が外殻と繋がっていた。


「蜘蛛の巣……?」


 視界を覆う糸に、若葉は苦手な生き物の筆頭を思い出して顔をしかめる。

 糸をちぎり捨てていたアカリが、自分のつかんだ物をしげしげと見た。


「違うと思う。くっつかないし、本当に糸みたい」

「誰か着火の魔石を持ってないか?」


 涼一のリクエストに、ヘイダが小石を取り出す。

 入口を開けるのに邪魔な白い障害は、一息に焼き払ってしまおうという、速度重視の解決法だ。


「扉から離れて。燃やすよ」


 ヘイダは図書館の玄関に魔石を転がした。

 糸は燃えやすい素材らしく、あっという間に火が広がる。

 建物ごと炎上しそうな勢いに皆はヒヤッとしたが、玄関周りを焼き尽くすと、すぐに鎮火した。


 ヒューと山田が協力して扉を手前に引き開け、中をランプで照らす。

 建物の内部も、糸ばかりの外と似た光景だ。

 書架やカウンターを覆う白い膜をナイフで切り、一行は奥へ進む。


 この糸には、一定の方向性があった。放射状に外へ伸びているということは、その中心があるはずだ。

 貸し出しカウンターの前を通り、児童書コーナーを抜けると、イベントスペースがある。

 人間大の白い塊がゴロゴロと転がるここが、糸の中心地だった。

 涼一は、この白い物質の正体を確信する。


かいこまゆ、これは繭の術式だ」


 彼は部屋の真ん中に注目した。

 そこには、テーブルにひっつく他より大きな繭がある。


「あの繭をナイフで切り開いてくれ。丁寧に、中身を傷つけないように」


 涼一に言われ、ヒューとヘイダが解体作業に取りかかった。

 他のメンバーは、その様子を窺おうと後ろへ回る。

 繭に入れた切り口を、ヒューが力任せに両手で引き裂くと、現れた白い顔に若葉が息を呑んだ。

 涼一はその頬に手を当てる。


「体温が低い。脈も弱いな」


 彼は魔素を送り込もうとするが、まだ無理だ。ふらつく体を、アカリに抱き留められてしまう。


「まだダメです、涼一さん」

「仕方ない、他の繭も開けてみよう。術式が解除されたら、自力で起きてくれるかもしれない」


 そう言うものの、涼一は作業には参加できそうになく、ヒューたちに任せて床へ座り込んだ。

 血の気の足りないレーンと若葉も彼の隣にしゃがみ、繭のベッドで眠る少女を見守る。


「リョウイチ、彼女が外の殻を作ったの?」

「だろうな。あの黒いのも繭だよ。彼女の右手を見てみろよ」


 少女の手こそが、この現象の大元だ。繭の塊を潰すように握る右の拳から、極細の絹糸が無数に発生していた。


「ゴールデンウイークには、ここで繭人形の教室を開いてたみたいだ。この土地は、以前は養蚕家が多かったんだよ。昔を偲んだんだろう」


 よく見れば、壁に手書きの掲示が貼り付けてあった。

 “まゆ人形をつくろう!”、テーブルや棚には、小さな手製の人形が並んでいる。

 有沙がいれば、眠り姫が手にする繭の鯉のぼりを見て、自分の作ったものだと指摘しただろう。


「でも、外の殻は糸じゃないよ、お兄ちゃん」

「これは推測だけどな。複合術式だと思う」

「繭と何の複合なの?」


 隣のビルが工事中だという矢野の説明を、涼一は思い出していた。


「あの殻、鉄骨なんかが飛び出てただろ。隣のビルの材料を、巻き込んだんだ」

「造壁の術式、工作部隊の使うやつね。ゾーンの外壁と同じ原理だわ」


 少女は術式を発動させ、仲間と一緒に仮死状態で半月を乗り切った。この繭が、帝国の侵入を防ぎ、皆を守る。

 彼らの推察は正しい。

 それを証明する人物が、遂に目を覚まそうとする。

 少女のまぶたがピクピクと動くのを見て、涼一はもう一度、彼女に手を差し延べた。


 黒く長い髪に、白くきめ細やかな肌。

 いつも物静かに涼一を見ていた少女を、彼は知っている。

 頬がピンクに染まり、彼女は繭の中で身体を震わせた。起き上がろうとしたその頭を、涼一が支えてやる。


「……おはよ……涼一くん」


 ちょっと寝坊しただけだと言わんばかりの彼女に、彼は吹き出した。


「昼休みも、よく寝てたよな。おはようさん、葛西」


 葛西美月かさいみつき、涼一の地球時代を知る数少ない友人の一人だ。

 彼女もまた、この世界に来ていたのだった。






 救出されたのは、美月を含めて五人。彼女以外は、休日に図書館へ来ていた地元の人間だ。

 美月たちが意識を取り戻すと、涼一は皆に念話の魔石を飲ませる。

 簡単にお互いの自己紹介を済ませ、彼女からこれまでの経緯を説明してもらった。


 同窓会に出席するつもりで来た美月は、涼一よりも早く駅に着く。

 時間潰しのため、彼女はお気に入りの図書館に向かった。そこで転移現象に遭遇する。

 生き残った四人と、図書館に立て篭もるが、翌々日には帝国軍の進攻が始まった。


「兵士は、図書館の中へ入ってきたの」

「征圧部隊だな。俺たちは南へ逃げたんだ」


 その時は、北部の状況にまで気が回らなかった。涼一は当時を思い返しながら、彼女の話に耳を傾ける。


「上の階へ逃げた。屋上に出て扉を閉めたけど、兵士が迫って来て……」


 レーンが言葉を続けた。


「そこにジンジャがあった。発動させたわけね」


 美月は、空間転移の術式を発動させる。幸運が重なった結果、彼女はナズルホーンへ建物ごと転移した。

 涼一と再会して喜んでいた美月は、彼とレーンを何度も見比べる。

 彼女の視線は、二人の顔ではなく、その間で止まった。彼らの距離は、腕が触れそうなくらい近い。


「あの、二人は……その……」

「何にせよ、助かってよかったよ。他の人たちも無事のようだし、お手柄だな」


 褒められた美月は、質問を途中でやめて目を伏せる。


「……あのね、私は涼一くんに謝らないといけない。若葉ちゃんにも。これがどんな意味を持ってるか、少しは知ってたの」


 彼女は自分の形代を、左手に持っていた。涼一の物によく似た目玉の形のお守りだ。


「これは、叔父が集めた発掘品をお守り加工した物。涼一くんにあげたのもそう。ただ綺麗な飾りじゃないのは、ここに来て証明できた」

「……これは形代だよな?」


 カタシロ? 美月は初めて知る言葉を解説してもらうと、ゆっくり首を横に振った。


「これが身代わりになってくれたのね。でも、私や涼一、それに若葉ちゃんのは、もっと特別なのよ」

「どういうことだ?」

「叔父はね、ずっと世界中を調べてた。突然消えた遺跡とか、古代都市の伝説なんかを。見つけて来た遺物を、“避雷針”だと言ってたらしいわ」


 彼女が生まれるよりも早く、世を去った叔父。図書館の遺物を発動させられたのは、その彼が残した研究がヒントになったからだとも言う。

 全くの無知では、いきなり遺物の強大な魔素に立ち向かったりしないだろう。転移現象が実在すると叔父は信じており、彼の著書を読んだ美月もまた、その影響を受けていた。

 詳しく話を聞こうとする涼一を、レーンが遮る。


「待って。その叔父は、なんて名前なの?」

葛西連次郎かさいれんじろう。私の父、葛西はじめの弟よ」


 レーンは口を固く閉じ、息を詰めて美月を見返す。

 ナズルホーンの墓標にあった「葛西」という名は、そこまで珍しい名字ではない。しかし、友人の名と同じことが、涼一の胸にはずっと引っ掛かっていた。


 伏川町に居合わせる原因となった友人と、転移先で出会った少女。

 二人に奇妙な縁があったことは、偶然のようでもあり、必然にも感じられた。






 転移の魔法陣は避雷針に落ちる。それが叔父、連次郎の唱える言説だ。

 古来より、魔素を帯びた遺物は、地球にも存在している。それら遺物は術式を呼び寄せるターゲットとなり、人知れずこの世界へ転移してきたと言う。


 一九九三年、インド洋の小島が津波に呑まれて、地図から消滅する。

 この島には、古代遺跡の痕跡を求め、葛西連次郎とライアン・キールが訪れていた。彼らは島ごと、この世界へ転移したのだ。


 ナズルホーンで亡くなったキールは、彼が片時も離さず持っていたお守りと一緒に、この地に埋葬される。

 美月が図書館屋上で引き起こした空間転移は、この“避雷針”に吸い寄せられた。

 とすると――涼一の推測こそ、美月が謝ろうとしたことだ。


「伏川町が、いえ、涼一くんが転移したのは、私がそのお守りを渡していたから。ごめんなさい……」


 転移を誘発する魔具は貴重品かもしれないが、そこまで珍しい物ではない。

 伏川町には涼一、若葉、美月の持つ三つの避雷針が存在した。一年前からこの状態だったのに、転移地に選ばれたのは今月のことだ。

 どこが、いつ転移するかを決めるのは、全くの偶然でしかなかった。

 しばらく沈黙が続いた後、涼一は穏やかに笑う。


「気にするなよ、葛西。こういう“避雷針”は、世界中にいくつもあるんだろ。俺が転移したのは、運が悪かっただけさ」


 レーンが涼一の手を取った。


「それも違う。私が生まれたのは、その形代のおかげ。リョウイチと引き合わせてくれたのも、そう。私にとっては幸運のお守りよ」


 美月の目は、二人の手に釘付けである。遂に我慢できなくなり、彼女が疑念を口に出そうとした時だった。

 図書館に大きな衝撃音が響き、涼一たちの頭へ土埃つちぼこりが降ってくる。


「砲撃ね。外へ出るなら急がないと」

「レーン、待ってくれ。まだ弱ってる人が多い」


 逃げる先は二つ、建物の外か、屋上か。屋上には転移の遺物が存在するはずだ。

 涼一は決断に迷った。

 救助した住民は、まだ足元が覚束なく、自分も万全とはとても言えない。大型術式を発動するのは無理だろう。

 一見手詰まりなこの状況で、今回はまだ打開策が残されていた。


「葛西、もう一回、屋上の遺物を発動できるか?」

「……分からない。涼一くんの言う、転移ゲートっていうのは難しいと思う。イメージが湧かないもの」


 それは建物ごとの空間転移なら、可能かもしれないということだ。

 涼一は葛西の力に賭けた。


「若葉、葛西を連れて、屋上へ行ってくれ」

「分かった、お兄ちゃん!」


 美月は妹に手を引かれ、階段に向かう。


「俺たちは玄関へ向かう。敵の進入に備えろ」


 救出した主婦や図書館職員は、戦闘にも術式にも慣れていないため、彼らを守るのは涼一たちの仕事だ。

 そしてもう一人、注意するべき仲間がいる。


「ヘイダ、これを持っておいた方がいい」

「何これ、形代?」


 転移の衝撃は、フィドローン人では耐えられない可能性がある。涼一は図書館と入れ替わって現れた形代、キールのお守りをヘイダに渡した。

 火炎弾の猛攻が図書館を炙り、明らかに気温が上昇し始める。

 大きな窓ガラスを割って火炎が建物内にまで及ぶと、可燃物だらけの書架から火が広がった。


 スプリンクラーのように、ヘイダの放った矢がフロアを水浸しにする。

 山田も氷殺ターボでその消火活動に加わった。

 敵の砲撃は、上階の方がより激しい。


「山田、アカリ、上の火を消してくれ。一階は俺達で何とかする」

「了解!」


 涼一も冷弾を構えるが、まだ発動するには力が弱い。魔素の注入を助けようと、レーンが彼に手を添える。


「さっきの逆だな」

「燃料補給は任せて」


 術式の二人三脚に、彼らは慣れてきていた。二人で撃った冷弾が氷の防壁を作っていく。

 残念ながら、火炎弾の勢いの方が、やや防御を上回っているようだ。

 反撃に転じるには、涼一もレーンも復調しておらず、ヒューですらやや疲れが見えていた。


「葛西、頼むぞ……」

「うまくいくかしら?」

「繭からしても、あいつの力は本物だろう。ただ……」


 途切れた言葉に、レーンが涼一の不安そうな顔を一瞥する。


 ――アレグザへ飛べればいいんだが。


 彼が心配していたのは、美月の実力ではなく、転移後の行き先だった。

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