082. 瀬津アカリ

 アカリは転がったまま、氷殺ターボを構える。彼女を狙う矢を、新しく作った氷塊がカツンカツンと弾いた。

 激しい衝突音と共に、斬撃の矢がその防壁を砕く。リゼルのとっておきは、威力の点でも一段上だ。


 彼女はスプレー缶を振り回し、壁を再構築すべく、氷結の煙を繰り返し散布する。

 足掻くアカリを、血まみれの左手がつかんだ。


「……缶を貸せ、俺がやる」

「涼一さん!」


 彼の右半身は、真っ赤に染まっていた。

 傷口は驚くほど早く塞がるが、大量の出血が涼一の体力を奪う。


「薬を……レーンに薬を」


 アカリから氷殺ターボを取り上げ、彼は噴出ボタンを押す。微調整など構わず、氷の煙を噴く缶に全力で魔素を流し入れた。

 作られた氷の塊は、アカリの物とは桁違いだ。

 斬撃の矢ですら、氷に半ばまで刺さったところで止まる。分厚い氷壁は、リゼルの矢を三連続で受けても耐え切った。


 しかし、涼一は無事な左手の指まで凍らせてしまい、スプレー缶が手先に貼り付く。

 アカリはウエストポーチを外し、中から粉末の薬を出すと、涼一に振り掛けた。

 緑の術式が彼の痛みを和らげて行くと同時に、缶が地面に落ちる。


「俺じゃない、レーンだ」

「涼一さんも、ほっとけません!」


 彼の声に力が戻るのを聞き、彼女は残りの薬を、ポーチごとレーンに投げて渡した。


「レーンさん!」


 ポーチに手を突っ込んだレーンを、術式の光が覆う。


「……助かったわ、アカリ」


 体に刺さった矢を、レーンは無理やり抜いて捨てた。

 薬を傷口にまぶしながら、ヨロヨロと涼一へ歩み寄る。


「あの矢、全く曲がっていない。見えないけど、敵は射線の奥にいるはず」

「……ああ」


 疾走の矢は、放物線すら描いていない。ほぼ一直線に飛んで来ていた。

 彼女は、涼一を後ろから抱き抱えるように膝立ちする。

 彼の左手を魔弓に当て、レーンはその上から両手で弓ごと包み込んだ。


「威力を足して。あなたの力で、届かせる」


 氷壁を避け、木々をぶち抜いて、魔弾を確実に敵へ届ける。そのためには、涼一の起動者としての力が必要だった。

 レーンの服にも、彼の血液が滲み広がる。

 涼一は無言で左手に魔素を集め、その力を魔弓に注いだ。彼女の弓が淡く光り始める。


「……撃てっ」


 二人が重ね混ぜた魔素は、魔弾に爆発的な推進力を与えた。

 息を合わせることのできる彼らだからこそ可能な、これも一つの多重術式だ。

 発射された弾は氷を避けてホップすると、直線軌道に戻りさらに加速する。


 パアァンッ!

 大きな破裂音を契機にして、魔弾が最高速へ達した。

 木立を吹き飛ばしながら、赤い魔光のチューブが森を貫く。

 衝撃波が通り過ぎた後には、木々をり貫き、直径一メートル近い穴が空いていた。

 矢の反撃は飛んで来ない。


「もう一発」

「おう……」


 正直なところ、涼一の気力は限界に近い。目が霞み始め、レーンの体温だけが、やけにはっきりと感じられた。

 それでも彼女が言うなら、もう一回だ。

 彼は再び、魔弓に力を与える。レーンが次に狙うのは、斬撃矢を飛ばして来た先。


「行け」


 涼一の合図で、二本目の赤光が紡がれる。

 耳を切り裂く風切り音に、繰り返される衝撃波。


「……どうだ?」

「分からない……でも、反撃は無いわ」


 涼一はレーンに頭を預けた。


「重かったら言ってくれ……しばらく動けそうにない」


 薬のおかげで、怪我が酷くとも、まだ彼女には余力が有る。


「血を流し過ぎたのよ。休んでて、私が守る」


 氷を前に、彼らは静かに回復を待った。


「涼一さぁん……」


 足を引きずる音が、二人の後ろから近づく。

 一度離れていたアカリが、ボロボロと泣きながら戻ってきた。





 涼一たちがリゼルの潜入班の相手をしていた時、ヒューたちは幻影兵の圧力に手こずっていた。

 戦輪もヘイダの矢も、敵を仕留め切るには至らない。

 樹木の陰に隠れる兵は、数十人近くいるようだった。


「リョウイチに近づけてはいかん! 火矢を!」


 ヒューの指示を受け、ヘイダが射る術式矢が、猛烈な火炎で以て周囲を焼く。


「木が邪魔で敵を狙えないわ!」


 遠くで揺らぐ影法師が、彼女を苛つかせる。

 若葉に治療された山田が、前に出てきた。若葉は自身にも薬を使ったものの、まだ顔色が優れない。

 自分の出番だとばかりに、山田は攻撃を準備する。


「俺が突っ込む。みんなで援護してくれ」


 ここまで戦ってきて、彼らにも術式の得手不得手が生じていた。

 大規模な術式の涼一。精密操作の若葉。山田はそのどちらもが苦手だ。

 特にタイムラグを計算して、発射後に発動させる魔石とは、かなり相性が悪い。彼にはやはり、突撃が性に合っている。


 山田は携帯カイロ、ピタホットをポケットから取り出す。

 ビニールを破り、力任せにオレンジ色の中袋も引き裂いた。

 園芸用土のような中身をつまみ出し、それを前方に投げ付ける。


「おらっ!」


 異常な熱源が一瞬で樹木を炭化させ、彼が蹴りを入れると、木は簡単に倒壊した。


「若葉ちゃん、回復しててくれ」

「え、ええ!?」


 高温で歪む空気の層に、彼は単身飛び込んでいく。

 山田の背中に、若葉は慌てて錠剤を撃ち込んだ。


「痛てっ!」


 鋭い痛みは自分を守る回復支援であり、文句を言う筋合いはない。彼は痛みを我慢して、鉄粉とバーミキュライトの混合物を振り撒く。

 山田の進撃を見たヒューが地上に降り立ち、炭の障害物を片っ端から破壊する。

 邪魔な遮蔽物は排除され、ヘイダの射線が幻影兵たちへ通った。

 電撃を放とうとする兵に、彼女が火矢を向ける。


「あら残念、もう届くわ」


 敵の術式発動より速く、炎のカーテンが彼らの前に垂れ下がった。

 カイロの中身を撒き終わった山田の手は、黒い粉末でドロドロだ。その汚れを広げるように、彼は手をすり合わせる。


「さて、どんなもんだろうな」


 これを実験すると言った時は、皆にすっかり呆れられたが、思いの外早く試す機会がやってきた。

 熱を放射する両手を掲げ、山田は炎に向かってダッシュする。


「こうか?」


 術式の発動効果は、使用者次第だ。

 熱線を強く意識し、彼は片手を突き出した。

 炎熱のビームが、一直線に前へ伸びる。色も形も無いが、着火した草木が攻撃方向を物語っていた。


「でもって、こうか!」


 手を上げたまま彼が左に手を回すと、ビームは真横に全てを薙ぎ払う。

 山田の近くに潜んでいた兵たちは、くぐもった呻きだけを残し、熱線に両断された。

 森中を焼き尽くさんばかりの炎の中、兵の上半身がゆっくりと下半身から崩れ落ち、黒焦げの切断面からは煙が白く漂う。


「うわっ! 距離を取れ、焼かれる!」


 幻影も本体も関係無しに斬る攻撃に、彼らの部隊は半数が失われた。もはやそこに森は無く、焼ける野原が広がるのみ。

 もう一回、山田ビームを出そうとする彼の背中に、錠剤がめり込んだ。


「痛ってー!」

「馬鹿なの? 自分も焼けてるじゃん!」


 若葉についで、ヘイダの矢が山田の頭から水をぶっかける。


「後は任せな!」

「そうだ、残兵なら戦輪で仕留められる」


 ヒューが炎を器用に跳び避けて、敵の掃討に向かった。

 幻影兵が全滅したのは、レーンが超音速の魔弾を放ち終わった、その直後のことであった。





 涼一は、近づくアカリが手に持つ物を見つめる。

 体から離れたそれを見るのは、何か妙な気分だ。


「お前……よっぽど腕が好きなんだな。そういやそんなこと言ってたっけ」

「バ、バカ! 腕になりたいんです。腕が好きなんて言ってません!」


 その割には、彼女は宝物のように右腕を抱え込んでいた。


「いらないなら……どうしよう。焼けばいいのかな……」


 思考が上手くまとまらない。アカリの泣き腫れた目を、彼はぼんやりと見返す。

 レーンは黙って、彼の左手を握ったままだ。


「……涼一さんを横に寝かせて。回復を試してみる」


 アカリに言われ、レーンは慎重に彼を地面に寝かせた。

 涼一の右肩に、大事に持って来た腕が押し付けられる。


「つっ!」

「我慢して。くっつけるんだから!」


 アカリは腕の切断面に沿って、粉の薬を盛り上げた。

 緑光が激しく輝き、痛みが消える。肩口だけでなく、全身の傷が癒えて行くが、右手の感覚が戻る気配は無い。


「どうして! 何でダメなのよっ!」


 アカリの涙が、また大量に噴き出した。

 彼女は一度腕を持ち上げ、接着材でも付けるように、断面に薬を塗る。手の位置を固定し、アカリは術式を発動させた。

 何度無益に終わっても、彼女は諦めない。

 回復を試す度に、緑の光が明滅する。


「……お兄ちゃん!?」

 そのうち、戦闘を終えた若葉たちも、涼一の周りに集まってきた。

 泣きじゃくるアカリが、突っかえながら訴える。


「く、くっつか……ないの……この薬……役に立たないのよっ!」


 レーンがアカリの背に優しく手を当てると、彼女は一層、大きな声で抗議した。


「こんなのおかしいよっ! 何で回復しないのよ」


 治らないのはおかしい。彼が犠牲になるのは許せない。こんな理不尽は、誰も望んでなんかいない。

 最後は怒りで叫んでいた。


「元に戻して!」


 アカリの胸元が、目が眩むほど光りだす。

 彼女が産んだ小さな太陽が、周囲の影を消した。


 思い返せば、彼女の回復力は非常に不安定だった。半日近く足を引きずって歩いていたこともあれば、腹の矢傷をみるみる治すこともある。

 アカリは、特に優れた治癒能力を持ってはいない。

 特別なのは彼女の形代だった。


 銀の輪のペンダントトップは、一匹の蛇がモチーフになっている。自分の尾を飲み込む大蛇のお守り、この形代には、多重術式が組み込まれていた。

 身代わりの効果とは別に、この時、彼女が発動させたのは“復元の術式”である。

 輪廻と再生の象徴、ウロボロスには治療の効果は無い。

 元に戻す、それが全てだ。


「ああ、凄い……」


 若葉が感嘆の声を出す。時間を逆回しにして、傷どころか、袖の裂け目までが復元して行く。

 形代が含む恐ろしい量の魔素が、この高度な術式の発動を助けていた。


 涼一はこの術式を、数えられないほど受けている。

 最初は、蜂の女王に心臓を突かれた後だった。その後も、アカリは事あるごとに、彼にこの“復元”を掛けまくる。

 術式は彼の魔素に干渉して強いプレッシャーを与えるため、アカリの押しが強いと涼一が勘違いするのも無理なかった。


 アカリの希望は、涼一と「元に戻る」こと。

 地球への帰還に執着はしていないが、平穏な暮らしに戻れることを、彼女は願っていたのだった。


「すげーな、元通りじゃん」


 山田の目も見開かれている。

 涼一はグーパーと、右手を何度も動かした。


「涼一さん。涼一さーんっ!」


 グズグズと鼻を啜り、アカリが思い切り彼に抱きつく。

 レーンは苦笑いして、その光景を眺めていた。


 ――お手柄ね、アカリ。今はまけといてあげるわ。


 自分の心の呟きに、彼女はしばらくして眉を寄せる。

 胸中がどうあれ、喜ばしいことに違いはない。持ち主に戻った涼一の右手を、レーンはポンポンと軽く叩いた。

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