081. 黒い殻

 障壁内部のナズルホーンは、大きな葉が茂る、いかにも南洋の島といった雰囲気を醸し出していた。

 外の大陸東の植生とは、明らかに雰囲気を異にしている。

 中心に向かうほど標高が高くなり、ゾーン全体が小高い丘のような地形だ。島が丸ごと転移したと考えれば、この形にも納得できる。


「で、どっちに向かうんだ、涼一?」


 そう尋ねる山田も、目は前に続く一本道へ向いている。伏川町と違い、ほぼ手付かずの自然の島には、選べる進路自体が少ない。

 壁沿いにかつての浜を行くか、中央への道を進むか。


「まず中央まで進む。それで図書館が見つからなければ、手分けして探そう」


 涼一たちは武器を手に、南洋の森へ踏み入った。繁茂した草木で見通しは悪く、夜の闇がそれを助長する。

 探索環境の悪さに、図書館が発見できるか涼一は不安を覚えるが、心配する必要は無かった。

 十五分くらい歩いたところで、森の終わりが近づき、先頭のヒューが腕を上げて皆の行進を止める。


「この先は開けた平地だ。夜光ランプが見えるだろう?」


 いくつもの小さなランプの光が、木々の間から確認できた。

 敵の存在を警戒し、一行は木立に身を隠して前進する。


 視界が開け、広場の全貌が見えた時、涼一たちは言葉に詰まってしまった。

 木組みの足場に、大型投擲器。机やテントの類も在る。多数の帝国兵がいたこれらの痕跡全てが、黒い巨塊を囲むように配置されていた。

 そう、トゲが多数突き出した、黒いドーム。

 その大きさは、学校の体育館よりもずっと大きい。


「何で出来てるんだ……。土? 突起は鉄骨か?」


 涼一には表現し難い威容も、若葉は連想するものがあったようだ。


「……こんなチョコレートあったよね?」

「ああ、ナッツがまぶした丸いやつね」


 女子高生たちの想像している物を、彼も記憶を探って何となく思い浮かべる。

 形状はともかく、山田が皆の疑問を代弁した。


「なあ、この中に図書館があるのか?」


 その問いには、誰も答えようがない。


「敵が重要視していたことは確かだ。リョウイチ、近づいてみてくれ。魔素の流れで、何か分かるかもしれん」


 ヒューに促され、涼一が一歩踏み出す。

 レーンとヘイダは、広場の安全を確認するため、周囲の闇を凝視した。


「敵はいないわ、リョウイチ」

「こっちも気配は無し。隠れてるのかねえ」


 焦らずゆっくりと、涼一は黒い塊に近寄って行く。

 間近で見ると、そびえる壁だ。壁は直立しておらず、卵の殻のようにカーブが付いている。


「……触れてみる」


 直接触らないことには、何も感じられない。恐る恐る、彼は手を伸ばす。

 大丈夫だ、だが、この波動は――。


「魔素量が凄い。それに……動いてる。この殻、生きてるぞ」


 彼の発言に、皆は顔を見合わせた。


「な、何かの卵なの?」


 若葉が怯えた声を出す。こんな物から生まれる物が、好ましい生き物とも思えない。

 目を閉じ、掌に意識を集めていた涼一が、静かに後ろに下がる。


「生き物じゃない。発動中なんだ。誰かが、この殻の術式を発動し続けている」


 その意味は、すぐに妹にも伝わった。


「中に住民がいるのね?」


 若葉の推測は当たっているだろう。この規模の術式は、ゾーン住民だからこそだ。

 とすれば、残る問題が一つ。

 レーンが涼一に問い掛けた。


「どうやって、これを壊すの?」

「んー……一応、普通に攻撃してみよう」


 一旦、森の際まで後退し、彼はニトロを用意する。

 スリングショットで放たれた爆炎は、壁の中腹に命中した。魔光が飛び散り、殻は一瞬薄く、その中身を透けさせる。

 だがすぐに、白い光の糸が絡み合うと、殻の傷を修復した。


「見たか?」


 アカリが大きく頷く。


「覚えがあります。図書館で間違いないです」


 見つけた。さあ、どうする?

 帝国軍は、この強固な術式の殻を前に、悪戦苦闘したのだろう。通常攻撃はおろか、火炎弾でも通用しなかったと見える。

 涼一たちは殻に取り付き、大声で叫んでみた。


「おーい! 助けに来たぞ!」

「味方です、開けて!」


 絶叫は数分続いたが、反応はない。

 彼らはドームを見上げ、その堅牢な黒殻を前に途方に暮れた。





 リゼルたち潜入班は、寸での差で、涼一たちに先行してゾーンに入っていた。

 中央の巨大遺物に直行すると、現場の術式研究所の幻影兵たちと合流する。

 アレグザからの侵入者の狙いが、この遺物であることは明白だ。ならば、ここで待ち伏せれば、敵は向こうから来てくれよう。


 遺物の後ろに回り込み、機会を待つように、リゼルは幻影兵へ指示する。自身の班は涼一たちの後ろを取れる位置を探し、森の中に分け入った。

 程なくして作戦対象たちが現れても、リゼルは敵に気取られないように息を潜め、ひたすらチャンスを待つ。


 短期間ではあったが、彼は対術式戦の技術を研究所にみっちりと教え込まれた。あの操術士にも、隙は有る。

 遺物を調べていた操術士の一行が、大声で呼び掛けを始めた。


 ――まだだ、まだ早い。


 操術士が黒い壁に手を付き、何かを始める。

 リゼルは研究所から預かった、色ガラスを取り出した。手の平サイズの丸いガラスは、それを通して見ることで、対象の魔素を視覚化する。


「全員、攻撃準備だ。散れ」


 班長の命令に、部下が音も無く樹木の間に散開した。


 ――後もうちょっとだ。


 リゼルはガラス越しに敵を見据える。

 今回、彼らに渡された武器は、追魔の矢ではない。新たに研究所が用意したのは、速度を強化した疾走矢だ。

 魔弾より速い矢を、迎撃できるものならしてみればよい。

 弓を握る彼の左手に、力が込められていった。





 殻を見て悩む仲間へ、涼一が別の方策を提案する。


「レーン、ちょっと静かにしてくれ。術式を解除しようと思う」

「どうやって?」


 彼女が彼へ振り向く。レーンは骨砕きで、殻を叩き続けていた。


「魔素を吸い込んで、燃料切れを起こす。レーンの勾玉を貸してくれ」


 NNT収容局での操作の、逆をやろうという魂胆だ。あの時の涼一の消耗具合を知る彼女は、素直に形代を渡すのをためらった。


「リョウイチが動けなくなるのは困る。大丈夫なの?」

「アレグザでは街が相手、今回は図書館だけだ。行けるだろう」


 彼は勾玉を受け取り、左手を黒壁に添わせる。自分の身体を媒体にし、魔素を一定方向に流した。

 涼一の見積もりは、少し甘い。魔素を吸われた遺物は、すぐに他から補充しようと働く。

 図書館の持つ力の量は限定的だが、ここナズルホーンもまたゾーンだ。大地に含まれる大量のエネルギーが、壁に吸い上げられていった。


「うっ……多いか……?」


 この状態で術式を解除しようとするなら、のんびり構えることは出来ない。補充速度を吸収が上回って初めて、魔素の枯渇が狙える。

 涼一は魔力の流転スピードを、一気に加速させた。

 収容局を彷彿とさせる魔光が、彼の体から噴き出す。


「リョウイチ……」

「涼一さん!」


 皆の顔が、不安の色を浮かべた。

 勾玉の光が直視できないほどに輝くと、黒い殻の色にも変化が訪れる。

 本来の殻の材料は漆黒ではなく、グレーの粘土のような質感だったらしい。魔素で帯びたツヤが消えた殻は、もうチョコレートに見えなかった。


 ドームの天井附近が崩れ、ドサッと土が落ちる。術式の光を完全に抑えこむと、ようやく中の煉瓦造りの建物が現れた。

 涼一は壁にもたれ掛かったまま、ズルズルと膝を突く。

 レーンの目に映る彼の憔悴ぶりは、アレグザの時と大差なかった。


「リョウイチ! 本当に無茶ばっかりするのね、あなたは」


 彼女が小言の一つも言いたくなるのも、当たり前だ。レーンは彼の腕を取り、その顔を覗き込んだ。


「ほら、でも、成功したぞ」


 抱えられた涼一が、疲れた笑いで返す。

 その時だった。

 涼一の胸を、一本の矢が刺し貫く。

 衝撃に上半身を弾かれて、彼はレーンへと倒れ込んだ。


「リョウイチッ!」


 その気配も、矢影も、彼女は気付けなかった。


 ――どこから!?


 涼一の後頭部に、レーンは左手を回して庇う。

 魔弓を抜こうとした彼女の右肩へ、次の矢が突き刺さった。


「くっ!」


 速い。

 強化魔弾以上の速度で、矢は飛来した。


「ああっ!」

「ぐっ!?」


 仲間にも、疾走矢が次々と襲い掛かる。

 若葉の腹に、山田の腿にも、敵の攻撃が貫通した。


「みんな伏せて!」


 ヘイダが応射しようと弓を構え、ヒューは矢の射線を推測して戦輪を投げる。

 二人の背後、崩れた殻の影から、電撃が走った。


「新手か!」


 見えない射手を狙ったヒューの戦輪は、幻影兵の放つ電気の衝撃が逸らせてしまう。

 退避に切り替えた彼は、若葉を引きずって広場の外縁へと走る。

 ヘイダと山田もそれに続くが、涼一とレーンは残されたままだ。

 アカリだけが、殻の傍で倒れる二人に向かって駆け出す。


「涼一さんっ!」

「アカリ、氷を作れ! 幻影兵は食い止める!」


 ヒューは若葉を木立の間に隠し、すぐに反撃に打って出ようとした。だが、火炎の魔石が連射され、自由な移動を制限される。


 逃げ場が無いなら防御壁だと、山田は若葉の氷殺ターボを取り、目の前に氷の壁を作り出した。

 氷へ疾走矢が刺さるものの、なんとか即席の壁が彼らを守る。


「先にこっちを片付ける。援護を!」


 ヒューが樹上へジャンプして、迫る兵たちを上から狙った。

 遠距離からの電撃と炎が、嘲笑うように彼らを翻弄する。幻影兵たちの目的は、攻撃というより、涼一以外の仲間の足止めのようだ。

 研究所部隊の天敵、範囲術式が使える涼一は、まだ地に倒れている。

 彼は力を振り絞って顔を上げ、近づくアカリへ声を張り上げた。


「来るな、狙われる!」

「きゃぁっ!」


 涼一の元に飛び込もうとしたアカリは矢で足を串刺され、その勢いのまま転がった。

 それでも彼女は、肘で這って前に進む。


「魔弾よ、縫い――!」


 涼一を横たえ、両手で魔弓を構えたレーンだったが、弾に魔素を流し込む時間は与えられなかった。

 彼女の左肩にも容赦無く矢は命中し、反撃の機会を奪う。

 両肩を傷つけられながらも、レーンは弓を握り、涼一の前に立ち上がった。


「殺させない!」


 目標を遮る障害物は、疾走矢が排除する。

 腹にも一撃を食らった彼女は、後ろへ吹き飛ばされ、壁に激突した。粉々になった土くれが、栗色の髪の毛に降り懸かる。


「この野郎っ」


 涼一の胸の矢は刺さったままだ。

 致命傷を治そうと煌めいていた魔光が、一瞬その輝きを失った。消耗した魔素の力を必死でかき集め、彼は力を攻撃へ振り分ける。


 ――冷弾で凍らせてやる。


 膝立ちした涼一は、スリングショットを、姿を見せない敵へ向けた。






 リゼルが狙っていたのは、操術士が大型術式を使用した直後の瞬間だった。

 その時、敵の力は激減する。

 大規模な術式を連発するのは、いくら対象が起動者・・・と呼ばれる化物でも不可能だろう。


 しかし、生きて捕まえるためには、もう一手欲しい。多少の矢傷では、平気で動く相手だ。

 魔弓の射手から、遺物の刃物から作りだした研究所の特製矢が撃ち出される。

 “斬撃の術式”、彼は涼一の右腕付け根を狙う。


 リゼルの矢は見事に敵を捉え、スリングショットごと涼一の右腕を切り離した。

 尋常でない血潮を巻き散らし、涼一は後ろへ崩れ落ちる。


 ゴロゴロと転がる、持ち主を失った腕。

 アカリの絶叫が、ナズルホーンの空を切り裂いた。

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