080. 氷点下の戦い
凍らされた機雷には、火炎の術式を発動したものもある。氷原にポツポツと浮かぶ、赤い光源がそれだ。
氷に閉ざされた上に、熱量を奪われ続けては、火も灯籠のように行く手を照らすだけだった。
「手がかじかむわね……」
レーンが吐息で指先を温めようとする。
「そればっかりはなあ。
涼一に忠告され、彼女は魔弓を一旦ホルスターに戻し、両手をすり合わせた。
術式を発動させる都合で、レーンは手袋を嵌めていない。必ずしも発動対象と肌を密着させる必要は無いが、わずかにタイムロスが生じる。
魔弓を使うレーンにとっては、看過できない欠点だった。
低温下の戦闘を予期していた涼一たちは、そのための準備を怠っておらず、ユキシロから調達した防寒肌着、ヒートテクニカを全員が着込んでいる。
入手に苦労したのが、靴の甲に巻き付けた“コロバンダー”だ。雪道での滑り止め防止バンドは、駅前の衣料品店の在庫から発掘した。
このバンドが生む術式のおかげで、一行は氷上を苦もせず走り抜けられる。
涼一たちが機雷原に到達する頃には、狙いの甘かった火炎弾の砲撃も至近に落下し始めた。
同時に、ゾーンから弓兵による迎撃が加わる。
「ヘイダ、水矢を」
「あいよっ」
彼女は高く空を狙い、矢は大きなアーチを描く。
敵に届く前に炸裂し、滝の雨を降らせるタイミングで、涼一は冷弾を撃ち出した。アイスドンを砕いて魔石に練り合わせた、冷氷の術式弾だ。
キーンと耳をつんざく高音が反響し、空中で生じた氷塊の群れが、敵の矢を叩き落とした。
「もう一度!」
ヘイダと涼一の連携は、数度繰り返される。
見晴らしの良かった氷原は、瞬く間に氷の遮蔽物で満たされた。
「れれれれれ、れ、冷凍庫だな……」
立ち並ぶ氷の柱に、山田が怖じけづく。ついに歯の根が合わなくなり、彼はブルッと身体を震わせた。
若葉が不思議そうに質問する。
「山田さんも、ヒートテクニカ着てるんでしょ?」
「寒がりなんだよ、俺」
うむうむと、ヒューが相槌を打った。
「ヤマダ、これを口に含むといい。キルファをすり潰し、固めた丸薬だ。温まるぞ」
キルファ? と問いたげな顔で、山田は薬を受け取る。
口に入れた途端、彼はハアハアと息を吐いた。
「ひー、辛っ! ……あっ、でも美味いかも」
丸薬で復活した山田は、気合いを入れ直す。
「よっしゃ、行くぜ!」
本来の陸地まで後少し。七人は氷柱を縫って走り、ゾーンへと先を急いだ。
◇
「またあいつらかよ……」
魔導兵ヴェルダは、ほとほとうんざりして肩を落とす。
アレグザからザクサに戻っていた彼は、ナズルホーンの援軍要請に従って、この地に派遣された。
何日もかけた長い行軍の末、昨日、この地に到着したばかりである。
守備隊長を始め、冷氷の術式を目の当たりにした帝国兵は取り乱しているが、既に大型術式に散々と翻弄されてきたヴェルダに、さほどの混乱はない。
――いや、慌ててない連中もいるな……。
灰色のローブの一団へ、彼は目を向ける。術式研究所の部隊だという彼らは、黙々と敵の迎撃に備えていた。
涼一たちの攻撃は研究所が予見し、前もって皆へ伝えられている。機雷は増設され、砲撃も敵の出現に合わせて間髪入れずに開始された。
それでも、とヴェルダは思う。あの操術士とまともにやり合うのは、死にたい奴だけだ。
冷気は障壁まで達し、彼の顔を撫でる。
「弩弓隊、撃てえっ!」
隊長の号令が掛かると、弓兵隊の矢が氷原に飛んで行った。
「ああっ、矢が!」
攻撃しているはずの味方から、悲鳴が聞こえる。それもそうだろう。矢を氷の雨で防ぐなどと、誰が考えよう。
ヴェルダがお手並み拝見と見守る中、研究所部隊は、機雷を障壁の前の陸地に配置し始めた。
火の防壁――それがどれほど有効なのか、彼は多分に懐疑的だ。
右往左往する仲間の目を盗み、ヴェルダは退路の確保に取り掛かる。
――逃げよう、ゾーンから離れよう。
しかし、内陸、回廊側に振り向いたヴェルダは、自分の不運はまだ加速中だと気づいた。
「連邦の軍だ、国境を越えて来たぞ!」
監視兵の警告が、部隊中を駆け巡る。
ナズルホーン回廊には、帝国の防衛軍が細長く配置されている。すぐに突破はされないだろうが、連邦が本気なら長くは保たない。
帝国南方の軍が涼一たちによって潰滅したことで、フィドローンに張り付いた帝国軍の動きは制限され、連邦の進軍を招いてしまった。
ドミノ倒しのように、大陸には紛争の火が撒かれようとしている。
「……転職の考え時かもなあ」
四面楚歌となった魔導兵は、我が身に降りかかる災厄を嘆くばかりであった。
◇
いよいよゾーンに近づいた涼一たちへ、一般兵の矢と、研究所部隊の術式が襲う。
「つっ!」
涼一が次に駆け込もうとした氷の壁が、亀裂を走らせて砕け散った。
一瞬、電気の火花が氷上を走る。
「雷撃の術式、研究所の連中だ!」
ヒューは灰色の影を認め、仲間に警戒を呼び掛けた。
術式が当たるほどの接近戦となると、幻影のローブは厄介な相手だろう。しかし――。
「みんな、造水の魔石を有りったけぶち込め! ヘイダは水矢を!」
敵を個別に狙っても手間取るだけだ。範囲攻撃で、まとめて潰す。
若葉が、アカリが、山田が、その手を魔光で溢れさせた。
「ほら、水浴びしてなさい!」
ヘイダの矢が、敵陣に雨を降らせる。
「水場で電気を使うのは、止めたほうがいいぜ」
経験者の山田は忠告混じりに、魔石を投じた。
雷撃があらぬ方向に飛散する中、さらに水を生む魔石が二発、前方に投げ込まれる。
巨大なバケツをひっくり返すように逆巻く水が、障壁を守る敵を包み込んだ。
「うっ、み、水が! 溺れるぞ!」
「それは違うな」
足をすくわれ、流されそうになる兵たちに、涼一が冷弾を発射した。
液体は、瞬時に個体へ。
倒れた兵は氷の中に閉じ込められ、弓を持つ兵は氷像となって凍りつく。氷結範囲は広く、全身が凍るのを逃れた者も、脚を固定されて動きを封じられた。
レーンとヒューが、一気に前へ出る。
「刈らせてもらうぞ」
「魔弾よ、縫い止めろ!」
動かない幻影は、もはや幻ではない。
「う、動けないっ!」
「ああ、やめろ!」
守備兵、幻影兵の区別無く、戦輪と魔弾が敵の息の根を止めて行った。
逃れた者はいないか、ヒューが辺りを見回す。氷像の目が動いたのを認めると、彼は足を振り上げ、像を蹴り砕いた。
赤く点在する発動中の機雷は、若葉とアカリが氷殺ターボで処理していく。
「海側の守備隊は、全て氷の中だ。中へは壁を登るのか?」
戦輪を仕舞いながら、ヒューが壁を見上げた。
「……いや、入り口を探そう。壁に沿って行けばあるだろう」
涼一は壁越えを避けることにする。
連邦と帝国の交戦する衝突音は、既に彼らの元まで届いており、ここで無理をしなくとも、涼一たちを襲う増援の恐れは格段に減少していた。
「このゾーン、アレグザよりはだいぶ小さいですね」
「そうだな」
アカリは障壁のカーブを見て、全体の広さを推測した。
地図でも分かることだが、ナズルホーンはアレグザの半分くらいの大きさだ。ゾーンの入り口も、さして遠くはないだろう。
夜が訪れ、魔光で
いつもは絶えず聞こえる波の音は、今のゾーンに存在しなかった。
◇
後一歩で、ナズルホーンに到着するというところだった。
夕刻に始まったラズタ連邦との戦闘に、ガルドは歯噛みする。
「連邦軍が突破すれば、取り囲まれてしまいます。ここは諦めましょう」
強行軍になったため、クラインは留守番だ。ガルドに進言したのは、研究所で新しく就任した若い副隊長だった。
連邦軍だけでなく、南国境にはフィドローンの大軍も
ナズルホーン回廊の地形は、挟撃されやすく危険だ。
「……仕方あるまい。回廊入り口まで戻るぞ」
「待ってください!」
アレグザから彼の下に就く、魔弓の兵が声を上げる。
「私の班だけで、侵入させてもらえませんでしょうか。逃すには、あまりに惜しい機会です」
彼が手にするのは、研究所製の新型弓。リゼル・ゴースは、自らガルドを追い、術式研究所所属を希望したのだった。
「無駄死にするつもりではあるまいな。生きてアサミを連れ帰らねば、意味は無いぞ?」
「分かっております」
リゼルの目は、決して自暴自棄のそれではない。
部隊司令は、彼に再戦のチャンスを託すことにした。
「真夜中までは、戦線も保つだろう。それを刻限にして帰投せよ」
「ありがとうございます!」
リゼルの班は六人。半数は術式研究所の精鋭を補充している。ここまで来て手ぶらでは、ガルドも面白くなかった。
「術式戦は自分たちの専売特許ではないと、教えてやれ」
「はっ」
リゼルたち潜入班が、海に向けて駆け出す。
夕陽を背に、研究所工作部隊司令は彼らの背を見送った。
◇
ゾーンの壁が切れるポイントは、真西近くに存在した。半島を繋ぐ砂州の延長にあり、守備隊もまだ健在である。
敵兵を凍らせながら進んだ涼一たちは、そのまま入口の守備隊を殲滅することにした。
氷の遮蔽物の裏で、涼一が攻撃を準備する。その間、敵を認めた守備隊からの迎撃が飛んで来た。
雷撃と火炎、それに一般弓兵の矢は、威力はともかく数が多く鬱陶しい。
術式を警戒して遠距離攻撃に徹し始めた幻影兵は、特に面倒だった。
「この弾を試してみよう」
彼が用意したのは複合魔弾――ニトロとアイスドンを、造水の魔石に練り合わせた物だ。
「……成功率は?」
レーンの眼差しは険しい。彼女の前で行った練習では、尽く発動に失敗した。
「直近では百パーセントだ」
「何回やって?」
「一回」
彼女が
三術式、いやスリングショットも入れれば四術式の多重発動。魔素使用量も四倍なら、複雑さはそれ以上だ。
ヒューと山田が、遠慮無く後ろのエイダの傍に逃げた。レーンと若葉がそれに続く。
アカリだけが逆に彼に近付き、鬼の形相で涼一を見つめた。
「し、し、しん……」
――頼む、セリフはスムーズに言ってくれ。気が散る。
涼一の願いは、辛うじて彼女に通じた。
「信じてますから! 私、逃げない!」
――よし、集中しよう。
四色の魔光が、彼の両手に絡み付く。
精妙に発動タイミングをすり合わせ、複合魔弾は前方へ撃ち出された。
魔素の尾を引きながら敵の上空に弾が差し掛かると、危険を予知した兵は全速力でその場を離れようとする。
「逃げろ、術式だ!」
起動者の本気から逃げるなら、彼が姿を見せる前に済ませるべきだった。
熱と冷気、地響きとガラスを割ったような破砕音。
空中で派手に爆散した弾は、四方八方に水の針を突き出す。
水は鋭い針の形を保ったまま、氷となって伸びて行き、半透明の氷のウニが敵の頭上に出現した。
このウニ本体のサイズは数十メートルに及び、伸びた針は敵の位置を正確に貫く。
兵の身体をいくつもの針が穿ち、血飛沫が舞うが、その血の噴水すら赤く凍りついた。
わずか数瞬の内に、ゾーン進入口の前には、凄惨な前衛アートが出来上がる。
冷え冷えとした風が、涼一たちの間を吹き抜けた。
ゾーン入口を守る部隊は、一発の多重術式弾で殲滅される。
「拍手したいくらいだわ、リョウイチ。この術式、なんて名付けようかしら」
レーンは喜んでいるが、ヘイダと山田は引き気味だ。
アカリが一番嬉しそうに、ニコニコしている。その顔に、涼一は見覚えがあった。“アカリも頑張ったよ”、だ。
高度な魔素操作が体に負担を掛け、涼一が再び動き出すまで、皆はしばらく待つことになる。
やっと顔を上げた彼は、アカリの挙げた手に合わせて、軽くハイタッチした。
涼一は、進入戦の締めの作業を皆に指示する。
「半島を閉鎖する。氷の壁を作るぞ」
今までの戦闘で熟れた連携に、もう失敗は有り得ない。水と冷弾で、彼らは即席の防壁を砂州に打ち立てる。
「さあ、中に入ろう。誰かさんがお待ちかねだ」
第十のゾーン、ナズルホーンへと、彼らの行く手には暗く鬱蒼とした道が続いていた。
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