079. ナズルホーン突入

 エンリオは本国から、涼一たちの意向を可能な限り尊重するようにと、言い含められていた。

 軍人にしては華奢な目の前の男は、その気になればナーデルを潰滅させる実力を持つとも脅されている。

 彼はル・デッサ号の目的を、涼一に確認した。


「我が艦は、君たちをナズルホーンに届け、戦闘には参加しない。それでいいのだね?」

「侵入後は、沖で待機して下さい。帰りも海路を使うかは、結果次第です。翌日の昼に合図がなければ、戻ってもらって構いません」


 作戦室のテーブルにはナズルホーン沿岸の詳細図が広げられており、会話中も地図から皆の視線が外れることはない。

 ゾーン近辺に印されたいくつかの赤い点を、艦長が指摘した。


「この海域には、帝国の艦艇は存在しない。その代わりに、帝国軍は海に向けた砲台を建設している。無策で近づけば、この砲の餌食になる」

「砲と言うのは、火炎弾ですか?」


 征圧部隊が使用した武器を、涼一は思い出す。あれなら、何とかできるだろうか。


「陸上戦の投擲機を考えているなら、もう少し射程を増して考えた方がいい。海戦用に、燃焼力も強化された弾だ。海上に落ちても、しばらく広がって燃え続ける」


 弾の処理はレーンに頼むのが一番だと、涼一は隣を向き、彼女に対処可能が確かめた。


「撃ち落とせそうか、レーン?」

「ええ、強化魔弾なら」


 二人の会話は、エンリオを驚愕させた。


「なっ、火炎弾を迎撃する気か? この少女が!?」


 涼一は事もなげに肯定する。


「連発されると厄介ですが、一発ずつならいけるでしょう。そこまで敵の命中精度は良くないですよね?」

「何と言う連中だ……。だが、それでも、船を突撃させる気にはならんぞ」


 火炎弾を落とせても、ナズルホーンにはもう一つ強固な防衛システムが存在する。艦をゾーンへ接近させるのは、通常なら自殺行為だった。


「砲撃を抜けた先には、機雷原がある。どう回避する?」


 機雷と言っても、地球の爆発するタイプとは仕組みが違う。触れると猛烈な火が広がる術式のトラップだ。地雷式の火炎弾といったところだろう。


「接近方法は、こちらで用意しました。上陸艇を一艘出して貰えれば、それで十分です」

「元よりそのつもりだったが……」


 艦長は不審な顔で見返すが、条件に不満は無い。折り合いが付いたところで、彼らは解散し、それぞれの部屋に戻る。

 皆で装備の点検をした後は、涼一たちは体力温存のため船中を寝て過ごした。


 勢い良く波を掻き分けて進むル・デッサ号は、あまり揺れもせず、皆は快適な船旅を享受する。

 順調に航海を続け、次に全員が集合したのは翌日の日没前、甲板上のことだった。





「もうすぐ見えるぞ」


 艦長の言葉に、涼一たちは舳先の向こうを眺め渡す。

 入り組んだ岬が邪魔で、ゾーンと思われる場所はまだ隠れていた。


 ナズルホーンは半島状に突き出したゾーンだが、最初は島として出現したらしい。

 すぐに土砂が堆積し、島が砂州で岸に接続したところを、帝国がさらに埋め立てて補強した。

 陸橋と化した埋め立て地は、ゾーンへ至る唯一の道となっている。


「う、うっ……」


 アカリが血色の悪い顔で口を押さえた。


「船酔いか? これを飲むといい」


 涼一は、中島に探してもらった酔い止めの薬を渡す。

 そのまま飲み込もうとする彼女の手をつかみ、彼は慌てて術式を発動させた。


「そのままでも効くだろうけどな。勿体ないから」


 彼の手を握ったまま、アカリは薬をつまんで口に運ぶ。


「お。おーっ! 効きますね。これは色々と効きます」


 一気に顔色が良くなった彼女たちの前に、黒い障壁が姿を見せた。

 フィドローン領の大きな岬を横手に抜けると、回廊の沿岸まで視界が開ける。


「あの壁がそうね。リョウイチ、ナズルホーンよ」


 アレグザでもお馴染みの光景を、レーンが真っ先に見付けた。

 かつての島だったゾーンは、やはり高さ数メートルの壁によって囲われている。

 涼一はエンリオに上陸準備を願い出た。


「艦長、上陸艇の用意を!」

「分かった。ゾーン沖を通過する際に、船を降ろそう」


 連邦との交易船は、ナズルホーンを迂回するように沖合を進む。

 ゾーンの真東、そこが最接近点だ。正当な交易経路を使用していれば、不用意な迎撃も誘わなくて済むだろうというのが艦長の考えだった。

 ル・デッサ号の左舷に用意された上陸艇に乗り込んだ涼一たちは、降下のタイミングを待つ。


「よし、今だ。降ろせ!」


 艦長の号令で、二本のクレーンが回転し、海上に突き出した。クレーンの先には、涼一たちの乗る小船が吊るされている。

 船員がゆっくりとハンドルを回して艇が下降し始めた時、ヒュルヒュルという飛来音が響いた。


「火炎弾だ、撃ってきやがった!」


 交易経路上のル・デッサへ、帝国は遠慮無く砲撃を開始した。


「上陸艇を急げ!」


 小船の降下スピードが速くなり、海面に着水すると同時に、艇に衝撃が加わる。海へ落ちないように、上陸メンバーは船にしがみついた。

 火炎弾は大きく外れて着水したものの、すぐに次弾が発射される。


「艦長、全速で退避してくれ!」


 激しく揺れる上陸艇から涼一が叫び、エンリオの号令が掛かった。


「面舵いっばい!」


 ル・デッサは転舵し、この海域からの離脱を図る。艦の全速なら、火炎弾に当たることなく逃げ切れるだろう。ここは射程のギリギリだ。

 艦長は、離れて行く上陸艇に目を遣る。


「この船の性能なら大丈夫だ。すぐに射程外に出られる」

「アイツらはどうする気なんですか、艦長?」

「知らん。俺たちの仕事は降ろすまでだ」


 水兵長のタースが疑問に思うのも当然で、涼一たちの乗る船は降下した場所に留まっていた。

 ルデッサ号には、三艘の上陸艇が積まれる。一艘が一本マストの帆船、二艘は帆の無い手漕ぎの船だ。

 涼一は、帆の無い上陸艇を選んだ。岸までにはかなりの距離があり、必死でオールを漕いだところで、いつまでも砲撃を掻い潜れはしないだろう。


 ヒュルヒュルと特徴的な落下音を立て、大口径の火炎弾が上陸艇の前方へ落ちてくる。

 まだ弾が上空高くにあるうちに、レーンの魔弾がそれを射抜いた。

 花火の様に、小さな火炎が海上に飛び散る。


「本当に撃ち落としやがった!」


 艦長の横に立つタースが、驚嘆の叫びを上げる。

 エンリオも驚きはした。しかし、未だオールを持たず、動く気配の無い涼一たちへ、彼は首を捻る。


「一体、何を待ってるんだ……?」


 ル・デッサが沖に脱出し、声が届きそうもなくなった頃、涼一は行動を始める。

 エンリオの艦が十分に離れ、自分たちの術式に巻き込まなくなる瞬間、それを彼は求めていた。


 ナズルホーンの防衛機構を教えられた時、涼一がまず考えたのは機雷の無効化方法だ。

 遠距離から誘爆させていってもいいが、もっと単純な解決法が有る。海そのものを無くせばいい。


 魔素をこれでもかと注入した遺物が、涼一のリュックから取り出される。

 発熱時に額に貼付ける解熱シート、アイスドン。

 彼が静かに発動へ集中する間、若葉やアカリがその顔を見守った。


 レーンは火炎弾を警戒し、ヒューとヘイダ、それに山田がいつでも飛び出せるように身構える。

 アイスドンがまばゆく輝き出した瞬間に合わせ、涼一は思い切り、その光の塊を海へ投げ棄てた。

 遺物が着水するや否や、上陸艇からほど近い海上に巨大な魔法陣が形成される。薄い水色の魔光は、発現する効果に相応しい。

 “冷氷の術式”は、海水の熱を急速に奪っていった。


「さ、さみぃ……俺たちは大丈夫なんだろうな?」


 魔法陣は小船の真下にも展開しており、皆の吐く息が白く曇りだす。


「山田さん、カイロ持ってるでしょ。いざとなったら発動して」


 万一に備えた遺物を、若葉が彼に思い出させた。ちなみに彼女やアカリは、下にコッテリ厚着をしている。

 珍しくヒューが山田に同意し、困ったように愚痴った。


「私も少し、この寒さは堪えるな……」


 氷点下を越え、冷やされた表面の海水が、対流を起こして水面下でうねる。

 マイナス二十度になろうかという海水面が結氷し、魔法陣の中心から氷盤が広がった。


「まだだ! とことん凍らせてやる」


 船から出ようとする仲間を押し止め、涼一はさらに追加の遺物を繰り出す。冷えピタシールの束が、彼の手の中にあった。

 船の前方をシールで強固に凍らせてから、彼らは氷の海原へと乗り出す。


「シールで補強しながら行く、機雷を見つけたら凍らせてくれ」

「了解!」


 若葉とアカリは、低温殺虫剤、氷結ターボを構える。

 効果を重複させゾーンごと氷漬けにしよう、それが今回、彼らの考えたことだった。


 ナズルホーンまで、半キロちょっとの氷の道だ。

 極寒の平原を、涼一たちは前進し始めた。





「艦長! 凍ってます、氷が向かってきます!」


 タースの叫びを聞くまでもなく、エンリオにもその現象は見えている。


 ――術式? こんなもの、天災ではないか!


 現出した極北の光景に震えるのは、寒さのためだけではない。


「火炎砲、用意! 氷に向かって片っ端から撃て!」


 取り舵を切ると、ル・デッサの左舷が氷に向かい合う。


「てぇっ!」


 タースの命令で船術士による砲撃が行われると、火炎の弾が氷を砕き、わずかに氷結の進行を遅らせた。


「あの連中、ル・デッサを立ち往生させるつもりか……」


 艦長の懸念は、だが何とか防がれる。凍結は艦の寸前で弱まり、船体の氷漬けには到らなかった。

 無茶苦茶な術式に軽く憤りつつも、エンリオは計画の成功を予感する。

 本当に火炎弾を撃ち落とし、機雷を海ごと氷漬けにした。歩く自然災害のような彼らなら、本当に七人でゾーンを陥落させ得るのではないか。


 ナズルホーン沿岸は、白い氷に夕日が反射し、氷自体が発する魔光と相まって眩しく輝いている。

 どうせゾーンには近づけん、しばらく連邦側の沿岸に退避しておこう――そう進路を指示した艦長へ、マストの上の見張りから報告が飛んできた。


「北方からラズタ連邦の艦隊です! 全部で四艦!」

「連邦が動いたか。信号を用意! もう少し近づいたら、こう発しろ。“我、攻撃の意思無し。乗艦を望む”」


 ル・デッサ号に与えられた使命は二つある。

 一つは、アレグザの面々をナズルホーンへ届けること。

 もう一つは、ラズタ連邦の回廊奪取を援護しつつ、連邦のゾーン専有を防げ、だ。


 ――厄介な任務だと思ったが、案外そうでもないかもしれん。


 凍結する海を見たラズタの艦長の顔を思い浮かべ、エンリオはニヤニヤと笑い出した。

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