078. 森林ドライブ
アレグザ平原は見通しも良く、障害物も避け易い。フィドローン領内までは、涼一も運転を無難にこなした。
助手席にはレーンが座り、前方の確認をしてくれる。優秀なナビのおかげで、馬では考えられない速度を保ち、荒野を踏破していった。
涼一はハンドルを握ってはいるが、進行方向を決めるのは左右のタイヤの回転数である。
スピードが高速で安定すると、彼は意識を後ろの二輪だけに集中させることで少し楽ができた。
疲労感はあるものの、開放感のあるアレグザのドライブは、なかなか快適な体験だ。
慣れてくれば、後部席のメンバーも雑談を始める。一番の関心は、やはり彼らの向かう先、ナズルホーンの状況についてだった。
アカリが当初から抱いていた疑問を、皆に問い掛ける。
「今、ナズルホーンで戦闘中ってことは、住民が抵抗してるんだよね。半月以上も戦ってるってこと?」
窮屈そうに最後列にいるヒューが、自身の推測を話した。
「転移の術式は、誰かが発動させた可能性が高い。そこには、建物ごと転移させた人物がいるはずだ。涼一並の能力者なら、篭城戦も可能だろう」
「でも、半月は長いよ?」
涼一がたまらず会話に参加する。
「ネックになるのは、食糧だろう。図書館にそこまで備蓄があるとも思えない。住民が何人いるかにもよるけどね」
「リョウイチの言う通りだ。あまりグズグズしていると、生存者がいる確率も下がる」
「なあ……」
涼一が喋ったのを受けて、山田が会話解禁とばかりに口を開いた。
「図書館ってさ、本だらけじゃん。料理の本を開いて、発動! ってすりゃ、食べ物が出てきたりしないのか?」
「ああ、それね……」
若葉は何日か前の兄の奮闘を思い出す。
山田のアイデアは、実は既に涼一が試していた。
「お兄ちゃんが言い出して、私も試したんだけど、実物が出たりはしなかったよ」
「何が出たんだ?」
「それが、うーん……」
前を見たまま、レーンが助け舟を出す。
「本が
一度黒く混ざった色は、再び七色に分離はしない。多種多様な術式の宝庫も、ゴチャゴチャに合わされば、意味の無いノイズでしかなかった。
「私とお兄ちゃんで、いろいろ実験したの。洗剤混ぜたりもした」
「洗剤? なんでまた」
不思議そうに山田が尋ねる。
「塩素系の漂白剤と酸性洗剤を混ぜたら、毒ガスの術式にならないかなあって」
「……どうなった?」
「学校のグラウンドが、ピカピカになった。訓練場、死体の臭いなんてしなかったでしょ?」
化学反応はもちろん起き、発生した塩素ガスは武器として使えなくもない。
しかし、術式自体が毒に変化することはなく、清掃が捗っただけで終わる。
「なるほどなあ。今度は俺も実験に参加させてくれよ。やってみたいことがあるんだ」
「どんなこと?」
山田が得意げに語った回答に、若葉が微妙な顔をした。
「……相変わらず、危なっかしいことを考えるね。また大怪我するかもよ」
「でも使えたら、壁攻略なんかも楽だったじゃん」
前席で聞いていた涼一は、山田の考えにいくらか興味を引かれる。
実験には、成功したものも多い。まだまだ調べるべき遺物が、街のあちこちに転がっていた。
涼一たちの調査の成果は、この車にも積んである。ナズルホーン攻略のために、彼らもそれなりの準備を調えて来ていたのだった。
平原を短時間で抜けると、広葉樹の木立が増え、牧草地や田畑も現れる。
既にフィドローン王国内であり、彼らが進むのはハクビルのやや南の街道だ。馬車も通る場所であるため、道幅や路面も良好である。
車のスピードが落ちたのは、そのさらに先、樹木が陽光を遮るフィドローン大森林に入った時だった。
決して悪路ではないもののカーブが多く、涼一はタイヤの制御に手間取ってしまう。
時刻は正午過ぎ、彼らは休憩を兼ねて一度車を止めた。
「相当疲れるな、これ」
背伸びする涼一に、レーンがタオルを渡す。
「術式の連続使用は、精神力を削るわ。そろそろ替わった方がいい」
「そうしよう」
フィドローンの森は、地球の森林に似ている。
違うのは樹木の育ち具合で、巨木はビルほどの高さがあり、根本に生えたキノコは子供が腰掛けられそうな大きさだった。
そこからは、若葉とヘイダのペアが操縦を担当する。
妹の運転の方が滑らかで、乗り心地はいい。しかし、涼一ほどのスタミナが無く、何度か交替を繰り返して目的地を目指した。
「暗くなってきたな。ライトを点けよう」
涼一がヘッドライトを点灯する。もちろん、術式で、だ。
「後どれくらいですか?」
助手席に座るヘイダに、涼一が聞く。今晩は一度、王国軍の駐屯地に泊まることになっていた。
「もう少しよ。次の別れ道を右に行けば、基地に出る」
駐屯地に着いたのは、それから半刻後である。
若葉が慎重に、厩舎の近くに車を止めた。降りた彼らを待っていたのは、国軍兵士の熱烈な歓迎だった。
「よく来てくれた! 夕食を用意してある、食堂に来てくれ」
王国軍の副司令ナバーレが、わざわざ涼一たちへ会いに出向いており、丁寧な挨拶を受ける。
帝国四万の兵を撃退した彼らは王国の賓客扱いで、アレグザ独立を宣言した涼一としては、その歓迎ぶりに少し面食らった。
明らかに豪勢なディナーを前に、涼一は副司令に尋ねる。
「私たちは、王国と一線を引いて動いています。そのことに、反感をお持ちではないのですか?」
ナバーレは、朗らかに否定した。
「そういう輩も、政治家なんかには確かにおる。だが、軍や騎士団に、君たちを悪く言う者はおらんよ。宿敵を同じくする戦友ではないか」
「そう仰っていただけると、助かります。フェルド・アレグザは、この世界に送り込まれた孤独な存在です。フィドローン人にはなれませんが、友人の存在はありがたい」
副司令はさらに相好を崩して、涼一たちを見回す。
「フェルド、この名付けは誰の案かね。フィドローン軍人で、その名に沸き立たない者がおろうか。アレグザに打ち込まれた聖騎士の楔。これを失うようなことがあれば、王国軍の恥じゃよ」
その第一の発案者であるレーンは、涼しい顔で肉を突いていた。
彼女は人一倍、食事に集中する癖があり、食べ終わるまで口数も少ない。それを知っている涼一は、彼女に話を振るのは止めておく。
「……副司令、王国軍が大きく動く予定はありますか?」
この質問には、ナバーレも軍人の顔に戻る。
「君たちはナズルホーンに行くのだったな。それはまた、王国国境で争乱が起きるということだ。これをただ傍観するほど、我が国は無能ではないと言っておこう」
彼らの話の重要性は、若葉やアカリにも理解できた。二人は手を止め、聞き耳を立てている。
皿を回してくれるように頼む山田は、彼女たちに無視され、ヘイダに泣き言を垂れていた。
いよいよ王国でも、戦端が開かれる可能性が高い。
動乱の行く末を想像しつつ、涼一は山田にローストした肉を取ってやった。
◇
翌朝、日が昇るのと同時に、涼一たちは車へ集まる。
乗り込んだ彼らを、ナバーレ以下、階級章を付けた兵士たちが、敬礼で見送ってくれた。
海に近付くにつれ森は薄くなり、道も直線が多くなるが、行き違う馬車も増えるので無茶な速度は出せなかった。
御者は皆、呆けた顔で異世界の産物を凝視する。
森が終わり、再びハクビル周辺のような田園風景が見えれば、港はもう近い。後少しというところで、車は予想外の足止めを食らってしまった。
彼らの進行方向を妨げるように、大量の白い四つ足が、列をなして道を横切る。
すぐに終わると期待した動物の行進は、十分を過ぎてもしつこく続いた。
「この子たち、ちょっと可愛いかも」
車中からボンヤリと眺めていた若葉が、その生き物への感想を述べる。
アルパカに少し似た彼らは、地球では見たことのない動物だ。フサフサとなびく毛が特徴的で、織物の原材料になっているらしい。
「モフモフで縫いぐるみみたいよね」
特に変哲のない女子高生らしい意見だが、なぜか隣のアカリがビクッと身を震わせた。
「これ、
山田が物騒な提案をする。
「さすがに可哀想だろ。若葉、オルゴールだ」
涼一の案も大概だ。若葉は我慢の足りない二人を諭した。
「これで寝かせたら、余計に後始末が大変でしょ。レーンさん、そんなに長く続かないよね?」
「シェイパの群れは、長いと洒落にならない。煙弾で撹乱し、強行突破はどうだろう?」
レーンの思考傾向も酷い。解決法は、アカリが出してくれた。
「……恐怖よ。恐怖に対抗するには、それを上回る恐怖をぶつければいいのよ」
「お前、大丈夫か?」
涼一の顔が本気で心配そうに曇る。
「涼一さんのリュック、まだ付いてたでしょ、あの化け物」
「化け物? ああ、モルロの人形か」
今回荷物を運ぶのに、涼一は最初にコンビニで手に入れたリュックを持ち出した。こいつには、小さなモルロがまだぶら下がっている。
「若葉、発動させるのよ。この邪神を」
「う、うん……」
若葉は車を降り、渡されたモルロのマスコットに魔素を流し込む。
魔光を発した小さな毛玉は、トコトコと家畜たちへ向かって歩き出した。
「かっわいいー! モルモル言ってるよ……げげえぇっ!」
触手の長さは、大モルロとそう変わらない。全身から伸びる魔素の鞭を振り回し、奇怪な雄叫びとともに偽アルパカへ襲いかかる。
怯えきった家畜は、蜘蛛の子を散らすように一目散で走り逃げた。
ひとしきり暴れたあと、元の人形に戻った毛玉を、レーンが拾い上げる。
「さすがね、ワカバ。この邪神はあなたが持っておくといい。決め技に使える」
若葉は皆の顔を見回し、手を出すのを逡巡していたが、助ける者はいない。
ようやく共感者を得たアカリは、優しく彼女の肩に手を回す。
シェイパの群れを脱した車中で、その後しばらく、若葉とアカリが毛玉の押し付け合いを繰り広げていた。
◇
ポルサナの郊外には、やはり軍の施設がある。昼過ぎ、その軍事物資の保管所に着いた一行は、自動車を倉庫に入れて隠す。
そこから港までは徒歩となり、七人は街の中心地を避け、荷物を背負って進んだ。
それでも彼らの風貌は目立つが、貿易港なのが幸いし、雑多な人種が行き交うため見咎められる程ではない。
交易地としての賑やかさは、裏通りからでも聞こえる喧騒で伝わり、こんな場合でなければ観光もできただろう。
ヘイダに従って歩いた先に、大型船が並ぶポルサナ港が現れた。
その中に、自由都市の軍旗を掲げた、彼らの目指すナーデルの船ル・デッサ号も停泊する。
黒いボディに四本マストの大型船は、長期航行も可能な最新鋭艦だ。四十門の大型投擲機を積み、魔石弾による連続砲撃を可能にする。
乗員百二十名を率いる髭の提督、カダ・エンリオは港に上陸し、涼一たちの到着を待ち構えていた。
「お前たちが、ナズルホーンを陥れようという無茶な連中か」
エンリオが面白がるように、一行を見る。
「よろしくお願いします。代表の朝見、アサミ・リョウイチです」
「もっと豪放な大男かと思っとったよ。艦長のエンリオだ。では早速、乗艦してもらおうか」
埠頭の先に付けられたル・デッサ号は、喫水が意外と浅く、沿岸での航行を想定している。
斜めに掛けられた乗船用の梯子を使い、涼一たちは甲板に乗り込んだ。
「急ぐんだろ? 手続きが済んだら、直ぐに出発する。話は沖でしよう」
「お願いします」
エンリオは部下に彼らの案内を任せると、忙しく指揮に戻った。
客人用の二部屋を宛てがわれ、涼一たちは出航を待つ。程なくして、船員たちの大きな掛け声が響く中、碇が上がり、帆が張られた。
ル・デッサ号は、ゆっくりと港を離れる。久々に聞く波の音と匂いは、地球のものとそっくりだった。
波の穏やかな順風の海を、黒い船が北上する。
港が小さく後方に消える頃、涼一は作戦室へ呼び出された。
エンリオと部下のタース、涼一とレーンの四人で、挨拶もそこそこに情報交換が行われる。
決戦は明日の夜。
ナズルホーン攻略に向けた船上会議が、開始された。
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