3. 東へ

077. 東へ

 帝国のアレグザ討伐軍が惨めに遁走した一報は、即座に大陸全土を駆け巡った。

 西端のマーブリンド王国へ詳細が届くのに、戦闘終了から三日も掛かっていない。


 ナーデル国境軍が崩壊した影響は大きく、南方経由で遂にフィドローン王国のアレグザ平原進駐が開始された。

 この地方の安寧を図るという名目で、王国軍は平原の南東部から展開する。


 ナーデルからの軍の移動もスムーズになり、自由都市にいた特務部隊のほとんどがアレグザに集結した。

 街内の部隊を統括するロド、街との交渉を受け持つギレイズの二人は、こうして多忙を極めることになる。


 ナーデルの外交担当官ネランが、アレグザを再訪したのは、防衛戦の翌々日だった。

 涼一は朗報を期待し、彼との面談に臨む。

 本部テントには、前回と同じくレーンと矢野、そして書記役のアカリが同席した。


「……そちらの意図はともかく、国境軍を一掃してくれたことに、まずは感謝したい」


 ネランは謝意を述べ、涼一に都市連合代表からの親書を手渡す。

 親書の内容は簡潔だった。


 “自由都市連合は、フェルド・アレグザとの友好を望む。自由を願う諸市民が共栄する未来のあらんことを”


「これは、ナーデルの協力が得られる、そういう理解でよろしいですね?」

「そうだが、手放しで協力はできん。さらなる関係強化は、フィドローンの動きを待って行いたい」


 元より、ナーデルとそこまでベッタリと仲良くするつもりは、涼一にも無かった。しかし、彼らからどうしても得たい物がある。


「先日の件はどうでしょう? ナズルホーンの話です」

「こちらから出せるのは、軍艦一隻のみだ。ラズタ連邦は乗ってくるだろう。この話を進めるには、こちらにも条件がある」

「条件とは?」


 ネランにとっては、これが本題だ。


「アレグザ平原を、フェルドと特務部隊で閉鎖して欲しい。いずれ来る帝国の補充を足止めし、国境軍の再配備を妨害する。これがナーデルの協力条件だ」


 つまり、アレグザ平原を、ナーデル自由都市と帝国との緩衝地帯にしたいということである。


「基本的には、それで構いません。但し、平原閉鎖となると王国正規軍が不可欠でしょう。実際に展開するのは王国軍、それでいいですね?」

「結構だ。では、具体的な手筈を詰めよう」


 実務の細かい交渉は、ネランの方が何枚も上手だ。矢野のバックアップを得ながら、涼一はナズルホーン行きの計画をまとめていった。

 今回、ネラン一行は街に一泊すると言う。

 学校近くの市民ホールが、即席の迎賓館に改装してあった。神崎に彼らをホールへ案内してもらい、本部テントへは入れ替わりでギレイズとロドを招く。

 討伐軍との戦いが余程お気に召したのか、それ以来フィドローン公使は上機嫌で、涼一の招聘にも直ぐに顔を出した。


「どうした、追加物質の要請かね?」

「いえ、王国と相談したいことがあるんです」


 ギレイズとロドが座ると、涼一はナーデルの要求をかい摘まんで説明する。


「……つまり、我々に盾になれと、ナーデルは言っておるのだな」

「そういうことです」


 話を聞いたギレイズに、特に驚きは無い。


「いずれにせよ、平原全域に兵を展開する予定だ。帝国の出方を窺ってる状態じゃよ。アレグザ奪還は、王国の願いでもある」

「ここの戦力を知った以上、帝国も慎重になるでしょう。この出来た時間で、私たちはナズルホーンに行こうと思います」


 図書館の転移については、ロドから本国にも報告されているだろう。ギレイズもこのことを承知していた。


「友朋が、向こうにおるんだったな。救出に行くのかね?」

「ナーデルに船を出してもらう予定です。つきましては、ポルサナ港の使用を許可して欲しい」


 フィドローン東岸の貿易港、ポルサナ。アレグザから王国を横断する道程になるが、平地の街道だけを通って行ける最も近い港である。


「ポルサナは元々、自由都市との貿易港だ。許可はすぐ出せる」

「港から、海路でナズルホーンに向かいます。ゾーンに我々が乗り込む間、北部回廊沿いの軍は、警戒態勢をとってもらえますか?」

「それは……手助けはできんぞ?」


 ラズタ連邦と事を構えたくない王国は、ゾーンを奪取する気は無い。だが、連邦が誤解してくれれば都合が良い、そう涼一は考える。


「ゾーンでの戦闘は、想定以上に派手になりやすい。万一に備え、回廊周辺には増援を送ってもらっていいくらいです。こちらへ直接の支援は必要ありません」


 アレグザの術式戦を見た後では、ギレイズも涼一の言わんとすることは理解した。


「……よかろう。で、君たちはいつ出発するのだ?」


 レーンに目配せした涼一へ、彼女が頷き返す。既に準備はできている。


「今日です。明日には港に着いているでしょう」


 一日で王国を横断する気かと、目を大きく開くギレイズに対し、涼一はにこやかに微笑んだ。





「聞いたかね、アイングラム司令。彼らはナズルホーンを狙うらしい」


 ガルドは術式研究所所長の前に置かれた、小さな遺物を見つめていた。

 毛糸を寄せて作ったような人形は、机の上で敵代表の物真似芝居を繰り広げていた。

 出来の悪い冗談のようだが、その効果は絶大である。

 多少聞き取りにくい箇所はあるものの、“憑依の術式”により、含有魔素が尽きるまで敵の情報は筒抜けだ。


 ――こんな装備まであるとはな。


 軍歴の長いガルドにも、術式研究所の開発品は初めて見る物ばかりだった。


「ハータムからだと遠い。海路の彼らの方が、先に着くでしょうね」


 彼の言葉に、メリッチは暫し思案する。

 情報は得たものの、敵の動きは素早く、後手の対処になるのは致し方なかった。


「ナズルホーンは再制圧作戦中だ。彼らが行っても時間を稼げるくらいには、部隊が展開しておる」

「研究所の部隊がいるのですか?」

「そうだ。遺物で数回中継すれば、連絡もすぐ付く。しかし、せっかくの機会だ。君も向かってくれ。先日の調略部隊を君に預けよう」


 アレグザ進入作戦は、ガルドも後方から観戦している。部隊の実力は、十分見させてもらった。


「分かりました。目的はアサミの捕獲ですね」

「殺さんようにな。初指揮だ、実戦練習も兼ねて好きにやりたまえ」


 敬礼し、退室したガルドは廊下を足早に歩く。

 再戦のチャンスは、予想を超えて早くやって来た。


「少しでも、借りは返さんとな」


 宿敵の顔を思い浮かべつつ、彼は部下の元へ急いだ。





 ポルサナに向かうに当たって、涼一たちは大型のオフロード車を探した。

 駅近くの駐車場に、八人乗りのSUVを見つけ、これを目的地までの足に選ぶ。


 道案内はヘイダが担当し、運転は涼一と若葉が行う予定だ。

 戦力として、レーンとヒューの参加は確定で、他の同行希望者を募ったところアカリと山田が手を挙げた。

 奇しくも、最初のアレグザ脱出戦のメンバーが揃ったことになる。


 荷物を積み込み、出発しようとする涼一たちを、結構な人数の住民が見送りに来た。


「神崎さん、矢野さん、しばらく街を頼みます」

「しっかり留守番させてもらうよ」

「バッチリ任せとけ、とも言いづらいけどな。やれるだけやるさ」


 矢野に比べ、神崎が自信なさそうに言うのは、彼の照れ隠しかもしれない。

 街を奪われまいという決意は、誰もが涼一と軌を一にしていた。


「心配するな、虎の抜けた穴は俺が埋めてやる!」


 花岡が声を張り上げる。


「もう俺の方が、術式じゃ上かもしれませんよ?」


 笑って茶々を入れたのは小関だ。救出直後の陰惨な表情はかなり薄れ、力強い目が戻ってきている。

 街の防衛戦の経験は、少なくとも彼には良い影響を与えたようだった。

 小関は山田に歩み寄り、激励を伝える。アカリは中島と有沙に、別れの挨拶をしていた。


「よし、行くか」


 話を終えた涼一から順に、四輪駆動の厳つい車に乗り込む。もっとも、術式で動かせば、どれも四駆にはなるのだが。

 皆を乗せた自動車に、有沙が大きく手を振る。


「ちゃんと帰ってきてね! すぐにだよ!」


 アカリと若葉は、開きっぱなしの窓から同じく手を振り返した。

 運転席の涼一は、初めて人を乗せて動かすこととなり、深く息を吸い込む。


「あー……みんな、シートベルトをしてくれ。あと、慣れるまでは話し掛けないように」


 自信の無い言い様に、山田が露骨に不安な表情を浮かべた。


「おい、大丈夫かよ。いきなり衝突とか無しだぜ?」

「お前の喋りが一番不安だ。しばらく羊でも数えとけ」


 涼一の忠告に、山田は大人しく小声で何やらつぶやき出す。

 レーンは記憶にない単語の意味を、若葉へ尋ねた。


「ヒツジって何?」

「地球の動物よ。こう、毛がモコモコした」


 この世界にはいない動物らしい。


「モルロみたいな生き物かしら」


 楽しくお喋りを始めた仲間へ、涼一が懇願した。


「もう、それでいい。モルロを皆で数えててくれ」


 モルロが一匹、モルロが二匹――。

 唱え出された青い毛玉の呪詛に、トラウマを刺激されたアカリは悶絶する。


「ひぃぃ!」

「ああ、もうっ!」


 涼一がヤケクソ気味に術式を発動させると、タイヤが急回転を始めた。ゴムの焼ける臭いを残し、車は東へ加速する。

 東進入口から、砂煙漂う荒原へ。

 自動車が小さくなるまで、残された住民たちは自分たちのリーダーを見送り続けた。


「では、しばらく頑張ってくれ、代表代理さん」


 矢野が神崎の肩を叩く。


「あー、なんで俺かねえ。しばらく本部暮らしか……」

「涼一くんたちがいない間に、復興作業も頑張るわよ。帰ってきたら、びっくりさせましょ」


 中島の言う通り、戦闘も大事だが、復興も負けずに重要だ。

 ナズルホーンで帰還方法が判明したとしても、その前に疫病やカラスにやられたのでは馬鹿らしい。

 それぞれが任された仕事へ、皆は街の各所に散っていった。






 中央へ戻る道すがら、有沙は一度だけ振り返る。

 涼一たちが図書館へ行くことは、彼女も中島から教えられた。

 児童書を借りたり、子供向けのワークショップに参加したりと、有沙自身もよく連れて行かれた場所である。

 ゴールデンウイーク中に催された工作教室では、小さな人形を作り、今も図書館に飾ってあるはずだ。


 ――作り方を教えてくれたおねえさんは、なんて言ってたっけ。伏川町には、昔はいっぱいあったって。五月になると、みんなで……。


「どうしたの、有沙?」

「……私、人形いっぱい作ったんだよ。この前みたいに、おねえちゃんたちを助けてくれるかな」


 中島は有沙の活躍を、はっきりとは見ていない。彼女が術式を使って敵を撃退したのだと、アカリに聞かされ驚いた。


「そうね。あの人たちなら、何だって味方にしそうね」

「うん!」


 お祈りするように手を合わせると、有沙はトテトテと駆け出す。

 皆の願いは同じ。

 中島も東の青空を一瞬振り返り、すぐにまた少女を追いかけた。

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