076. 宴
涼一が中央本部に戻った後も、特務部隊による警戒は続いた。
南伏川ハイツの屋上から、全く敵影が見えなくなったのが昼下がり、特務部隊が街の外縁に撤収したのが夕方のことだ。
戦勝を祝い、大通りには半月ぶりの街灯が燈る。
電池パネルを術式発動させ、無理やり通電させた最早懐かしい伏川町は、今夜だけの特別仕様である。
本部前の大通りには、多数の椅子や机が並べられ、住民たちが談笑を楽しんでいた。
任務を免じられた特務部隊員や、フィドローン公館の職員もそこに交じる。
彼らと合流する前に、涼一は救護テントを訪れた。
戦闘で傷ついた部隊員たちに声を掛けつつ奥に進むと、少女が張り付くベッドに行き着く。その枕元には、青い毛玉が飾られていた。
中島が、にこやかに手を挙げる。
「お疲れさん、涼一くん。今回は犠牲ゼロなんだって?」
「それは良かったんだけど……もう少し警戒しとくべきだった。すまない」
「あら、あなたのせいじゃないわ。ちゃんと助かったんだし」
隣に座る有沙が、涼一に存在をアピールした。
「あ、有沙もがんばったよ!」
「そっか。ありがとう」
彼は少女の頭を、くしゃくしゃと撫でる。
安堵と誇らしさで、彼女は屈託無く笑った。愛くるしい少女を見守る彼の後ろから、咳ばらいが一つ。
ベッドから抜け出たアカリが、いつまでも自分を見ない涼一に痺れを切らしていた。
「アカリも頑張ったよ!」
彼女も確かに若いが、有沙の真似は少し無理がある。
「立って大丈夫なのか?」
服の真ん中の血痕が、彼女の撃たれた場所も際どかったことを物語っている。
「中島さんより、治りが早いみたい。傷跡も無くなったし。見る?」
「見ない。動くなら、着替えてこいよ。さすがに痛々しい」
ニコニコと彼を見るアカリは、何かを待って立っている。
「いつもありがとな」
「うん」
中島と有沙に手を振ると、彼は救護テントを後にした。
腹に日の丸をこさえたまま、アカリは涼一について回ろうとする。途中で見つけた若葉に彼女を押し付けて本部に戻ると、ヒューとレーンが彼を待っていた。
テーブルの上に、敵から剥いだローブが置かれている。
「ヒュー、戻ってたのか」
「帝国軍は、
灰色のローブは、こうやって丸められていると何の変哲も無く見えた。
「幻影のローブは術式使用者の残像を見せる。ゾーンの遺物から生み出された、術式研究所の装備だ」
「研究所の狙いは何だ?」
ヒューは、机に雑然と積まれた書類に目を向ける。
「敵は本部資料を持ち出そうとしていたが……本命は、お前さんだろう」
「俺?」
立って話していた涼一に、レーンが代表席の椅子を勧めた。
「私もそう思う。リョウイチは特別だもの」
涼一が彼女の隣に腰掛けると、ヒューが順を追って説明を始める。
「この大陸には、不規則に転移陣が出現する。公式には四十二回と記録されてるが、そんなもんじゃない。鍋くらいの小さいのも含めたら、常にどこかで魔法陣が現れているはずだ」
彼は大陸地図に目を落とし、あちこちの点を爪の先で指した。
「ここ、ここ、それにここも。転移地はそこら中にあるが、これらは大した警備もない遺棄地だ。その中で十一、いやアレグザを入れて十二の土地だけが、ゾーンと呼ばれ番号を振られた。なぜだか分かるか?」
「規模がデカいから?」
涼一にも、他のゾーンの様子は想像ができない。自然とアレグザと似た転移地を想定していた。
「規模は様々だよ。共通するのは、遺物の存在だ。誰も発動できない、移動も難しい、そんな未知の遺物がゾーンにはあると言われている」
そういうことなら、確かに伏川町は遺物だらけだ。涼一は先を促す。
「それで、なぜ俺を狙う?」
「もう分かるだろう。そんな遺物を発動できる存在、それが起動者、リョウイチだ」
「何か分からない物を、闇雲に発動させても仕方ないだろうに」
レーンもそれに同意する。
「何か特定の、起動させたい物が帝国にあるんじゃないの?」
「帝国というより研究所、いや、所長のデルロス・メリッチだな。奴には、確かにはっきりとした目的がある。それを探るのも、我々の仕事だ」
その言い方では、ヒューの属する機関も、メリッチの目的をつかめていないということだ。
「その起動させたい遺物がどこに在るかくらい、分からないのか?」
敵の捉えどころの無さに、涼一はヒントを求めた。
「……これは推測なんだが。奴は第一ゾーンに執着している。術式研究所に隣接したゾーンだ。そこに、奴の起動させたい遺物があるのだろう。研究所を建ててまで発動させたい物がね」
分かるのは場所だけ、か。涼一は両手を挙げて降参する。
「情報が少な過ぎるな。対策だけはしとこう。こいつらはどう防げばいい?」
彼はローブをトントンと叩いた。
「涼一が寝ないで警戒するのが一番だ……いやいや、冗談だよ」
爬虫類の表情は、本気かどうか分かりづらい。いつものギュルギュル音が終わると、ヒューは真面目に切り出す。
「今回の一件で、リョウイチの身辺警護の指令が出ると思う。私が担当させてもらう。本部の近くに、場所を用意してくれ」
彼の助力はありがたい。涼一は喜んで承諾した。
「このテントを見下ろすビルがあるだろ。二階がガラス張りのカフェだったんだけどね。そのフロアを使うといい」
「分かった。今から行くとしよう」
ヒューが立ち上がったところで、入り口に神崎が現れる。
涼一とヒューの顔を交互に見たあと、彼はゆっくりと口を開いた。
「あのよ、話があるんだ」
「どうぞ。ヒューも味方だ。遠慮しないでいい」
神崎は違うと首を振る。
「話したいのは、そのヒューさんだよ」
諜報員は歩みを止め、神崎に向かい合った。
「私に用か?」
「……俺達は、あんたの仲間を殺してるんだ。恨まれても文句は言えない。許さなくていいが、一応謝らせてくれ。すまなかった」
ヒューは黙ったまま、しばらく神崎を見つめ、おもむろに口を開く。
「君が殺したわけじゃないのは知っている。離れて見ていたからな。恨みか……。任務の邪魔をするなら、斬るだけだ。リョウイチの味方なら何も言うまい」
神崎の返事を待たずに、そのまま彼はテントから出て行った。
その背を見て動かない神崎に、涼一が声をかける。
「ヒューはプロです。言葉通り受け取ればいいと思いますよ。転移後、ここは誰も彼も死に過ぎた」
「そうか……しっかりしてるな、君は」
「割り切りが早いんですよ。地球じゃ短所扱いだった」
皮肉な物言いに、神崎も苦笑いで返す。
振り向いた彼からは、もう悩んだ表情が失せていた。
「さあ、涼一くん、主役が来ないと始まらない。戦勝の宴会だ」
神崎が仕事の終わりを告げるが、涼一はもう一度だけ作戦テーブルの地図に視線を向ける。
さっきヒューの示していた転移地点の位置が、妙に気になったからだ。
しかし、そんな彼を急かす神崎の声に引っ張られ、涼一とレーンは大通りに出る。
ここしばらく見ていなかった大勢の笑顔が、彼らを待っていた。
◇
拍手で迎えられた涼一は、即席の演台に上らされ、スピーチを要求される。
なんとか適当にこなしたものの、こんなの罰ゲームじゃないかと、彼はひとしきり文句を垂れた。
どこからか缶ビールやワインまで用意され、ギターの音色が響く。
歌う者、踊る者、思い思いに皆が夜を楽しみ、郷愁を募らせる。
レーンは相変わらずコーヒーを飲みながら、涼一の横で異国の音楽に耳を傾けていた。
矢野と花岡の相手をしていた若葉が、涼一のテーブルに逃げてくる。
「ひえぇ、助けて、お兄ちゃん」
見れば花岡は、ビール片手に号泣しているようだ。
「花岡さん、どうしたんだ。ホームシックか?」
「違うの、話をさせられたのよ」
なんでも若葉は剣虎の最期を語らされたらしく、聞き終わった花岡は「それこそが。その気高い魂こそが、虎なんだよぅ……」などと泣き出したとか。
残された矢野が凄い顔でこちらを見ていたが、涼一は無視した。
「それでさ、若葉に相談があるんだけど……アカリのことで」
「うん? 覚悟決めたの?」
若葉が嫌な笑い方をする。
「何の覚悟だよ。俺さ、やっぱりちゃんと――」
涼一の相談は、客人の乱入で中断された。
「涼一さん、お疲れさまでした!」
彼と同い歳くらいの、若い女性だ。帰還組で、飛び散った書類を拾う手伝いをしてくれていた姿を、彼も覚えていた。
「
涼一の隣に座る彼女を、レーンと妹が見つめる。
「どうぞ。何か話でも?」
「……涼一さんは、帰還の方法を探しに行くんですよね?」
ナズルホーンに遺物がある可能性は、帰還組の希望となっていた。
詳しい計画は伏せているが、涼一が動くと誰もが考えている。
「確実な話じゃないんだ。ただ、あるかもしれない以上は、確かめに行こうと思う」
「待ちます。みんな待つ覚悟はしてます。涼一さんを信じてますから、いつか帰る方法を見つけてください。勝手なお願いだけど、できるだけの協力はします」
彼女はそう言って、念を送るように涼一の手を両手で握り締めた。
「仕事があったら、いつでも言い付けて。ブティックの二階にいますから」
「あ、ああ」
それだけ言うと、邪魔をしたことを詫び、彼女はまた知人のテーブルへ戻って行った。
若葉が溜め息と一緒につぶやく。
「はあ……モテモテね」
レーンが真面目な顔で追撃する。
「リョウイチ、そういうテクニックを女性には――」
「おい、俺は何もしてないだろ」
この後レーンは、地球時代の涼一について、若葉からたっぷりと講習を受けていた。
近年の女性遍歴まで話し始めた時には、なぜ妹がそんなことまで知っているのか、彼は心底怯えることになる。
窮地を救ってくれたのは、山田だ。
「高校の時の彼女は、美人だったよな」
救うどころか、加勢する旧友に涼一は頭を抱えた。
「やめようぜ、他人のゴシップなんか」
「リョウイチ、私は面白い」
レーンはそういうキャラじゃないだろうに――涼一の訴えも虚しく、彼をネタに夜は更ける。
全てのテーブルが空になり、通りに立つのが夜番の警備兵だけになったのは、深夜になろうという時間だった。
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