075. 決着へ

 有沙から魔素を与えられたモルロは、青い毛を光らせ、扉に向かって転がり出した。

 マリモに髭が生えたようなモルロは、本来は愛らしい、モルモルと喋るマスコットだ。

 発動したモルロも、最初は小動物らしい鳴き声を発していた。

 ローブの影に近づくにつれ、モルロの体毛が伸び、触手のように波打ち始める。


「……モルモルモルグルゥアーッ!」

「なっ!?」


 奇怪な咆哮を発し、目標を捉えると、青い毛玉が勢いよく跳ね上がった。

 敵の顔面にへばり付き、うごめく触手は口へ、目へ、耳へと捩込ねじこまれていく。

 男は毛玉を掴んで引きはがすが、その光る毛には実体が無い。魔素の体毛はガムのように伸び、ズルズルとローブの男に纏わり付いた。


 有沙の手とポケットから、モルロへ加勢する援軍が続く。

 彼女のトランシルバニアな友達が三匹、男にトコトコ近寄ると、剥き出しの手や首に噛み付いた。


「くそっ、やめろ!」


 男は手を振り回し、小さな襲撃者たちを追い払おうとする。しかし、モルロの眩しい魔光が視界を遮り、何が自身を襲っているかも分かっていない。

 じりじり後退する内に、歩道の縁石に足を引っ掛け、ローブの侵入者は無様に尻餅をついた。

 吸血鬼たちが血を吸い、モルロが自由を奪う。


 ――やっちゃえっ!


 有沙は駄目押しの一撃を求める。

 少女の横の節句コーナーには、ミニチュアの鯉のぼりが飾ってあった。


 ――みんな、あいつを食べて!


 有沙に触れられた鯉たちは、プラスチックのポールから離れ、空中を泳いで行く。

 尻尾を振り、跳ね進む先は、男の投げ出された二本の足だ。黒い口を大きく開け、鯉は爪先からその足を飲み込んだ。


「あぁぁぁっ!」


 生きて食われる衝撃に、男はただ絶叫する。

 声が止まった時には、下半身を無くした死体が残された。

 縫いぐるみたちは、死の饗宴を終え、また可愛いらしくその場に転がっている。


 “宿魂の術式”、この大陸にも存在する術式ではある。

 古代、神殿を守護するゴーレムがいたとも、魔人形を使役する術士がいたとも伝わるが、ほとんど失われた術法だ。

 今では一部神官が権威付けのために、人形をガタガタと揺らす程度のものだった。


 神代の秘技を行使した有沙だが、倒れる中島たちには為す術がない。

 中島のポケットから薬を取り出し、見よう見真似で回復の術式を発動しようと試みる。


「治って! おねえちゃん!」


 手が白くなるまで丸薬を握り、少女は回復を願う。

 効果の無い薬に泣き出した有沙の手を、アカリの両手が上から包んだ。


「……治った姿を、そこに見るのよ」


 緑の魔光が指の間から漏れ、中島の傷口を照らす。

 瀕死の中島が、大きく一息、血を吐き出すと、顔に血色が戻ってくる。


「おねえちゃんっ!」


 傷の深さから、動けるようになるには少し時間がかかるが、何とか発動は間に合った。

 アカリは息を切らして、そのまま自分の傷口に有沙の手を運んだ。


「私も、治して……」

「う、うんっ!」


 今回は危なかったと、アカリは内心冷や汗ものだった。

 この少女がいなければ、生き残れただろうか。

 ただ……有沙に感謝しつつも、先の悪夢がアカリの脳裏に蘇る。


「モルロ、恐すぎ……」


 寝床の毛玉は若葉にあげよう、彼女はそう決めていた。





 涼一とヒューが街の中心、本部テント前に来たのは、ほぼ同時だった。

 近くで作業していた住民や、フィドローンの職員も、ローブの不審者を目撃していた。

 彼らは本部テントを指し、涼一たちに訴える。


「本部の中よ、入っていったわ!」


 涼一はヒューと頷き合い、入り口を挟むように立つ。二人は睡眠弾と戦輪を構え、突入のタイミングを合わせた。

 さあ中へという正にその時、白煙がテント入り口から噴き出す。


「煙幕だ、出て来るぞ」


 ヒューの警告に従い、涼一は敵を見逃すまいとするが、煙の勢いに押され後ずさる。

 息苦しくなり、袖で口を押さえた瞬間、敵の体当たりが彼の腹を直撃した。


「リョウイチ!」


 ローブを掴もうと伸ばしたヒューの手を、男はスルリとかわして逃げる。


「逃がすか!」


 地面に倒された涼一は、その態勢から睡眠弾を撃った。敵の身体の中心を狙ったはずの弾は、また虚空を貫いて飛び去る。


「見えてるのは影だ、進路を狙え!」


 アドバイスを与えつつ、ヒューの戦輪が煙の中で舞った。灰色のローブの端を切り裂いて、Uの字に飛んだ輪は彼の手元に戻る。

 実体を見せず、煙幕まで張られると、ヒューと言えども敵にかすらせるので精一杯だった。


 涼一は敵を生かして捕らえるのを諦め、逃げる男へ向かってニトロを乱射する。

 敵も街路も丸ごと破壊する厚い爆炎――さしもの敵もこれを避けることは出来ず、吹き飛ばされた挙げ句にビルの壁に激突し、ゴロゴロと道路を転がった。


 通りには、涼一が書き溜めていた文書類が、紙吹雪のように舞い散っている。

 男は尚、ヨロヨロと立ち上がりはしたものの、すぐに力尽き、仰向けに倒れ伏せた。

 ヒューが近寄り、その生死を確かめる。


「……死んだよ」

「こいつも帝国の兵か?」


 討伐部隊とは余りに違う雰囲気に、涼一は疑問を口にした。

 彼が初めて見るこの格好も手口も、ヒューには覚えのある相手だ。


「“幻影のローブ”の工作兵。術式研究所の直属部隊だ。資料奪取のつもりか知らんが、奴らにしては強引だな」


 飛び散った本部の書類を、住民たちが拾い集める。


「はい、兄さん。怪我はない?」


 マリダが自分の拾った分を手渡しながら、涼一の服の土ぼこりを手で払った。


「マリダさん、危ないよ。中に入ったほうがいい」

「“さん”なんてやめて。皆じっとしてられないのよ」


 帰還組に多い非戦闘要員は、屋内に退避しているように通達していた。

 しかし、水や医療品を運んだり、怪我人を中央に連れて帰ったりと、何かしら仕事はある。大人しく待っている者は、誰もいないようだった。

 ヒューはまだ警戒を解かず、敵を求めて動き出す。


「リョウイチ、私は他に侵入者がいないか見回ってくる。後でまた会おう」

「分かった、本部には特務部隊を一班呼び返すよ。俺は戦線に戻る」


 走り去るヒューを背に、涼一は本部テントに入った。酷い散らかりようだが、破壊工作はされていない。

 無線を手にし、彼は応援を要請する。


「本部が工作兵に襲われた。こちらに回れる部隊はいないか?」


 神崎からすぐに通信が返ってきた。


『いつの間に入りやがった! 南はもう余裕があるぞ。花岡、本部に回ってくれ』

『了解、すぐ行く』


 花岡たちが到着するまでは、涼一も本部を空には出来ず、マリダと一緒に本部内を片付ける。

 苛々と落ち着きない彼へ、彼女が話しかけた。


「戦闘が気になるの?」

「そりゃな。大勢は決したけど、まだ敵は多い」


 戦況を気にして、涼一は西の方角に顔を向ける。


「司令官は、ドーンと構えとかなきゃ。それに……」

「ん?」


 口ごもる彼女に、涼一は振り返った。


「……ゆっくり話せる機会、無かったでしょ。ありがとう、兄さん。あなたは私を救ってくれた恩人よ」

「よせよ、照れ臭い」


 彼を真正面から見据えるマリダに、涼一は思わず目をそらす。

 彼女の感謝は、心の底から出た本物だ。命の恩人を、本当に兄と呼べる日を願っていた。


「マリダ、水を運んで!」


 外からリディアの呼び声がする。


「母さんを手伝ってくるわ。救護テントを切り盛りしてるのよ」


 マリダは涼一にウインクすると、本部を後にした。

 元気になった彼女の姿に、彼はいずれ来る平和な生活を少し想像する。


 多大な戦果、侵入者の撃退、すっかり回復したマリダ。

 油断があった訳ではないが、ほんの少し、涼一の注意は目の前から離れていた。


 本部内のささやかな変化を、彼はこの時、見落としてしまっていたのだった。





 涼一が花岡と交代し、西のロドたちと合流する頃には、もう真昼になっていた。

 指揮系統をズタズタに切り裂いた剣虎のおかげで、もうアレグザに有効な反撃をする敵は皆無だ。

 特務部隊の追撃を受けながら、討伐軍は散り散りに撤退を始めていた。


「お兄ちゃん! 遅かったわね」

「ああ、街でちょっとな。剣虎はどうなった?」


 涼一たちからは、虎の姿は見えない。


「林に入って、ずいぶん経つけど……偵察する?」


 撤退中の帝国軍本隊は、もう林を抜け、ザクサに全力で逃げ出している。待ち伏せする敵がいるとは考えづらかった。


「ロド、林へ入る。剣虎が気になるんだ」

「一隊随伴させよう。慎重にな」


 レーンと特務部隊が先導し、涼一たちは林道を進む。

 ニセ松の間を縫う道は、竜巻が通ったように、樹皮がめくれ、兵の遺体が散乱していた。

 暴虐の主を探し、奥に進むと、ひっくり返された戦闘馬車が現れる。

 馬車の横で喘ぐクルーゼンが、近づく人影に叫んだ。


「おい、手を貸せ! 足が折れて動けんのだ!」


 レーンが魔弓を向け、呆れた声で涼一に教える。


「敵の司令官よ」

「おいおい、司令を置いて逃げたのかよ」


 途中で足を止めた涼一たちに、クルーゼンも様子のおかしさに気付いた。


「何をしておる……て、敵なのか!?」


 一応、捕縛するかと歩き出す涼一を、レーンが無言で制止した。


「どうした?」


 レーンの視線の先に目を凝らし、涼一も魔光の揺らめきを発見する。


「剣虎か!」


 背後に迫る死も知らず、敵司令は御託を並べ続けた。


「おい、手荒な真似はするな。ワシは将軍だぞ。それ相応の待遇を――」


 ゆっくりと忍び寄った剣虎は、最後に軽くジャンプすると、クルーゼンの背中に着地した。


「ぐあっ! うあっ、た、助け――」


 その口は、前脚の一蹴で頭と共に跳ね飛ばされる。


 グルオオオ……!

 若葉が短鞭を振り上げる。


「待ってくれ、若葉。様子が変だ」


 虎はしばらく涼一たちと向かい合った後、くるりと背を向け、林道の奥に立ち去ろうとする。

 悠然とした闊歩だが、足運びのリズムに違和感があった。


「……限界なのよ。魔素が体中から流れ出してるわ」


 レーンの言う通り、剣虎は全身が緑色に光り出していた。

 放置するには、危険な存在だ。追いかけて仕留めるべきか。悩む涼一に、狩人の先輩たるレーンが告げる。


「あれは死に場所へ向かってる。もう戻っては来ない」

「そうか……」


 若葉も鞭を下ろす。

 幾度も恐怖させた敵の後ろ姿を、彼女は複雑な表情で見送った。

 荒野の王が、完全に視界から消えると、涼一は無線で街に呼び掛ける。


「みんな、聞こえるか? 敵司令は死んだ、終戦だ。俺達の勝ちだ」


 距離が遠すぎたのか、ガーピーッとノイズだけが返ってくる。

 しかし、この宣言は、確かに街に伝えられた。涼一たちには届かなくても、街の全域で、勝利の歓声が上がっていたのだった。


「よし、街に戻ろう」


 残敵に注意しながら、彼らは来た道を戻り、ロドたちと暫時、敵の反攻を警戒する。

 激戦は集結し、アレグザ平原には静穏が訪れていた。


 涼一たちは、特務部隊と共に東口に帰還する。

 彼らを待っていたのは、勝利を祝うフェルド・アレグザの市民たちだった。

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